第66話 最後の想い


 演奏を終え、ステージに巻くが降り、大沢と松原がやって来た。けれどいつまでたっても、優斗は姿を現さない。


「ねえ三島。ユウくん、見える?」


 もしかすると自分には見えないだけで、実は目の前にいるのかもしれないと思った。啓太なら、優斗の姿が見えているのかもしれないと。

 だけど啓太は、小さく首を横に振った。


「いや。もしかして、もう成仏したとか?」

「そんな──」


 優斗の未練は、学園祭のステージで演奏する事。それが果たせたのだから、確かに成仏しても不思議はない。

 だけどこれは、いくらなんでも急すぎた。成仏する事は望んでいたが、最後の言葉を伝えるくらいは、別れの挨拶くらいは出来るものだと思っていた。


「どうしよう。まだ、好きだって言えてないのに……」


 気がつけば、そんな言葉が溢れる。すると、それを聞いた啓太が目を見開いた。


「おい。もしかしてまだ言って無かったのかよ。今日一日、一緒にいたんだろ」

「全部終わって、最後の最後で言おうと思ってたから……」


 どうやら啓太は、既に藍が告白を済ませているものと思っていたようだ。果たして彼にその辺りの事情を話していいものかと思ったが、こんな時だからか、気がつけば口に出していた。


「先輩からも、何か言われてないのか?」

「ユウくんから?何かって、何?」


 啓太の言っている事が分からず記憶を辿るが、彼が指していそうな言葉は思い当たらない。分かるのは、想いを伝える最後のチャンスを逃してしまったかもしれないと言う事だけだ。

 こんな事になるなら、もっと早くに告げておけば良かった。そう思わずにはいられない。


 だが藍と啓太がそんなやり取りをする中、間に別の声が割って入る。大沢だ。


「二人とも、次にステージを使う人達がいるから、早く片付けないと」


 事情を知らない大沢は、当然藍が今どんな気持ちでいるのか分かっていない。けれど彼女の言う通り、ここでいつまでもモタモタしていては他の人達に迷惑がかかる。

 気持ちを切り替えるのは難しいが、それでも後片付けを始めようとした時だ。


「すみません。藤崎、気分が悪いみたいなんで、休ませてもいいですか?こいつの分の片付けは俺がやりますから」

「そうなの?もしかして疲れちゃった?」


 急に藍の手を引きながら啓太が言うと、それを聞いた大沢が心配そうに覗き込む。


「いえ――」


 大丈夫。そう言おうとしたところで、啓太がそれを遮るようにグイと肩を引き寄せ、小声で囁いた。


「いいから、お前は先輩を探せ。もしかしたら、まだいるかもしれねーだろ」

「でも……」


 せっかくの申し出だったが、口から出てくるのはどうしても躊躇いの言葉になってしまう。

 正直なところ、啓太の言葉には心を動かさずにはいられない。もし本当にまだ優斗がいるのなら、今すぐにでも駆け出して行きたい。けれど、どこに向かえばいいのかも分からない。優斗が今どこにいるかなんて、見当もつかなかった。そもそももしまだ成仏していないと言うのなら、どうして姿を消したのだろう。

 だけど啓太は、ちゃんとそれに対する答えを用意していた。


「本当にいるかどうか分かんねえけど、心当たりならある。幽霊のいる場所なんて、大抵が生前思い入れの強かった奴のところか、でなければ亡くなった場所のどちらかだ。もしかしたら、成仏する時は勝手にそこに行くようになってるのかもしれない」

「じゃあ……」


 もし啓太の言っている事が当たっているなら、優斗はやはり成仏しかかっているのだろう。いや、もしかすると、やはりもう成仏してしまっているのかもしれない。

 それでも、また優斗と会える望みがあるのなら、それに掛けてみたかった。


 一方、事情を知らない大沢は、なおも藍を見て心配そうな顔をしている。


「大丈夫?キツイようなら後片付けは私達がやるから、休んでおく?」


 幸いと言うべきか、優斗のことを考え思いつめた藍の表情は、気分が悪いと言う啓太の説明とそう離れてはいなかった。


「そうしろよ。後は俺達に任せてさ」

「……いいの?」


 本当は、すぐにでも向かいたい。それでも逡巡するのは、再び啓太を頼るのに抵抗があったからだ。

 だが啓太には、そんな藍の迷いもちゃんと分っていたようだ。


「早く行けよ。こんな時くらい、カッコつけさせろ」


 そう言って、促すようにポンと背中を叩く。

 いったいこの手は、何度自分の背中を押してくれたのだろう。優斗が亡くなった時、啓太が手を引いてくれたおかげで、別れの挨拶を告げる事ができた。さっきのステージでも、彼の言葉が無ければ、最後まで歌えていなかったかもしれない。


「――――行ってくる」

「――――おう」


 今もまた、こうしてまた背中を押され、前に進むことができる。言葉を交わした時、既に心は駆けだしたい気持ちで一杯だった。大沢たちの手前、さすがにステージから見えなくなるまでは歩きはしたが、それからは一心不乱に駆け抜けた。

 啓太の言っていた、思い入れの強かった人のところ。だけどそれなら、たぶん優斗は今もステージにいたはずだ。あそこには、彼の大切な人のほとんどがいたのだから。

 それなら、向うべき場所はもう一つ。彼が亡くなった場所だ。そして、幽霊となって再びこの世に現れた場所だ。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「ここは……」


 まず優斗が感じたのは戸惑いだった。さっきまでステージの裏手にいたはずなのに、気が付くといつの間にか目の前に景色が変わっていたのだから無理もない。まるでテレポートでもしたかのようだ。

 しかし、ここがどこだか分からないと言う事は無い。軽音部室へと続く階段。毎日のように通ったこの場所を、見間違えるはずが無かった。

 そして戸惑いがおさまるにつれて、誰に教わった訳でもないが、何となく分かった事があった。


「そっか。成仏する時が来たんだな」


 理屈じゃない。感覚で、自分がもうこの世に留まっていられる時間は長くないのだと悟る。いきなり自らが命を落とした場所へと移動したのだって、もしかしたら成仏するのに必要な何かがあったのかもしれない。


 するとそんな直感を裏付けるように、元々透明だった体が更に薄くなっていくのに気付く。今にも消えてなくなりそうなくらい、優斗の身体から急速に色が失われていく。


 この世を離れる事への恐怖は無かった。むしろ心の中は、幸せな思いで満ちている。

 ずっとやりたかった、学園祭のステージでの演奏。あれから何年も経っていると言うのに、大沢も、松原も、力を貸してくれた。それを振り返っただけで、胸の奥が燃えるように熱くなる。幽霊になれて、この世に現れる事ができて、心から良かったと思えた。


(三島にも、世話になったな)


 思い出されるのは、まだ子供だった頃の啓太の姿。当時の事もあってか、最初は何だか互いに微妙な距離感があったが、いつの間にか、少しずつそれは無くなっていったようにも思えた。


 友人、だったのだろうか?

 わざわざ関係性の確認なんてしたこともなかったし、仮に行ったとしても、おそらく二人ともその言葉は出さなかっただろう。いざ口にするのは、何となく照れがある。

 それでも今こうして振り返ると、多分そうだったのだろうと思う。一度死んで幽霊になった後にできた、たった一人の友人だ。


(幽霊になって良かった。またここに来れて良かった)


 いつの間にか、彼の胸の中には確かな満足感が広がっていた。


 だけど、だけど一つだけ、これだけ幸せな思いをしておきながら言うべき事ではないかもしれないが、たった一つだけ、ほんの小さな心残りがあった。


 全ての願いを叶え終え、もはや消えるのを待つだけとなった今、最後に心に浮かんだその名前を口にする。


「藍――――」


 ここに来る直前に聞いた彼女の演奏が、今も耳に残っている。心に響いている。

 大舞台に立つ彼女の姿を見て、不覚にも涙ぐんでしまった。


 良かったと言いたかった。ありがとうと、さよならを伝えたかった。そして、最後の最後で言おうしていた、心に秘めたある想いがあった。

 だがこのままでは、それらを何一つ口にできないまま終わってしまいそうだ。それだけが、心の中で引っ掛かっている。


 せめて一目だけでも会えたら。この期に及んでそんな事を思うのは贅沢だろうか。

 啓太の言葉を信じると、この世への未練が自分を幽霊にしたらしい。しかしどうやら、藍に対する未練は成長した彼女と会えた事で十分と判断されたようだ。


 そんなことを考えている間にも、体はますます透明度を増していき、足はなぜかこの場から一歩も動かす事ができないでいる。

 いよいよ最後。そう思った時だった。




 タッタッタッタッタッ────



 校舎に、誰かの走る足音が響いているのが聞こえてきた。耳に届く音は微かで、ここからはだいぶ距離があることが分かる。



 タッタッタッタッタッ────



 だけど足音は次第に大きくなっていき、だんだんとこちらに近づいて来る。

 それを聞いて、心に僅かな期待が灯った。根拠なんて何もないただの願望だとしても、それでもこの足音が、彼女だったらと思わずにはいられない。



 タッタッタッタッタッ────



 足音はいよいよすぐ近くまでやって来て、尚も真っ直ぐにここへと近づいてくる。

 そして──


「ユウくん!」


 思った通りの、願った通りの顔が現れ、名前を呼ぶ。よほど急いで走ってきたのだろう。大きく息を切らせながら、だけどこちらを見たとたん、眩しいくらいに明るい表情へと変わった。


「藍!」


 優斗もまた、大きな声で彼女の名を呼ぶ。

 最後に会いたかった人の名を、一番大切だと思った、一人の女の子の名を。

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