第67話 告白

 部室へと続く階段へと辿り着いた時、藍が目にしたのは薄っすらと光る何かだった。

 既に色と呼べるものは無くなっていて、輪郭から何とか人の形をしているのは分かるが、それが誰かなんて到底見分けがつかない。

 それでも藍は、確信をもってその名を叫んだ。


「ユウくん!」


 一瞬光が揺らめき、透明だったそれに色がつく。光の塊だったような何かが、人へと変わっていく。

 そしてそれは、やはり思った通りの人だった。


「藍!」


 名前を呼んでくれた優斗の体は、色がついたとはいえ普段の彼よりもさらに透明に近くなっていて、今にも消えてしまいそう。やはり終わりの時が近いのだと、一目で理解するのには十分だった。


「本当に、これでお別れなんだね」

「ああ。どうやらそうらしい」


 だけど二人とも、それを嘆いたりはしない。だってこれは、優斗が望んだことだ。藍が、それを叶えようと決めたことだ。


「急にいなくなってごめんな。でも、最後に会えて良かった」

「私も、間に合って良かった」


 見ると、優斗の目に薄く涙が滲んでいるのが分かった。辛い話をした時も、さっきのステージでもついに見せることはなかった涙が。


「あの……ユウくん。最後に、最後だから、言いたい事があるの……」

「なに?」


 真っ直ぐに優斗をつめながら、ゆっくりと口を開く。好きだと、ただその一言を伝えたくて。

 なのに――――


「あの……あのね……」


 想いを告げようとして、だけどその度に何度も声が詰まる。好きだと伝える最後のチャンスだと言うのに、肝心な言葉が出てこない。

 怖いんだ。決定的な一言を放った瞬間、優斗の顔が曇るんじゃないか。好きだと伝える事によって、最後の最後で困らせてしまうんじゃないか。そんな思いが、せっかく開いた口を閉ざそうと邪魔をする。


 ちゃんと言おうと決めたのに。こんな時だと言うのに、言いたい事も言えない臆病な自分が嫌になる。だがそんな、なかなか言葉の出てこない藍を見て優斗が言った。


「なあ、俺から先に言ってもいいか?俺も、言いたい事があるんだ」


 ここで頷くのは、告白を後回しにするのは、なんだか逃げているみたいで躊躇われる。だが優斗がいつ消えてしまうかも分からない今、何も言えない自分のせいでせっかくの時間を無駄にしたくはなかった。


「――――うん」


 そう応えると、それを受けた優斗が小さく息を吸い込みながら呼吸を整えている。

 藍も、優斗に向かってじっと耳を傾ける。自分の告白も大事。だけど優斗が最後に言おうとしている言葉を一言だって聞き逃したくはなかった。


「――――好きだよ、藍」


 告げられたのは、そんなほんの僅かな一言。けれどその瞬間、時が止まったような気がした。

『好き』。その一言が、頭の中で何度も響いている。それは藍にとって、優斗に言われるのをずっと夢見ていた言葉だった。


 だけど次の瞬間、微かに残った冷静な部分が、湧き上がる高揚感を必死に抑え始めた。


(違うよね?ユウくんの言ってるのは妹に対しての『好き』で、一人の女の子に対する恋愛的な『好き』じゃないよね?)


 優斗が自分を妹として見ている事も、兄妹としては限りなく大事に思われている事も知っている。だから最後のこの瞬間に好きだと言われても、何の不思議もないだろう。

 藍だって、もちろん優斗のことはお兄ちゃんとしても慕っているので、そう言った意味での『好き』も当然嬉しい。

 だけど今この場で一番欲しいのは、そんな兄妹としての『好き』じゃない。


 そこに焦りとやりきれない想いを感じた瞬間、気が付けば口が勝手に動いていた。


「わ……私も、ユウくんのことが好き。けど私の『好き』は、ユウくんの言ってる『好き』とは、多分違う」


 ついさっき何度も言おうとして、だけど躊躇いから未だ伝えられていない言葉。それを今、ようやく告げられるような気がした。

 兄妹としての『好き』も、もちろん嬉しかった。だけどそんな関係から先に進みたくて、一人の女の子として見てほしくて、妹と言う殻を自ら外す。


「私のこと、妹じゃなくて、一人の女の子として見て欲しい。私の『好き』は、お兄ちゃんへの『好き』じゃない。ユウくんのこと、一人の男の子として、ずっと前から好きだった!」


 叫ぶように放った声は震えていた。全て言い終わった今、崩れ落ちそうなくらいに足がガクガクと震えている。だけどそれでも、この気持ちを伝えたかった。兄妹してじゃない異性としての好きを、優斗に知ってもらいたかった。


「本気、だから……」


 念のためにと最後の一押しを付け加え、じっと反応を待つ。優斗の顔が曇るのではないかと思うと、震え出しそうなくらい怖くなる。それでも、決して視線は逸らさない。


「その……間違ってたらごめん。藍の言う『好き』ってのは、女の子として見てほしいってのは、そう言う意味の『好き』、なんだよな?」

「うん……」


 優斗の口から聞かされることで、改めて告白したんだと、ちゃんと伝えられたのだと実感する。


 よほど信じられなかったのだろう優斗しばらくの間、は目を丸くしながら声もなく固まっていた。

 だが僅かに表情が動いたかと思うと、バッと顔を伏せてそれを隠した。


「ユウくん?」


 不安にかられながら、恐る恐る名前を呼ぶ。今は見る事ができないその顔には、いったいどんな感情が渦巻いているのだろう。

 躊躇いながらも覗き込もうと身を屈めると、とたんに声がとんできた。


「見ないで。今、どんな顔をすればいいのか分からない」


 その一言が突き刺さり、まるで張り付けられたように動きが止まる。同時に胸の奥から、締め付けられるような苦しさが沸き上がってきた。


(困ってる、よね)


 それは、覚悟していた答えだった。ずっと妹のように思っていた子にいきなり好きだと言われても、受け入れてもらえるはすがない。そんなのはとっくに分かっていた。分かっていて、それでもこの想いを知ってほしくて伝えた。

 だけどどれだけ覚悟していても、いざその時が来てしまうと、挫けそうになる。


「いきなりこんな事言っても、困るよね。ごめん……ごめんね、最後に変な事言って……」


 それでも何とかそう言えたのは、これ以上優斗を困らせたくなかったから。最後の瞬間を台無しにしたくなかったから。


 だから今にも溢れそうな涙を堪えながら、彼が少しでも気を病まずにすむように、必死で言葉を紡いだ。

 だけど──


「違う!」


 そんな藍の声を遮るように、辺りに優斗の声が響いた。

 そして黙り込む藍の前で、伏せていた顔をようやく上げる。


「違うんだ。困ってるとか、そう言うんじゃなくて、いきなりですぐには受け止められなかっただけで…………その……同じなんだ」

「どう言う事?」


 たどたどしく出てきた言葉はなんだか要領を得なくて、つい首をかしげてしまう。違うと言ったり同じと言ったり今一つどういう意味なのか分からない。


 だけど優斗はそこで一度言葉を切って息をつくと、今度はもっとしっかりとした声で言った。



「同じなんだ。さっき俺が藍に言った『好き』と、藍が俺に言ってくれた『好き』は」

「――っ。それって……」


 そして、ハッキリと言い放つ。


「好きだよ。一人の女の子として」


 その時の彼の顔はさっきまでとは一転してとても穏やかで、だけど何だか、赤く染まっているようにも見えた。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 同じころ、ステージから全ての機材を下ろし終えた啓太は、藍の向った部室棟の方へと目を向けていた。


 無事に優斗に会えただろうか。想いを、ちゃんと伝えられただろうか。

 彼にとって、それは決して素直に喜べるような事ではない。自分はすでにフラれた身とは言え、長い間ずっと想いを寄せてきた相手が他の男に告白するなんて、考えただけでも胸が苦しくなる。

 それでも、藍がどれだけ本気で、優斗のことを想っていたか知っている。ずっと一途に、好きであり続けたことを知っている。

 だからどんなに辛くても、狼狽える彼女を見た瞬間、その背中を押さずにはいられなかった。


 それともう一つ。藍と共に頭をよぎるのは優斗のことだ。昨日の朝、藍に告白を断られた後、部室で彼と二人だけで話した時の事を思い出す。その最後に、自分が彼に何と言ったのかも。


『なあ先輩。もし俺と藤崎が本当に付き合ってたとしたら、どうしてたんだ?』


 結局、優斗は黙り込んだまま、その質問には何も答えてはくれなかった。だけどその瞬間、彼の瞳は確かに揺れていた。

 それを見て気づく。いや、本当はもっと前から、彼の微妙な変化は薄々分かっていたのかもしれない。


 それは多分優斗本人も、一番近くにいる藍でさえ気づかずに見落としていた変化だった。唯一人、啓太だけが気づいた変化だった。もしかしたら、恋敵としての嗅覚がそれを感じ取っていたのかもしれない。

 彼が、有馬優斗が、藤崎藍を一人の女の子として意識し始めていると言う事を。


「両想いなんだからよ、モタモタしてないでさっさと伝えておけよな」


 ため息とともに漏れ出た言葉は切なくて、だけどどこか暖かかった。

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