第7話 結愛と翔平先輩

 今日も今日も地獄の腹筋をバリバリに使うあの曲ばかり。そして、今日も、結愛は翔平先輩と楽しそうに話している。


 文化祭まであと三日。焦りとともに不安が募ってく。

 最近、曇り空が続いている。まるで俺の気持ちを代弁しているようだ。

 俺の頭の中はあのことでいっぱいいっぱい。忘れようと太鼓の音を響かせるが、なぜか消えてくれない。


 もう半袖では肌寒い季節になってきたというのに、気合いの入った練習で練習場の中は熱気がこもっている。窓を開け、心地よい風を浴びながら、カラカラの喉に冷たいお茶をごくごくと流し込む。

 ふと、結愛が見えた。あのはじける笑顔で誰かと話している。少し覗いてみるとその相手は翔平先輩だった。俺の心の曇り空は今にも雨が降り出しそうだ。もう、彼女と俺に何かいいことが起こればなと願う日々にうんざりだ。結愛はたまに俺に話しかけてくれるが、結愛の恋心を知っている以上、俺にとってその笑顔は苦しいだけ。嬉しい気持ちとともに切ない気持ちになる。

 俺だけに、俺だけに笑顔で話しかけて欲しい。傲慢かもしれないけど結愛のあの笑顔を俺だけが一人占めしたい。


 俺のそんな気持ちはお構いなしに、文化祭の時は一刻と一刻と迫ってくる。


 文化祭前日。リハーサルが始まった。文化祭で演奏する曲を一通り演奏する。太鼓を移動させるとき、結愛はいつも翔平先輩の太鼓を手伝いにいく。余裕がある時は笑顔で話をする。俺もその中に入りたいなと思う。でもそんな勇気なんて俺にあるはずがない。部活後、みんながのんびりと片付けや掃除をするなか、結愛は急いでどこかへ向かっている。やっては行けないと思いつつも、俺は結愛のあとをつけてしまった。

 なんと結愛は教室に向かったのだった。暗い教室の中に1人だけ。俺は何をしているのだろうと不思議に思ったのでドアの隅から様子を見てみることにした。

 すると、結愛はベランダで顔を腕の中にうずめていた。

 もしかして、寝てるのか。と思ったが、おもむろに結愛の顔を見て、俺は一瞬息が止まった。彼女のきれいな目から頬をつたい、涙が流れていたのだ。その涙は美しかった。つい、見とれてしまった。その瞬間、ゴツンっとドアにぶつかってしまい。結愛がこっちを振り向いた。まずい。覗いていたことがバレた。


「こんなところで何してるの?もしかして見てた?」


と目に涙を浮かべながら言った。


「いやべつに…ちょっと、たまたま見ちゃったかんじかな」


と俺は結愛の涙に動揺してはにかむように言った。


「泣いてる私の顔ブサイクでしょ?」


と涙を浮かべた目を細め、少し口角を上げて言った。


「ブサイクなんかじゃないと思う。それより、どうしたの?」


 結愛を慰めようと必死に言葉を探したが、俺には無理だった。我慢できず、そう聞いてしまった。


「立ち話も疲れるからね、教室の中で座って私の話に付き合ってくれると助かるかなぁ」


 と言われ教室へ入った。教室の中はシーンとしていて窓から差す月の明かりに結愛の顔がほのかに照らされる。

 真っ暗の教室の中で好きな人と二人っきり。窓側から2番目の席に座った。

 結愛はなかなか話し始めない。涙を流すだけだ。俺はどうしたらいいかも分からなかったのでとりあえずポケットの中からハンカチを差し出した。


「ゆっくりでいいよ」


と言葉をつけて。


「うん、ありがとう。誠都は相変わらず優しいね」


 と泣きながらも頑張って笑顔で言ってくれたこの瞬間の結愛の顔は今まで見た中で1番美しかった。なにより、


「相変わらず優しいね」


 この言葉がうれしかった。結愛は俺の事も少し見てくれていたのだ。

 20分くらいたっただろうか。結愛はようやく話しだした。


「あのね、翔平先輩、彼女できたんだって。今日、本人に直接言われたの。彼女できたって。涙が止まらなくて止まらなくて。ずっと好きだったのに。入部して1ヶ月後くらいからずっとずっと好きだったのに」


 おさまっていた涙がまた溢れ出した。俺は正直安心した。嬉しかった。でもそんなこと本人には口が裂けても言えない。


「翔平先輩の彼女って誰なの?」


 俺はこんな事しか言えなかった。そんな自分がすごく情けないし嫌になってくる。


「相手は夏鈴先輩。正直、認めたくない気持ちもあるけどお似合いだと思うしこれから応援していこうって思ってる。でもやっぱり翔平先輩が好き。なかなか応援できないんだよね」


 結愛のこの気持ちは俺にもわかる。

 好きな人が幸せなら自分もうれしい。けど、自分は好きな人とは結ばれないから苦しい。

 ふたりで共有できるたったひとつのものだ。


「俺にも何となくだけどさ、応援していこうと思うけど、応援できない気持ち、わかる気がする。俺も同じような気持ちになったことあるよ」


 一瞬で結愛の顔がパァーっと明るくなった。


「誠都も恋してるんだ。誰に恋してるの?」


 とおちょくるような感じで言ってきた。俺は結愛が泣き止んでほっとした。


「ないしょー」


と言ったら満面の笑みで


「えー、教えてよー」


と返ってきた。俺は照れて窓の方を向く。笑顔は反則だ。

 今の彼女の満面の笑みは俺の涙を誘う。俺は窓の方を向いたまま


「本当に教えれない」


と照れながら言った。結愛の反応が無いなと思い結愛の方をチラッと見てみると机に突っ伏し寝ていた。泣き疲れたのだろう。その寝顔は可愛かった。


 俺は響也と違ってお姫様抱っこできるような力なんてない。本当はしてあげたいけど、そんなことできない。俺はその場で結愛を起こそうか迷ったけど、止めた。だって結愛の寝顔をもう少し見ていたかったから。


 起こさずに結愛を見守っていると気づけば学校の門が閉まるまであと15分だ。

 俺は慌てて結愛を起こした。


「結愛、起きて、起きて」


 結愛はポアーンとした顔で起き上がった。


「あと15分で学校閉まるよ!早く部室に戻って制服に着替えて学校出ないと……」


「えっ!もうそんな時間!?急がないと!巻き込んじゃってごめんー」


 俺は結愛と走って部室へ戻り着替えて2人で学校を出た。


「誠都!今日はずっとありがとうねー」


 俺だけに向けられたその笑顔。やっぱり彼女の笑顔には困ってしまう。結愛に気付かれないように涙をふいて、彼女を見送った。


 電車に揺られながらさっきの出来事を思い出す。結愛と二人っきりってなんかいい感じだった。嬉しかった。俺にもようやく幸せが表れたような気がした。



 いよいよ文化祭当日。和太鼓部は集合が朝早く俺たちは始発の電車に乗らなくてはいけないので大変だった。

 少し寝ぼけながら下駄箱で靴を履き替えていると、響也がいた。


 響也は


「おはよー」


と言って俺の横を通り過ぎて行った。そのすぐあとから、目がぱっと覚めるあの甲高くて大きな声。キャロラインが


「響也ー、待ってよぉー」


と響也を追いかけていた。朝から一緒にいる2人を見てしまい憂鬱だった。


 俺は控え室へと向かい荷物を置いてゆっくりしていた。しばらくすると結愛が笑顔で話しかけてきた。


「ねぇ、誠都。昨日はありがとねー、本当に助かった」


「元気になってくれてなによりだよ」


「まぁ、ありがとう」


「そーいえば、翔平先輩とはあれからどう?って言ってもまだ1日も経ってないけど」


「翔平先輩、彼女いるのに私に話しかけてくるところずるいなぁって。あんなに話すともっと好きになっちゃうし、忘れられないし、勘違いしちゃう」


 俺もその結愛の気持ちにはすごく同感だ。俺もよく思う。中途半端に関わらないでほしいって。思わせぶりな態度しないでほしいって。そんなことされても、俺らは辛いだけなんだよってすごく思う。


「俺もその気持ちわかる。思わせぶりな態度って本当にやめて欲しいよね」


「みんな思ってるんだね」



 結愛と長々と話しているうちに和太鼓部の出番がやってきた。絶対に成功させたい舞台。3年生の先輩と最後の演奏。プレッシャーと緊張と不安で胸の中はいっぱいだ。

 そんな俺の胸の中を覗いたのかのように肩をポンッと叩いてくれた先輩がいた。俺の緊張は少し解れた。その先輩は翔平先輩だ。やっぱり適わないよ、翔平先輩には。


 和太鼓部の番になり舞台に立った。俺は最初からリズムを間違えてしまった。焦りが俺を襲った。途中みんなと音がズレてしまったが、後半になんとか建て直し無事1曲目終了。俺の役割はあと、2曲目が終わった時に太鼓を舞台袖に運ぶだけだからと、油断していた俺が甘かった。緊張しすぎて太鼓を運ぶことをすっかり忘れていたのだ。大失敗だ。代わりに結愛が運んでくれたらしい。

 あとで先輩にもこのことはこっぴどく注意された。自分の情けなさが改めて身に染みた。

 文化祭は2日間あり、和太鼓部は合計で5回のステージがあり、どのステージも先輩たちは一打一打に思いを込めて、心をひとつに演奏していく。

 ラストの演奏では3年生の先輩の目に涙が浮かんでいた。その涙が2年生、1年生にも伝染していく。涙と笑顔で最後まで演奏をやりきったのだ。

 今までの演奏で1番の演奏だった。




 無事に舞台が終わり、部室でお別れ会が行われる。まずは1年生から出し物をする。俺たちは、コルクボードに写真やメッセージを貼ってプレゼントをした。想像以上に先輩達が喜んでくれていて嬉しかった。気づいたら響也がいなかった。よくよく見渡すと、お別れ会の風景をビデオで撮影していた。響也もたまにはいいことをするんだなと思った。


 次に2年生の先輩達が出し物をした。先輩達はみんなで肩を組んで感動の名曲を歌っていた。そして、サビでは3年生の先輩の方へ歩み寄る。先輩達が徐々に泣き始めていって1年生も何人ももらい泣きをしている。

 なんとあの響也も泣き出したのだ。俺は彼の泣き顔を初めて見た。いや多分俺だけじゃない。その横でキャロラインは平気そうな顔で眺めている反面、結愛は大泣きだ。何故か結愛の涙を見るとあの時のことを思い出す。あの時とは違う涙だけど、結愛には涙より笑顔が似合うから、俺がいつかその泣き顔を笑顔に変えれるようになりたいと思う。


 そのあとはお菓子パーティーが繰り広げられ、とても楽しかった。先輩後輩関係なしにふざけ合って笑い合って、いつものにぎやかな和太鼓部に戻っていた。



 みんな笑顔で3年生の先輩とお別れをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る