第3話 琴座κ流星群②

「――――――!」

 雑談をさえぎる様に、悲鳴がこだました。悲鳴と言うよりも、声に、聞き覚えがある。誰だっけ、なんて深く考えるより先に体が動いた。

三日月みかづき!」

 考えるよりも、思うよりも、言葉を発するよりも速く。体が、悲鳴の聞こえた方向へと走り出す。

「つ、月草つきくさ!?」

 血相を変えて去って行く友人に軽くあきれつつ、くずも後を追う。

「日陰ちゃんも、おいで!」

「え、待宵まつよいさん!?」

 女の子を一人で、夜の公園で待たせるのもあぶない。そう思ったのか、屑は、日陰ひかげの腕をつかんで、月草の駆けた方向へ急いだ。少女が追いつけるぎりぎりのスピードで、友人の元へ向かう。

「待宵さん、あなたは」

 されるがままに、後を追うなかで少女が何かを言いかける。それに気付かないほどに、屑も焦ったように、走っていた。


「三日月!」

 悲鳴が聞こえたのはどこであろう、三日月自身が行くと言ったトイレだった。公園のトイレなんて、きちんと整備されているはずが無い。

 この公園のトイレも、数本しかない黄ばんだ蛍光灯は点滅していて、しかも、ところどころ割れていた。

「くっさぁ……」

 そして、におい。よくこんなトイレに行ったな三日月……あらかじめ行っておけよ。そこまで思考が行き着いたとき、日陰ちゃんを連れた屑が追いついてきた。

「月草、速いよ……三日月は?」

「見当たらない」

 どこに行ったんだろう、まさか、誘拐? そんなわけない、と自分に言い聞かせながら、俺たちは暗闇をうろうろ、きょろきょろする。

 「すみません、今、思ったのですが」と、日陰ちゃんが言い出したのは、俺たちが途方にくれてきたところだった。

「三日月さん、もしかしたら、サプライズで何かしようとしていたのではないですか? トイレに行くと言った三日月さんの言葉があらかじめあったので、ここに駆けつけてしまっただけなのではないのでしょうか?」

 すがるような思いで日陰ちゃんの言葉を聞く。サプライズ。三日月がやりそうなことだ。

「月、草……」

 ぎゅっ、と握った手に爪が食い込んでいくのを見て、屑が声をかけてきた。あわてて手を軽く振って見せる。大丈夫、こういう時こそ冷静に。分かってる。

 でも、そう思えば思うほど、無意識に力がこもってしまって、手を握りしめた。

「俺らは、ボディーガードなのに……それはただの口実だったのかもしれないけれど。俺らの勝手な推測を、利用しただけなのかもしれないけれど」

 この先は言いたくなかった。行ってしまったら、本当に、そうなってしまうようで。

「もしかしたら、『銀河』に連れて行かれてしまったのかもしれない」

 屑が先の言葉を継いだ。顔をあげて屑を見ると、なんて顔してるの、と声をかけられる。

 だって、俺らがいながら。何で、一人にさせてしまったのだろう。危ないって、思ったのに。三日月だってそう思ったから、呼んだだろうに。

「月草だけのせいじゃない。俺だって、気付くべきだった。それに俺だって『銀河』から守るために付いてきた、つもりだったのから」

 屑が、俺の肩を抱く。

「月草と、三日月と、友達になれて、うれしくて。誘ってくれて、頼ってくれた気がして、“仲間”って感じがして、うれしかった」

「屑、お前そんな事、考えてたのか」

 うつむきながら屑がうなずく。

 俺の気持ちが落ち着くように、わざわざ話してくれたようだった。そんなこと、普段なら絶対、言わないもんな。

「悲鳴が聞こえたんだ。三日月はまだきっと、この近くにいるよ!」

「おう!」

 屑に励まされて、捜索を開始しよう! ……としたところで、日陰ちゃんの事を思い出した。どうしよう、交番まで送り届ける?

「日陰ちゃん、えっと……」

「スピカに、曙さんの光源を探ってもらいます。光源同士なら、どこにいるかある程度、しぼれますから」

 困っていると、日陰ちゃんは自ら提案した。奇跡のような、幸運のような、救いの魅惑の誘い。

 正直、ものすごく助かるけど、都合よすぎな気もする。でも、三日月を助けられるなら。

「スピカ、頼む!」

<……承諾した>

 気難しそうな顔をして、スピカがうなずく。互いにこれ以上の言葉はいらないとでも言うかのように、日陰ちゃんの目がスピカと同じ、青空のような色へと変わる。

「約五百メートルくらい先に、二つ、光源の反応があります。蠍座さそりざのアンタレスと、もう一つは…………」

 日陰ちゃんがゆっくりと言う。もう一つは三日月の光源、琴座のベガだろう。

 恒星が、ってことは、やっぱり。

「銀河だ!」

 急がなくちゃ、ありがとう、と声をかけて走り出す。五百メートル先が何なのか分からないけど、この先に、三日月が!


「あーあ、月草。行っちゃった……」

王子さまよろしく登場するとか、月草にできるかなあ、と呟く屑。

「追いかけなくていいんですか?」

「日陰ちゃんが俺の服の裾をつかんで、離さないからなあ」

 へらりとした屑の言い方に、少女の雰囲気が、一変する。先程までの表情は消え去り、うつろで、生気が抜けきったかのようにゆらめく。

「…………あなたは、わたしの、何かに気が付きましたね」

 屑も無表情になる。二人とも星などには目もくれず、暗い目でお互いを見ていた。

「わたしの何に、気が付いたのですか?」


「三日月っ!」

 あと少しの距離のはずなのに、とても長く感じられた。一歩一歩が遅くて、踏み出すたびに、どうしてこれだけしか進まないのかと、もどかしい気持ちになる。

 俺、体力無いなあ。高校での体力測定に早くも不安がよぎる。

「つっきー!」

 視界が開けたと思ったら、目の前に三日月が現れた!

「え!?」

 木の幹に縛り付けられている三日月の姿。じたばたと足を動かしていているのは、ちょっと滑稽。

 動揺を隠せない。これがドッキリなんじゃないのかとぱっと見、思ってしまった。そんなわけないか。

「誰か他にいるか!?」

 ハッと我に返り、辺りを警戒しながら見渡す。日陰ちゃんは恒星がいると言っていた。蠍座のアンタレスをもつ恒星。

「蠍座なんて、攻撃的なイメージしかわかねえし……」

「その通り、蠍は毒を、持つしね」

 声がしたかと思うと、背後から、思いっきり殴られた。甲羅のようなもので地面に叩きつけられる。

「ぐはっ……!」

「あらら、あなた恒星じゃないの? ならこんな事する必要なかったか……」

 崩れ落ちた俺の頭上、女の人の声がする。続いて足蹴にされる。たぶんヒールを吐いているようで、角でえぐられるのがものすごく痛い。

 涙目になりながら転がって攻撃を避けつつ、相手を見る。背の高い二十代くらいの、スーツ姿のお姉さんだった。

「気を失わせた人を木の幹に縛り付けるって、大変なのよ? それにあの子、気が付くのやたらと速いし……まあ、いいけど」

 街灯の根本をヒールで軽く蹴って、お姉さんは不適に笑った。こーん。いい音が響く。

「私は、気付かれてると思うから言うけど、『銀河』。恒星じゃないあなたに興味はないわ。悪いけど、気を失ってくれないかな? 殺したくはないんだけど」

 白髪の三つ編みをゆらしながら、とても楽しそうに言う。うっそりしたその笑顔に、こっちもなぜだか笑えてきた。

 蹴られた腹を、殴られた背を、かばいながら立って見据える。星が降っている。空をチラッと見て、なんとなく場違いなことを思った。

「三日月を、やっと見つけたんだ。お前なんかに連れてかせるかよ!!」

 そのまま特攻、作戦も何もないけど拳を握って走る。

「気が狂ったかと思ったけど、威勢のいい子ね」

 馬鹿にしたように、お姉さんは静かに言った。慌てた様子もなく、目をつむってでも避けられるとでも言いたげに、俺のへなちょこパンチは無下にされる。

「月草! 月草ああっ!」

 ああもう、なんで一発も当たらないんだ! こんなに殴っても空を切る。虚しくて悔しくて、簡単に上がる息。たまる一方の疲れ。

「うるさい、三日月!」

 思わず、怒鳴ってしまった。三日月は拘束されているんだから、声をあげることしかできないのに。理不尽に怒鳴っても、三日月は俺に怒ることもなく、淡々と、いつもより冷めたように、声を張り上げる。

「月草、光ってる!」

 この忙しいときに何を言ってるんだ、と思ったけれど、そういえばお姉さんもおざなりな攻撃をかわすばかりで、何もしてこない。

 俺自身、手元が明るいことにうすうす気づいてはいた。でもちょっと、それどころじゃなくて。

 ゆっくり、自分自身を見下ろす。

「何だこれ……!?」

 淡い光に包まれている。服じゃなく、体が。怖い。

「傍から見ると、パーカーの中に懐中電灯を隠してるみたいだよー!」

 三日月が声を張って教えてくれるけど、喩えは当たっているけれど、俺にも訳が分からない。なんで光ってんの!?

 自分の身に起こった異変に戸惑っていると、お姉さんが歓声を上げた。

「すごい! 今、決意したんだね!」

 女の人はすでに構えていなかった。攻撃的な笑みから、朗らかな笑みへと変わっている。

「さながら王子さまだね。その子を守る、と決意したんだ」

 なんでそんな、恥ずかしいことを嬉しそうにお姉さんに言われなきゃいけないんだ。話しているうちに淡い光は俺の目の前に浮き出すように現れる。輝くそれは、点滅していた。

「これは?」

 不意に、点滅が終わる。

 その場にいたのは。

<わん!>

「え…………」

 光源のようなものが、そこにはいた。俺の目の前に、さっきまで光っていたものが声をあげる。

 そいつは黒ずくめの服を着ていて、頭の上に遠慮がちにあったのは。

「つっきーは犬キャラだと前々から公言してはいたけど! まさかだね、光源までもが犬、なんて!」

 三日月の明らかに馬鹿にしている発言は無視。縛られているくせに元気がいい。

<僕は子犬座を構成する星のプロキオンと、いいます。よろしくね>

「あ、はい、よろしくお願いします」

 思わず普通に無難な会話をしてしまった。スピカと全然違う。年下の気弱男子って感じの妖精だ。

「ふーん」

 吟味するような声に我に返る。そうだ、攻撃してきた『銀河』のお姉さん!

「君は恒星になる、権利を与えられたんだね。その事に敬意を表して、今回は、見逃してあげなくもない、かな」

 そういうとお姉さんはじゃあ、と片手を振って走り去って、行ってしまった。一方的すぎる。俺も三日月もその場に放置だ。

 ……銀河って、ちょっと、イメージと違った。


「何に気付いたか、って、言われてもなあ」

 はぐらかすように返す屑。こちらはこちらで、冷戦のような状態が続いていた。

「君だって、俺の何に気付いたの?」

「質問しているのはこちらです」

 有無言わせぬような、強い口調で言う少女。

「わたしは……恒星です。怖くは、ないのですか?」

「怖くないよ」

 即答する屑。そのことに驚いたようで、少女はびくりと肩を震わせる。探るよう、救いあげるように屑を見ている。

「俺は普通の人間で、君は恒星だ。そんな事は分かってるよ」

「そう、ですよね。あなたは決意するようなことも、無さそうですし。これは命令です。答えて、ください」

 スピカと少女にじっと見つめられても、屑は動じない。

 光源がいかに強力か、殺人だって容易におかせる異能があることだって知っていながら、屑はどうでもよさそうに見返している。

「答えないつもりなら、殺します」

 脅されていることにも大した反応をしないからか、少女が唇をかむ。

 物騒なことを言われても無表情を保ったままの屑。はあ、とあきれたように息を吐いて、なんてことのないかのように口を開いた。

「君、『銀河』のボスでしょう?」

 何の脈絡もなく、堂々と言い切る。心底、どうでもよさそうに。

「……何を根拠にそう思われましたか?」

「ああ、認めるんだ?」

 屑の心のそこから驚いたような言動に、それこそ驚く少女。

「認めませんよ! ただ、何の確証も無くそんな事、言わないと思いますし」

「ふうん」

 小さい子に付きまとわれて鬱陶しい、面倒臭い、そう思っているかの様にあしらう。

「別に、自信があるわけじゃないよ。でも、月草が三日月を探してほしい、と言った時、光源を言い当てたから」

「たまたまかもしれませんよ」

 すぐさま少女が言う。それもそうかもしれないけどさあ、と屑は続けた。

「じゃあ三日月の光源、言い当ててみなよ。蠍座のアンタレスはずいぶんはやく分かったみたいだけど」

 に、と笑って少女に先を促す。少女は何も言わない。

「反論とか、ないの?」

 屑が聞くと、少女の肩が、見ていて分かるくらい大きく震えた。

「え……、大丈夫?」

 屑の慣れていないことが丸分かりの、おろおろした呼びかけに応えずに、少女は顔を上げて、盛大に笑う。

「あはっ、あはは!」

 まるで壊れてしまったかのように、高らかに笑う少女。響き渡る声に、狂気が混じっているようにしか聞こえない。

「えっと」

 どうしよう、と辺りに助けを求める屑。残念なことに夜中なので、辺りに人影は無い。

「よく分かりましたね! まさか……そんな事でバレてしまうなんて、思いもしませんでした。失態です」

 無邪気な笑顔を見せて、言い切る少女。先ほどまでの大人しそうな雰囲気は、すでに皆無。別人かと思ってしまうほどの、豹変だった。

「でもまあ、待宵さんは幸か不幸か、恒星ではありませんし。仕方が無いですね、忘れてもらいます」

「どうぞ勝手に。別に殺されても仕方ないかな、と思っていたから、記憶を失うくらいなんでもないよ。うん、全然構わない」

 無表情で淡々と言う屑に、少女は軽蔑するように表情を消す。

「命はもっと、大切にすべきです」

「人殺しだってするような集団なんでしょ、銀河って」

「うるさいですよ」

 ぴしゃりと言って、少女は終わりとでも言うように、手を打った。

「では、お望み通り。記憶を頂戴することに致しましょう」

少女は不適に笑った。


 三日月を縛っていた縄を解いて、屑の元へ行こうとすると。

<あ、あの、契約を結んでもらいたいです……!!>

 俺の光源らしき、プロキオンが呼び止めた。

「ん? あ、そっか。光源って、契約結ばないと、いけないんだよな……」

 ここでやっと、『銀河』の女の人が言っていた意味が分かった。彼女が言っていた『恒星になれるチャンスを与えられた』と。契約を結ばなければ、光源は人を変えるのであろう。俺はまだ、完全に『恒星』なわけでは、ないんだ。

<ボクが契約を結ぶにあたって頂きたいのは、『停止時間』です>

「停止時間?」

 すみませんっ、とプロキオンが頭を下げる。謝らなくてもいいんだけど、どうやらプロキオンの性分のようだ。光源にもいろんなのがいるんだなあ。

<何も考えていない時間……『停止』している時間を貰いたいです>

「それをお前にあげたとして、俺は何か変わるわけ?」

 契約うんぬんより、三日月の拘束を早く解いてやりたい。当の三日月は暇そうに、こっちのやりとりを見ているだけなんだけど。

 うーん、と眉毛を八の字にさせて考え込むプロキオン。

<無理にでも何かを考えることになります?>

「ぜってえやだよ!?」

 何でそんなことにならなきゃいけないんだよ!? 俺だってボーっとする時間がほしい。ずっと何か考えてなきゃいけないなんて地獄すぎる。

<え……そんなあ……ボ、ボク……もう、後がないんです>

 泣き出しそうな顔で、切なそうに、悲しそうに切り出す。さっきから低姿勢だし、可哀想ではある。

<同年代のみんなは、もう光源として名を馳せているのに……ボク、これで契約の話を持ちかけるの、四十回目なんです……>

 演技だったらなんて腹黒い奴だろう、と思うけれど。泣き落としだ。契約取れなくて泣いてるなんて、ブラック企業なのか契約とらないと困る、なんて、ドラマで見たことある、保険会社の社員みたいだ。

<お願いです、居待月草さん……! ボクに『停止時間』をください……!!>

 土下座までしちゃうプロキオン。目の前で小さな子に土下座されるなんて、両親が痛む。さっき殴られたりしたせいで腹も背も痛いし、散々だ。

「……分かったよ。契約、すればいいんだろ」


「よかったじゃん、つっきー!あのお姉さん、つっきーなら断る、と思ったんだろうね! だから見逃されたんだね! うん、つっきーがギャップある子でよかった!」

 開放してやったとたんに三日月はそんなことを言ってきた。こんなぼこぼこになってまで助けに来たのに……無事だったからよかったけど。

 屑の所へと行くと、日陰ちゃんがいなかった。

「屑、どうした!? もしかして、日陰ちゃんも『銀河』に……」

「大丈夫。あの子なら、連れの人と一緒に行ったよ」

 屑は無表情のままだ。なんだか、大丈夫って割に大丈夫じゃなさそうな雰囲気で心配になる。何かあったんじゃないのか?

「あの子は安全だよ。どういうわけだか、あまり覚えていないけど。それより月草、その怪我どうしたの? 服も砂まみれじゃん」

「覚えてない!? 本当に大丈夫か!?」

「大丈夫だって。大丈夫じゃないのは月草でしょ」

 日陰ちゃんの話じゃない、お前の事だ、屑! はぐらかされてしまってこれ以上の突っ込んだ話はできず、三日月の話に移ってしまった。

 日陰ちゃんと一体どんな会話をしたのだろう。その場に居合わせることが出来なかったのが、とても残念だ。

「……みんなが無事でよかった」

 屑が突然、ぽつりと言った。俺は思わず、三日月と顔を見合わせる。

 三日月がいなくなって俺がパニックになりかけた時もそうだったけど、屑は屑で俺たちのことを想ってくれてるんだなと分かって、それが嬉しい。

「また今度、改めて天体観測しようね」

 にへ、と三日月が笑う。その背後にある空は、すでに白味をおびてきている。

 あれ!? 一夜、明けてるじゃん!

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