ACT72.3 二人が、確かめたい大事なことは?


「そっかぁ……真白ちゃんは、最後まで泣かなかったんだね」


 墓参りの翌日。

 真夏だけど、今日は日差しも気温も柔らかめの昼下がり、町の自然公園のベンチにて。

 最愛の夫は出張延期中で不在、最愛の娘は今日もお友達とお出かけと言うことで、少々空白の時間を得た仁科朱莉は、かつての最愛だった女性――乃木美白と会って、昨日の顛末について話したのだった。

 なお、美白自身、現在お店がお盆休みであり、昨日、今日、明日は休みとのこと。


「とても立派に、真白さんはその御方と向き合ってましたわ」

「そう思う? だって、アタシの自慢の娘だもん。……遠回りだったけど、いつか、そうしてくれると信じてた」


 苦笑する美白。

 朱莉にとってこの人は、いつもハイテンションな方であるのだけど、今は少し感慨深げなのか、わりと控えめである。


「わたくしも、このお話については、美白さんに直接会う前から、メールのやり取りでお聞きしてましたが……真白さんも、美白さんと同じくらい、その御方のことを大事に語ってらっしゃいました」

「ん、そうなんだ。やっぱり、真白ちゃんにとっても、雄輝くんはそれだけ大きい存在だったんだねぇ。たった半年間の出会いだったのに。なんだか妬けちゃうわ」

「……わたくしも、違う意味で彼に少し妬いてしまいましたが」

「え?」

「なんでもありませんわ」

「と言いつつ、実は全部聞こえちゃってるんだよねぇ。もしかして、朱莉先輩、雄輝くんにヤキモチ? そんだけ、アタシのこと、まだまだ愛しちゃってる? どう? どうなのっ?」

「美白さん、今ので好感度がだだ下がりですわよ」

「あうちっ」


 前言撤回。

 やはり、どんな時でも元気な人だった。

 朱莉、心配して損をした気分である。

 ……というか、


「こういうことをお訊きするのも何ですが。美白さんは、その、橙野さんが亡くなったとお聴きした時は、泣きませんでしたの?」

「ん、そうだねぇ。誰かに突然居られなくなっちゃうのは、三度目だもん。もう慣れっこだったわ。一人目は、もちろん朱莉先輩。二人目は、真白ちゃんを授かってからすぐに何処かに蒸発しちゃった、もう顔も見たくないアンチクショウ。そして、雄輝くんが三人目」

「……いろいろとかける言葉がありませんわ」


 苦笑する朱莉。

 その、二人目のことについては少し気になったが、朱莉は詳しく触れないようにしておく。人には、触れてはいけない傷がある、という思いが言葉の端々に感じられたから。

 それはともかく。

 

「ただ」

「? ただ?」

「先輩と違って、本当に、もうこんな風に会えないっていう事実と、真白ちゃんがあんなにも泣いちゃったのを見てたら……やっぱり、ダメージがなかったわけじゃ、ないかな」

「……美白さん」

「でもね。こういう時こそ、頑張らなきゃって思ったの。例え一人でも、真白ちゃんのこと、守りたいって思ったの。だから、アタシはすぐにでも、雄輝くんが亡くなった事実に向き合えたんだと思う」

「――――」

「アタシは、真白ちゃんのお母さんなんだから、それくらい――……って、せ、先輩?」


 と、美白が言い掛けていたところで、朱莉は居ても立っても居られなくなって、隣に座る美白に抱きついていた。

 そして、彼女の感触を直に感じ取っただけで、わかる。


 ――微かに、ほんの微かに、彼女が震えているのを。


 身体は自分よりも大きいのに。

 今は、とても、とっても、彼女を小さく感じた。


「美白さん、学生時代はとても甘えん坊でしたでしょう?」

「先輩」

「だから、少なくともわたくしの前では、そんなにも頑張らなくてもいいですの」

「先輩、心配しなくても大丈夫だって。慰めで、そんな」

「慰めではありません。わたくし自身が、そうしたいからですの」

「そうだとしても、やっぱり、大丈夫……だって、これまでも、大丈夫だった……ん、だから」


 明るい声に、ヒビが入る。

 微かな震えが、徐々に大きくなっていく。

 そう。

 彼女は、元々はだった。

 明るくて、人懐こくて、迷わなくて、いろいろな意味で大きい子だったけど。

 その反面、とても涙もろくて、寂しがり屋で、甘えん坊な子。

 ずっと、ずっと。

 この十年……否、おそらくは、朱莉とお別れしてから二十四年、彼女はそんな弱い部分を隠して、耐えていたんだと思うけど。


「わたくしが、全部受け止めますから」

「っ……」

「ごめんなさい。寂しい時に、ずっと、一人にして」

「……せん、ぱい……っ……」


 彼女は泣いた。

 学生の時のように声を大きく上げて、と言うわけでもないけど、それでも声を押し殺して、朱莉のことを抱き締めながら、思い切り泣いた。

 それこそ、二十四年ぶりに。

 この時、この瞬間、仁科朱莉は、かつての時よりも深く、乃木美白のことを愛おしく感じた。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 …………不覚を、取ってしまった。

 朱莉先輩と突然お別れして、ものっすごい大泣きした翌日に、これから先は絶対に泣いてやるもんか、と心に決めてたのにね。

 でも……必要なことだったかも知れない。

 だって。

 アタシはもう、一人じゃなくなったから。


「……はぁ」


 あー、この二十四年、鉄壁のガードを続けていた涙腺が、まだゆるゆるだよ。

 お化粧もぐちゃぐちゃになって、アタシ、今絶対とってもひどい顔をしてる。

 でも、それでも、なんだか悪い気はしていない。

 やっぱり、先輩には、かなわないなぁ。

 心からそう思う。


「落ち着きましたか?」


 アタシの鉄壁の涙腺をいとも容易くぶち壊してくれた朱莉先輩が、そんなことを訊いてくる。

 もう崩壊から十分ほど経ってるから、頃合とも思ったのかな。


「まだ少し、ダメかも知んない……」

「ふふ、相変わらずの甘えん坊さんですわね」


 そのように伝えると、朱莉先輩、優しくアタシの背をさすってくれている。あったかい。

 元はと言えば、こうなったのも朱莉先輩のせいだというのに、このゆるふわっぷり、超絶に可愛すぎて憎めない。悔しい、でも許しちゃう、ビクンビクン。

 そんな彼女だからこそ、突然のお別れから二十四年経った今も、変わらずに愛おしい。


「先輩」

「なんですの?」

「抱いて」

「今抱いてますわよ」

「性的な意味で」

「……それくらいの軽口をとばせるなら、もう大丈夫ですわね」


 と、アタシを優しく引き離しながら、先輩は微笑んでいる。

 この流れならいけるかと思ったんだけどなぁ……などと考えつつも、まあ、そろそろ回復してきたし、こんなものかな。半分くらいは本気だったけど。


「ありがと、先輩。すっきりした」

「はい。また、泣きたくなったら、わたくしを頼ってください」

「アタシはもう泣かないよ。泣き虫なアタシは、本当にこれで最後。真白ちゃんだって前に進んでるんだから、ちゃんと支えられるアタシで居たいもん」

「美白さん」

「あ、でも、たまに甘えたくなったときは、先輩を頼っちゃうかも知れないっ」

「……ふふ、それくらいが、これからの美白さんにはちょうどいいですわね」

「そうだねー。朱莉先輩も、アタシを頼りたくなったら存分に頼ってもいいんだからねっ」

「どうでしょうか。わたくしは、強いですのよ?」

「あはは」


 軽く笑い合う。

 お互い、大切な子の幸せを見守る者同士、これから先も、こういう風に本心をぶつけ合ったりしながら、生きていくんだろうな。

 でも、今それがアタシの幸せなんだもんねっ。


 だから、雄輝くん。

 何も、心配は要らないよ。

 アタシはこれからも強く生きるし、真白ちゃんのことも、もちろん先輩や朱実ちゃんのことだって、大事に守って見せるから。

 ずっと遠い未来に、また会えたその時は。


 ――今よりもずっといい女になったアタシを、また、熱心に口説いて頂戴ねっ。

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