ACT73.55 その手を引いていいですかね?
「本当にここでよかったのか?」
「ええ。人混みだと、花火の鑑賞に集中できそうにありませんので」
なんとか二人の間が落ち着いて。
花火が打ち上げられる河川敷の場からは距離が離れている、町と町とを結ぶ大橋付近の斜面で、桐子と奈津は腰を落ち着けていた。
迫力には欠けるが、ここからでも花火は充分によく見える距離だ。
そのためか、予めここで花火を鑑賞する人も結構居たりするが、ほとんど人でぎゅうぎゅう詰めのあの場よりはずっと快適な空間である。
「それに、あんなに人がいっぱいだと、眼鏡なくすと大変っぽいですし」
「でも、まだかけたままっていうのは、勿体ないよなー」
「……もう少し気が落ち着いたら、外しますよ」
そして。
現在の奈津は、待ち合わせ時の美少女モードではなく、伊達眼鏡をかけた普通モード。
先ほどの桐子のガン見のためか、まだちょっと落ち着かないらしい。
さっき言ったとおり、これはこれで可愛いのだけれども……やはり失態だなぁ、勿体ないなぁと感じつつも。
それはそれとして。
「んー。ボク、去年まではあの人混みの中で鑑賞してたのかぁ。遠くから見ると、なんだかスゴいなっ」
「そうなんですか?」
「うん。こう、ぎゅうぎゅう詰めでも、押し負けないように踏ん張ったりしてさ。これが、バスケのゴール下争いとかに必要な、足腰の鍛錬にもなったりしてたんだっ」
「おお。桐やんさん、パワフルですねぇ」
「バスケの鍛錬も出来る、花火も楽しめると、一石二鳥だったなっ」
「それを考えると、今回は自分は足手まといでしたかね……」
「そんなことはないぞ、おなつっ。今回は、おなつと楽しむことこそがボクの一番だからっ」
「っ! き、桐やんさんが、また落ち着かないことを……!」
「え?」
「……なんでも、ありません」
こちらから顔を背けて、耳まで赤くなりながら、奈津はごにょごにょとしている。可愛い。
以前までは、こういう状態の奈津のことを、あまり気にしていなかったのだが……桐子としては、奈津のことに関しては、気付ける人間になりたいと思うので。
おなつ、この言葉は嬉しかったのか。覚えておこうっ。
と、桐子、頭にインプットしつつ。腕時計を見ると、午後七時半の一分前。
「おなつ、始まるぞっ」
「あ、はい」
もうそろそろ花火が打ち上がる時間なので、わくわくとした心持ちで、桐子は空に注目しようとするのだが。
「あ、あの、桐やんさん」
「ん、なんだ、おなつ」
「手……握ってて、いいですかね」
「!」
隣の奈津が、いきなりそんなことを言ってきたので、わくわくがドキドキになった。
桐子、奈津の不意打ちに、落ち着かない心地になるも……空から目を離せず、と言うより、奈津に視線を合わせることが出来ず、それでも、
「……これで、いいか」
「はい」
手探りで、彼女の手に触れて、一本ずつ手指を絡めて優しく握る。
思っていたよりも、ずっとちっちゃな手。ところどころペンダコがあったりするけど、それでも、柔らかくて、温かくて……自分と同じドキドキが、その手指からも伝わってくる。
共有される、同じ気持ちと、体温と、そして――
ひゅーるるるる……パパパパーン!
音と共に、満開する、夜空の彩り。
花火大会の始まり。
続々と咲いては散っていく、夜空の花。
歓声に湧く、観衆達。
そんな賑わいの中にあって、
「綺麗ですねぇ……」
「うん」
桐子と奈津は、それだけを囁き合いながら、花火に見入る。
そんな時が、十分くらい、連続しただろうか。
少しだけ夜空の花に小休止が入ったところで、
「おなつ?」
ふと、彼女の手を握っている方の、肩の辺りに重みがやってきたので、見てみると――奈津は、眼鏡を外して、頭をこちらの肩に預けていた。
「……その、落ち着きましたので」
「そっか」
「あと……ちょっと、周囲の方々もそんな雰囲気だったので、乗ってみちゃいました」
「え?」
奈津の言うとおり。
二人が立つ周囲には、わりとカップルが多い。初めて気付いた。
手を繋ぎ合っていたり、今、自分と同じく肩を預けたり預けられたり、あとは――
「……
「え、こ、
「…………して?」
「! ……は、はい」
ちゅーに及んでいる男女の二人も、一組居たりする! しかも、隠れているつもりで、まったく隠れていない……!
これには桐子、己の鼓動が跳ね上がるのを感じた。
周囲からみると、数多くいるカップルに、自分達も数えられているということなのだろうかっ……!
「……桐やんさん」
「は、はいぃっ!?」
そんな雰囲気の中で、今もこちらの肩に頭を預けている奈津に呼ばれると、桐子、緊張のあまり裏返った声を出してしまった。
「そんなにも驚かなくても」
「え、あ、いやー、あはははっ」
「桐やんさん、ものすごく眼が泳いでますな」
「そりゃ、気付いたら……意識しちゃうよ」
「そうですねぇ。…………桐やんさんも、乗ってくれていいのですよ?」
「!」
そんな言葉を聞いたのには、思わず、桐子は奈津を見る。
言葉の通り、奈津は、緑の瞳でこちらを見ている。……吸い込まれそうで、動けなくなってしまうくらいに、綺麗だ。
なおかつ、今の奈津は眼鏡を外した美少女モードなので、見ているだけで、鼓動が加速する、加速する、加速し続ける……!
ゴクリ、と桐子は息を呑んだ。
彼女が何を期待しているか、一発でわかる。
いいのか、と桐子は己に問いかける。
いい、と奈津は無言で言っている。
……前も抱いたような、こんな思考(ACT42.75参照)
ともかく。
以前は、桐子からは、ダメだったけど。
今なら。
この場の雰囲気と。
彼女の綺麗さに。
引き込まれるように――
パパパパパパパパーン!
「!」
「!」
と、重なっていこうとした矢先に、爆音が鳴り響くと共に、再び空が明るくなった。
小休止から、花火が再会したようである。
「あ……は、はは、花火、見なきゃ、ね」
ギクシャクと、桐子は鑑賞に戻ろうとするのだが。
「――これの、後に、ですよ」
「え……」
と、握っている手を引いてきて、桐子が少しだけバランスを崩した隙をついて。
――奈津は、こちらの唇に、その桜色を重ねてきた。
「……っ!」
一ヶ月前、終業式の放課後にも味わった、甘く、柔らかな感触。
頭の中が真っ白になりそうな、幸せの瞬間。
「ん……あぅ……お、おなつ……」
「……普段、自分は、あなたの明るさに引っ張られていますが。前回と同じく、こういうときは自分が手を引く番だと、思いまして」
「………………は、はぃ」
その瞬間は、実に五秒ジャスト。
目前の奈津が、フフ、と赤くした顔に照れ笑いを浮かべる。
未だに何も言えないで居る自分とは裏腹に、とても大人っぽくて、何度も身を持って思い知った、美しい彼女の微笑。
ああ。
――本当に、思っているよりも、ずっと、とっても、強い子だ。
たぶん。
将来、桐子はずっと、彼女に頭が上がらないかも知れない。
でも。
だからこそ。
黄崎桐子は、緑谷奈津を、もっと好きになる。
未だに咲き続ける夜空の花の下で、そんな気がしてならない桐子だった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
いやー……。
こう、いざという時だけ思いきれる自分、なんなんですかね。
そして。
やった後に、悶え苦しみそうになる自分、なんなんですかね……!
現在、花火大会が終わり、桐やんさんに駅まで送ってもらっているのですが、自分も、桐やんさんも、花火が終わってから一言も喋れてませんよ。
いや、まあ、険悪ではなく、ものっすごい甘ったるい空気ではあるのですが、これもこれで恥ずかしさがやばいんです……!
どうしましょう、どうしましょう……!
「そ、そうだっ、忘れるところだったっ!」
「ひゃっ!?」
駅まで残りわずかと言ったところで、桐やんさん、わりとうわずった声で何かを思い出したようでした。
声音に先ほどの、その、キスの余韻が残りまくりですが、それでも桐やんさんはどうにか気をしっかり持って、ハンドバッグの中身を探って、
「おなつ、これっ」
「え……」
「誕生日、おめでとうっ」
こちらに差し出してきたのは、丁寧にラッピングされた小さな紙袋でした。
「わ……あ、ありがとう、ございますっ」
「うんっ。おなつの、誕生日だから」
「それを言うなら、桐やんさんもですよ。……自分も、すっかり忘れるところでした」
桐やんさんから紙袋を受け取ってから、自分も慌てて、持っていた巾着から、同じく小さな紙袋を取り出す。
「お誕生日、おめでとうございます」
「お……わ、ちゃんと用意してくれたんだなっ」
「桐やんさんのお誕生日ですのでっ」
「台詞とられたっ!?」
「その、それは、勢いでっ」
「なんだそりゃっ。……ぷ、はは、あはははは」
「ふ、ふふ、えへへへ」
とまあ、よくわからないテンションで、プレゼント交換があって。
なんだかそれが妙に可笑しくて、先ほどのキビキビした空気が溶けていって、自然と、笑いがこみ上げてきました。
……は~~、どうなるかと思いましたが、元の空気に戻れてちょっと安心です。桐やんさんも、そう思っているかも知れません。
「ふぅ……ありがとう、ございます、桐やんさん。その、開けてみてもいいですか?」
「おうっ、こちらこそありがとなっ。ボクも、開けちゃってもいいかなっ」
「もちろんです」
緩やかな空気のまま、自分達は紙袋の封を切ります。
果たして、出てきたのは――
「おおぅ、バスケ用のリストバンドっ。今使ってるのが古くなってるから、ちょうど欲しかったんだっ!」
「蝶の髪飾り……こ、これまた、お洒落なチョイスを……!」
桐やんさん、喜んでいただけたようで何より。
そして、自分がもらったものは……ううむ、なかなかに恐縮する思いです。この髪飾りが似合う女性になるには、まだまだ日が必要になるような――
「おなつ」
「え?」
と、自分、まごまごしそうになったところで、桐やんさんが呼んできます。
見ると、早速、自分のプレゼントしたリストバンドを、生き生きとした笑顔で右手首につけてくださっているようで、
「ボクはこれで、バスケの練習をしてるときも、試合をしているときだって、おなつを近くに感じることが出来ると思うんだっ」
「桐やんさん」
「だから、おなつ。おなつもマンガを頑張っているとき、それで、ボクを近くに感じてくれると、嬉しいなっ」
「――――」
本当に、この人は。
どこまで、自分を引っ張ってくれるのでしょうか。
先ほどのキスの時は、自分が引っ張っていったというのに……やっぱり、自分はこの人にかなわないようです。
でも。
だからこそ。
「もう……あなたのこと、ますます、好きになっちゃうじゃないですかっ」
「うんっ。ボクも、おなつのこと、めっちゃ好きになってるよっ」
そうやって。
――会えるときは少なくても、会えたときは、あなたのことをもっと好きになる。
自分、そう思わずには、居られないのです……!
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