ACT101.8 まったく、難しいものですね?


「お誕生日おめでとうございます、茶々様」


 十月十七日、八葉茶々の誕生日。

 その日の朝のHR前の教室にて、茶々は、同い年の親戚で幼なじみの仁科朱実から、綺麗にラッピングされた小さな小箱を受け取っていた。

 これが、朱実が自分で働いたお金で買ってくれた、茶々へのプレゼント……!

 そう思うと、茶々は高揚のあまり飛び跳ねたくなる気持ちになるのだが、ここは教室である上に、朱実のことを目前にしているので、グッと我慢。


「ふふ、なかなか小洒落たプレゼントね。ありがたく受け取るわ」

「うん。喜んでもらえて、良かったです」

「……開けてみても、いいかしら?」

「もちろん」


 朱実に断りを入れて、茶々は慎重に包装を解くと、その中には、


「おお、これは……!」


 黒塗りの光沢のある、万年筆の入った箱があった。

 数ヶ月前の令嬢だった頃は安物の安物に感じただろうけど、今となってはこの一筆からわりと高級感が漂っているように見えるのに、茶々はいろんな意味で驚いた。


「わたしのお母さんを通して、一茶いっさ様からお聴きしたんです。茶々様は、万堂のお爺様に現況を伝えるお手紙を届けていると」

「そうね。もう、お母様ったら……」


 朱実の言うとおりである。

 茶々と母である八葉一茶、付き人の紺本奈央の万堂家出奔の際、生活面で数々の手を回してくれた祖父とは、今も月に二、三度、手紙のやりとりをしている。

 と言っても、祖父は忙しい身であるので、祖父から手紙が返ってくるのは月に一度だけという頻度ではあるのだが、それでも、祖父は自分や母、奈央のことを少しでも気にかけてくれているのがわかる。

 メールではなく手紙というやりとりの理由は、それが祖父にとって気持ちを伝えやすい形であるというポリシーであり、彼を尊敬する茶々とて同様に感じているからだ。


「なかなかグッドなチョイスだわ。やっぱり、手紙を書くにも市販のボールペンでは味気ないから、ちょっとは洒落っ気を出さないとね」

「はい。わたしも、茶々様の恩返しに少しは力になれればと思って」

「――――」


 言って、微笑みかけてくる朱実。

 その笑顔が眩しくて、茶々の胸中は熱いもので満たされる。

 ――普段はそうする勇気が湧かないけど、その熱さと、今日一つだけ大人になれたという特別な勢いを乗せて、


「え……茶々様?」


 朱実の華奢な身体に、茶々はきゅっと抱きついていた。

 彼女の体温を直に感じ取って、茶々の胸は熱さに加えてバクバクしそうな鼓動が溢れそうになるけど……ここは、忍耐で押さえつけて。

 

「ありがとう、朱実。あなたは茶々にとって誇るべき親戚で、幼なじみで、大切な友達よ」

「茶々様……」

「こういうのも恥ずかしいけど、将来茶々が大社長になるって夢を叶えた後でも、朱実とは良い関係で居たいわ。本当よ」

「……はい。わたしも、茶々様のこと大切だって思ってますっ」

「っ……」


 弾んだ声と共に、朱実がこちらを抱き返してきたのに、茶々の鼓動はまた一つ跳ね上がろうとするのだが、己の忍耐を最大出力にすることで、どうにか彼女に悟られずに済んだ。

 その影響か、


「朱実……そ、その……」

「? どうしたんですか、茶々様」

「……ううん、なんでもない。改めて、プレゼントありがとね」


 その先にある想いを言葉に出すことは叶わず、茶々は、朱実から離れてしまった。

 ……本当に。

 その感情を自覚したのはごく最近(ACT89.8参照)だけど、子供の頃からずっと想っていたというのに、その一言が、茶々にとってはただただ難しい。

 気恥ずかしさと、恐れと、迷いとで。

 でも。

 それを乗り越えられないと、茶々にとっての将来の夢を達成できないという気持ちは、常々感じるところなので。


 近いうちに、その決断をしよう。


 先延ばしになっているあたりは、少々情けない気持ちではあるが……過去にも、そういうこともあったし。

 最終的に必ずやり切れたのは、茶々の自信でもある。

 だから。


 ――この決断も、実行も、必ず。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 本日も学業が終わり、帰宅してから。

 いつものように、茶々様が勉学のためにお部屋にお篭もりになられて、一時間の後。


「茶々様、お茶が入りました」

『ん、入っていいわよ、奈央』


 これもまたいつものように、茶々様のお部屋に私が紅茶を淹れてお部屋の戸をノックすると、中から弾んだ調子の返事が来ました。

 その調子から、今日は、とても上機嫌のようですね。


「失礼します。……おや、茶々様、大旦那様へのお手紙ですか」

「うん。早速、朱実からのプレゼント、使わせてもらってるの」


 この一時間はご自身の勉学ではなく、大旦那様――茶々様の祖父である万堂ばんどう琥太郎こたろう様への、お手紙をしたためていたようです。

 茶々様は定期的に大旦那様へのお手紙を書かれておりましたが、確かに今はその時期でしたね。


「朱実からもらったこの万年筆、非常に書きやすくって。それに最近、朱実だけでなくて、真白のことや、桐子や奈津、他にもいろいろクラスの友達が出来たから、書くことが多すぎてついつい枚数が嵩んじゃったわ」

「左様ですか」


 そして茶々様、今回は非常に筆が乗ったご様子。

 書いた手紙のボリュームは、A4用紙の五枚以上にのぼっております。

 親戚で、友達で、何より昔からお慕いしている朱実様からもらった贈り物であったり、様々な意味で目が離せない真白様との濃密な日々であったりで、今の茶々様の気持ちがとても充実していることでしょう。


「よかったですね、茶々様」

「うんっ」


 私が淹れたお茶を上品な仕草ですすりながらも、勝ち気に微笑む茶々様からは、非常に元気が漲っているように見えます。

 朱実様や真白様、その他様々なご学友がそうさせているという事実には、やはり、少々妬けてしまいます。

 ですので。


「そんな茶々様に、私からも、贈り物がございます」

「え?」


 ――少しだけで良いから、私にも目を向けていただきたい。


 そんな思いで。

 私は、自分でラッピングした袋を茶々様に差しだします。


「お誕生日おめでとうございます、茶々様」

「あ……ありがとう」


 少々虚を突かれた様子で、茶々様は呆けたような返事をしながら、私のプレゼントを受け取っております。

 そんな茶々様がとても可愛らしく、非常に抱き締めたい気持ちであるのですが、もちろんそこはしっかりと自重します。表情にも出しません。

 こういうことはこれまでに何百回もあったことですので、もはや慣れっこですね。


「開けてもいい?」

「はい。そのための贈り物ですので」

「ん……わ、手編みのマフラー」


 袋の中身を見て、茶々様は目を輝かせます。

 ……そんな茶々様も可愛らしくて、非常に抱き締め(以下略)


「これから肌寒くなっていく季節ですので。それにあたり、ご愛用していただければと」

「うん。っていうか、朱色ベースに白色模様が入っている、この細かい手の込みっぷり、相当苦労したんじゃないの?」

「茶々様のためならば造作もないことですよ」

「ふふ、涼しい顔で言ってくれちゃって。さすがは奈央、完璧な仕事の贈り物よ。この冬……いえ、来年も再来年もずっとその先も、ありがたく使わせてもらうわっ」

「お褒めに与り光栄です」


 どうやら、気に入っていただけたようですね。

 今ある茶々様の気持ちの充実に、これで私も少しは加われたと思うとホッとする気持ちで、私としてもとても満足です。


「では、私は夕食の支度がありますので、これにて失礼いたします。お茶の容器の回収は、後ほど」


 そう言って、私は踵を返して、茶々様のお部屋から出ようとするのですが。


「待って」


 ――トスっと。

 私の背中に、ちょっとした重みと、柔らかで温かな感触がやってきたのがわかりました。

 

「茶々様?」

「ごめん、奈央。聞いてほしいの」

「……聞きましょう」


 表情はわかりませんが、とても緊張したご様子でしたので、私はそのままの姿勢で茶々様の言うことに耳を傾けることにします。

 背中にある感触を、心地よく感じながら。


「今はまだ詳しくは言えないけど、茶々にはね、決めようとしていることがあるわ」

「左様ですか」

「ただ、そうすることでいろんなことが変わってしまいそうで、迷ってるし、怖いし、決めるまではちょっと時間がかかるかも知れない」

「……茶々様、それは」

「でも、茶々が前に進むために、どうしても必要なことだから。決めることになったその時は――あなたに、茶々のことを見守っていてほしいの」

「見守る、ですか。力になるのではなく?」

「誤解しないでね。奈央のことはもちろんこれから先も必要よ。ただ、これは……茶々の、気持ちの問題だから」

「――――」


 ――気持ちの問題。

 その言葉だけで、茶々様が何を決めようとしているのかを、そしてその時を迎えるのがそう遠くないことを、私は悟りました。

 同時に、私の中から溢れてくる疼きに、背中の感触の心地よさが塗りつぶされます。


 ああ。

 その長年の想いを、告げてしまわれるのですね。


「わかりました。茶々様、ゆっくり時間をかけてお決めになってください」

「ん……ごめんね、奈央。なんだか変なこと言っちゃって」

「いえ、よろしいのです。私はいつでも茶々様のことを見守っております」

「……それも、ありがと」

「では、私はこれにて失礼します」

「あ……その、奈央」

「? いかがされましたか?」

「……ううん、なんでもないわ。行っていいわよ」

「はい」


 茶々様がまだ何かを言いたそうでしたが、それについては考えず、私は茶々様の部屋を後にします。

 そして。


「…………はぁ」


 今もなお、私の中から生まれる疼きが、私に大きく息を吐かせました。


 彼女は、自分の気持ちに素直になって、前に進もうとしている。

 それに比べて、私は、どうだろう?


「…………」


 先ほど、彼女に誕生日プレゼントを渡したときの、あの笑顔を見た直後の満足感は、もう、ない。

 今や、私の胸中は切なさでいっぱいで。

 油断したら、それこそ泣いてしまいそうだ。

 でも。

 それでも。

 私は彼女のことを支え続ける。そうすることが、幼少の頃に初めて会った時から、決めていたことだから。

 たとえ自分の気持ちを偽ることになったとしても、それだけは続けようと思う。

 だから。



 ――茶々。

 あなたは私みたいに、自分の気持ちを偽らないでね。



 出てきそうになる呟きを、飲み込んで。

 なおかつ、胸の中の疼きがどうにか抑えこみながらも、私は夕飯の支度をするべく台所へと歩を進める。

 彼女の決断と同じくらいに、私も、そのすべてを受け入れないといけないのですが、やはり時間がかかりそうです。

 ……まったく、難しいものですね。

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