ACT87 情報が多すぎでは?


「あら、真白ちゃんじゃない」

「おやおや、なんだか楽しそうなことをしているのです」


 奈津の漫画の作画モデル撮影も、一通りの段落が付きそうなところで、衣装室の入り口から二つの声がやってくるのを真白は聞いた。


「あっちゃん先輩と、ルー先生?」


 見ると。

 セミロングの髪に青い星のヘアピンがトレードマークの、小柄な二年生の女子生徒――真白の中学時代からの先輩で、憧れのお姉さんである戌井いぬい藍沙あいさと。

 亜麻色の長髪を二つ結びにした、赤色の瞳と愛嬌のある顔立ちで、白シャツに白衣姿の小柄な女性――この学校の養護教諭であるルーシルト・M・エアハルト、愛称でいうところのルー先生が、この衣装室に入ってきていた。


「とても凛々しい格好してるわね、真白ちゃん。よく似合ってるわよ」

「あ……そ、その、ありがとうございます」


 藍沙が柔らかく笑いながら言ってくるのに、真白、ちょっと照れてしまう。

 昔も今も、いつだってこの人に褒められるのはとても嬉しい。

 気分が舞い上がりそうになる、その傍ら、


「この中で、緑谷さんだけ制服のようですが……これは一体、何をしているのです?」

「えっとですね、ルー先生。これは自分の趣味に関わるものでして」

「ほほう。妙齢の女子にコスプレさせ、それを撮影して楽しむなどと、緑谷さんにそのような趣味が?」

「あの、話をいかがわしい方向に持って行くの、やめてもらえます……?」

「もちろん、冗談なのです。大方、士音しのんから演劇部の伝手を貸してもらって、漫画の作画モデル撮影といったところでしょう」

「察しているなら、最初から訊かないでもらえますかね。あなたという方は、いつも……」

「言わば、場を和ませるコミュニケーションというやつなのです」


 ルー先生の軽口に、奈津は少し頭を抱えていた。

 どうも、奈津は彼女と話す間柄であるらしい。それもそれで少し驚きだったが、何より、真白が気になったのは、


「それにしても、どうして、あっちゃん先輩とルー先生が一緒に?」

「ああ、真白ちゃんに言ってなかったわね。ルー先生は、わたしの部活の顧問なの」

「そうなんですか?」

「あー、ワタシはあまり乗り気ではなかったのですけどね。桜花ちゃんに頼みこまれて、仕方なく」


 桜花ちゃんとは、副部長である鈴木すずき桜花おうか先輩のことだ。

 真白自身、彼女とは一度会ったことがあり、いろいろといい話を聴かせてもらったことがある(ACT55参照)。

 あの人の朗らかな押しの強さは知っているが、ルー先生も彼女にはかなわなかったといったところか。


「仕方なくとか言ってるけど、ルー先生、とっても頼りになる人なの。面倒事には小言を言いながらも手を貸してくれるし、部員がピンチの時は必ず守ってくれるしで」

「はいはい、煽てても何も出ないのですよ。それよりも藍沙、さっさと用事を済ませてくるのです」

「? 用事って?」

「十一月の文化祭で、部で出店をやることになっててね。演劇部に着ぐるみを一着貸してもらうように話を付けたから、今日はその選定に来たの」

「出店、ですか。ちなみに何の?」

「んー、まだ決まってないのよね。誰か一人着ぐるみ着用なのが決まってるだけで」

「ちなみにワタシは、藍沙が選定した着ぐるみの。貸し出しの書類申請のための付き添いなのです。いやはや、こういうことにも書類が必要とは、学校の手続きとは七面倒くさいものですね」

「ルー先生、文句言わないの」

「わかってるのですよ。待ってますので、藍沙はさっさと選んでくるのです。自分の着用物ですので、しっかりと合いそうなのをね。その辺、手を抜いちゃダメなのですよ」

「え……あっちゃん先輩が着るんですか?」

「…………じゃんけんで負けちゃってね。ま、こればかりは、やるっきゃないから」


 自分が着るという事実に、藍沙、どよーんと重たい空気を醸し出したものの……その雰囲気を長く保たせずに、衣装室の着ぐるみコーナーへと足を向けていく。

 その切り替えの早さ、さすがは真白にとって尊敬する先輩である。見習いたい。

 ともあれ、藍沙がこれから見る着ぐるみは、大小様々二十着くらいあるので、選定には時間がかかりそうだ。


「というわけで、撮影の邪魔をして悪かったのです。ワタシ達のことは空気だと思って、キミ達は続けてください」

「ふむ……エアハルト先生、少々よろしいでしょうか」

「え? 奈央さん?」


 ルー先生が見学モードに入ろうとしていたのだが、そこで。

 今まで黙って見守っていた奈央が、彼女に声をかけていた。


「ん、あなたは確か……」

「はい。先日この学校に転入してきた、一年二組の紺本奈央と申します」

「そう、紺本さんでしたね。学校にはもう慣れましたか?」

「おかげさまで」

「結構なことなのです。それで、ワタシに何用なのです?」

「はい。緑谷様の描かれる漫画の、メイドと執事が仕えているお嬢様キャラの作画モデルに、エアハルト先生は合致するのではないか、と勝手ながら思い立ちまして」

「ワタシが?」


 奈央の言葉に、亜麻色のセミロングの髪の二つ結びのうち一つを指で弄りながら、ルー先生は首を傾げる。

 確かに、朱実と同じくらいの小柄な体格に、西洋人形のように愛らしい顔立ちは、着飾ればそれっぽく見えるかも……というより、絶対に見えると、真白は確信できる。


「確かに、ルー先生なら体格も容姿もイメージにピッタリかと思うのですが……」


 ただ、作者の奈津の方は、『うーむ』と気乗りしないようだ。


「え? おなつさん、ピッタリなら、迷う必要はないんじゃない?」

「ええとですね……年齢面で、本人がきつく感じないか心配で……」

「年齢。あの若々しさがあれば、そこまで問題ないのでは?」

「いえ、その。ルー先生はああ見えて、もうすぐアラフォー――」


「――わざわざ聞こえるように言うあたり、緑谷さんには後で何かしらの制裁が必要のようなのです?」


『……っ!?』


 ズン、と。

 放課後の緩やかな空気の室内が、一気にマイナス温度に冷却されるかの如く雰囲気を纏いながら、ルー先生が発してくる圧力に。

 当事者の奈津はともかく、真白も、奈央ですらも、ビクリと大きく肩を震わせる

 にんまりとシニカルに笑いながらも、目が笑っていない。しかも、コメカミには怒りマークが浮かんでいたりする。

 そんな風に、いろいろ尋常ではないルー先生の空気だったのだが、


「……まあ、このまま断るのもワタシの沽券に関わるので、少々待っているのです」


 そんな尋常でない圧力をたったの一秒で終わらせて、大きく息を吐いてから、衣装室の一着を適当に見繕って試着スペースに入っていった。

 どうやら、奈津の意志に関係なく、モデルを受けるつもりらしい。

 ともに、冷却された室内の空気が、またも緩やかな放課後のものに戻っていったのに、真白は、思い切り力が抜ける心地だった。


「び、びっくりした……一瞬、すごかったわよね、今の」

「……あの方は、一体何者なのでしょう? あれだけの気を発せられる方は、私もそうお目にかかったことがないのですが……」


 ルー先生のお着替え中、真白と奈央と奈津は顔を見合わせる。

 先ほどの圧の影響か、三人そろって、顔色はよろしくない。


「ううむ。自分としても、結構謎の多い人なんですよねぇ」

「謎って?」

「はい。拝島先輩からお聞きしたところ、拝島先輩のお父様の旧友であるというのと、あと、ああ見えて既婚者なんだそうです。ミドルネームの『M』は旦那さんの名字から取られてるそうで、しかも今年五歳になるお子さんがいらっしゃるんだとか……」

「え、あの可憐な容姿で既婚者で、しかも経産婦けいさんぷだっていうの……?」

「他にも、これは噂なのですが……昔は霊能力者をやっていて百鬼夜行を相手にしていたとか、異世界転移したことがあってそこでもブイブイ言わせてたとか、得意技はIフィー●ドバリアだとか……まあ、いろいろ囁かれてます」

「妙に安直な少年漫画みたいなお噂ですね……と、言いたいところですが。先ほどの雰囲気を考えれば、あり得なくもないと思わされますね」

「っていうか、情報、盛られすぎじゃない?」


 ほとんど半信半疑と言った状態で、三人で話していたところ、


「よいしょっと。これで、どうなのです」


 着替え終わったのか、試着スペースのカーテンが開く音がした。

 これには、三人とも少々肩を震わせて、おそるおそる彼女のいる方を見ると。


「な……!」

「これは……っ……!」


 言いしれぬオーラを纏う、西洋の御令嬢が、そこに存在していた。


 真紅のリボンで二つ結びにして両肩に垂らしている亜麻色の髪、黒いフリフリの長袖ワンピースドレスといったゴシック&ロリータコーデに、何処から持ってきたのか、フリルの付いた白の日傘を差している。

 少々丸みのある顔立ちには愛嬌が存分にあふれ出ており、鈍く妖しい輝きを放つ赤色の瞳は、どこまでも、こちらの視線を釘付けにする。


「――お嬢様、ご機嫌如何でしょうか」


 だからこそ、気が付いた時には。

 真白は、自然とその御令嬢の前に膝を付き、恭しくお辞儀をしていた。


「ま、真白さん、落ち着いてくださいっ。お嬢様ではありませんっ。その人、単なるルー先生ですのでっ」

「いや、その……こうしないといけないという気持ちが、自然と働いっちゃって、ね」

「『ね』ではなくっ。奈央さんからも何かを言って……って、奈央さんっ!?」


 奈津が奈央に何かを言おうとするのだが。

 奈央も奈央で、キビキビした足取りで御令嬢に歩み寄っており、


「……いけません、私が、仕えるのは茶々様、ただ一人だけというのに……身体が、勝手に反応して……っ……!」

「奈央さん、しっかりして!?」

「――お嬢様、ご命令を」

「奈央さ――んっ!?」


 意志を奪われたかの如く。

 御令嬢に仕える、精密機械のようなクールメイドと化していた。


「ふぅむ……昔にキュウくんから教わったもくの魅了術式、少々効果が強かったですかね……」

「え、ルー先生、今なんと……?」

「なんでもないのです。さて、それっぽい椅子はないので、そちらのパイプ椅子で我慢しましょうか。ワタシはここに座ってっと……ああ、執事の乃木さんはこちらで、侍女の紺本さんはこちらに立っててもらって」


 愕然とする奈津を余所に、そのご令嬢……もとい、ルー先生は、室内の隅っこから持って来たパイプ椅子に腰を下ろしつつ。

 左には執事真白を、右には侍女奈央を傍らに侍らせながら、


「んむ、作画とすればこんなイメージでしょうか。緑谷さん、いつでも撮影OKなのですよ」

「……あのう、ルー先生。これ、何処から突っ込めばいいんですかね」

「細かいことはいーのですよ」

「しかも、そのエラそうな座り方、完璧に悪役令嬢……」

「何か、言いましたか?」

「っ! い、いえ、何も。……なんだか予定していたストーリーが変わってしまいそうな勢いですが、撮らせていただきます」


 もう一度ルー先生の笑みに晒された奈津、戦々恐々である。

 ……本当に、あっちゃん先輩の部活は、変な人……もとい、個性的な人ばっかり集まってるのね。

 部員だけでなく、顧問までも。

 ギクシャクと撮影が進む中、今もなお、ルー先生の傍らに立ちながら、真白はぼんやりと思う。

 ただ、助っ人にいった日やその後の宴席を思い返す限り、ああいう人達だからこそ、ルー先生みたいな変人……もとい、クセの強い人物にしか、まとめられないのかもしれない。

 そう考えると、少々納得いく気持ちでもある。

 毒を持って毒を制す、とは誰が言ったものか。


「……ええと、これ、どういう状況?」


 と、選定を終えたらしい藍沙が、大きな犬の着ぐるみを抱えながら戻ってきたのだが。

 今のこの真白達の光景に、神妙な様子で呟いた。


「おお、藍沙、あなたも撮影に混ざってみるのです? その、わんこな着ぐるみ着用で」

「ルー先生、これ以上、自分の漫画を混沌に染めるの、やめてもらえませんかね?」

「でも、着ぐるみのあっちゃん先輩、可愛いと思うから、お嬢様に懐く大きな犬みたいな感じで、何とかならない?」

「なりません! 真白さん、ここぞとばかり天然ボケを発揮しないでもらえます!?」

「こういう混沌な状況も、緑谷様にかかれば名作になってしまうと、私は疑っておりません」

「奈央さんはちょっと過大評価の度が過ぎてませんかねっ!? ああもう、なんですか、このボケの量っ!? 自分、さすがに捌き切れませんよっ!?」

「……みんな、ルー先生のペースに乗せられちゃダメよ」


 突っ込み過ぎのためか涙目の奈津と、苦笑する一人冷静な藍沙。

 そんな、わいのわいのとした状況を生みだした張本人である、ルー先生はと言うと、


「いやー、楽しいですねぇ」


 未だに椅子にエラそうに座りながら、のほほんと状況を楽しんでいた。

 なおかつ、



「――この青春、ワタシがから。キミ達は、存分に楽しむといいのです」



 優しい笑みで、そのように呟くところに。

 ルー先生のその小さな身体に言いしれぬ大きさと強さが存在するのを、真白は感じたような気がした。

 多分。

 この人が養護教諭として助けてくれることが、藍沙の部にとって、何よりこの学校の生徒にとって、何よりも頼もしいことなのかもしれない、と。

 真白は、思わずにはいられない。

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