ACT73 今からでも、予行演習しておく?
「いやー、終わった終わった」
「おつかれさま、朱実」
「うん、シロちゃんもおつかれっ」
夏休みも、残すところあと十日。
市内の図書館の片隅で、真白と朱実は学校から出されていた宿題をすべて消化し、解放感に浸っていた。
勉強道具を片づけながら、
『ふぃ~~』
真白、長く吐息したところ、隣の席にいる朱実と息を吐くタイミングが重なったためか、
「……ぷっ」
「ふ、あはは」
なんだか可笑しくて、二人して笑い合う。
先ほどの集中の時間とは打って変わって、緩やかな空気が心地いい。
「案外早く終わったわね。もっと長引くものかと思ったけど」
「あらかじめ、二人で計画立ててたからねー。週に一回は必ず、こうやって二人で一緒に宿題してたし」
「うん。ここまでスムーズにいったのは、本当に朱実のおかげよ。主導して目標を決めてくれたし、わからないところを教えてくれたし、それが解ければ必ず褒めてくれたしで、毎回やる気も充分の状態だったのよね」
「え、わたしはシロちゃんのおかげだと思ってるよ。シロちゃんのやる気に引っ張られるところなんて何度もあったし、その日の分が終わって図書館を出た後のシロちゃん手作りのお菓子タイムなんて最高だったし……っていうか、アレのおかげで毎回勉強会が楽しみだったもん」
「それをいうなら、朱実が」
「いやいや、それならシロちゃんが」
とまあ、お互いを褒め合うこと、約五分。
「――そこのお二人」
『!』
中肉中背、真鍮眼鏡をかけた事務制服姿のナイスミドルともいえる男性――この図書館の名物である司書さんが、いつのまにか真白達の席の傍らで立っており、こちらに向かって爽やかな笑みを浮かべていた。
この笑みを見て、真白も朱実も肩を震わせる。先日、この人に、微笑ながらものすごい圧のある注意を受けた経歴(ACT63参照)があるだけに。
もしや、声量は控えめにしていたつもりが、ついつい夢中になりすぎた……?
という思いで、二人とも、ゴクリと息を呑まざる得なかったのだが……そんな二人の空気を察したのか、司書さんはささやかに手を振り、
「いえいえ、そこまで身構えていただかなくても結構です。注意をしにきたわけではありませんから」
「あ……そ、そうなんですか」
「びっくりした……えっと、それじゃ、わたし達に何か御用でも?」
「左様でございます。先日、そちらの彼女に渡しそびれたものがあったのを思い出しまして」
「わたしに? ……って、あ……!」
朱実、何か心当たりがあったのか、肩をビクリと震わせたのも束の間、
「つきましては、こちらを」
ズパッと出されたのは、小冊子のようであった。
そういえば、朱実、この前にも渡されていたような、という思いで真白もその小冊子の表紙を覗き見てみると。
「――――!」
プライダルジュエリー専門店の、カタログ小冊子であった。
これには、朱実だけでなく、真白もちょっとだけ顔に熱を持った。
つまり、彼が勧めているのは――
「この冊子で大きな特集を組まれているお店でも、私の旧知の友が働いておりまして。将来、お二人で身につけるリングを決める際には、是非ともそこで相談されては――」
「し、シロちゃん、今すぐここを出よう!」
「え? あたし、ちょっと詳しく話を聞きたいんだけど」
「まだ聞かなくてもいいのっ。ほら、早く!」
「ちょっと待ってて朱実。ええと……とりあえず、冊子はもらっておきますね?」
「はい、どうぞ。――お幸せに」
「あ、それはどうも」
「シロちゃん!」
「え、あ、置いてかないでよ、朱実。待って」
とまあ。
顔を真っ赤にしてズンズンとした足取りで先に進む朱実に、真白は一礼してからその後を追う。
そんな風に騒がしい二人ながらも、司書の男性は、変わらず爽やかな笑顔でこちらを見送ってくれていた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
「まったく、あの人はもう、まったくっ!」
図書館を出て少し歩いたところにある、町の自然公園の並木道。
残暑が柔らかめであるか、まばらに人通りのある道をズンズンと歩きながらも、わたしの顔の熱は引くことはない。
「そこまで怒らなくていいでしょ、朱実」
そんなヒートアップ状態のわたしの隣を、シロちゃんは涼やかな顔をして歩いている。
わたしとはまるで正反対だ。
「それだけ、あの人はあたし達の仲を祝福してくれてるってことでしょ」
「っ……で、でも、なんだか、余計なお世話っていうか、そういうことされるのは苦手というか」
「確かに結構先の話かもだし、過程とかいろいろ飛んじゃってるかも知れないけど、こういうの、参考になるとも思うの」
「……シロちゃん、本当に迷いなく受け入れてるね。恥ずかしくなったりしないの?」
「そりゃ、ちょっと恥ずかしいけど、大丈夫。朱実は、あたしの最高の彼女だから」
「っ!」
それに加えて、先ほどからずっと、シロちゃんが大胆発言を連発してくるものだから、わたし、そっちの方でも熱を持っちゃう。
あー、なんだか、夏の暑さも相まって、頭がクラクラしてきたよ……。
「ううむ……」
……細かいことを考える、わたしがおかしいのかな。
でも、やっぱり、まだシロちゃんみたいに堂々と公表するというのも、なんだかまだ、わたしの心の踏ん切りがつかない……と言いつつも、わたしが迷っている間にもシロちゃんはどんどん前に進んでるし、その隣に立つために、わたしも腹を括らないといけないのか……いや、だが、しかし……。
「朱実、大丈夫?」
「ん……ちょっと、いろいろ考えることが多すぎて、頭がパンクしそう……」
「そ、それは大変ね。どうする? 気分が優れないなら、今日はもう帰る?」
「……やだ。まだ昼前だし、時間もたっぷりあるから、もっとシロちゃんと一緒に居たい」
「!」
と、悶々とする傍らでシロちゃんの心配に答えていると、何故か、隣から少し息を呑む声。
それが気になって、わたしは、ふとシロちゃんの方を見ると……シロちゃんが、目を見開きながらこちらを見ている。心なしか、頬も赤い。
はて? わたし、何か拙いことを言ったのかな?
「どうしたの、シロちゃん」
「いや……朱実の方から、そういう直球な言葉を聞けるのって、なんだか珍しいなって」
「え?」
「ほら、朱実ってどちらかというと雰囲気を大切にするから、こう、いきなり言葉で刺してこられると、なんだかグッと来てしまったわ」
「…………」
照れながら、シロちゃんは言葉を紡ぐ。可愛い。
……和むのは程々にしておいて、先ほど、わたしは何と言ったか。
記憶を手繰り寄せると――
『まだ昼前だし、時間もたっぷりあるから』
おっと、戻りすぎた。
もう少し、その後。
『もっとシロちゃんと一緒に居たい』
……わりと無意識だったけど。
確かに、よくよく考えると、今はちょっと、少し恥ずかしい台詞だった知れない。
でも。
わたしにとっては、それが答えのような気がする。
「そっか……もうちょっと、自分に正直になりさえすれば」
「? 朱実?」
「シロちゃん」
「なに?」
「――大好きだよ」
「な……!」
そのいきなりの言葉を受けて、シロちゃん、目を見開いて息を呑み、ボッと顔を赤くしている。
言えた。
ちょっと恥ずかしいけど、案外大丈夫。
……なんとなく、わかった気がする。
こうやって開き直れば、どんなことだって言える気がするし、恥ずかしいと思う気持ちさえも克服できる。
ならば。
さっき少しだけ余計なお世話と感じてしまった、あの司書さんの後押しさえも、上手く利用することだって……!
「だからシロちゃん、わたしと、け……」
「あ……うん? け?」
「け……け……けっ……!」
「な、なに? 毛? なんの?」
「そ、そうじゃなくて、その、わたしと、け……あうううううううう……」
……はい、無理でした~。
先ほどから高まっていた熱もあって、わたし、頭を抱えながらその場でしゃがみ込んでしまった。
どうやら、そこまでするには、わたしの思い切りがまだ足りてくれていないみたい……。
「朱実、どうしちゃったの? いきなり大胆なこと言ってきたり、何かを言いかけて凹んじゃったり」
「いや、まあ、ちょっとシロちゃんにあやかって、いろいろやってみようと思ったんだけど……」
「え? あたし、そんなのだっけ?」
「…………そういうところも、わたしはシロちゃんに届かないよ」
こうやって崩れ落ちてしまえば、今まで大胆に踏み込んでいった分だけ、恥ずかしさが倍返しの如く押し寄せてくる。
しばらく、立ち直れそうにない。
今、シロちゃん、どんな顔してるかな……呆れているのかな……変な子だと思われてないかな……思われてるだろうなぁ……ああもう、慣れないことをするんじゃなかったよ……。
「なんだか、いろいろ悶々としてるようだけど……朱実の言いたいことは、なんとなくわかったわ」
「……え?」
と、そんなわたしの落ちていく思考とは裏腹に、かけてくるシロちゃんの声はどことなく優しい。
これに、わたしは顔を上げると、たった今、シロちゃんがしゃがんでこちらに視線を合わせてきて、
「でもね、あたしみたいにしなくても、朱実はあたし以上にあたしのことが好きって気持ち、ちゃんと伝わってるよ。その、朱実の作る雰囲気で」
「雰囲気?」
「うん。さっきも言ったけど、朱実って、雰囲気を大事にしてるでしょ? とってもふわふわしてて、そこに居るだけでドキドキしちゃうような、そんな感じ」
「……そ、そうかな」
「あたし、そんな風に作ってくれる朱実の雰囲気、大好きなのよね」
「――っ」
大好き、と言う言葉に照れると共に、わたしは少しだけハッとさせられる。
シロちゃんの良さは、その無意識による大胆さなんだけど。
それに負けないくらい、わたしにも良いところがあって、シロちゃんがそれを好きと言ってくれてる……?
そういえば確か、先日、従姉妹の
「だから、そんな風に朱実と居る雰囲気があるからこそ、さっきの司書さんの後押しも踏まえて……ちょっと、予行演習しておこっか」
「え……」
と、わたし自身が気付いてなかった長所を自覚しきれないうちに、シロちゃんがそんなことを言ってくるのに、ざわ、とわたしの胸が騒ぐ。
これは、まさか……!
わたしが戦慄で肩を震わせた矢先、その胸騒ぎの通りに。
「朱実……いえ、仁科朱実さん」
シロちゃん、こちらに片膝をついて、両の手のひらを上に向けるジェスチャーをしながら、
「――あたしと、結婚してください」
そう、言われた瞬間。
わたしには、現在空になっているシロちゃんの手のひらの上に。
――ケースに収められた指輪が、ハッキリと見えたような気がした。
「――はい」
だから。
ほぼ、自動的に。
そう、返事していた。
「…………」
「…………」
「……………………」
「……………………」
そして。
わたし達、お互い、目を見開いて見つめ合いながら、固まった。
お互い、頬を中心にして、顔全体に、やがて首から下、全体までをも真っ赤にしていく。
「あ……」
「……う」
動けない。
わたしは、シロちゃんが無意識で放った大胆な言葉に対して。
そしてシロちゃんはおそらく、わたしの、雰囲気たっぷりの返事に対して。
――同時に、恥ずかしさに染まっている。
わたしは当然のことながら、先ほど大丈夫と言っていたシロちゃんですら、どうもこれは限界値を超えていたようで。
つまるところ。
この、予行演習は。
わたし達には、まだちょっと早すぎた……!
「ああああああぁぁぁ……」
「ううううううぅぅぅ……」
お互い、もう顔を見られない。
わたしは顔を押さえて、シロちゃんは頭を抱えて、その場でしゃがみ込んで悶えに悶える。
しかも、ここ、自然公園の並木道のど真ん中なので、もちろん通りがかる人達もいるわけで。
――周囲から感じる生暖かい視線に、わたし達の羞恥心、倍率ドン、さらに倍である。
『~~~~~~~~……』
もはや、言葉にならない。
二人とも、しばらくこのまま動けそうになかった。
動けそうになかったけど。
――とっても、幸せ。
それだけは、わたしの中での、確かだったよ……。
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