第58話 想いの行方 1

 文化祭を翌日に控えたこの日は、とにかくその準備一色だった。通常の授業は全てなくなり、それぞれのクラスで最後の設営や確認を行っている。

 藍のクラスも準備に忙しかったが、なんとか放課後を迎えた頃には全てを終わらせることができていた。


「よかったー。あんまり長引くようなら、部活に顔出すのが遅くなるからね」


 藍の隣で真由子がホッとしたように言う。クラスの準備は終わっても、出し物をする部活に所属している生徒はまだまだやることは残っている。

 藍も準備とは少々違うが、軽音部としてやらなければならない事はちゃんとある。


「藍もこれから軽音部で練習だよね?」

「うん。本番前の最終練習。って言っても、確認くらいだけどね。本番前に根を詰めすぎるとよくないって言われたし、あと大沢先生も忙しいから、そこまで時間はとれないみたい」

「ああ、そう言えば大沢先生がドラム叩くんだっけ。最初聞いたときはビックリしたよ」


 大沢がステージにたって演奏すると言うのは、既に何人かの生徒が知っている。しかし、確かに普段の彼女からはドラムを叩く姿はあまり想像できないだろう。藍だってそれを初めて見たときは驚いたのだから、その気持ちはよくわかる。


「何と言うか、凄いよ。それに上手」

「へぇー、そうなんだ。明日が楽しみ」


 真由子は声をあげ、藍はそれに頷いて返す。だがそれから、真由子は伺うように藍の顔を覗きこんだ。


「でもさ、藍、なんだかさっきから浮かない顔してない?」

「えっ、そんな事ないけど……」


 そうは答えたものの、実際その通りなのだろうと思った。正直に言うと、今から部活へと向かうかと思うと何だか変な緊張を感じる。だけどそれを真由子には言うことはできなかった。何とかそれを悟られないよう表情を隠そうとするが、そこで真由子はさらに聞いてきた。


「もしかして、三島と何かあった?」

「どっ―――どうしてそこで三島が出てくるの?」


 啓太の名前が出てきたとたん、顔色を変えて急にどもり始める。せっかく表情を隠そうとしたのに、ビックリするくらいあっさり失敗してしまった。


「だって藍、今日一日ずっと三島のこと気にしてたじゃない。何度もチラ見してて、それなのに不自然なくらい話しかけないし」

「そ……そうだっけ」


 当たっている。告白の返事への負い目もあり、藍は今日一日、ずっと啓太の事を気にしていた。それでも本人はあくまでさり気なく、周りに気付かれないようにしていたつもりだったのだが、どうやら真由子にはわかってしまったようだ。流石は長年傍にいた友人だけの事はある。


「他の子も、藍の様子がおかしいって結構気付いていたみたいだよ」


 訂正。どうやら藍はとことん感情を隠すのがヘタなようだ。しかしここまで見抜かれてなお、藍はそれを認めようとはしなかった。


「だから、そんなこと無いって。そりゃ確かに三島の事は見てたけど、明日の演奏の事考えて緊張してただけだよ」

「ふーん、そう?」


 真由子は納得がいかない様子だったが、本当のことを言うわけにはいかない。

 だってこれは自分だけの問題じゃない。告白して、だけどそれを断られた。こんな事を軽々しく話されたら、もちろん啓太はいい気分はしないだろう。藍自身、振っておいてさらにそれを吹聴するような真似はしたくない。


「まあ、藍がそうだって言うなら、それ以上は聞かないけどね」


 そう言った真由子は、絶対に言えないという藍の気持ちを汲み取っているようで、その気遣いに感謝する。


「それじゃ、部活行こっか」

「うん。そうだね」


 話も終わり、藍も真由子もそれぞれ自らの部へと出向いていく。だが、藍の足取りは重かった。その原因はもちろん啓太にある。


(どんな顔して三島と話せばいいんだろう)


 真由子には話せなかった一連の出来事を思い返しため息をつく。あんな事があって、これからどう接すれば良いのか分からない。

 藍としては、友達という元の関係に戻りたい。変な距離感の無い、普通の関係に。

 だけど啓太もそれを望んでいるか分からない。もしかしたら、向こうはもう友達すらも続けられないと思っているかもしれない。そんな不安からつい何度も彼の姿を追って、だけど近づくことも話しかける事もできなかった。

 今だって、部室に向かうのを怖いと感じてしまう。行かないなんて選択肢は無いというのに、往生際悪くモタモタと歩く速度を遅らせ、更にはわざと遠回りしようとして、通る必要の無い廊下へと足を向けようとしていた。

 だがその時、急に後ろから声が飛んできた。


「何やってんだ。部活行かねーのかよ?」

「あっ、その……これから行こうと……」


 ヘタな言い訳をしながら振り返り、その途端言葉が途切れる。そもそも声を聞いた時点で気付かなければいけないはずだった。そこにいたのは、同じく部室へと向かう途中の啓太だった。


「三島……」

「なんだよ?」

「えっと、その……」

「話があるなら、歩きながらでもいいだろ。さっさと部室行くぞ」

「……うん」


 啓太に促され、その後をついて行く。校舎を出て、外を歩き、部室棟へと入って行く。だけどその間、藍はずっと無言のままだった。

 さっき自分は何と言おうとしたのだろう。何を話せばいいのか、そもそも軽々しく話していいのかさえも分からない。そんな不安と焦りがますます口を重くし、言葉を見失わせていく。


「なあ、藤崎」

「えっ、なに⁉」


 声をかけられ、慌てて返事をする。自分が話すべきかどうかばかりを考えていて、逆に話しかけられる事なんて想定していなかった。


「声かけられて、迷惑だと思ってるなら言えよ」

「えっ――――」


 出てきた言葉に絶句する。だって啓太の言ったそれは、藍がずっと知りたいと思っていた事と同じだったから。


「分かんねーんだよ。あんな事して、これからどんな顔してお前と話せばいいのか。だから、もし迷惑だって思ったら言ってくれ」


 聞きたかったこと。だけど怖くて聞けなかったこと。それを啓太はアッサリ言い放つ。いや、本当は彼もまた不安だった。もしかすると、告白した時と同じくらい緊張していたかもしれない。

 なにしろこの後返ってくる答え次第では、これから軽々しく声をかける事すらできなくなってしまうかもしれないのだから。


「迷惑じゃないから」


 そう言った瞬間、啓太の足が止まった。

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