ACT75 日常に突然現れた者とは?


「やっぱり朝はこれよねぇ」


 夏休みが終わり、今日から二学期が開始である。

 長い休みの明けということで、まだ少し気持ちを切り替えられず、弛緩した雰囲気の生徒が多い朝の通学路。

 乃木真白は、その弛緩の雰囲気の中にあって、わりと良好なテンションである。

 それもこれも、


「うーん、夏休み中も結構やってた気がするけど、やっぱり朝にシロちゃんとこれするのも格別だよねぇ」


 真白の腕に絡むちょっとした重み――制服姿の、小柄な女生徒。

 最高の友達であり、最愛の恋人である仁科朱実と一緒に、恒例の『補給』を行っているからだろうか。

 その実、朱実の言うとおり、夏休み中もくっつきながら歩くことは多かったけど。

 やはり、朝の通学路というシチュエーションが、真白にはしっくりくる。朱実もそう思っていることだろう。


「なんだか、平日は、朝にシロちゃんとこうすることで、どんな日でも乗り越えられそう」

「そうね。この高校三年間はもちろん、高校卒業してからその先も、大人になってからも、お婆ちゃんになっても、朱実とこうすることで元気でいられそうね。その一つ一つが大切で、なおかつ楽しみで仕方がないわ」

「…………シロちゃんが、またサラッとものすごいことを言っている」

「え? そういうことじゃないの?」

「……そういうことだけど」


 腕に抱きつきながら、顔を赤くして俯く朱実に、真白は少し首を傾げる。

 思ったことを率直に言っただけなのだが、朱実には結構ツボだったらしい。

 あの、先日に行ったプロポーズの予行演習(ACT73参照)を思えば、これくらいどうってことはないと思うのだが……まあ、朱実は恥ずかしがり屋さんなので、そういうこともあるのだろう。そこもまた可愛い。


「ん……?」


 と、朱実の可愛さにホワホワ和みつつ、下駄箱のある昇降口が見えたところで、真白はふと気付く。


 ――入り口付近で佇む、同じ女子制服姿の長身の少女に。


 丁寧に切りそろえられているショートシャギーの黒髪、整った鼻筋と細面は、一目で美人と分かる。

 少々切れ長の目は今は何故か伏せられているが、眠っているというわけでもないようだ。

 華奢ながらも身体のメリハリはよく、背筋はピンと伸びており、腋を締めて両の手を下腹部あたりで組むその様は、まさに古式ゆかしき高級デパートの受付嬢といったイメージの佇まいだ。

 その上。


「……あんなにも美人なのに、同級生、か」


 胸の校章の色を見れば、真白達と同学年の一年生、というのがまた驚きである。

 そんな、目を引く美しさを持つことから、道行く生徒は、必ず目を奪われてしまう。

 もちろん、真白もその一人であったのだが……他の少女に目移りというのも良くないのでは、と思い直して、朱実の方をふと見ると。


紺本こんもと奈央なおさん?」


 朱実は朱実で、違う意味で驚いたようで。

 少々目を見開きながら、彼女の名を呟いていた。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


「え? 朱実、知ってるの?」

「うん……」


 シロちゃんが訊いてくるのに、わたしはほぼ放心状態で答える。

 わたしの記憶の中の彼女よりも、さらに美人度が増していて、背もさらに高くなって……うん、元々あった胸もさらに成長してるけど、それも納得できるくらいに、間違いない。

 紺本さんが、何故ここに?

 今、彼女は英国に居るはずなのに、何故、日本の、小さなこの町に?

 しかも。

 彼女が、ここにいる、ということは……!



「あら、そこにいるのは朱実じゃない。久しぶりね」



 後ろからやってくる、聞き覚えのある声。

 聴くのは、実に五年ぶり。

 振り向くと――紺本さんと打って変わって、五年前とあまり変わらない姿の彼女が居た。

 背は低い。わたしよりも。

 低いのだが……胸部の方は、わりとそれなりに育ってらっしゃるのが、夏制服なのでよくわかる。

 それ以外、栗色の長髪をツインテールにしているところとか、そのもちもちしたまん丸ほっぺの顔立ちとか、勝ち気で頑固な印象の釣り目とかは、私の記憶の頃より、まったく変わっていない。


「ちゃ、茶々様……!?」

「様?」


 彼女の名は、万堂ばんどう茶々ちゃちゃ

 わたしの家である仁科家は、さる高貴な財閥の分家の末席として存在していて、まあそこそこ上流の家庭ではあるんだけども。

 ――万堂グループは、その高貴な財閥のそのものであり。

 つまるところ。

 万堂茶々様は、その、とっても高貴な家の、ご令嬢である……!


「ふふふ、いい感じに戦慄しているわね、朱実。いいわその表情、ゾクゾクしちゃう」

「あ、いや、その、何故茶々様がここに……!」

「いいじゃない、細かいことは」


 そういって、茶々様はSっ気たっぷりのニヤニヤ顔でこちらに近づき、クイッと、わたしの顎に触れてきて、


「それよりも朱実。この茶々の前で、昔のように鳴いてごらんなさいよ」

「うぬぅ……!」

「子猫の鳴き真似、上手かったでしょ? 茶々は、久しぶりにその鳴き声を聞きたくてたまらないわ」

「そ、そうは言われましても……!」

「さあ、早く……って、いたたたたたっ!?」


 そんな風に、昔そのままの勢いで迫ってくる茶々様だったのだが……ガッシと、彼女の手首を、つかみ上げる手があった。


「いきなりやってきて、あたしの朱実に何をやってくれるの?」


 シロちゃんだ。

 茶々様の突然の出現に呆気に取られていたけど、どうも、わたしに向かってSっ気たっぷりに迫る様子には、腹に据えかねたらしい。

 シロちゃん、声に、ものすごく怒気をはらんでるよ。


「な、なんなのよ、あなた! 茶々にこんなことをして、タダで済むと思ってるのっ!?」

「黙りなさい。そちらこそ、タダで済むとは思わないことね。そのツインテールをカタ結びにして、ハンマー投げスイングで遥か彼方に投げ飛ばしてあげようか?」

「ぐ、ぬ……な、奈央!」


 と、茶々様は、昇降口――そこで佇んでいる、紺本さんに呼びかける。

 それを聴いた紺本さん、少々息を吐いたように見えたが……。



「――今、お助けします、お嬢様」



 グッと、足に力を溜めたかと思えば、


「――――!?」


 一足飛びだけで、十五メートルあった距離を縮めてきた。

 速い。昔も彼女のピンチへの駆けつけ具合はスゴかったけど、それとは比べものにならない……!

 そして、その速さを持って、紺本さんは手刀で、シロちゃんの、茶々様の手首をつかみ上げる手を――


「ん」

「!」


 弾こうとしたところ。

 シロちゃんはその手刀を、もう片方の手で無刀取りで防いでいた。事も無げに。

 あの速さを見せた紺本さんは充分にスゴいんだけど、それに反応したシロちゃんも、これまたスゴすぎる……!

 わたしは当然だけど、茶々様もこれには仰天していた。


「……なんと」


 そして。

 紺本さんも、少々驚いたようで、閉じていた両目の片目だけを、驚きに、見開いていた。

 ものすごく綺麗な紺色の眼だった。……初めて見た。


「あなたも、朱実にちょっかいをかける気かしら」

「いえ。私としましては、お嬢様を離してさえいただければ、あとはどうとでも」

「そう。……ねえ、そこのちっこいの」

「な……なによ、っていうか、ちっこい言うなっ!」


 未だに手首を取られてる茶々様、噛みつくかのようにシロちゃんに言うも、シロちゃんはそれを無視して、


「これから先、朱実にさっきみたいなちょっかいをかけないこと。わかったわね?」

「だ、誰に向かって言ってるのよ! なんで、あなたにそんなこと――」



「――わかったわね?」



「ぃ……!?」


 シロちゃんの凄みたっぷりの忠告に、茶々様、かろうじて悲鳴をこらえた。

 あの泰然自若、唯我独尊ともいえる茶々様が、圧倒されている……!?

 これもまた、初めて見た……。


「わ、わかったわよ」

「よろしい」


 渋々といった茶々様の了承に、シロちゃんはあっさりと茶々様を解放する。

 離された茶々様、手首を押さえつつ、わなわなと震えて、


「こ……こ、これで勝ったと、思わないことねっ! いくわよ、奈央っ!」

「はい、お嬢様」


 わりと涙目で、ズンズンと昇降口の方へと進んでいく茶々様と、それに付き従って歩き出す紺本さん……と、思いきや、


「……仁科様」

「あ、はい、なんでしょう、紺本さん」

「お久しぶりでございます」


 紺本さんがこちらに向かって丁寧に頭を下げてきたのに、わたし、ちょっと恐縮しちゃう。

 そう。茶々様の他にも、この人とも、わたしはいくつか顔見知りである。


「そ、そうだね。お久しぶり。元気してた?」

「おかげ様で。ですが、久しぶりの再会だというのに、この度は、お嬢様が仁科様に大変な失礼を」

「あ、いや、そこまで気にしてないから。茶々様のフリーダムっぷりは、今に始まったことじゃないんで」

「そうですか。ともあれ、またあとでお詫びに伺います。……そして、そちらの方」

「? あたし?」


 紺本さん、今度はシロちゃんに向き直る。

 先ほどの悶着から、シロちゃん、少々警戒も露わに身構えるのだけど、


「お嬢様の粗相を止めてくださり、非常にグッジョブな働きでした」


 その警戒とは裏腹に、紺本さんから賞賛の言葉をいただいた。サムズアップのおまけ付き。

 これには、シロちゃん、ちょっとガクリとなったようで、


「え、ええと……」

「普段はああいう風に我が儘放題ですが、根は優しい方ですので。これからは、どうか良いお付き合いをお願いいたします」

「? これから……?」

「はい。実は――」

「奈央! 早く来なさい!」


 紺本さんが事情を話そうとするよりも早く、ズンズンと先に進んだ茶々様から、どやしつけるような呼びつけがあったので。


「お嬢様がお呼びですので、私はこれにて」


 そのように言い残して、紺本さんは音もなく立ち去っていった。まるで風のようだ。

 ともあれ、残されたわたし達、ちょっとまだポカンとなっていたんだけど。


「……朱実。結局、あの二人、なんだったわけ?」


 ややあって、シロちゃんがようやく口を開いた。

 さっきのような立ち回りもあったが、未だにシロちゃんは困惑気味だ。……まあ、無理もないかもね。


「ううむ、説明すれば、長くなるんだよね。しかも、どうしてあの二人がここにいるのかも、わたしにはわからないし。だから、わたしのわかる範囲で、ちょっとずつでいい?」

「ん、わかったわ。あたしとしては、朱実がちょっかいをかけられなかったら、あまり気にしないし」

「うん。……だから、どんな形であれ、シロちゃんが守ってくれて、嬉しかったよ」

「当たり前じゃない。朱実のこと、誰よりも大切だもん。朱実のピンチは、絶対あたしが守るから」

「……わたしも、シロちゃんがピンチだったら、絶対放っておかないよ」

「ふふ、ありがと」


 お互いに見つめ合って、笑い合う。

 先ほどまでは茶々様のこともあって微妙だったけど、今はすっかり元通り。

 多分、今ここが通学路じゃなくて、人の目もなければ、絶対にここでキスする流れだったろうなー……などと、のんびり考える余裕も出来たところで、


「ん……? メール?」


 わたしのポケットにある、スマホに着信があった。

 開いてみると、着信一件。

 送り主は、お母さんから。表題は『告知』とだけ。


「…………えっ!?」


 そして、開いてみると、



「――万堂グループ、社長解任、および人事再編?」



 その、本文に書かれていたことは。

 わたしを驚かせるには、充分な内容であった。

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