陸前高田に寄る辺なし

陸前りくぜんたかに行きたいんだけど、良い?」


 七ヶ浜の朝7時、牛丼屋。

 土屋さんが提案をしてきた。断る道理がないので頷いて承諾する。

 少しずつ、この東北旅行の目的が見えてきた。だけど今それを土屋さんに訊ねると機嫌を損ねる気がしたので、話を逸らす。


「夕焼け、必要以上に残念でしたね」


 渋滞に巻き込まれ、七ヶ浜に到着したのは19時前。まあいいかと海岸に降りるものの、曇り空のため月もなく、ほぼ真っ暗。まあ仕方ないよななどと言っていたらゲリラ豪雨。踏まれた後に蹴られた形でホテルへと逃げ込んだのだった。

 雨が止んだあとに歩きで夕食に出たけど、その晩、土屋さんは一滴も酒を飲まなかった。想像している以上に体調が悪いのかもしれない。

 しかし飲まずにいると勧めてくる人なので、しみじみとおいしい地酒と地魚を堪能してしまった。


「今日は雨は大丈夫だと思うけど、ちと寒いな」


 朝の時点で19度、これから気温も上昇していくはずだが、土屋さんは牛丼屋でも革ジャンを脱がなかった。あまり顔色が良くない。


「その調子悪い病人アピールはいつまで続くんですか」


「ちょっと疲れただけだ。まあ、うん、帰ったら行くよ」

 土屋さんは笑って答えた。


「陸前高田まで、約140km。2時間30分くらいかかりますね。がんばりましょう」


 土屋さんは天井を見上げ腕を組んだ。一つうなずき声を出す。


「よし、やめよう」


「はい」


「いや冗談だ。そんな目で見るな」


「やめるのも正解ですよ。本当に病院はいいんですね?」


 それには答えず、土屋さんはレシートを持って立ち上がった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 


 移動開始。

 有料道路は三陸自動車道のみ。朝の渋滞もない。おそらく2時間程度で着くはずだ。路面はすっかり乾いている。

 土屋さんのグラストラッカーを先導役にするような形でVMAXを走らせる。今から言っても仕方のないことだが、車で来れば良かったと思う。病み上がりの50代にバイクでの長距離移動はしんどいだろう。


 思い返せば、土屋さん達と一緒に2回目にボランティア活動をしたのが陸前高田だった。一年後の3月に行ったのだが、容赦ない吹雪と寒さで一番ハードだったのもここだった。

 ボランティアセンターでの注意事項のほとんどは忘れてしまったが、いくつか覚えていることがある。


 一つは「地震が来たら車を置いて山の方へ逃げてください」。

 もう一つが「住民の方が話しかけてきたら、話を聞いてください。それもボランティアの役目です」。

 さらに「できるだけこの体験を語り継いでください」。


 そういえば、出発前にボランティア保険の登録を済ませ、安全靴や防塵マスクなどの装備一式を揃えたが、あれらは一体どこにしまったろうか。

 やりなれた人や建築現場で働いている人は違うのだろうが、僕のような事務職にとって、黒くて大きい防塵マスクは実に邪魔だった。シャベルでヘドロを掻き出している時、左右にずれて視界の邪魔になるのだ。黒いマスクは使えないという刷り込みができた。


 だからいま、町中で黒いマスクをしている人を見かけると、少しだけモヤっとする。そこで「自分らしさ」とやらをアピールする意味があるのかと。そんなものでアピールできる「自分らしさ」というのは大丈夫なしろものか。あくまで黒いマスク=防塵マスクという思い込みがそうさせるのだけれど。

 嫁にそう話したらなぜか苦笑いされた。


 陸前高田が近づいてきている。

 イヤホンから土屋さんの声がした。


「竹駒駅があった辺りへ行きたいなあ」


 たしかそこから遠くない辺りの川沿いに、ボランティアセンターのテントがあったはずだった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 


 記憶と照らし合わせ、確かこの辺だったよな、という場所に停車。


 土屋さんはヘルメットを脱いで開口一番、


「…おれは何しにここ来たんだ…」。


 まあそうなるよなあ。今はなーんにもないから。

 もちろんなくて良いのだけれど、なければないで少し心もとないのは、ただの旅人の身勝手な感傷が原因だろう。いかんせん、陸前高田という町で知っている場所がそこしかないのだ。

 では実際に作業したお家を見に行きたいかというと、そんなことはない。

 そんな恩着せがましいことを考えるような者が、あの日、この場所に集まった有志の中にいたわけがない。

 当時のことを思い出していたら、土屋さんがボソリとこぼした。


「作業した家、見に行きてえなあ」


「いたーっ。ここにいたーっ」


「え? なに?」


 なんでもありませんと答えて空を仰ぐ。


「土屋さん、疲れたでしょう。お昼でも食べませんか。この近くに名産品を出す道の駅がありますよ」


「い、家は…」


「どうせ場所なんて覚えてないでしょう。だいたい見てどうすんですか。『ここのヘドロ、掘り起こしたのおれなんですよ』って恩でも売りたいんですか」


「い、いやそうじゃなくて、ただ見たいだけというか…」


「この旅行の目的もなんとなく見えてきましたけど、それはそれ、これはこれ。土屋さんだっていやでしょう。家建てた大工さんが『あそこの外壁にムラつけたの、おれなんすよ』とか言い出したら」


 すっかりしょげ返った土屋さんは小声ではい、はいと返すのが精一杯のようだった。

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