ACT74.7 彼女と接して感じ取ったこととは?


「お疲れさま、紫亜ちゃん」

「は、はいっ。ありがとうございますっ」


 夏休み最後の日の、午後の昼下がり。

 ほのかなインクの匂いが漂う図書準備室にて、斎場さいじょう紫亜しあは、自分より二つ年上の先輩で――片思いしている女生徒、拝島はいじま士音しのんから、そのように労いの言葉を受けたのだった。


「なんだか悪かったわね。この夏は、原稿の手伝いばかりさせて」

「悪かったなんて、そんな、とんでもないっ」


 高校三年生であるにも関わらず、受験は何の心配もないと豪語する拝島先輩は、九月末のイベントでも新刊を出すらしい。

 それを決めた時から、紫亜は、週三、四日くらいのペースで、アシスタントとして彼女の作業を手伝っていたのだった。


「それにしても、私としては紫亜ちゃんが居て本当にいろいろと助かっちゃったけど、紫亜ちゃん、大変だったんじゃない?」


 作業机で向かい合いながら、少々くつろいだ様子の拝島先輩がそのように言ってくるのに、紫亜は座って背筋を伸ばしたまま、


「い、いえっ、そこまではっ。作業も苦じゃなかったですし、それに、拝島先輩やおなつさんとの作業中で、いろんな技術が覚えられるのって、結構楽しかったでしゅしっ」

「そうなのよねぇ。この一ヶ月でベタ塗りから始まって、小物の効果や、トーンまで覚えちゃうんだもん。奈津が『ぐぬぬ』ってなるのも止むなしだわ」

「は、はあ……」


 拝島先輩にそう言われて、紫亜は、初めてスクリーントーンの仕上げをを一ミリのズレもなく出来た時の、同級生の少女――緑谷奈津の反応を思い出す。

『こ、このままでは紫亜さんに追い越されてしまう……! い、いけません、これはいけませんよ……自分、もっと努力せねば……!』とワナワナ戦慄していたのは、記憶に新しい。

 ちなみに、奈津は現在、夏休みの宿題が結構残っているとのことで、今日はこの図書準備室には居ない。

 七月中に宿題を完了させている紫亜と拝島先輩には、無縁な問題ではあるのだが……それはそれとして。


「うーん、それほどでもありませんって、おなつさんには言ったんですけどね……」

「それほどでもありすぎてるから、奈津がさらに凹むのよ」

「うっ……」

「まあ、このまま続けていったら、アシスタントではなく本家でも充分通じるんじゃないかしら。私が保証するわ」

「で、でも、ストーリーとか、まったく思いつきませんのでっ。デザインもあんまり出来ませんし。そ、それに」

「? それに?」


 オウム返しに問うてくる拝島先輩。

 真鍮眼鏡越しの切れ長の瞳が、きょとんとなってる。とっても、綺麗。

 その美しさに、紫亜は自分の胸の高鳴りをはっきりと感じて、言葉に詰まりそうなのだが……ここで黙ってしまうのも変なので、頭に思い浮かぶことを、出来るだけ、正直に。



「私は、拝島先輩のお傍に居られれば、それだけで充分ですので」



「え……」


 この言葉を聞いて、拝島先輩が固まるも。

 紫亜の中で、それを皮切りに、どんどん言いたいことが溢れてきて、


「お慕いしている人と夏の時間を過ごすのって、どんな感じかって、本当に去年まで分からなかったんですけど」

「…………」

「なんだか、楽しいとかそれだけじゃなくて、キラキラしてて、ほわほわしてて」

「……………………」

「先輩の笑ってる顔、先輩のちょっと怒ってる顔、先輩の困った時の顔、先輩の原稿を頑張りながらも楽しんでる顔……いろんな表情を感じ取れたのが、すごく嬉しくて」

「………………………………」

「先輩の感情に釣られて私もそうなってて、同じ時間と感情を共有出来るのって、とってもとっても、素敵なことだなって――」

「…………して」

「――って、え?」


 と、どんどんどんどん溢れてくる言葉を外に出している最中、紫亜は、ふと気付く。

 対面の拝島先輩が、作業机に肘をつきつつ少々頭を抱えて俯いていた。


「……その、勘弁して」

「え? え?」

「いや、まあ、紫亜ちゃん、よくそこまで恥ずかしい台詞を連発できるなって。……さすがに、私も、平静ではいられなくなっちゃうわ」

「?」


 ポツポツとした拝島先輩の呟きに、今度は紫亜の方が少々首を傾げる番になるも。

 改めて、さっきまで言っていたことを思い返してみると……――


「……!」


 確かに。

 ちょっと、大胆すぎた……!


「あ、あ、あの、ごめんなしゃい! わ、私、ついつい、おみょ……思ったことが止まらなくて、そのう……!」

「……ああ。ちょっと暴走してたって、自覚はあるのね」

「で、でも、拝島先輩との時間が素敵だったってことは、うしょ、しょ、う、うそではなく、こういう時間がもっとありゃ……あ、れば……あれば……いいかな、って……」

「さっきはスラスラ言えてたのに、今は台詞カミカミね。……相変わらずのこのギャップが飽きないわ」

「あうぅ……ご、ごめんなさぁい……」


 大胆なことを言い過ぎたのと、今の上手くものを言えない現状に、紫亜、余計に何も出来なくなってしまう。

 そんな紫亜の様子を、頭を抱えた状態から復活した拝島先輩が、苦笑ながら見ているのが分かる。

 ダメだ、顔の熱を隠せない。

 いろいろ踏み込みすぎた上での、この体たらく。


 私、絶対、先輩に変な子だと思われてる……!


 紫亜、羞恥心の大津波である。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 本当に、この子は見ていて飽きない。

 台詞を噛んだり、詰めを誤ったりすることも多ければ、時折大胆になったり、漫画の技術ではスゴい伸びを見せたりする。

 全部が全部、この子の個性であり、長所であるし。

 まだまだ、いろんな可能性を見せてくれるのかもしれない。

 だから、私は。


「――ねえ、紫亜ちゃん」


 この夏、私の原稿を手伝ってくれたお礼をしよう、と以前から決めていたのと。

 この子の可能性を、もう少し見たい、という気持ちから。


「あぅ……な、なんでしょうか、先輩」

「これから、ちょっと、お出かけしない?」

「え……」

「――言わば、デートよ」

「っ……!?」


 紫亜ちゃんに、そう、提案していたのだった。

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