第44話 後悔
その日は17歳の松原英司にとって、普段と何も変わらない1日になるはずだった。
いつものように学校に行き、授業中は真面目にやれと注意を受け、放課後になると自身の所属する軽音部に向かう。あえて違うところを挙げるなら、間近に迫った文化祭に備え、より一層部活に励んでいる事くらいだろうか。
すべての授業を終え、急々と教室を出る準備をする。だがそこで、机の上にうつ伏せているそいつの姿が目に入った。
「何してんだよ。早く部活行こうぜ」
「……ん、英司か?」
声をかけると寝ぼけたような返事をしたのは、クラスメイトであり同じ軽音部の有馬優斗。彼も当然これから部に顔を出すはずだが、見るからに疲れぎみだ。
「なんだよ、寝不足か?寝るなら授業中にしとけよ」
「ああ、悪い」
冗談を冗談と受け取らないあたり、どうやら思った以上に辛いようだ。
「なんかあったのか?」
優斗は自分がふざけた時はそれなりに乗ってくることもあるが、基本的に真面目なタイプだ。何もなしにここまでなると言うのは珍しい。
そう思って聞いてみたのだが、優斗からは何でもないと言う答えが返ってきた。
「昨夜部屋で練習してたら、思ったより遅くなっただけ」
「おおっ、頑張ってるじゃねえか」
同じバンドメンバーとしては、そこまで張り切ってくれるのは実に嬉しい限りだ。
「そろそろ英司や大沢の後ろをついていくのは卒業したいからな」
「なんだよ、まだ言ってんのか?もうそんな事ねえだろ」
確かに優斗は三人のメンバーの中で一番経験が浅く、技術もそれ相応のものだった。そもそも音楽を始めたのも、松原がクラスメイトに手当たり次第軽音部に入らないかと声をかけて回った結果捕まえたと言う、なんともいい加減な理由だ。
だけどそれからもう一年と半年が過ぎ、今では松原から見てもずいぶんと力をつけたと思う。
「去年の文化祭じゃ緊張しっぱなしで終わったからな。今年はもっとちゃんとしたいんだよ」
「そっか。でも個人練習もいいけどな、そのせいで部に影響が出たら意味無いからな」
「ああ、気をつけるよ」
ともあれ、頑張っているのだからそこは素直に応援したい。
「じゃあ俺は先に部室いっておくから、遅れるなよ」
そうして松原は優斗よりも一足先に教室を出る。寝不足になるほど頑張る優斗を見て、自分も負けてられないなどと思いながら。
だけど彼は知らない。自分が教室を出たすぐ後、優斗が苦しそうに顔を歪めながら再び机の上にうつ伏せた事を。
昨夜遅くまで練習をしていたのは事実だが、それは聞こえてくる両親の争う声から、気を紛らわせる為だったと言う事を。
この後部室に向かう途中で階段から落ち、そのまま帰らぬ人になると言う事を。
優斗の悩みもこれから辿る運命も、何一つ知らないまま、松原は意気揚々と部室に向かって行っていた。
それが、今からおよそ6年前の話だ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「…………はぁ」
古い記憶が甦り、気がついたらため息をついていた。
松原英司23歳。仕事を終えた帰り道での出来事だ。
高校卒業後は専門学校に進み、2年後に地元企業に就職。大学進学組が多かった高校の同級生よりも一足先に社会に出て、今年でもう3年目になる。
就職してすぐは右も左もわからず苦労したが、3年目ともなると流石に慣れた。仕事内容だけでなく、プライベートでの効率のいい時間の使い方もだ。
お陰で最近は、一時期機会の減っていた本格的なギターの練習も、空いた時間を見つけてはできるようになっている。そして最もそれに打ち込んでいた頃を懐かしむように母校の体育祭に出向き、軽音部の遠い後輩達の晴れ舞台を見物したのがつい先日の話だ。
しかしまさかそこであんな出会いがあり、さらにはあんな事を頼まれるとは夢にも思わなかった。
無下に断ってしまった事を、今更ながら後ろ髪を引かれる思いで振り返る。
自分だってあの時三人で文化祭のステージに立てなかったのは、今でも苦い思い出として心に残っている。だから本音を言うと、引き受けたい気持ちはある。仕事を理由に断ったが、やろうと思えばいくらでもできる。
しかし――
「何で何も言ってくれなかったんだよ、優斗……」
優斗の死後、彼の家庭が抱えていた事情を知って、優斗がそれで悩んでいた事を知って、その際感じたのは怒りだった。何も話してくれなかった優斗と、そばにいながら全く気づけないでいた自分に対する、やり場の無い思いだった。
そしてそれは、6年たった今でも心に残っている。
いつまでも昔の事にこだわり続けるなんてバカらしい。そうは思っても、こんな気持ちではとても優斗を思ってギターを手に取ろうとは思わなかった。思えなかった。
「はぁ……」
これがこの日ついた何度目のため息になるだろう。今の自分を優斗が見たら、一体どう思うだろう。そんな事を考えていると、ポケットに入れていたスマホが鳴り出した。
「げっ――」
画面を見ると、今一番話したくない相手の名前が表示されていた。
一瞬、このまま取らないでおこうかなどと考え、結局数秒後には電話に出る。
『松原くん。会って話がしたいんだけど、時間ある?』
聞こえてくる大沢泉の声にどうしたものかと思いながら、だけど結局は断らないのだろうと、どこか冷静に思う自分がいた。
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