ACT101 一つだけ、大人になれた?


「いらっしゃい、朱実。さっきぶりね」

「うん。来たよ、シロちゃん」


 自宅マンションのインターホンが鳴るのを聴いたので、真白は玄関のドアを開けると、大きな手提げ袋を持った制服姿の朱実が、緊張した様子で笑顔を浮かべていた。

 そんな彼女のことを、真白は可愛いと思うのだけども、同時になんとなく、こちらも緊張してしまう心地になる。

 ……それもこれも、何故か、母が『ちょっと席を外すから~』と言って外に出ていって、自宅で朱実と二人きりというシチュエーションになったからだろうか。


「とりあえず……上がっていく?」

「うん。美白さんも、ゆっくりしていってって言ってたから、その、お言葉に甘えて」

「ああ、やっぱりお母さんに会ったのね」


 ひとまず、玄関先では何なので、朱実に上がってもらうことにした。朱実にリビングのソファに座ってもらって、真白は二人分のコーヒーを淹れてソファ前のガラステーブルに置いてから、


「ええと、隣、いい?」

「うん」


 一応、前置きをして、朱実の隣に座る。

 ……なんだろう、この緊張感。

 朱実が家にやってくるのは初めてのことではないし、帰り道を共にしていた時はあんなにも軽やかに会話できていたというのに、今はこんなにも、会話を切り出しにくい。

 何から、話せばいいものか……と思いつつも、この沈黙も如何ともしがたいので、とりあえず何かを話しかけなければ――



『あ、あの』



 と、思って真白が切り出そうとしたところ、朱実とタイミングが重なってしまった。

 なんだろう、何故かとても恥ずかしい。顔に熱を持っていくのがわかる。

 それは朱実とて同じなのか、頬が赤に染まっている。可愛い。


「え、ええと、朱実からどうぞ」

「いやいや、シロちゃんからだよ」

「あたしは別に、他愛のない話をしようとしただけだから」

「それをいうなら、わたしもだよ。沈黙はダメだと思って」

「そ、そうなの?」

「いやまあ、わたしとしては、目的はちゃんとあるから何を緊張してるんだって話になるけど、まずは、軽い世間話でそういうムードを作りたかったというか……」

「…………」


 ソファの傍らに置いてある紙袋をつつきながら、ごにょごにょと言いよどむ朱実。

 そうだった。

 前々から知っているとおり、朱実は雰囲気を大切にする娘で、真白はそういう彼女の作り出す空気を気に入っているのだ。

 だからこそ、こういう緊張感の中でというのは、朱実は違うと思ったのだろうけど……やはり、こうやって自宅のリビングで、しかも母に気遣われての二人きりという空間は、どうにも意識してしまいがちなので。


「朱実、ひとまず落ち着こう」

「ん、そうだね。二人きりっていうのは、これまで何度もあったことなんだし」


 ともあれ、二人して深呼吸。

 気負う必要はない。リラックス、リラックス……。


「ふぅ……」


 一分ほどお互いに気持ちを整え直して、改めて向き直る。

 真白は、朱実を正面から見て、


「よし、いつも通り、朱実は可愛い。大丈夫」

「……シロちゃんはいつも通り思ったことを口に出してるよ」

「? ダメだった?」

「ううん、その方がシロちゃんらしい」


 朱実は苦笑。

 でも、緊張が取れたのか、まだ少し頬が赤いままながらも、柔らかく微笑んで、


「改めて言うね、シロちゃん。誕生日おめでとう」

「うん、ありがとう」

「それで、これ、プレゼントね」


 そう言って朱実が手渡してくれる紙袋は、少し重い。何かの箱なんだけど、大きさも少々ある。

 なるほど、学校では渡せないものだ、というのは納得がいく。


「それもありがとう。……開けてみても、いい?」

「もちろん」


 一応、朱実に断りを入れておいてから、真白はいそいそと紙袋の中にあった包装紙を解くと、


「!」


 その箱のパッケージを見て、クワッと目を見開いた。

 胸の中から湧き上がる高揚を抑えきれずに箱を開けると、高揚通りのものが入っていた。


「ふぉおおおおおおおおっ! ダイヤモンドコートのフライパン12点セット!」


 大きなサイズの炒め鍋とフライパン、中と小の鍋二点にエッグパン、それぞれの大きさに対応したガラス蓋三点に、中と小用のシール蓋二点、そして鍋に取り外し可能のマルチハンドル×2。

 すべてがすべて丈夫で長持ち、主婦には大変売れ筋のフライパン12点セット。

 以前、市立図書館で知り合いの先輩である小森好恵と偶然会って、料理の話に花を咲かせていた時(ACT62参照)、調理器具で真白が欲しいと思い浮かべていたのが、最近古くなってきていたフライパンおよびお鍋の新品であったのだが。

 この朱実のプレゼントは、まさに真白の望みをすべて叶える、言わば魔法のセットである!

 これには、真白のテンションは大きく上がった。


「朱実、やばい、やばいわっ!」

「シロちゃん、ものの見事に大興奮だね」

「当たり前じゃないっ! 乃木家の料理事情に一つの革命が起こるわよ!」

「そ、そこまでのものなんだ。……よかったー、プレゼントの内容、藍沙先輩に相談しておいて」

「ありがと、朱実っ! 大切に、大切に使うわっ!」

「え? え、えへへ、それほどでも……」


 その手をぎゅうっと握って、未だに興奮気味の真白。

 手を取られている朱実は、プレゼントを気に入ってもらえてホッとしたのか、あと真白の絶賛を受け手なのか、顔を赤くしながら照れ笑いしている。

 そんな彼女のすべてが、とても可愛くて。

 そして、とても愛おしくて。


「わっ……」


 衝動のままに、真白は朱実のことを抱き締めていた。

 何度も味わった彼女の体温と柔らかさと、その奥から感じられる鼓動。それを感じた瞬間に、こちらもドキドキしてしまって、身体の中の熱がどんどん上がっていく。


「シロちゃん」

「朱実、好きよ。大好き」

「……うん。わたしも」


 抱き締めながらも耳元に囁くと、朱実は少し身を震わせながらも、こちらの背中に手を回して抱き返してくる。

 体温と鼓動の密着がさらに深まって、真白のドキドキと熱がさらに高まっていく。

 息が詰まって、でも心地よくて、どうにかなってしまいそうだ。

 そんな感覚を、数分ほど味わって……次にやってくる衝動は、やはり。


「朱実。キス、したい」


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 シロちゃんの言うことは、半ば予想していたことで。

 それは、わたしにとっても、今一番にやりたいたいことでもある。

 だから、一旦、抱き合うのをやめてシロちゃんを正面から見ると、ここ最近またさらに綺麗になった顔はとても赤くなっていて、その瞳は切なげに潤んでいて。


 ――パチッと。


 わたしの頭の中で、何かが弾けたような気がした。


「うん。キス、しよ」


 そう言って、シロちゃんが目を閉じるのも待たずに、わたしはその桜色の唇に自身を重ねる。

 最初はいつも通りに優しく重ねるだけのもので、シロちゃんも目を閉じたのか、その感触を受け止めてくれたけど。

 弾けたわたしは、それだけでは止まらない。


「ん……んんっ?」


 わたしは重ねる口をちょっとだけ開いて、舌で彼女の唇をこじ開けようとした。

 シロちゃん、少しだけ困惑したかもしれないけど、それにも構わず、わたしは隙をついて彼女の唇の中に侵入する。


「ん……ちゅ……」

「……ふ……んっ……んっ」


 今までのような浅くではなく、深くつながって、絡み合う舌と吐息と唾液。

 そんな未知の感覚に、わたしの頭はボーッとしてくるけど、まだ接触を続ける。

 やがて、シロちゃんは強ばっていた身体の力がへなへなと抜けたところで、ようやくお互いの唇は離れ、接合部からつつーっと唾液の糸を引いていた。


「あ……あか、み……こ、これ……」

「!」


 かろうじてといった体の、シロちゃんの声。

 口の周りの唾液を拭くこともなく、少し虚ろになりつつ少々涙の残る瞳でこちらを見てくるのに、わたしはようやくハッとなる。


「ごめん、シロちゃん。わたし、調子に乗りすぎて……!」

「う、ううん、いいの」


 衝動のままに、とんでもないことをやらかしてしまった気がして、わたしが慌てて取り繕うとするも。

 シロちゃんは、傷ついたとか気を悪くしたとか、そう言う負の感情を見せることもなく首を横に振って、


「ちょっとびっくりしただけで、別に怒ってないよ。それに」

「? それに?」

「今まで有耶無耶になってた(ACT61参照)けど、こういう朱実との大人のキス、ずっとしたかったから」

「……シロちゃん」

「今度は、あたしから、させて」

「え……ん、ぅっ!?」


 シロちゃんの虚ろだった瞳に驚くほどの熱気が点ったかと思えば、次の瞬間に、わたしは唇を奪われていた。

 先ほどのように……否、先ほどよりも、もっと深く繋がって、わたしは肩をピクンと震わせる。

 一瞬、後退りをしかけてしまったが、シロちゃんに手を握られて(しかも恋人繋ぎ)、それもままならない。


「ん……んっ……」

「ちゅ……ん……っ」


 その勢いに押されて、わたしはゆっくりとソファに倒れる形になるも、唇は離れない。

 わたしが仰向けになってもなお、シロちゃんの攻勢は続きに続き、甘い感覚がわたしの全身を貫いて、


「ふ、ん、んんんんっ」


 もう一度、肩どころか全身が震えて、次いで力がどんどん抜けていった。

 この感覚、初めてのように思えて――既に、何度も味わっている。わたしの部屋でぬいぐるみを抱き締めながら、シロちゃんのことを考えていた時などは、特に。

 そして、普段考えているときよりもそれ以上のものが、今来た。

 ゾクゾクとした甘さが、未だにわたしの全身を支配している。

 普段ならとても恥ずかしいことなのかもしれないんだけど。

 今のわたしは、この甘い感覚に気が高まっていて、そう言う羞恥心が不思議とない。


「あ……ふぅ……」

「? 朱実、大丈夫?」


 唇が離れて、シロちゃんが倒れたわたしを、覆い被さる形で見下ろしてくる。

 今のわたしの状態に気づいたのか、ちょっと心配そう。

 ……そんな顔しないで、シロちゃん。

 嫌じゃないの。

 むしろ、心地いい感覚なの。

 恥ずかしいという気持ちも、今なら抑えられる。

 それに、今日はシロちゃんの誕生日。


 一つ大人になった日に、あなたが、これ以上を望むなら。



「……いいよ、シロちゃん」



 ――わたしのすべてを、あなたに。

 そんな思いで、小さく、その言葉を口に出したんだけど。



「? いいっていうのは……なにを?」



 一方のシロちゃん、わたしの言葉に首を傾げていた。


「……ん?」

「ええと、もっとキスしてもいいってこと?」

「あ、ある意味、そうだけど……もっと、これ以上にすることとか」

「そんなのがあるの? でも、キス以上にすることって、一体なにを?」

「え」

「え」

「…………」

「…………」


 お互いに、目を点にしつつ見つめ合ったけど。


「――ああっ!」


 わたしは、重大なことに気づいた。

 そう。

 シロちゃんは、そういう知識がまったく無いのだった……!


「ど、どうしたのよ、朱実」

「ええっと……」


 未だに首を傾げているシロちゃんに見られて、わたしの気持ちがいくつか冷静になっていくと共に。

 今度は、今まで抑えられていた恥ずかしさがどんどん胸を溢れていって、顔どころか全身に熱を持たせていく。

 ど、どうしよう?

 これ以上は、一体、なにを説明すれば……っていうか、一から説明できるの? この場で? そんなこと、出来るはずが……!


「そ、そのう、キス以上のこととは、つまり……」

「つまり?」

「お互いに……その……」

「どうすればいいの? あたし、朱実の喜ぶことなら、なんでもするから」

「んんっ!? 今、な、なんでもって……!?」


 それは言わば、ものっすごく魅力的な言葉だったけど。

 生憎、それでわたしの羞恥心は限界を迎え、思考回路がショートして、


「ごめん……」

「? どうしたの、朱実?」

「やっぱり、もっとキスしていいって、意味です……」

「? そうなの?」


 ここまで来て、なんともヘタレな着地点を提示してしまいました。


「んー、さっきの大人のキスもいいけど、普段しているキスもしたいから、そっちでいい?」

「……それで、お願いします。もうたまりませんので」

「なんでさっきから丁寧語になってるのよ」

「ええと……あまり深く考えてくれない方が助かるよ」

「そう? ならいいけど」


 とまあ、そんな形で、一線を越えそうで越えなかったわけだけど。


「ん……」

「ふふ、やっぱり、これもいいよね。ずっとこうしていたいくらい」

「……そうだね」


 こうやって、ソファで押し倒される形で優しく重なるキスも、その後に交わされる笑顔のやりとりも、なんとも心地よくて。

 お互いに大人になっていく中で、まだそういうのは先延ばしで、ゆっくり歩く過程も大切にしたいなと思わされる、そんなお話。


 ……うん、ヘタレなのはわかってるけど、ね。

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