第62話 文化祭デート 2
いつも見慣れている学校も、今日ばかりはまるで別世界のようだ。至るところに模擬店が並び、どこへ行こうかと目移りしてしまう。
「ユウくんはどこか行きたい場所ってある?」
「どんなのがあるんだ?」
事前に配られたパンフレットを見ながら訪ねると、優斗も隣でそれを覗き込む。
「焼きそばにたこ焼き、展示に劇。今も定番はそう変わってないみたいだな」
優斗が亡くなってから6年。確かにそれくらいでは、文化祭の出し物なんてそうそう代わり映えはしないだろう。
二人してパンフレットを覗き込むが、その時藍は気づいてしまった。
(ユウくん。顔、近い……)
いつの間にか、すぐ隣に優斗の顔がある。元々そう大きくもないパンフレットを二人で見ているのだから、自然と距離が近づいくのも当然だ。
それこそ、今にも密着してしまいそうなくらい近くにあって、ドキドキと鳴る心臓の音が聞こえてしまうような気がした。
(ユウくんは、何とも思ってないのかな?)
自分はこんなに緊張しているのに、やっぱり優斗にとっては妹と一緒にいるような感覚で、特別意識するような事でもないのだろうか。今更分かりきっていた事とはいえ、僅かな寂しさを感じずにはいられない。
けれど、ちょうどそう思ったのと同じタイミングだった。
「あっ」
優斗が小さく声をあげたかと思うと、慌てたように距離をおいた。
「ごめん。ちょっと近すぎたな」
「えっ?」
いったいどうしたのだろう。
もちろん距離の近さは藍だって気になってはいたが、優斗は基本そう言うのはほとんど気にしない。こんな事を言うなんて、多分今までに一度も無かった事だ。急に起こった今まで無い反応に、戸惑いを感じずにはいられない。
(もしかして、私が緊張してるって伝わった?嫌がってるって誤解されてたらどうしよう)
もしそうならかなりまずい。確かに緊張はしているが、だからといって決して嫌なわけじゃないし、何よりそんな誤解をされたまま回りたくはない。
「べ、別に構わないよ」
慌てたのを悟られないように言いながら再び優斗の元に身を寄せ、何も気にしてないよと言うように、くっつくくらいの距離でパンフレットを広げる。
「そうか?なら、いいんだけど……」
そう言った優斗の声はどこか少しだけ固かったたが、藍はそれには気づかない。口では構わないと言いながら、やはりこんなに近くにいると緊張せずにはいられない。だけどそれと同じくらい、そばにいられて嬉しい気持ちだってあった。ドキドキする胸の高鳴りだって、心地良いとさえ思えた。
「それで、ホントにどこに行こうか?」
ここでようやく本来の話題へと戻る。話し始めてからしばらくたつのに、肝心の行き先についてはまだ全然決まっていない。
すると優斗は、少し考えてから提案してきた。
「そろそろお昼だし、藍は朝からずつと働いてたんだろ。なら、まずは何か食べようか」
「いいの?ユウくんが行きたいとこあるなら、ごはんはその後でも別に構わないよ」
藍としては、できる事なら優斗の行きたい場所を優先させたい。
とは言え優斗の言う通り、ずっと動いていたため、実はかなりお腹が空いている。もしも何かの拍子に鳴ってしまったらと思うと、真っ先に何か食べるのはいいかもしれない。
さらに優斗はこう続けた。
「俺も色々食べてみたいんだ。少しだけ、もらってもいいか?」
「うん」
藍に取り憑きさえすれば、優斗だって味を感じることができる。それなら、二人で食事を楽しむことができるだろう。
そうと決まれば、次は何を食べるかだ。見ると目の前に、ちょうどどこかのクラスがやっているクレープ屋があるのが見えた。
「あれでいい?」
「ああ」
そうして注文したクレープは、苺とチョコの組み合わせ。作る人がまだ慣れていないのか、破れないよう慎重に生地を巻いているのがなんだかおかしかった。
近くにあるベンチに腰掛けると、一口食べるよりも先に優斗に囁く。
「どうぞ」
「いただきます」
優斗が藍の体の中にへと入り込み、体を動かす主導権が優斗に移る。それと同時に、二人の五感が共有された。同じものを見て、同じ音を聞き、同じ味を楽しむことができるようになった。
優斗が藍の体を動かし、クレープを口へと運ぶ。甘い香りがして、柔らかな食感が舌へと広がっていった。
『美味しいね』
「ああ、そうだな」
高校の文化祭で出されるものなので、特別味が良いと言うわけじゃない。だけどこうして優斗と一緒に食べていると思うと、それだけで特別な事のように感じる。優斗に体を貸して食事をとるのはこれまでにも何度かあったと言うのに、未だにそうだ。
いや、本当にこれは特別な事なのだろう。六年も前に亡くなった人とまた出会えたのも、こうして一緒に食事ができるのも、そのどれもが奇跡のような出来事だ。いったいどうしてこんな事が起こったか、きっとその理由は、永遠に分かることは無いのだろう。
だけどその奇跡のような時間も、今日で終わりだ。優斗がステージで演奏したら、きっと今度こそこの世からいなくなってしまうのだろう。もちろんそれはただの仮説で、本当にそうなると言う確証なんてどこにもない。だけど何となく、その通りになるのだろうと言う、予感めいたものがあった。
そんなことを考えているうちに、さっきまで食べていたクレープは、いつの間にかなくなっていた。
「ご馳走さま。ありがとな」
『どういたしまして』
優斗が藍の体から出ていき、並ぶように隣に座る。それを見て、あれこれ考えていた事を、少しだけ失敗したなと思う。
優斗が今日でこの世を去るのはとっくに分かっていたし、そんなのはとっくに受け入れた。だからこそ最後に一緒にいたいと思い、今日と言う日を一緒に過ごそうと決めたんだ。なのに今更悩んで楽しめないなんてもったいない。
そんな思いを降りきるように、まずは気持ちを切り替える。
「次はどこに行こっか?」
「それじゃあ……」
再びパンフレットを広げて、どんな出し物があるのかチェックする。こんなふうに一緒に探すのも、また楽しい時間だ。
幸い時間はまだたっぷりある。藍達軽音部のステージは、夕方の文化祭終了間近の予定になっていた。これなら、できるだけ長く優斗と一緒に文化祭を回ることができる。
「それじゃ、そろそろ行こうか」
しばらく相談した後次の目的地も決まり、二人は連れだって歩き出す。だけど藍は少し進んだ後に一度立ち止まり、それから何やらおずおずと呟いた。
「待って。ええと、その……」
「どうかしたか?」
急に顔を赤くして口ごもるのを見て、優斗は不思議そうに除き込む。藍は小さく息を吸うと、相変わらず顔を赤くしたまま言う。
「……手、繋いでもいい?」
そうして右手を差し出す。これまでにも何度かやってきた、触れられない手繋ぎた。だけど、藍からここまでハッキリやってほしいと言ったのは初めてだ。
もちろん今でも、恥ずかしい気持ちは少なからずある。だけど今日は、今日だけは、できるだけ優斗の近くにいたかった。例え実際には触れられなくても、互いの手を繋いで、その存在をより傍で感じていたかった。
「もちろんだよ」
優斗はにっこりと笑いながら、藍の手に自らの右手を重ねる。
何度もやっている事なのに、未だにこうするとドキドキしてしまう。しかも今回は、わざわざ自分から言い出したこと。さらに今の優斗は、衣装替えをしていてウェイター姿だ。普段よりも、さらに破壊力が増している。
総じて胸の高鳴りも、いつもよりさらに大きいような気がした。
「あ……ありがとう」
真っ赤になってお礼を言い、二人は改めて歩き出す。
それは端から見ると、藍一人だけが歩いているようにしか見えないだろう。けれど今この瞬間、優斗は確かに隣にいて、二人の手は重なっていた。
もし他の誰かにも優斗の姿が見えたなら、自分達はいったいどんな関係に見えるのだろう。
優斗が生きていた六年前なら、間違いなく兄と妹としか思われなかっただろう。なら今は?なにも変わらず兄妹として見られるか、それとも仲の良い友達か、あるいは恋人か。
だけど一番気になるのは、他の誰かではなく、優斗の気持ちだ。
(ユウくんは、どう思ってるのかな?)
彼にとって自分は今でも、妹のようなものなのだろうか?それとも、ほんの少しでも、一人の女の子として見てくれはていないだろうか?
重ねた指先に熱を感じる。自分と同じように、優斗もまたドキリとしてくれたら。そんなことを考えずにはいられない。
(全部終わったら、ちゃんと言わないとね。ずっと好きだったって)
口にするのが怖くて、だけどずっと言いたかったその言葉。今日この日に、伝えると決めたその想い。だけど今はまだ違う。
告白するのは本当に最後の最後、軽音部のステージが終わってからだと決めていた。もし言ってしまったら、返事を聞いてしまったら、例えそれがどんな答えだったとしても、まともな気持ちで演奏なんて出来なくなるような気がしたから。
いずれ伝えるべきその言葉を飲み込みながら、藍は隣を歩く優斗に向かって笑い掛けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます