啓太の想い

第52話 アクシデント


 たまに、自分は今夢を見ているのだと分かる事がある。そして今、啓太はまさにそんな状態だった。


 目の前にいるのは、今と変わらぬ優斗の姿。だけどその隣では、今よりずっと幼い藍が、頭を撫でられ嬉しそうに笑っている。

 幼いのは自分も同じだ。これは過去の記憶。まだ自分や藍が小学生だった頃の記憶だ。あの頃自分は毎日のように藍にイジワルをして、その度に優斗にたしなめられていた。


 相変わらず、藍と優斗が仲良くするのを見て、何故か無性に腹が立った。だけどその気持ちを何て言うのかなんて、当時の自分はまだ知らなかった。文句を言ってやりたいのに、上手く言葉が出てこなかった。

 優斗はそんな啓太の元にゆっくりとやって来ると、諭すように言う。



『お前な、女の子にはもう少し優しくするもんだ。好きな子をイジメたって振り向いちゃくれないぞ』

『なっ、なっ、なっ――――――っ!』


 それを聞いた途端、それまでの怒りが嘘のように体が固まり、全身から噴き出るようにタラタラと汗が流れるのが分かった。顔がカッと熱くなり、恐らく真っ赤になっていることだろう。


『そっ……そんなんじゃねえよ。だ、誰がこんなブス!』


 意地になってそんな言葉を口走るが、そこにはまるで力など籠っていなかった。


 これは今よりもまだずっと子供だった小学生の頃にあった、あまり思い出したくない記憶。

 それから6年。今の自分は、その頃と何か変わったのだろうか?





         ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「おい啓太、聞いてるか!」


 急に名前を呼ばれ、ハッと我に帰る。ここは学校の教室。だがその様子は普段とはだいぶ異なっている。

 机のほとんどは隅に追いやられ、いたるところに装飾が施されている。いよいよ二日後に迫った文化祭、今日の午後からは通常の授業は全て無くなり、今はその準備の最中だった。


「なにボーッとしてんだよ」

「ああ、わりぃ」


 呆れたように言ってくる友人の和彦に謝りながらも、さっきまで思い浮かべていた昔の出来事をもう一度思い出す。

 今になってそんな昔の記憶がよぎった原因ははっきりしている。もちろん優斗だ。

 文化祭まであと二日。それはつまり、優斗がこの世からいなくなるまであと二日。そう思うと、つい彼の事が頭をよぎってしまう。


「啓太!」


 いけない。ついさっき言われたばかりだというのに、またボーッとしていたようだ。


「いったいどうしたんだよ?さっきからずっとじゃねえか」

「だから悪りぃって。毎日遅くまでギターの練習やってて寝不足なんだよ」


 そう言ってごまかすと、和彦はなにやら不適な笑みを浮かべた。


「そうか眠いか。ならあれを見ろ。そんな眠気なんて吹っ飛ぶぞ」

「なに言ってるんだ?――――」


 怪訝な顔をしながら、和彦の指差す方を見る。するとどうだろう、確かに彼の言う通り、眠気も吹き飛ぶようなものがそこにはあった。


 それが何かを書く前に、まずは文化祭におけるこのクラスの出し物について説明しておこう。喫茶店だ。

 啓太がさっきから行っているクラスの飾り付けもそのためのもの。彼は内装担当だった。

 だがもちろん喫茶店というのは飾り付けさえすれば終わりというものではない。クラス内で分けられた役割には、内装担当の他に簡単な料理や飲み物を作る厨房担当、それをやって来たお客さんへと提供する接客担当がある。

 藍が受け持ったのは、このうちの接客担当だった。そして今接客担当の面々は、数日前から作成していた衣装を初めて着ていた。

 藍は今、可愛らしいウェイトレスの姿をしていた。


「おぉっ―――」


 一目見て、啓太は小さく声を漏らす。接客担当の女子は藍以外も全員同じ格好をしていて、他のみんなもそれに注目している。だが啓太の目が向くのはやはり藍だった。基本は黒を基調とした落ち着いた色合いだが、所々に白のレースをあしらう事で同時に可愛らしさを出している。


 似合っている、もしくは可愛いとでも言ってやったら、いったいどんな顔をするだろう。そんな考えが頭をよぎるが、この状況でいきなり近づいていってそんな事を言えるわけがない。

 そんな風に後ろ向きに考えていたのがいけなかった。残念ながらその役は、藍の友人である真由子に盗られてしまった。


「似合う似合う。さすが喫茶店の娘、やっぱり本職は違うね」

「うちの仕事は関係ないんじゃないの?私がお店に出た事も、こんな服来た事も無いんだから」


 藍は恥ずかしそうに答えながらもまんざらではないようで、クルリと回ってはおかしなところはないか尋ねている。

 すっかり話しかけるタイミングを失った啓太は、まるで心奪われたかのようにそんな藍の姿を見ていた。


 だがそんな時間も長くは続かなかった。ただじっと藍を見ている啓太に、呆れたような声が飛ぶ。


「お前さあ、いい加減見てるだけじゃなくて、どうにかしようとは思わないわけ?」


 和彦だ。藍のウェイトレス姿が気になりすぎて、つい存在を忘れてしまっていた。


「……なんだよいきなり」

「いきなりじゃねえだろ。もうだいぶ前から言ってるじゃねーか。好きならさっさと動いたらどうだって」


 突然の言葉に、またいつものからかいかとジロリとにらむ啓太。だが和彦はふざけていると言うよりも、その声の調子と同じように、ただ呆れていると言う様子だった。


「実際、文化祭ってチャンスって言うだろ。告白するにはいいタイミングだと思うんだけどな」

「そんな事したって、上手くいくわけねえだろ」

「前から思ってたけどさ、どうしてそんなに自信ねえんだよ。そりゃ絶対大丈夫っては言えねえけどさ、もしかしたらって事もあるかもしれねえじゃねえか」


 これまでにいったい何度同じような事を言われてきただろう。数年の間こんな様子を見てきている彼のことだ。いい加減ヤキモキしているところがあるかもしれない。

 だが少し癪ではあるが、和彦のいう事も一理ある。失敗するのはもちろん嫌だが、自ら大きく動かなくては、藍は決してこの気持ちに気付くことはないだろう。

 だがそれでもなお、啓太はまだ何もする気はなかった。


「……ねえよ。アイツがいる限り、藤崎は他の誰かなんて選ばねえよ」


 それは誰に聞かせるわけでもない、自分自身への呟きだった。それが聞こえた和彦が怪訝な顔をするが、さっきも言った通り聞かせようと思っていたわけでは無いので、詳しく話してやろうとは思わなかった。


「何の話だ?」

「何でもねえよ。それより、さっさと仕事の続きしようぜ」


 その言葉通り、少し前とは打って変わって、内装作業に戻ると黙々とそれを続けた。話を打ち切られた和彦は少々不満そうだったが、あれ以上続けるつもりはなかったのだから仕方ない。

 だがそんな中でも、先ほど呟いた自らの言葉が頭から離れなかった。


 ――アイツがいる限り、藤崎は他の誰かなんて選ばねえよ――


 アイツとはもちろん優斗のことだ。藍の初恋の相手で、そして今も好きな人。そんな優斗がいる限り、藍が自分に振り向いてくれることは絶対に無い。

 だがそんな優斗も、後二日でいなくなる。自分が動くとしたらその後だ。

 もちろん、いなくなったからと言って、藍がすぐに優斗のことを忘れるわけはないだろう。実際彼が亡くなってからも、その存在はずっと藍の心の中にあった。だけど今下手に行動を起こすよりはずっといい。時が流れ、優斗への想いにけじめをつけてからでも遅くはないはずだ。

 恋敵がいる間は何もせず、いなくなってから初めて動く。我ながら消極的で情けないやり方だとは思うが、本気で藍への想いを成就させたいなら、どう考えてもそれが賢いやり方だ。自分は優斗とは違って、一緒にいられる時間はまだまだあるのだから。

 なのに、こんなにモヤモヤするのはなぜだろう?


(――っ!)


 胸に込み上げてくる憤りを振り払うように作業に没頭する。

 今やっているのは、教室の入り口に飾るための看板作り。目の前の事に集中しようと、無心になりながら画用紙にカッターを入れる。

 だがわざわざ集中しようなどと考えている時点で、実際には全く集中できていなかったのだろう。聞きなれた声を耳にした瞬間、意識はアッサリそちらへ向いてしまった。


「三島――三島――」

「なんだ……よ……」


 見るとそこには、しゃがみながら覗き込むようにこっちを見る藍がいた。

 もちろん格好はさっきと同じウェイトレス姿のままだ。


「真由子に男子の意見聞いてこいって言われたんだけど、どうかな?」


 藍は真由子の言葉を額面通りに受け取ったようだが、啓太はすぐに、それが自分の気持ちを知る彼女が気を利かせたのだとわかる。


「まあ……悪くないんじゃねーか」


 なのにこんな素っ気ない言葉しか出てこないのが嫌になる。いくら今は行動を起こさないと決めたとはいえ、こんな時くらいなにか喜ぶようなことを言ってもいいだろう。


「その、結構……可愛い……」


 可愛い。意を決してそう言おうとする。たった一言伝えるだけなのにひどく緊張する。自然と手に力が入り、気がつけばギュッと握りしめていた。

 …………その右手に、カッターを持っているのも忘れて。


「痛っ!」


 さらに言うと、刃をしまうのさえも忘れていた。その結果気がついた時にはチクリと痛みが走り、微かに血が滴っていた。


「ちょっと、大丈夫⁉」


 目の前で、藍が血相を変えて叫んでいた。

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