ACT92.5 弱くなる時も、あるんですかね?


「そんな感じで、アカっちは今日の午後を乗り切ってたんだってっ」

「ははぁ、誰かに支えながらの仮眠ですか。なんといいますか、いいですね、それ」


 最近、日が沈むのが早くなってきたと感じる、午後六時前。

 今日は女子バスケ部の練習が早めに終わり、黄崎桐子は少し物足りなく思いつつも家路につこうとしたところ……この時間まで残って、図書準備室で漫画の原稿の執筆をしていて、たった今帰る途中の緑谷奈津と偶然会ったので、わりと久し振りに、桐子は奈津を最寄り駅まで送ることになった。

 そんな大切な時間の中で、出てきた話題はというと、桐子がクラスメートの真白から聴いた昼休みの顛末である。


「そういえば、朱実さん、前もやってた気がしますねぇ。こう……確か、真白さんのお胸を枕にするという状況でしたか」

「あったあった。あれ、アカっちがものすごく気持ちよさそうだったよな」

「そうですねぇ。真白さんはあの通りの無意識ですし、大きさも形も整ってますので、朱実さんはさぞ心地よかったことでしょう」

「大きさや形でいえば、アカっちが今回枕にしていたらしい、茶々様も結構おっきいぞっ」

「ええ、そのようですね。あの背丈で何気に……くっ……!」

「どうした、おなつ? 急にトーンダウンしてるぞっ?」

「……いえ、その、もはや最後の希望がわずかである現実に、少々打ちひしがれてまして」

「お、おなつ?」


 話していくうちに、どんどん表情から明るさが抜け落ちていく奈津。見るからにどんよりしているのに、桐子は流石に焦った。

 仮眠の話はともかく、胸関連は総じて振ってはいけない話題だったかも知れない……!

 ちょっと後悔すると共に、ここからどう挽回するかを桐子は考える。

 と、いいつつも、普段あまり細かいことを考えないのが祟って、あまりいい策が思い浮かばない。

 どうしよう、どうしよう……!


「おなつっ!」

「は、はい? なんです、桐やんさん?」


 とにかく。

 奈津のことを元気づけたいあまり、考えるよりも先に、行動を起こそうとした結果。


「おなつも、ボクの胸に飛び込んでくると良いよっ!」


 そんなことを、言っていた。


「……はっ!?」


 もちろん、奈津はどんよりから一転、素っ頓狂な声を出しながら驚いて、しかも眼鏡がずり落ちてその奥の緑色の瞳が覗くことが出来た。

 桐子は、何度見てもその眼が綺麗で大好きなんだけど、今はその話題を出している場合ではない。

 奈津のトーンダウンが治まったのだから、ここは、畳みかけるように、


「ほら。おなつ、この前言ってたじゃんっ。普段はアクティブなボクだけど、ボクの胸にはものすごい癒し成分が詰まってるってっ(ACT20.5参照)」

「あ……は、はい、確かに言った記憶はありますが……」

「ボクは、いつでもおなつに元気でいてもらいたいからっ。シロっちや茶々様がそうしたように、ボクもおなつに胸を貸すよっ」

「そ、そうは言われましても、そのぅ……」


 テンションは戻ったが、今度は顔を赤くしながら小さ身体をもじもじさせて、二の足を踏んでいる奈津。可愛い。問答無用で抱き締めたくなるが、強引にいくのは駄目なので、ここは我慢。

 

「ほらほら、おなつっ。カムヒア」

「お……おおぅ……」


 腕を広げて、手招きしてみると、己の胸部にちょっとした振動を感じると共に、奈津がものすごくこちらを……というか、こちらの胸部を注視してきた。


「あ、あの、本当に、よろしいのでしょうか?」

「おうっ。おなつになら、喜んで。この前の時もちょっとだけ触ったんだから、遠慮するなっ」

「ううむ……桐やんさんがそこまで言うなら、その、お言葉に甘えて」


 時間をかけて奈津は首を縦に振って、それから眼鏡を外して大きく深呼吸。

 そんなにも緊張するものだろうか? とも思うのだが、奈津が自分の胸に飛び込んでくると考えると、こちらだってワクワクするし、ドキドキしたりするもするので、まあ、緊張するだろうと納得できた。


「では、い、行きます」

「おう、どんと来いっ」


 そのように、一つ、奈津は前置いてから。

 思い切って、顔面を埋めるかのように胸部に飛び込んできた。


「わ……」


 そして、そのままぎゅっと、奈津がこちらの背中に手を回してきたので、桐子も思わず、彼女のことを抱き締めるかのように、優しく包み込む。

 すると、どうだろう。

 奈津が自分の腕の中にいることで安らいだ気持ちになるのは想像の通りなのだが、その想像以上に……妙に甘い触感が、桐子の胸部中央を軸に広がっていくような気がした。

 電気が走ったかのようにピリッとなったり、ゾクゾクッとなったりする、未知の感覚。


「ふ、あっ……!」


 いつしか、自然と、そんな声が漏れていた。

 しかも。

 次々と漏れ出てきそうになって、押さえきれない。


「う……あ、ふ……やぁ……っ」

「え、き、桐やんさん?」


 気付けば、やんわりと桐子は奈津の肩を掴んで、自分の胸部から彼女の顔を解放していた。

 もちろん、これに奈津は驚いたようで、緑の瞳をまん丸にしているんだけども、どうしてだろう。

 今、桐子は、彼女の顔を正面から見ることができない。


「……ご、ごめん」

「いえ、自分はいいんですけど……それよりも、桐やんさんから聞いたことのないような声音が出てきたのが、少しびっくりと言いますか……」

「――――!」


 それ、奈津が言い及ぶと。

 またも、胸の奥から、もわっとした感情が溢れてくるのを桐子は感じた。

 これは、そう。

 彼女と初めてのキスをした時にもあった――言いようのない気恥ずかしさ。


「あ……あ~~~~~~~~……」


 そのためか。

 己の胸部を抱くかのように腕で隠しながら、桐子は、その場でへなへなとしゃがみ込む。

 情けない話ではあるが。

 普段からあんなにも足腰を鍛えているというのに、ちょっとした恥ずかしさだけで、桐子は腰が抜けてしまっていた。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


「き、桐やんさん?」


 桐やんさんが顔を真っ赤にしながらその場でしゃがみ込んでしまったのに、自分、またもびっくりです。

 あわてて眼鏡をかけ直して、自分も桐やんさんに目線をあわせて様子を見るも、しばらく立ち直れなさそうというのが、すぐにわかりました。


「ごめん、おなつ……その、急に、変になったんだ」

「は、はあ」

「さっきまでは平気だったのに、可愛くて大切なおなつが、ボクの胸に飛び込んでるという実感が、ボクの身体をとっても熱くして……変に、なっちゃいそうで、それであんな声が出たのが、理由もわからないのに恥ずかしくて……しかも、ちょっとお腹の下あたりが――」

「い、いえ、それ以上は結構ですっ! なんだかレーティングに引っかかりそうな気がしてきましたのでっ」


 慌てて、遮らせていただきました。危ない危ない。

 ひとまず、纏めてみますと。

 自分が桐やんさんのその豊満なお胸に飛び込むという行為そのものが、桐やんさんをちょっと過敏にさせてしまったようです。

 そして、その、なんですか。

 過敏状態になると、お胸がかなり弱くなるっぽいです。

 ……いやはやまさか、桐やんさんにそんなピンポイントな弱点があろうとは。

 もしこの先、ええと、桐やんさんと自分とで……ごにょごにょすることになったら、大変なことになりそうな予感がします。

 想像するだけで、自分も赤面ものなのですが――


「おなつ?」


 おおっと、いけませんっ。

 実にけしからん想像に思考を委ねるよりも先に、まずは、桐やんさんに向きあわねばっ。


「と、とりあえず、桐やんさん、立てます?」

「……もうちょっとだけ、無理かも知れない」

「!」


 向き合ったら向き合ったで、桐やんさんが節目がちで未だに視線をあわせられないという、非常に可愛らしいことになっていて。

 今度は自分が腰を抜かしそうになってしまったのですが、どうにか堪えました。

 数分前まではあんなにも存在感の大きな剛胆女子だったというのに、今や、儚さすら感じてしまう乙女みたいですね。

 もちろん、そんな桐やんさんの可愛い一面も発見できて、自分としては嬉しいのですけども、それはともかく。


「ごめんよ、おなつ。ボクはおなつのことを元気づけたかっただけなのに、ボクの方がこんなことになっちゃうなんて」

「あー、お気になさらずに。自分としては、充分に桐やんさんから元気をいただきましたので」

「……本当に?」

「はいっ。たったの十数秒でも、自分、もうピンピンですよっ。桐やんさんにワケてあげたいくらいですっ」

「…………」


 ワケてあげたい、という自分の発言に、桐やんさんは何を思ったのか。

 ようやく、こちらに視線を合わせてきたかと思えば、


「ん」

「え……き、桐やんさんっ!?」


 今度は、桐やんさんが、自分の……その、平べったい胸部に、額を置いてきましたっ!?


「ごめん、おなつ。嫌かも知れないけど、ちょっとだけ、このままで居させて」

「いえ、その、自分は別に構わないのですがっ! 桐やんさんはいいんですか?」

「いい」

「自分、桐やんさんみたいに立派なもの持ってないですよ? 一学期の桐やんさんの言うところの、ベビィミルクですよっ?」

「ベビィミルクでも構わない。ボクは、おなつがいいんだ」

「…………」


 いや、ベビィミルクの部分は否定してくださいよ……と、言いたいのですが、これは単なる自爆ですので、横に置いときましょう。

 桐やんさんが『いい』というのなら、自分は、自分のするべきことをしましょう。


「あ……」


 桐やんさんの頭に手を置いて、優しく抱き締めます。

 それが、とても心地よくて、幸せで、ドキドキして。

 ますます、彼女のことが好きになるような、そんな実感が自分の中で生まれてくる。そんな気がします。


「おなつ」


 そんな、まったりし始めた空気の中。

 桐やんさんが、自分の胸に額を置いたまま、自分のことを呼んできました。


「なんですか、桐やんさん」

「ボク、頑張るから」

「頑張るって、何をですか」

「今はおなつにこうしてもらってるけど、ボクもおなつをこうできるように、恥ずかしくならないように、頑張るからっ」

「それはその、とても嬉しいですが、自分のためにそこまでしていただかなくても」

「ううん」


 そう言って、桐やんさんは自分の胸から離れて、今度こそまっすぐに視線を合わせてきて、


「おなつのためだけじゃなくて、ボク自身がもっと、おなつのことを好きになるためにだよっ」

「――――っ!」


 まだ少し顔が赤いけど、いつもの桐やんさんらしい、元気な笑顔でそう言ってくるものですから。

 そんな眩しさを正面に受けてしまっては、


「…………はぃ。よろしく、お願いします」


 もう、いろいろと、たまりません。

 先ほどは彼女の可愛いところを見つけられて嬉しかったですが。

 やはり、自分は桐やんさんのそう言うところにも心惹かれていて、これから先も、ずっと焦がれていくんだと思います。


「っとと、もう大丈夫かな」


 それを再確認している間にも、どうやら、桐やんさんはすっかり立ち直ったみたいです。足腰もしっかりしています。

 よかった。


「じゃ、いろいろと脱線しちゃったけど、駅まで行こっかっ」

「はい。……桐やんさん」

「ん、なんだ、おなつ」

「自分も、負けませんよ。桐やんさんのこと、もっともっと好きになります」

「おおぅ……じゃあ、ボクはおなつをもっともっともっと好きになっていくぞっ」

「じゃ、じゃあ、自分はもっともっともっともっと――」


 とまあ、手を繋ぎながら、そんな風に笑い合って歩いている自分達は。

 傍目から見て、どう見えますかね。やはりバカップルですかね。

 でも。


 自分、今、とっても幸せですので。

 それで、いいのです。

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