The Evil One Or The Holy One,Or……
The Evil One Or The Holy One,Or……
いつでも、代償ばかりは大きくなって返ってくる。
灰色一色の街を、ぼろぼろのフード付き外套を被った人影が、足音もなく歩いていく。その影は、小柄でありながら、かすかにのぞくその瞳は、鋭く、酷薄で、野生的だ。
それが発するのは、この街には、似つかわしい存在のにおい。
暗殺者(アサシン)か、強奪者(バンデット)か、殺人狂(シリアルキラー)か、あるいは――――狩人(チェイサー)。
それは、そんな剣呑な空気を、どこかに、そしてかすかに纏っていた。
人影は、ほとんど廃墟の街を、ゆっくりと歩いていく。
崩れかけた高層ビルが巨大な墓標のように立つ街。その大部分が崩壊して、いまや屋根の役割すら果たさない、高速道路の跡。
コンクリートの道路はどこもかしこも破壊の跡が見られる。多くの鉄筋製の建物はまっすぐ建っていれば上等で、そのほとんどは壁に大穴が空いていたり、崩壊を予感させるほどに傾いている。
――――そこは、まさに文明の死骸。
見上げればそびえる、唯一残った高層ビルを墓標とする、かつて『トウキョウ』と呼ばれた都市の、墳墓。
――――ならば。と、人影は皮肉めいた笑みを浮かべる。
――――ならば、私たちは、その墓に湧いた死出虫か。まるで蟲毒のように、湧いたもの同士で喰らい合う、愚かな死出虫。
「……笑えないね、とすると、私もこれから、共食いしにことになるわけだし。……ま、相手は『あれ』だけど」
かもし出す雰囲気とは裏腹に、その人影が発したのは、明るい少女の声だった。
「さっさと片付けちゃおうか。上層街に入ってから、『あれ』の臭いがキツくてしょうがないし」
一人ごちて、少女は再び音もなく歩き出す。
上層街――――ありていに言えば、アップタウンだ。この腐った墓標のような街では、きちんと建っている建物があれば、そこはアップタウン。それ以外の瓦礫の山――――ジャンクヤードは、ダウンタウン。
そんな、街の定義とも呼べないようなものがルールなのが、この街。
少女は、その上層街の建物の一角へと向かっていく。彼女の目的の相手は、戦前はバーであったらしい、その建物の地下にいつもたむろしているということだった。
彼女の足は、まっすぐにそのバー跡へと向かう。やがてバーの名前が書かれていたであろうプレートの付いたドアを見つけると、迷うこともなく、彼女はドアを勢いよく開け放った。
戦前は綺麗な音色をたてていたであろう、来客を告げるベルが、錆びているのかガラガラと耳障りに鳴いた。
電気もまともに通っていない、その一室。木製の壁とカウンターは半ば以上、破壊され、見る影もない。カウンター奥の棚に置かれた汚れだらけのタンブラーや酒の空瓶だけが、かつてこの場所がバーであったことを力なく主張していた。
「なんだあ、てめえはあ? ああ?」
その場所の片隅にあるビリヤード台で、遊戯に興じていたらしい三人の『あれ』の一人が、酒臭い息を撒き散らしながら、少女に詰め寄る。
久しぶりに見かけた、上層街の連中――――『あれ』は、なにも変わっていなかった。
毒々しく、緑や紫に変質した肌。その人間からしてみれば不健康を通り越して、死人のような身体は、その色とは裏腹に、隆々とした分厚い筋肉に覆われている。体躯も人間のそれを大きく上回り、2mは下るまい。
ヴィクティム因子。人間を、あれ――――『ヴィクティム』と呼ばれる怪物へと変貌させるそれは、しばらくご無沙汰だったが、相変わらずお元気でやっているようだ。
皮肉めいた笑みを浮かべ、その少女は目の前の怪物を見た。
「相変わらずだねえ、君たち。そこまでガチムチだと、女子としてはちょっと引くかなぁ」
年下の少年をからかうような、おどけた口調で言うと、少女は外套を脱ぎ捨てた。
それは、細身の少女だった。ぼろぼろの半袖シャツに、端々が擦り切れた、デニムのホットパンツ。膝までのソックスに、足を保護するためかプレートのようなものを付けている。さらに足元は丈夫そうな革のウエスタンブーツ。さらに異彩を放っているのは、まるでおとぎ話の魔女よろしく、とんがった紺色の帽子。
その帽子の縁に隠れ、その顔は窺えないが、かすかに、嘲りを含んだ笑みを浮かべる口元だけは見えた。
「なんだあ? ここは、ヒューマン風情が来ていい場所じゃねえんだよ。俺様たち、上級種族の社交場なんだ。それとも……喰ってほしいのかあ? え?」
自らを上級種族と称した、巨躯の怪物たちが、少女の嘲りに歯をむき出す。
「んー、残念残念。ちょーっと違うんだな。喰われるのは私じゃなくって……」
怪物たちの下卑た威嚇にも顔色一つ変えず、相変わらずおどけた口調と仕草で、腰に手をやって見せる。
だが、次の瞬間。
「……あんただよ」
ぎらりと。
少女が、牙を剥いた。
刹那、轟音と閃光がその場を支配した。稲光に視界が奪われたかのような一瞬の後、それは、すぐに晴れた。
と同時に、少女に詰め寄っていたヴィクティムが、ゆっくりと後ろに倒れる。
首から上を、失って。
「……てめえっ!」
ヴィクティムの一人が、いきり立って少女を見る。
そこには、片手で拳銃を構える少女の姿があった。少女の構えるそれは、光線を発射して敵を焼く光学兵器――――通称、ガンマ・レイと呼ばれる銃器の一種だった。
「あーあ、ドッグ、出力上げすぎだよ。こんなんじゃエネルギー喰いすぎちゃって燃費悪すぎじゃない。仕事に来てるのに、エネルギーパックに報酬全額詰め込む勢いで消費させてどうするのよー。これじゃ、これは使えないなぁ」
敵を殺したことも、敵の恫喝も意に介さず、ため息をつきながら少女が拳銃を腰のホルスターに戻す。
まるで、この程度の命のやりとりは、日常茶飯事だと言わんばかりの様子だ。
「てめえ、なめやがって……!」
その様に激昂し、ヴィクティムの一人が腰から得物を抜く。同時に耳障りな機械音が鳴りだし、油くさいガソリンの臭いが充満する。そのヴィクティムが取り出したのは、小型のチェーンソーだった。
「挽き肉にしたらァァァァァッ!」
ヴィクティムが、テーブルと椅子をなぎ倒しながら少女に肉薄する。
だが、少女の酷薄な笑みは消えない。
ゆらり、と陽炎のように揺らいだ少女の姿は、ヴィクティムの視界から消え、次の瞬間にはその脇へと退避していた。
「あーらら、レディに向かって出すのがそんなのしかないなんて……モテないぞ、っと」
またしても軽口を叩きながら、少女が腰から何かを一閃。
「げぇっ……!」
チェーンソーを手にしたヴィクティムが、満足に悲鳴もあげられないうちに絶命する。
少女が手にしていたのは、強度に優れる、強化セラミック製のカタナ。それで、相手ののど笛を切り裂いたのだ。
「く、クソがあっ!」
残る一人のヴィクティムが、ハンドガンを抜いて少女に向ける。
かちり、と撃鉄の下りる音がした、その刹那。
少女が、不意に顔を上げる。はじめてあらわになったその表情に、ヴィクティムが一瞬、旋律に凍った。
少女の、オレンジ色にも見える明るい茶色の瞳が、くっ、と猫のように収縮した。血のように赤く収縮したそれは、その笑みと相まって、まるで――――すべてを見透かすような。すべてを射抜くような。すべてを切り裂くような。
――――そんな、人に在らざる瞳。
「……ひぃっ!」
情けない悲鳴をあげ、思わずヴィクティムが発砲する。
と、まったく同時に、少女が動いた。するりと、滑るように屈みながら、前へ。ヴィクティムの放った弾丸が、虚しく壁に風穴を開ける。
「……チェックメイト」
気づけば、少女が相手の首筋にカタナの刃を突きつけていた。
発砲してからかわしたのではない。また、撃つことを読んでかわしたのでもない。今のはまるで……どこにどう撃つかが、前もって分かっていたかのような動きだった。
「斬る前に、なんで私が来たのか、それだけは教えてあげるよ」
表情の消えていた少女の顔に、再び、にっこりと笑みが戻る。だがそれは、朗らかにみえながら、どこか不吉な笑み。まるで、獲物を前に、最後の戯れを楽しむ猫のような、見るものにとっては、訪れる死を確信する、笑み。
「数日前、ヒューマンの居住区で、幼い女の子を弄んで、ゴミみたいに殺したの……あんたたちでしょ?」
その言葉に、ヴィクティムの顔からさっと血の気が引く。
「か、かんべんしてくれぇっ! こ、殺すつもりまではなかったんだよォっ! ちょ、ちょっと……ちょっとふざけたら、やっちまっただけなんだァっ! あ、あ、そう……遊び、遊びのつもりだったんだよォっ!」
「ふーん、遊び、ね……。そうなんだ……」
ヴィクティムの言葉に、変わらず少女は微笑んでいる。
「そ、そうなんだ……わざとじゃ、ないんだよ……」
少女の穏やかな声に少々落ち着いたのか、ヴィクティムが引きつった笑いで言う。だが、次の少女の言葉に、その笑いはすぐさま消え去った。
「馬鹿だね……あんた。命乞いしてるのに、相手を余計怒らせて、どうすんの?」
「……え」
刹那。
ヴィクティムの首が両断された。
「遊びで殺しちゃいました、なんて、最低でしょ?」
その声が、果たして相手に届いたかどうか。だが、思わず出た言葉の内容に、少女は自嘲の笑みを浮かべ、踵を返した。
「……ま、そんなあんたらと命のやりとりをして、報酬もらって生きてる私も、同類かもしれないけどね」
その言葉を残して、少女はバー跡を出る。ずっと薄暗い地下にいたため、空の青がすがすがしい。思わず、空を見上げて、少女は思う。
そう――――私たちは、この街という蟲毒の箱に湧いた、死出虫。殺し合い、喰らい合い、いつかは喰われて死んでいく。
この街――――文明の崩壊前は『トウキョウ』と呼ばれていたこの街は、そんなところ。
そんな街に生まれたのが悪いのか、元々、人間とはそういうものなのか、あるいは――――ただ単に、自分がそんな人間なのか。
いつからか胸に抱いた自問を繰り返してみても、少女にとって、その答えは遠い空に浮かぶ雲のように、ひどくつかみどころのないものだった。
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