The evil that men do

The Evil That Men Do




怪物はどこにいる? 怪物は洞穴の中に住んでいる。

 かつて『トウキョウ』と呼ばれた街――――そこを、今は正式名称で呼ぶものは、誰もいない。

今の名前は――――『ヴィクティム・エデン』。


遥か未来――――繁栄の限りを尽くしていた人類は、ある日突然、滅びの危機を迎える。

突如として、人間が突然変異を起こし、奇妙な怪物へと変貌するという事態が起こった。


それは、始め、新たな奇病だと思われていた。今は脅威であっても、やがてそれは収束し、特効薬も作られ、駆逐されていくものと、誰もが考えていた。


だが。

それは、神による人間への懲罰だったのか。

増えすぎた人類への、地球の対策だったのか。

――――あるいは、人間自身が生み出したものだったのか。


それは、収束することなどなく、世界中へと蔓延していった。感染したものはその原因究明のために徹底的に研究され、最後にはまるで切り裂き魔に殺されたような姿にまで調べつくされることから、ヴィクティム――――被害者と呼ばれた。


しかし、そこまで調べつくしても、奇病の原因は究明されることはなかった。

やがて、変異が動物、そして植物に広がるに至って、人類はやっとそのことに気づく。これは、奇病などではない、と。

そして見つけ出された変異の原因――――それが、『ヴィクティム因子』と呼ばれるものだった。それは遺伝子レベルで生物の身体を変異させる、謎の因子。物質なのか、はたまた遺伝子の異常なのか。

ただわかったのは、それが、生物の身体に宿る何かであるということだけだった。そして、それはある特定の人間のみに発症し、伝染することは決してないこと。


だが、それが判明したとき、人間がとった行動は――――因子を持つものに対する、徹底的な駆逐だった。

そう、彼らはこう考えるに至ったのだ。

――――今いるヴィクティムさえいなくなれば、また地球は元通りになる、と。


それに対し、ヴィクティムの中に異変が起きる。ただ怪物へと成り果てていくだけだった彼らの中に、自我と、知恵を残すものたちが現れ始めた。


『第二世代』と呼ばれるものたちの台頭である。彼らは団結し、人間に対抗するため、徐々に組織化していった。

そしてついに彼らは、ヴィクティムを駆逐し、消し去ろうとする人間に対し、世界各地で一斉に蜂起を起こした。

現在『大戦』と呼ばれるそれは、各地で一斉に戦火が上がったことから長期化し、泥沼化し、双方に多大な死者を出した。


次々と新兵器を開発する人類。

様々なヴィクティム化した動植物を駆る、屈強なヴィクティム。


やがてその戦いは、文明が崩壊し、双方の種としての絶対数が激減したことから、ともに戦争状態を維持できなくなり、勝者のいないまま、収束した。


ただ、破壊の爪痕だけを――――二度と癒えることのない爪痕だけを、残して。


そして、『大戦』を生き延びたものたちは、未だくすぶる、人間とヴィクティムとの軋轢の上を生きている。


人も、ヴィクティムも――――ただ荒みきった荒野を。誰もが、自分自身が生き延びるために。

己が斃した屍に、明日は我が身かと、問いかけながら――――。





『ヴィクティム・エデン』。それは、かつて日本という国の首都だった場所にある。大戦時、日本は人口のヴィクティム化率が高く、常に劣勢だったため、明確な勝者がいなかった大戦にではあったが、実質、この街はヴィクティムの支配下に入ったも同然だった。


こうして、その居住区を歩いてみれば、それは嫌でも理解できる。あの上層街と比べても、あそこ以上に、ここは崩壊し、汚れ、そして、死の臭いがする。


まともな建物などほとんどない、この街のヒューマンの居住区。ほぼすべての建物は良くて半壊、8割方は全壊している。


崩れかけのプレハブ小屋でも住めればいいほうで、テントや寝袋などで暮らす路上生活者や、流れ者のなんと多いことか。

さらにはその中においても、それなりにまともな服を着ているものもいれば、裸同然のものもいる。中には、病気にでもかかったか、ぼろ布一枚に包まったまま微動だにもしない、生死すら定かでないものさえも。


だがそれを横目に、とんがり帽子の少女はさも当然といった顔で歩いていく。決して、彼女が非情なわけではない。この世界では、極めて普通のことだった。


かわいそうだと、思わないわけではない。だが、自分にできることは、ない。あるとすれば――――。


「おい、セトミ! ずいぶん早かったな」


 不意に、少女――――セトミ=フリーダムは、背後から声をかけられた。そこに立っていたのは、黒いレザーコートに身を包んだ、二十代後半と思しき男性。長身で、黒い長髪を後ろで束ねたその姿には、鋭い目つきとあいまって、どこか野生的な空気を感じる。


「……ドッグ」


 その姿を見、セトミは頬を膨らませ、口を尖らす。その様は、さっきまで命のやりとりをしていたとはとても思えない、歳相応の少女のものだ。


「あんた、また私の『アンセム』変な風にいじったでしょ! なによぉ、あの出力! ハンドガン一発であんなにエネルギー使ってたら、どんだけ予備弾薬があったって足りないじゃない! わかる? 目の前でヴィクティムの顔が焼きたてのピザになったんだから」


 だが、ぶうたれるセトミの言葉をドッグと呼ばれたその男は、意に介した様子もなく、まるでいたずらが成功した子供のように笑っている。


「ほー、奴らの顔がねえ。そりゃあ、これからは喰うに困らなくって、便利なんじゃねえか?」


「もう、馬鹿いってんじゃないよ、ドッグのくせに」


 むすっとして相変わらず口を尖らすセトミの言葉に、ドッグの表情が変わる。


「あんだよ、その言い方は。大体、俺はドッグじゃねえ。ドックだ、ドック。ドック=ショウ。それに、出力を上げてくれって言ったのは、お前さんだろ?」


 ドック――――すなわち、ドクターの愛称だ。この居住区でケガや病気の知識にもっとも詳しいのが、その由来である。だが、初対面のときに『ドッグショー』と聞き間違えたセトミは懲りもせず、ドッグと呼んでいた。


「確かに、出力を上げてとは言ったけど、瞬間オーブンマシンを発明してとは言ってない。てことで、今回のメディカルマージンは無しね」


 セトミのような危険な仕事をするもの――――主にチェイサーは、ドクターと組んで仕事をするのが一般的だ。チェイサーの多くは『メディカルデヴァイス』という装置を腕、足などに装着していることが多い。


 これは、緊急時にドクターが遠隔操作で、内蔵した薬物をチェイサーに注射する医療器具だ。また、これは通信機能も備えており、チェイサーが仕事を行っている間、ドクターはチェイサーの状態を常にチェックしながら、状況に応じて薬物を注入する。


 それに対して、チェイサーから支払われるのが、メディカルマージンと呼ばれる報酬だ。使った薬の種類や量にもよるが、チェイサーが受け取った報酬の3割から4割程度が相場とされている。


「おいおい、そりゃねえぜ! お前さんにゃ、世話んなってるから、ここらの相場が3割8分ってところを、お友達価格で就いてんだぜ。2割5分だぞ、2割5分。価格破壊もいいとこだっての」


 渋い顔で食い下がるショウに、セトミはじっとりと視線を返す。


「あー、うっさいなぁ。大体、ドックは今回の仕事なんて見てただけでしょ。代わりに、はい、これ」


 早口に言い立てると、セトミは金色の硬貨を押し付けるようにしてショウに渡す。


「あ? なんだ、こりゃ。マージンにしちゃ、多すぎるぞ」


 それは、旧世界での500円硬貨だった。現在では、大戦以降、紙の紙幣の生産の停止と、長い荒廃の時代に紙幣の耐久性がもたなかったこともあり、硬貨のみが通貨として残っている。すなわち、500円硬貨――――現在で言う500イェンは最高額の通貨だった。


「仕事。向こうの路地裏で、ここ2、3日へばってる人がいるから、見てやって。おつりはいらない。どうせ500イェンなんて崩せるほど、ドックも持ち合わせないでしょ。めんどくさいから、好きにしちゃって」


 もう話は終わり、とばかりにさっさと歩き出すセトミ。その背に、ショウはふ、と笑みを漏らす。


「へっ……それでもうちょい素直なら、かわいげもあんのにな。だから、『チェイサーキャット』なんて呼ばれんだぜ」


 その声が聞こえたか、セトミが胡乱げな笑みを浮かべて振り返る。


「キャット上等。しっぽ立てて擦り寄る相手くらい、自分で決めるわ」


 再び背を向け、セトミは歩き出す。軽く手を挙げ、そっけない別れの仕草を見せると、彼女は自分のねぐらへと足を向ける。


 その建物は、ヒューマンの居住区のメインストリートから一本、裏道に入ったところにある。その人目につかない通りに入ったところで、セトミは腰のカタナのグリップを無意識に確認する。


 居住区全体がスラムのようなこの街で、バックストリートに入れば、そこはなにが起きても不思議ではない。先ほどドックに任せてきた病人も、ここで臥せっていれば、今頃は身包み引っぺがされた死体にとって代わっていただろう。


 ここは、そういう場所なのだ。


 だが幸い、今日はそういった輩に出くわすこともなく、セトミはその建物にたどり着くことができた。バー『シャイニー・デイ』。元はマンションだったらしいその建物の二階の一室が、彼女のねぐらだ。


「……ただいまー」


 まだ準備中ではあるが、その店内は窓からの光で、比較的明るい雰囲気だ。バーとはいえ、木目調の壁や調度品はどこか温かみがあり、来るものの心を和ませる何かがあった。それは、決して治安の良くないこの地域でも、あまりごたごたが起きないことからもうかがい知れる。


「あら、セトミちゃん。おかえりなさい。今日は早かったですね」


 そのバーのドアを開くと、カウンターで開店準備らしい作業をしていた若い女性が、立地にふさわしくないような上品な声で出迎えた。


「うん、アリサ。思ったより楽に仕事が片付いてさ。さっさと報酬もらって、帰ってきた」


「まあ、そうでしたの。でしたら、お腹減ってます? なにか食べるのなら、準備しますよ」


 のんびりとした声に、優しげな顔。彼女――――アリサは、このバーのマスターであると同時に、この建物のオーナーでもある。居住区でも比較的、裕福な家の出である彼女は、親の遺産であるこのマンションを受け継いで、部屋の管理とバーの経営で生計を立てている。とはいっても、このマンションも三階から上はすでに崩壊しているのだが。


「いや、いいよ。開店時間まで、ちょっと寝るから。今日は3時まで営業の日でしょ? 少し寝とかないと、もたないしさ」


「そうですか。じゃあまた夜、お願いしますね」


 にっこりと微笑むと、アリサは再び開店準備に戻る。


「うん、じゃあまた、夜ね」


 軽く笑顔を返し、カウンター横の階段を、セトミは上って行く。夜とは、彼女が店に出る時のことだ。といっても、もちろんバーテンやウエイトレスとしてではない。あまりないことではあるが、この店でごたごたが起きた時の用心棒としてだ。


 これも、セトミの仕事の一つである。この危険な街のバーで、用心棒をする代わりに、彼女は部屋を用意してもらっていた。


 二階に上り、無機質なコンクリートの通路を歩けば、すぐにそこは自分の部屋だ。セトミは自室の鍵を取り出すと、その扉の中へと入る。


 窓ガラスのひびや壁紙が一部破れているなど、多少荒れたところがあるものの、この辺りの基準で言えば十分きれいな、ワンルームタイプの部屋だ。薄汚れてはいるものの、家具も最低限は揃っている。用心棒代わりにあてがわれる部屋としては、上等だ。


 後ろ手にドアを閉め、鍵とチェーンをかけてから、セトミは猫のように伸びをする。


「うーん……ぷはーっ」


 やっと、一息という感じで息をつくと、セトミはパイプベッドに寝転がる。外では、マンションに戻ってくるまで気を張っていなければならないため、心の底から安心できるのは、自室のみと言っても良かった。


 シャワーを浴びようかとも思ったが、横になってしまったら一気に眠気が襲ってくる。張り詰めていた糸が、一気に緩んだ感じだ。


 まあ、いいか。どうせ、また起きたらバーの仕事に行かなければならないのだ。シャワーはそれからでも遅くない。


 そう決めると、セトミの意識は落ちるように眠りの中へと消えていった。






目が覚めたのは、午後6時。ちょうど、シャイニー・デイの開店時間だ。


それを確認すると同時に、意識をしっかりと覚醒させる。以前、この街に滞在を始める前――――一人で各地を流れていた頃からの癖だ。すぐに意識を切り替えられなければ、近くに命の危険が迫っていることだってあった。


さっさと起き上がり、念のため、カタナと銃を携帯し、部屋の外へ出る。そのまま階段から下りてバーへ入ると、すでにアリサはカウンターの中でなにやら料理を作っていた。


もう客が来たのだろうか。ここシャイニー・デイは確かに人気のある店ではあるが、開店と同時に客が来るのも珍しい。それを認識するのと同時に、その客らのものらしい、下卑た笑い声が耳障りに響いた。


「……おはよ、アリサ。今日はもうお客さん来てんだね」

「あのお客さん、開店前に来て、無理やり開けろって……」

 

 慌しげに動き回るアリサに、のんびりと話しかける。だが、どうもそれどころじゃないらしく、彼女は一瞬、泣き顔を見せはしたが、作業をとめる気配はない。


 その視線の先を見ると、この界隈でも、いかにも柄の悪い風体の男たちが、早くも出来上がっている様子で酒を飲んでいる。見たことのない顔であることからして、はじめて来た客だろう。


「おい! 喰いもんはまだかよ! 早くしろや!」

「は、はい! 少々お待ちください!」


 男たちの怒声に押され、震える手で作業をするアリサを見、セトミは大体の状況を把握する。同時に夕立の暗雲のごとく、嫌悪感が胸の中にむくむくと立ち上って行く。


「はーん、そういうこと」


 一人ごちて、セトミはカウンター脇に椅子を置き、足を組んで座る。どうやら、そう時間が経たないうちに、自分の仕事がありそうだ。


「おい、姉ちゃん。こっちに来て酌しろや。ウェイトレスだろ?」


 セトミが現れたことに気づいた男たちの一人が、下品な笑顔をこちらに向けて手招きする。


「私はウェイトレスじゃなくて、用心棒。自分の酒くらい、自分で注ぎな」


 セトミの言葉に男は勘にさわったような様子を見せたが、セトミの腰のカタナと銃ををみると、舌打ちしながら視線を逸らした。


 やがて、徐々に客も集まりだし、店を普段の喧騒が包みだす。常連のお客さんの姿もちらほら見えるようになり、いつもののんびりとした空気が店を染め出していた。相変わらず、アリサは柄の悪い男たちに追い立てられていたが。


「よっ、セトミちゃん。今日も番犬ならぬ、番猫かい?」

「そーよ、ここで悪いことする奴はひっかいちゃうんだから」


 話しかけてきた常連の客に、にゃーお、と両手を猫のように構え、鳴きまねをして見せる。

 その様子に笑いながら歩いていた常連の客が、柄の悪い男たちの横を通ったときだった。客が、男たちがだらしなく通路に投げ出していた足につまづいた。


「おい、おっさん! どこ見てあるいてんだ、いてーだろうが!」


 男たちの一人が勢いよく立ち上がると、けつまずいて倒れていた客の襟首をつかんで、むりやり立ち上がらせた。


「す……すいません」


「すいません、じゃねえんだよ。謝るんだったら、誠意を見せてもらおうじゃねえか、ああ?」


 やっぱりね、と舌を出しながら、セトミは立ち上がる。こきこきと軽く肩をまわしながら男たちの下へと歩み寄る。そして、客をつかみ上げる男の顔を、下から鋭くにらみつけた。


「ああ? なんだてめえ」


 男の言葉には何も反応せず、セトミは客をつかみ上げる男の足を、おもいっきりブーツのかかとで踏みつけた。ぐぎっという耳障りな音とともに、男の顔が苦痛に歪む。


 その様子に眉一つ動かさず、セトミは男の胸倉をつかむ。横目で客が男の腕から解放されたのを確かめると、目線より上にある男の胸倉を力任せに引き寄せた。同時に、そのみぞおちを狙って膝で勢いよく蹴り上げる。


 一発、二発、三発。


 そこで手を離すと、男は腹を押さえてよだれを垂らしながら、よろよろと後退した。さらに容赦なく、セトミはその顔面に、体重をかけた前蹴りをお見舞いした。


「げべっ!」


 男が情けない悲鳴をあげながら、テーブルと椅子を巻き込みながら吹き飛ぶ。


「こっ、このアマ! なにしやがる!」


 残った男たちの二人が、腰を上げて身構えた。どちらもセトミより大柄の男たちだが、昼間やりあったヴィクティムと比べれば、なんてことはない。


「なにって? お仕事だけど?」


 セトミはとぼけた顔を作りながら、セトミは中指で耳を掻く仕草をして見せる。そしてにやりと人を食ったような笑みを浮かべると、そのまま中指を立てて、男たちに向けた。


「用心棒募集中! ゴミを片づけるだけの簡単なお仕事です、ってね」


「ふっ、ふざけやがって……! この女ァ!」


 男たちのうち一人が、拳を構えながらセトミに突進する。が、セトミはそれを悠々とかわすと、ひょいと片足を男の足元に突き出す。


「うっ、おあ!?」


 男は勢いよくその足に引っかかり、盛大に転ぶ。どうやら、あごをしたたかに打ちつけたらしく、男はのた打ち回って起き上がってこない。


「おいおっさん、どこ見てあるいてんだ、いてーだろ! ……なんちって」


それを見て、先ほどの男の声真似をしながら、セトミが笑う。


「て、てめえ、馬鹿にしやがっ……!!?」


 自分を馬鹿にする声に、安いプライドが刺激されたのか、男が立ち上がろうとするが、彼が起き上がることも、そのセリフを最後まで言い切ることさえなかった。


 ……セトミのブーツのつま先が、股間をえぐるようにめり込んでいたからである。


「…………ッ!? ッ!? ……ッッッ!?!?」


 男は声にならない嗚咽をあげて悶えていたが、やがて泡を吹いて、白目を剥いてしまった。


「あーらら。いつも思うんだけど、それって、そんなに効くの? まっ、私には一生わかんないけどね、残念ながら」


 まったく悪びれた様子もなく舌を出すセトミの表情に、不意に緊張感が走った。今までこの乱闘をはやし立てるような声をあげていた客たちから、今度は悲鳴があがる。


 ……殺気。


 ゆっくりと、振り向く。そこでは、男たちのうち、残った一人が腰のハンドガンを抜いて立っていた。


「こ……殺してやる」


 ふう、とセトミは一つため息をつく。やけに斬った張ったのやり合いが多い日だ。まったく、どうしてこうも皆、簡単に命を投げ出すのか。まあ、昼間のは自分から斃しに行ったのだけれど。

「まあいいけどさ。そっちがその気なら、こっから先は命のやりとり。そこんとこ、オッケー?」


「う、うるせえ! いいかげん生意気な口をやめねえと、本当にぶっ放すぞ!」


 そう猛る男の狙いは、ぶるぶると震えて定まっていない。大方、怒りに任せて抜いたが引っ込みがつかなくなったか、我を忘れて怒りに震えているかのどちらかだろう。どちらにせよ、それによって自分が死ぬかもしれないところまで思い至っていない。


 ほんとに、ふざけたくらい最高な世界だ。誰も彼もが明日をも知れない、ギリギリの命なんて。今日の勝者が明日の死体。最高すぎてつばを吐きかけてやりたくなる。


 誰にも分からないほど小さく、セトミは歯噛みする。


「……いいよ。じゃあ、さっさとやろう」


「て、てめえも抜けよ!」


 男の言葉に、セトミは首を横に振る。


「いや、このままで、いい」


 静まり返った店内に、その静かな声が響いた。男の表情が、いよいよもって怒りに震える。


 一瞬、静寂。そして。


 がちゃり、と男がセトミに狙いをつけた。その指が、トリガーを引こうと動き出す。


 刹那、セトミの瞳が変わった。昼間、ヴィクティムにとどめを刺したときのように、まるで猫のように収縮し、紅く染まる。


 同時に、彼女は駆ける。その神速をもって、一瞬で男のすぐ側まで肉薄する。駆ける速度に、いつも被っている魔女のような帽子が、落ちた。


 次の瞬間には、セトミは男の持つハンドガンよりも、その顔に近い場所に立っていた。そのあごに、昼間ヴィクティムの頭を吹き飛ばした銃――――『アンセム』を突きつけて。


「――――あ? あ、ああ……」


 その事態が飲み込めなかったらしく、男は一瞬、困惑の表情を見せたが、すぐにそれを理解し、青ざめた。


「――――しまえ。今なら、なかったことにしてあげる」


 先ほどまでとはまったく違う声色で、セトミが言う。例えるなら、それは少女の響きを持った、死神の声。


 だが、男の目はちょうど目の前にある、セトミの前頭部に注がれていた。


「チェ、狩人の猫(チェイサーキャット)……!?」


 ああ、とセトミは納得する。そこには、瞳のほかにもう一つ、人ならざるものがあった。まるで猫の耳のような、それ。


 ……見られたか。彼女は思わず嘆息する。こんな奴を殺さないために、自分の秘密を明かすなんて、我ながらとんだ甘ちゃんだ。


「しまえ、って言ってるの。聞こえなかった? それとも、頭をグリルにされるのがお好み?」


 少し語調を強め、鋭く男をにらむ。その視線に我に返ったように、男があたふたと銃をしまう。その様子は、まるで猫に弄ばれた後のねずみのごとく。


「さっさと出て行きなさい。そこの伸びてる二人も連れてね」


 あごで、床に転がる二人の男を指し示す。かくかくと張子の虎のようにうなずくと、男は怯えきった表情で、残りの二人を引きずるようにして去っていった。


 おおー、と酔っ払った客たちの歓声が上がるのをよそに、セトミはすばやく帽子を拾う。その頭には先ほどの猫の耳のようなものはもうないが、それを隠すように彼女は帽子を被りなおした。


「セ、セトミちゃん、助かったよ」


 先ほど男たちに絡まれていた客が、少々こわばったままの笑顔で礼を言う。


「オッケー、オッケー。ノープロブレム。これも、お仕事だからね」


 そう言って朗らかに笑うセトミの顔は、すでにもう、普段の彼女の顔だった。とても先ほどまで、銃を突きつけあっていた少女のそれとは思えない。


 客に軽く手を振ると、セトミは先ほどまで座っていた席ではなく、カウンターの椅子に腰かける。それを待っていたかのように、アリサがタンブラーに注いだミルクを差し出す。


「はい、お疲れ様でした。一息、いかが?」


「おっ、ありがと。さすがにちょっと、のど渇いたよ」


 言うが早いか、セトミは目の前に置かれたタンブラーをわしづかみすると、豪快に一気にミルクを飲み干す。


「ぷはー! やっぱ運動の後はミルクだねー」


「ふふ。本当に猫みたいなんですから」


 その様子を見て、アリサはさもおかしそうに、口元を押さえて笑った。


「そういえば、セトミちゃんのあれ……。久しぶりに見ましたわ。相変わらず、冴えてらっしゃいますね」


「やめてよ、別に自慢できるようなことじゃないし。ただ、生きてくのには便利なだけでさ」


 手を振って苦笑するセトミの表情が、ふと一瞬だけ、真剣なものになる。アリサの言う、あれ――――。先ほどの、セトミの瞳と、耳のようなもの。


 あれは、証だ。自分が、はみ出した人間であることの。それは、ほめられることなどではない。だから……自分は、それを隠している。この、帽子で。ここにいるアリサ以外――――そのことを知っているのは、ショウだけだ。


「私は、いいと思いますけどね。少なくとも私は、セトミちゃんがその力を悪いことに使っていないことを知っていますし」


「……ありがと」


 そう言われて、セトミはほんの少し、ほっとする。カタナも、銃も、この力も――――すべては、純粋な力だ。使い方を間違えれば、それは暴力となる。昼間のヴィクティムや、先ほどの男たちと同じように。


 それだけは、嫌だった。


「でも、セトミちゃん、大丈夫? さっきのお客さんたち、革命軍の人たちだったみたいだけれど」


 不意に、アリサが心配そうな表情になる。


「あれ? そうだったの? 全然気がつかなかったけど」


「服の端に、マークがついてましたよ。あの、吼えてる狼のマーク」


「ふーん……ずいぶん、数が減ったって聞いたけどね。まあ前に比べて、質も頭の中身も落ちたこと」


 革命軍――――それは、ヴィクティムによる支配からこの街を奪還しようと、陰で活動しているグループだ。銃や刃物で武装し、ゲリラ活動を展開しているが、ここ数ヶ月の間に行われた掃討戦で、かなりの数が捕縛されたと聞いているが。


「どうも、それで躍起になって要員を補充しているようなんです。それこそ、先ほどのようなチンピラまで。そのせいで、この辺りでもずいぶん評判を落としているようです」


 確かに、ここ最近、革命軍についてはいい話を聞かない。先ほどのようないさかいの話や、ヴィクティム、人間問わず略奪を行うなど、徐々に暴徒化しつつある。


「確かに、前からずいぶん乱暴ではあったけど……掃討が行われる前は、それなりに志のある集団みたいに思えたけどね。手負いの獣が、誰彼かまわず噛み付くようになっちゃったか」


 軽く一つため息をつきながら、セトミが言う。誰もが生きていくのに必死な世界なのだ。己を維持することが難しくなれば、志などは津波の前の砂の城のようなものだ。


「まあ、いいわ。そんな状況なら、そのうちそいつらとももめてただろうしね、私の場合。それが今日だっただけのことよ」


 それより。と、セトミの目が空のタンブラーに注がれる。


「……ミルク、おかわり」


「はいはい」


 どうせ、刹那的なこの世界。生きるも死ぬも、明日をも知れぬなら、できる限り自分の意思を持って生きたい。ならば、今は明日の生死より、もう一杯のミルク。多分、そんな風に生きればいいのだ、この世界は。


 注がれていくミルクを見ながら、セトミはそんな風に考えた。





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