ACT101.3 二人が、未来に思うことは?


「やっほー、先輩」

「美白さん、やはりと言うべきか出てきましたわね」


 一時停車させてもらっている、マンションの駐車場にて。

 仁科朱莉は、車の窓の外から、学生時代の後輩である乃木美白の声を聴いた。

 今日は彼女の娘である乃木真白の誕生日で、今、自分の娘の朱実が誕生日プレゼントを乃木さん家に渡しに行っている。

 そこで美白が、娘達に気を遣って席を外すのは半ば予想できていたことなので、朱莉は苦笑ながら車の外に出たのだが、


「あら? 美白さん、今日はお化粧をしてませんの?」


 改めて美白の顔を見ると。

 先日に二十四年ぶりの再会をしてから、日を見つけてちょくちょく会っていた時とは異なり、今の彼女はまったく化粧っけのない状態であったのに、朱莉はちょっと驚いた。

 自分に会う度にいつも気合を入れていた印象だったというのに、今は気が抜けたアットホームといってもいい。

 そんな彼女に、朱莉はちょっとした懐かしさみたいなものを覚えたけども、


「ん、今日は真白ちゃんのお誕生日だから、仕事をお休みにしてたしねぇ」


 先に、美白の方から回答がやってきたので、そういう情緒は、ひとまず横に置いておいて。


「そうですか。やはり、娘さんの誕生日は大事ですものね」

「うんうん。あと、今日はアタシがお料理に腕によりをかけようと思って先日から準備してたから、今日はずっとお家なのっ」

「ふふ、いいお母さんをしてますわね。わたくし、感心しますわ」

「惚れ直したっ?」

「ええ、とても」

「……そこまであっさり返されると、ちょっとグッとこないなぁ」

「では、わたくしがどんなリアクションをすれば美白さんはグッときますの?」

「ん? うーん……もっとこう、『ベ、別に、あんたに惚れ直してなんて、いないんだからねっ』と赤面プイッをしてもらいつつ言ってもらえると……」

「美白さんはわたくしにどういうキャラを求めていますの?」

「うん、アタシも今想像して、先輩にそれはないなぁと思った」


 タハハと笑う美白に、朱莉も釣られて苦笑。

 こういう脈絡のない会話も、彼女と接していた学生時代では、もはや日常茶飯事なのだけど……これにもまた、朱莉は懐かしさを覚える。

 こんなにもこういう感情が湧いてくるのは――ああ、そうか。


「なんと言いますか、今のすっぴんの美白さんと向き合ってこういう会話をしていると、学生に戻った気分ですわね」

「え? そうなの?」

「はい。初めて面を合わせた時こそ、美白さんの女性的な魅力にわたくしも少々ハッとなったものですが、あなたとお付き合いを始めてからは、時折、わたくしだけに今のようなアットホームな素顔も見せてくださいましたから」

「え……あ、あはははは、そういえばそうだったねぇ」


 学生時代に、朱莉が美白と恋人としてのお付き合いをしていた頃のこと。

 休日に近所を散歩するときや、家にお邪魔したときなどは、こうして彼女は肩肘を張らない緩やかさを見せてくれる時があった。


「よくよく考えると、自分を飾るのに気合の入った美白さんもとても魅力的だったのですが、気の抜けた時の美白さんも親しみ深くて、わたくしはとても好きでしたのよね」

「うっ……改めて言われると、な、なんだかすごく照れちゃう……!」

「ああ、思い出しましたの。着飾ってるときはぐいぐい押してくる美白さんでしたが、飾っていないときはちょっと控えめで、こうやってわたくしが攻めの立場でしたわね。親しみ深さと可愛さでついつい抱き締めたくなっちゃうくらい、うふふ」

「や、やめてってば……!」


 朱莉が冗談で抱きついてみたりすると、学生の頃と変わらぬリアクションを見せてくれる美白。

 胸の中に溢れてくる、様々な愛おしい記憶の数々。

 変わらないものはないと言われてはいるが。

 二十四年経っても、変わらないものが一つくらいあっても良い、とこの時この瞬間、朱莉は思ったりする。


「……ねえ、先輩」


 ただ。

 朱莉のそういう懐かしい思いとは裏腹に、美白はその懐かしさに浸れないようで、少しだけ儚げな笑みを浮かべていた。

 彼女の言いたいことは、何となくわかる。


「なんですの?」

「今日、真白ちゃんが一つ大人になってさ、朱実ちゃんという大事な人が出来た今、なんとなく思うんだよね。あの子達と離れ離れになるときが近いうちにくるかもって」

「それは、そうですわね。あの子達も大人になれば、わたくし達の元から離れて二人の時をもっと増やしていくことでしょう」

「その時が来た後でもさ……先輩は、変わらないでいてくれる? こういう風に、時々、アタシと一緒にいてくれる?」

「…………」

「もう、あたしの前から居なくならないで、いてくれる?」


 思った通り。

 明るくハイテンションに振る舞っているように見えて、彼女のこういう寂しがり屋なところも、相変わらずで。

 そもそも、今このように自分に会いに来たのは、それを確かめに来たからなのだろう。

 先日に泣くことの我慢をやめた(ACT72.3参照)彼女は、近くない未来、一人になって、一人で泣いてしまうこともあるかも知れないし、その寂しさと涙を埋めることになるのは、朱莉の存在になることが多くなるんだと思う。

 もちろん、朱莉としてはその役を喜んで受けるつもりなのだけど、


「わたくしもですが、真白さんは、きっとあなたの前から居なくなりませんわよ」

「え……?」

「だって、あなたから目を離さずにいられないくらい、美白さんは良い母親ですし、イイ女性になってますもの。あなたが抱く寂しさよりも、笑顔でいる時間が長ければ長いほど、真白さんは、離れたとしても、離れませんわよ」

「……先輩」

「現に、わたくしがそうなのですから」

「――――」


 離れたとしても、離れない。

 二十四年離れ離れになったとしても、どんな形にしろ、彼女に再び会いたかった自分と同じように。

 彼女の大切な人もきっと、乃木美白とは心が離れない。

 そう思える。


「……そう、だね。ありがと、先輩」

「はい」


 それをわかったのか。

 ちょっと頬を赤くしながらも、苦笑でも儚げでもない、すっぴん特有の親しみ深くて可愛い微笑を美白が見せてくれたのに。

 あの頃のように、朱莉は己の胸の高鳴りを感じた。夫に悪いと思いつつも。


「先輩、大好きだよ」

「わたくしもですわ」

「愛してるといってもいいっ」

「ありがとうございます」

「だから、今ここでチューしてもいい? 昔のような、ものっすごいディープなやつっ」

「……そこはあまり調子に乗らないでくださると助かりますわ」


 すっかりテンションが元通りの美白に、朱莉は呆れた顔で釘を刺しておく。

 実は朱莉の中で少しだけ、そうしたいなという気持ちが生まれなくはないけど、そこは、彼女と同じくらい愛する夫と娘のために、自重しておくことにする。


「っと……朱実ちゃん、戻ってきたっぽいね。案外早かったかな」


 そうこうしているうちに、その愛する娘がマンションを出てこちらに向かってきている。

 今日はここまでのようだ。


「じゃ、またお話しようね」

「はい。その時を楽しみにしてますわ」


 そうやって、最後に笑顔で手を振ってお別れして。

 すぐそこで、朱実が美白と笑顔を交わしてから、こちらに向かってやってきた。


「お待たせ、お母さん」

「おかえりなさい、朱実。もっとゆっくりしていってもよかったですのよ?」

「ゆっくり……いや、その、やっぱり、お母さんを待たせるの悪いし、ね」


 顔を赤くして、なんだか妙に歯切れが悪い朱実。

 ……これは、確実に何かあったと、朱莉には一瞬でわかったが、今ここでツッコミを入れるのは野暮というものか。


「お誕生日プレゼント、真白さんに渡せて良かったですね」

「うん、送り迎えしてくれて本当にありがとうね。お母さんにはいくら感謝しても足りないよ」

「そこまで言われると、冥利に尽きますわね」

「だからね。――大好きだよ、お母さんっ」

「……ふふっ、わたくしもですわっ」


 小さい頃は恥ずかしがり屋だった娘も、彼女の娘の影響か、最近はとても素直に言葉を伝えてきてくれるのに、朱莉は嬉しさを隠せない。

 それと同時に。

 朱莉自身も彼女に負けないくらいに、朱実にとっていい母親、イイ女性でありたいと、心から願った。


   ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★ 


「お誕生日おめでとうっ、真白ちゃんっ」

「ありがとう、お母さん」


 親子二人、水入らずの誕生日会。

 腕によりをかけた夕食と誕生日ケーキをテーブルに並べながら、クラッカーを鳴らして華々しく祝ってみせるアタシに、真白ちゃんは照れ笑いを浮かべていた。

 我が娘ながら、とても可愛い。

 朱実ちゃんと会ってからはお化粧にも気にかけるようになってくれたから、その可愛さは去年の時よりさらに増したように思えるねっ。


「っていうか、ここまで量があると、食べきれるか不安ね」

「大丈夫大丈夫。残りは明日のお弁当にすればいいし、ケーキは冷蔵庫に入れておいても大丈夫なやつだから、時間をかけて食べようね」

「……確かに、なんだかんだで保存の利く料理が多いから、その辺りも考えている辺り、お母さんはやっぱりすごいわね」

「ふふふ、ありがとっ。まだまだ真白ちゃんに負けないつもりよっ」


 和やかな会話で食事は進む。

 アタシの仕事の関係で、二人で揃って夕食っていうのは数日に一度なんだけど、今もこうやって真白ちゃんと楽しく食事ができるのって、すごいことなんじゃないかと、アタシは最近思ってる。

 それを考えると、真白ちゃんはいい子に育ってくれたと思うよ。


「ごちそうさま」

「うん、おそまつさまっ」


 ちょっとした感慨を抱きつつも。

 程なくして食事も終わり、アタシは席を立って空になった食器を回収しつつ、


「アタシ、後片づけしちゃうから、真白ちゃんは――」

「いや、せっかくだから手伝うわ」

「ええ? 誕生日なんだから、今日は真白ちゃんはくつろいでていいのよ?」

「違うの。お母さんと一緒にお片づけ、したいの」


 と、真白ちゃんがアタシにくっつくように隣に立っていた。

 そんな仕草に、アタシはふと真白ちゃんの雰囲気に気づく。

 最近はわりとなかったことだけど、この子が小さかった頃は、それこそ毎日のように――


「……今日の真白ちゃん、ちょっとだけ甘えん坊さんね」

「う……」


 感じたことをそのまま言ってみると、真白ちゃんもそれを自覚しているのか、頬どころか耳まで赤く染まっていた。可愛い。


「し、仕方ないじゃない。いつまでこうできるかわからないんだし、今日もまた一つ、大人に近づいたと思うと……その……急に、お母さんを近くに感じたくなって」

「んー、真白ちゃんが今のアタシと年齢が同じになったり、お婆ちゃんになったりしても、アタシは別にいいんだけどなぁ」

「そ、それは流石に恥ずかしいからダメッ。そんなの、朱実や皆に笑われちゃうから」

「今はいいの?」

「今は、その、ギリギリセーフだから大丈夫っ」


 真白ちゃんの中で、線引きがあるらしい。

 そこもまた可愛いと思う。

 ただ、そうとなると、来年以降は甘えてきてくれないのかな……などと、アタシはちょっと寂しい気持ちになったけど、


「でも」

「? でも?」



「お母さんは、あたしにとって最高のお母さんだから。もし家を出ることになっても、お母さんにはずっと恩返ししていたい」



「――――」


 その言葉を聞いて、アタシは目を見開きつつも――先ほどの、朱莉先輩との会話を思い出す。

 離れたとしても、離れない。

 その通りだった。

 それもこれも。

 この子が、本当にいい子に育ってくれたのもあるけど。



 ――アタシも、この子のために、ちょっとは頑張れたからなのかな。



 そう思うと、心が温かになると共に、ちょっとだけ涙が出そうになっちゃったけど。

 それに負けないくらいに、アタシの中で、笑顔でありたい気持ちがとめどめなく溢れてくる。


「ふふ、そっかー。じゃあ、未来に恩返しされる分だけ、アタシは今から真白ちゃんをとっても甘やかしちゃうっ」

「え、ええっ、それじゃあたしの恩返しが終わりそうにないじゃないっ」

「いいじゃんいいじゃん。持ちつ持たれつよっ」

「それもそうかも知れないけど……!」

「というわけで、真白ちゃん。今日はお母さんと一緒にお風呂入ろうねっ」

「というわけって、どういうわけで……!?」

「一緒に入りたくない?」

「……入りたい、です」

「決まり。その後は、久しぶりに一緒の布団で寝よっか」

「ちょ、ちょっと、お母さん!?」

「一緒に寝たくない?」

「……何回も、言わせないで」

「ふふ、真白ちゃん、まだまだ甘えん坊さんだねっ」

「も、もうっ……!」


 そうやって、アタシは真白ちゃんをぎゅーっと抱き締めると、身体はとても大きくなったけど、抱き心地は昔のまま。

 その感触がある限り、いつまでもこの子はアタシの娘なんだと思えるし、真白ちゃんもあたしをお母さんだと思ってくれるんだろうな。

 だから、改めて、アタシはこう思える。


 真白ちゃん。

 お誕生日おめでとう。

 そして。

 生まれてきてくれて、ありがとうっ。

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