死んでも治らない病気
福島県に突入した。
競馬ファンならピンとくる
アブクマポーロというダートの王様の話をすると長くなってしまうので、今は控える。
「フリーっ フリーっフォーリン」
イヤホンから、土屋さんの下手くそな歌が聴こえてきた。
トム・ペティの「Free Fallin'」は、確かに晴れた日の移動中などについ口ずさんでしまうほどの名曲だが、わざわざインカムを使う必要があるのだろうか。しかもずっと同じフレーズを繰り返している。
傷つけないように言葉を選んで注意する。
「耳とインカムが腐るんでやめてもらえますか」
「トム・ペティに向かって何ということを」
「トム・ペティに文句があるのではなくて、土屋さんの歌が不愉快と言っているんです」
エンジン音しか聴こえない東北自動車道は、いまだ渋滞の雰囲気もない。気づけば宮城県まであと50kmを示す看板が見えた。時速80kmのスピードとはいえ、高速道路を快調に進めるのは本当に楽だ。秋の気配を含んだ晩夏の風が心地よい。
「このまま蔵王まで行きますか? 宮城に入りますよ」
「実は福島で一服したい気持ちがある。何年か前、会津若松あたりで食べた高遠そばがうまかったことを思い出した。本来そばなんてものは」
土屋さんは咳払いをして続けた。
「滋味薄き、やせ細った土地の喰い物なのだが」
「いちいちつっかかるのやめたらどうですか。うまかったんでしょう。そういえば福島は果物もうまいですよ」
「果物なんぞ女子供の喰い物よ」
今の世ならば逐一炎上しそうな発言を連発しているが、この人はこういう性格なので仕方ない。恐らく、先程小難しい顔してソフトクリームを食べていた時もひねくれた考えに陥っていたのだろう。
休み休みでも言うことではないし、塗る薬もない。死んでも治らない病気なのだ。
しかし、こうして東北自動車道を走っていると、どうしてもあの寒い春のことを思い出してしまう。
当日、全ての路線が止まり、会社の人間は誰一人帰れなかったが、それでも社内にいたのでなんとかなった。土屋さんだけが打ち合わせで上野におり、そこから身動きができなくなっていた。結局国立科学博物館で何千人もの帰宅難民とともに雑魚寝し一晩やりすごしたそうだ。
それから2月ほどたった5月の中旬、ボランティアに行ってくると言い出したのは土屋さんだった。
土日で作業してくるから月曜日だけ休ませてくれと社長に頭を下げていた。
どうしてという皆の疑問に対して、土屋さんがボソリとこぼした言葉はいまだに覚えている。
「どうしてと訊かれても、困る」
多分、その言葉を聞いたからだろう。この人を見捨てずにおこうと思ったのは。
そんなことを思い出しているうちに。
「宮城に突入しちまった」
イヤホンから声が届いた。
「じゃあこのまま仙台宮城まで行きましょう。あと20kmほどですし。いやなら逆走どうぞ」
「逆走、それは男のロマン」
などと咳き込みながら言い出したので、50メートルほど前を走るグラストラッカーが本当に反転するのではないかと恐怖を感じたが、まだそこまでもうろくしていないらしい。
また歌が聴こえてきた。イヤホンからでなく、風に乗って途切れ途切れに聴こえる。
「ターンターンターンターンターン ターンターンターンターン」
多分、トラヴィスの「TURN」だ。
どうしよう。イヤホン使っているわけでないし、こちらに聴こえているなんて夢にも思ってないのだろう。
けれど、教えてあげないと後々恥ずかしい思いをするのは土屋さんだ。
なるべく傷つけないように注意してあげよう。
「世の中に迷惑なので歌わないでください」
歌声が止まった。少し背中が丸まったような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます