ACT72 今、自分の中で伝えたいことは?


「お久しぶりです、橙野雄輝さん。乃木真白です」


 小さな墓石の前で、真白はお花を手に小さく語りかける。

 昨日、母が墓前に行ってお花を飾っていたのだけど、真白からも、やはりお花を手向けたかったので。

 少し花瓶がぎゅうぎゅうになるけど、その辺りは勘弁してほしい。


「……十年間、ずっとあなたと向き合えなかったまま、今という時間まで、いろいろなことがあって、話したいことはいっぱいあるけど」


 お供えは、彼がくれた中では最も美味しかったと思う、近所の商店街にある老舗和菓子屋『葉月屋』さんの銘菓、『月天草』。二つ入りパック。

 箱を開けて、丁寧に供える。


「まずは、最初にこれだけを言わせて」


 台に蝋燭を立てて火を灯し、さらには線香を立ててから。

 真白は、手を合わせて。


「――あの時は、ごめんなさい」


 ひどいことを言って、大泣きして、泣き疲れて眠ってしまって。

 それが、彼との最後になって。

 今日の今日まで向き合えなかったけど、ずっとずっと言いたかったこと。


「あれから、風邪を引いたらとっても辛いことになるって、身を持って何度も体験したわ。お母さんが傍にいなかったら、それこそあたしは、どうなってたかわからない。なのに、橙野さんはそんな辛さを抱えたままで、あたしにあんなことを言われても、あんな風に笑えていただなんて」


 目の前の小さな墓石は、何も答えない。

 でも、母は、墓参りとは、自分の中のその人と語らうことだと言っていた。

 もし、彼がそこにいたなら、真白の言葉になんと答えるか。

 ……実は、未だに想像できないで居るけど。

 それでも。

 真白は、言葉を紡ぐのをやめない。


「お母さんのことも、もちろんあたしのことも、橙野さんにとっては大切だったんだね。だから、辛さを抱えながらも、笑えていたんだね。あなたは、とってもすごい人だったと、改めて思うわ。だからこそ……謝りたかったの。本当に、ごめんなさい」


 もう一度あやまってから、手を合わせるのを解いて、真白は一つ深呼吸。

 一つ、最も言いたかったことを言い終えて。

 この十年について、語りたいことは山のようにあるけど……今、彼に伝えたいことは、あと二つ。

 一つ目は、


「橙野さん。あたしにも、大切な人が出来たの」


 少し離れて、固唾を呑んでこちらを見守っている、少女のこと。

 まだ知り合って四ヶ月と少しだけど、友達で、恋人で、誰よりも大切で、誰よりも可愛いと思う彼女のこと。


「橙野さんが教えてくれたように、ピピッと来たの。すぐに友達になったわ。それからちょっと迷うこともあったけど、それでも、いろんな人達に助けられながら前に進むことで、あの子と一緒になれた。そして、これからもあの子と一緒に前に進むために、あなたにそれをどうしても伝えたかった」


 一息。


「橙野さん、あたし、これからも前に進むよ。時々立ち止まっちゃうかも知れないけど、あの子と一緒なら、きっと大丈夫だと思う」


 また一つ、伝え終えて。

 そして、最後の、一つは。


「だから」


 これが、とても緊張したし、とても怖かったけど。

 朝に笑顔で送り出してくれた母と、先ほどに勇気をもらえたあの子のことを思い浮かべながら。

 真白は、彼に、お願いする。



「――これからも、見守っててね、お父さん」



 そう呼ぶことを。

 彼は、許してくれるだろうか。

 彼は、喜んでくれるだろうか。

 それも、真白はわからないけど。

 これからも、何度か向き合っていくことで。

 彼は、許してくれる。

 彼は、喜んでくれる。

 真白は、そう思うことにした。

 そう、思いたかった。


「また、来るね。今日は一人であなたの前に立ったけど、今度は、お母さんや、あたしの大切な人とも一緒に」


 お供えの置き去りはダメとのことなので、『月天草』二つパックを回収して、真白は立ち上がる。

 大きな向き合いをした後でも、案外、足は震えていない。

 歩く力もしっかりしているし、それこそ、言葉の通りに前に進める。

 それもこれも、


「シロちゃん」


 直前に、彼女に勇気をもらえたから。

 とても心強かった。

 どれだけ感謝しても足りない。

 だからこそ。

 真白は、彼女と一緒にいたい。一緒に、前に進んでいきたい。


「ちゃんと、出来た?」

「うん。ありがとね、朱実」

「……頑張りましたわね、真白さん」


 と、朱莉さんも声をかけてきてくれる。

 自分の母と同じくらいに、とても、とっても優しい笑顔だった。しかも可愛い。

 彼女にも、とても感謝したい。


「朱莉さんも、ありがとうございます」

「はい。真白さん、帰りはわたくし達の車に乗っていってくださいな。家までお送りしますわ」

「え、そんな、悪いですよ」

「頑張ったのですから、それくらいさせてください。それに、先の言葉を返すようですけど……真白さんは、わたくしの娘も同然ですので」

「! お、お母さん……!」


 ゆるふわに言ってくる朱莉さんに、朱実は先と同じくとても顔を真っ赤にする。

 真白も真白で、これには赤面ものだったのだが……その優しさが、とてもありがたく感じて。


「じゃあ、お願いします」

「はい。わたくしが責任を持って、きちんとお送りいたしますの。可愛い可愛い娘達のために」

「お母さんってば……!」

「あはは」


 そうやって笑い合いながら、真白は、朱実と朱莉さんと共に墓地を後にする。

 ただ、霊園を出て駐車場に入る前に、


「――――」


 優しい風が吹いて、ふと、彼と会っていた時に感じた雰囲気が、よみがえったような気がして。

 真白は、墓地をもう一度振り返る。


「シロちゃん?」

「ん、ごめん。ちょっとね。今行くわ」


 お別れは突然だったけど。

 また、会える。

 そんな、ふわふわした気持ちを胸に抱きながら、真白は改めて、前へと進んでいく。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


「ふぁ……」


 お母さんの運転する車の後部座席、わたしの隣で、シロちゃん、手を口元に当てつつ大きく欠伸をする。

 なんだか可愛い。


「眠いの、シロちゃん?」

「ん、昨日はちょっと眠れなくってね。やっぱり、十年ぶりに橙野さんに会うのに、とっても緊張してたんだと思う」

「そっか」

「うん」


 小さく笑うシロちゃんを見て、わたしは、ふと思い出す。

 あの、シロちゃんとお買い物に行って、ついでに映画を見に行った日のこと(ACT9参照)。

 突然、誰かに居なくなられるのを実感したとき、シロちゃんは大粒の涙をこぼした。

 その時のシロちゃんは、とても脆く、儚く感じた。……それからは、ものすごく恥ずかしいことを言われて、わたしが悶絶しかけたのはともかく。

 多分、突然、橙野さんに居なくなられたとき、シロちゃんはとっても泣いたんだと思うし。

 これからも、そう言うことが起こったとき、シロちゃんは泣いてしまうかも知れない。

 だけど。


「シロちゃん」

「? 朱実?」


 わたしは、自然と手を伸ばして。

 隣の席の、シロちゃんの手を握って。

 さっきも、言ったように。


「わたしは、ずっと、シロちゃんの隣に居るからね」

「……うん」


 シロちゃん、笑いながら、わたしの手を握り返してきて、


「一緒に、歩いてくれる?」

「うん」

「立ち止まりそうな時は、支えてくれる?」

「うん」

「……今、ここで、少しだけ甘えさせてくれる?」

「う……え?」


 と、そんなことを言ってきて。

 手を握ったまま、わたしの方に身を寄せて、コテンと、頭をわたしの肩に預けてきた。


「し、し、シロちゃん?」

「ごめんね。今だけは、このままで」

「……うん」

「ありがと」


 短いお礼を最後に、シロちゃんは目を閉じて、寝息を立て始める。

 それだけ、ずっと気を張りつめさせていたのだろうか。

 しばらく、起きる気配はない。

 その可愛い寝顔を見ていると、今すぐ抱き締めて、髪を撫でてあげたい、究極を言えばおでこにキスしたいとか、そういう衝動に駆られるけど……今ここでそれをするのは、少し無粋な気がする。 


「朱実」

「わかってる。シロちゃんの、言うとおりにするよ」

「さすがは、わたくしの娘ですわ。……支えて、あげてください」

「うん」


 ノールックで言ってくるお母さんに、力強く答える。

 この、手を繋ぎながら、肩にシロちゃんの頭がある感触、ちょっと照れるし、ちょっと生殺しでもあるけど……今、眠る彼女に言うべきことは。


「――頑張ったね、シロちゃん。おつかれさま」

「……ん」


 小さく呟くと、シロちゃん、ちょっとだけ寝顔に笑みがこぼれた気がする。

 それと一緒に。

 車の窓の外。

 重い曇り色の空の隙間から、一つ光が射してきたのが見えた。


「今にも雨が降りそうな天気でしたけど、今日は、もう降らなさそうですわね」

「そうだね」


 空も、シロちゃんの前進を、応援してくれるのかな。

 そして、シロちゃんと美白さんの、大切なあの人も、きっと。


 窓の外の晴れ間を見て。

 わたしは、そう思えてならなかったよ。

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