ACT71 急に、居なくならないで?


「話を進めるわ。橙野さんとは、ちょっとずつ、時間をかけて仲良くなっていったのよね」


 週一、二回だったけど、橙野さんとの交流はそれからも続いた。

 お母さんと一緒に、いろんなところに連れて行ってもらったし、いろんなことを教えてもらった。

 何度か、母と橙野さんとでちょっとした喧嘩になったこともあったけど、すぐに仲直りしたし……を交わしてからは、さらに仲が深まっていったように思う。

 そんな日々が半年ほど続いてから、


「お母さんも、彼との結婚をちょっとずつ考えるようになってたみたい。一度、お母さん、あたしにこう訊いてきたわ。『近い将来、雄輝くんが真白ちゃんのお父さんになるの、真白ちゃんはどう思う?』なんて」

「…………すごく、乙女な訊き方ですわね。あの人は、本当にもう」

「? 朱莉さん、さっきと同じで、ちょっとだけムッてなってません?」

「なってませんわよ、ええ。……それで、真白さんは、なんと?」

「『いいよ』って、ほとんど即答だった。お父さんがどんなのかって、まだ全然想像もつかなかったけど、橙野さんと一緒に暮らすかもっていうのは直感でわかったし、その時もピピッと来たから」

「……もうその時には、シロちゃん特有の無意識が結構出来上がってたんだね。美白さん、嬉しかっただろうなぁ」

「? なんの話?」

「いや、なんでも。それで?」

「ん……そうね」


 母と、その『お父さん』の話をしてから、次に橙野さんと会ったとき。

 ――彼は、ちょっと風邪を引いていた。


「その日は、三人で遊園地に遊びに行くって約束してたんだけどね。彼の体調が体調だったから、結局行けなくなっちゃって」


 その日のことは、よく覚えている。

 よく覚えているだけに、思い出す度に、真白は苦い気持ちになる。

 ずっと楽しみにしていた約束がお流れになってしまって。

 子供だった自分は、彼の体調のことを考えずに、何と言ったか。


 ばか。


 うそつき。


 だいきらい。


 何も考えずに言った、とても、ひどい言葉だった。

 でも、彼はそんな真白のひどい言葉を受けながらも、弱々しくも優しい笑顔で、こう言ったのだ。



『――ごめんなぁ』



 そんな彼の優しさに触れて、真白はもうワケも分からずに大泣きして、その後のことは覚えていない。

 次に気がついたら、橙野さんはもう居なくなっていた。

 泣き疲れて眠ってしまった真白に、もう一度『ごめん』とだけ言って、その日は帰っていったと母から聞いた。

 それを聞いたとき、真白は、とても胸が痛んだ。

 痛くて、苦しくて、また泣きたくなって。

 その時、初めて、後悔という感情を知ったんだと思う。


『どうしよう、おかあさん。あたし、とうのさんに、ひどいこと、言っちゃった』


 もちろん、その感情の処理の仕方を知らない真白だったので、居ても立っても居られなくなって、母に話すと。

 母は、優しい顔で笑って、


『それはね、真白ちゃんが雄輝くんのこと、お母さんと同じくらいに大好きだからだよっ』

『だいきらいって、いっちゃったのに?』 

『言っちゃったね。でも、今はそれで、ここが痛いんでしょ?』 

『……うん』

『それなら、大丈夫。真白ちゃんも、雄輝くんのことが好きって証拠だよ。だから、きちんと謝れば、きっと元通りになるっ』

『そうなの?』

『そうそうっ』

『あやまって、とうのさんと、なかなおりのちゅーをするの?』

『! ま、真白ちゃん!? み、み、み、見てたのっ!?』

『そういうものじゃ、ないの?』

『あ、いや、あははははっ、そういうのは……いや、まあ、好きって言う気持ちがとっても高まったときにするものだからっ! 真白ちゃんは、まだお母さんほどではないと思うから、しなくてイイと思うのよ!?』

『……そうなんだ。でも、やっぱり、とうのさんには、あやまりたいな』

『ん……そうだね。次に会ったら、きちんと謝ろうねっ』

『うん』


 優しく賑やかな母のテンションに引っ張られるかのように、その時は、どうにか胸の痛みは治まって。

 次に、橙野さんと会うときは、きちんと謝ろうと真白は心に決めていたのだが。



 ――その次が、訪れることはなかった。



「風邪が悪化して、仕事を休んで……病院に行くその途中で、事故に遭ったらしいの」

「……っ!」

「らしい、とは……真白さん、もしや――」

「はい。あたし達が、橙野さんが事故で亡くなったと聴かされた時には、もう、橙野さんは既に骨になってました」

「ど、どうして」

「……橙野さん、両親を既に亡くしてて、兄弟も居なかったから。彼と連絡の取れた遠い親戚の方は、あたし達のことを知らなくて。知らないうちに、葬式とかいろいろ済ませちゃったみたいで」


 そう。


 ――あの日に別れて、突然、居なくなったのだ。彼は。


 まさか。

 あの大泣きの場が、彼との最後になるだなんて。

 あんな、別れ方をして。

 彼に、何も謝れないまま。


「あたしね、今でも時々思うの。本当は、橙野さんは仕事の都合でどこか遠くに行ってて、またひょっこり、あたしやお母さんの前に現れるんじゃないかって」

「…………」

「でもね。あの人は、そんなにも長い間、お母さんのことを待たせるなんてことはなかったから。信じたくない、でも認めなくちゃいけない……そんなどっち付かずの思いのまま、今の今まで向き合えなくて」


 彼の教えの通り、真白は、いろんなことに対して迷わずに進んできたし、迷わず決めてこれたと思う。

 でも……彼とのお別れからは、ずっと、目を逸らしていた。

 向き合うことに、迷っていた。


 では。

 何故、乃木真白は、今になって彼に向き合おうと思ったか?


「お母さんの他にも、これから共に前に進みたいと思う、大切な人が出来たから」

「……シロちゃん」

「大切な人の前では、これからも、本当の意味で迷わないあたしで居たいから」


 話しているうちに、この墓地の――母から聴いていた地区にたどり着く。

 すぐにわかった。

 たくさん並ぶ墓石の中にあって、一回り、小さな墓。

 お世辞にも立派とは言えず、質素なものだけど、とても綺麗にしてあるし、お花も多く飾られてある。

 でも、やっぱり。

 真白の思い出ではとても大きかった彼が、あんなにも小さくなっている事実には。

 自然と、真白の足を止めてしまう。


「朱実、朱莉さん、ありがとう。ここからは、あたし一人で行くわ」

「シロちゃん」

「真白さん」

「ちゃんと、彼に、ごめんなさいって、言ってくる。そのために、お母さん抜きであたしは一人で来たんだから」


 自分に、言い聞かせるように、真白は言葉を紡ぐ。

 でも。

 足が、前に進んでくれない。

 彼と向き合うことを、まだ、心のどこかが拒否している。

 そう。

 認めてしまうことを、恐れてしまう、自分がいる。

 迷わないと決めたのに。

 ただ、今日だけは。

 今だけは。

 躊躇って、しまう――



「シロちゃん」



 そんな、強ばった真白の全身に、沁み入るかのように。


「……朱実?」


 大切な人の、優しい声と共に。

 小さな温もりが、真白の手のひらから伝わるのを感じた。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 一人で行く、という気持ちは尊重したい。

 でも。

 それでも、シロちゃんが前に進めないなら。


「わたしは、シロちゃんの傍にいるよ」

「朱実」

「突然、居なくなったりしないよ」

「…………」

「だから、シロちゃん。受け取って」


 少しでも、力になりたい。

 支えてあげたい。

 そんな想いで、わたしは、シロちゃんの手を握る。

 握り続ける。


「……ありがと、朱実」


 その気持ちが、届いたのか。

 シロちゃんは、わたしの手を、軽く握り返して。


「朱実の想い、受け取ったわ」

「……うん」


 優しく、手を離す。

 そして、シロちゃんは、力強く頷いて、



「――行ってくるわ」

 


 そう言って、先ほど固まっていたのが、嘘であるかのように。

 力強く。

 前へ、進み出した。

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