ACT60.55 向き合えたからこその、今ですかね?


「う……ん……」

「あっ、気がついたか、おなつっ」


 保健室。

 養護教諭に頼み込んで、体育館でのバスケの手合わせで気絶してしまった奈津をベッドに寝かさせてもらって、十数分。

 その時間は、桐子にとってハラハラする心配の時間だったのだが……ほどなくして、奈津が意識を取り戻したのに、桐子は、その心配がなくなって、


「ふぅ~~~……」


 自然と息が漏れていくのを感じた。

 とても、とっても、ホッとした。


「ん……んー、桐やんさん? っていうか、ええと、メガネ、メガネ……」

「おっ。ほら、おなつっ」

「え、ああっ、ありがとうございます桐やんさん」


 小柄な上体を起きあがらせつつ、綺麗な緑色の瞳を忙しなくさまよわせる奈津に、桐子は待ってましたと言わんばかりに、彼女の眼鏡を渡してあげる。

 奈津、ちょっとはにかんだように笑ってから眼鏡をかけることで、一息。


「えっと。ここって保健室ですよね。ルー先生は?」

「ああ、ルー先生なら、顧問やってる部活に顔出しに行くって。目が覚めても、少しゆっくりしていけって」

「そうなんですか……って、部活と言えば、桐やんさん、バスケ部はっ」

「今はまだ十一時半くらいだよ。ボクの部活の開始は午後一からっ」

「あー……そうなんですね。ついつい気になっちゃいました」

「もうっ、人のことより自分の心配しなよ、おなつ。身体は大丈夫なのかっ?」

「え? ああ、大丈夫です。ちょっと気だるいですが、原稿後の徹夜明けみたいなものだと思えば」

「……それ、わりと寝ないといけないやつなんじゃ?」

「ダイジョーブですよっ。慣れてますんでっ」

「それも、わりと慣れてはいけないやつなんじゃっ!?」


 ムン、とベッドの上ながらも、平べったい胸を張って宣言する奈津に、思わずツッコミを入れてしまう桐子なのだが。

 ――さっき、奈津が意識を回復した時とは、また別に。


「はぁ~~~~……」

「? どうしたんです、桐やんさん?」

「うん……おなつと、やっとゆっくり、話せたなって」

「あ……」


 また一つ、桐子の中の安心が重なる。

 胸の中が晴れやかになったとは言えないけど、少なくとも、落ち着いた気持ちだった。


「……久しぶり、おなつ」

「ん……こういうのもなんですが、そうですね。お久しぶりです」


 こういう些細な言葉を交わすのすら、改めて、有り難く感じる。

 だからこそ。

 桐子は、謝らなければならない。


「ごめんな、おなつ。この一週間、テスト期間で部活が休みだった分、ずっとバスケばっかりだったから、全然連絡を入れられなくて」

「え? あ、いえいえ、謝らないでくださいよ桐やんさんっ。自分も、イベントに合わせて本を出したいと突発的に思い立ったものですから、ついつい、連絡が疎かにっ」


 頭を下げる桐子に、奈津は慌てて手を振って答えてくる。


「それに、バスケをする桐やんさんは生き生きしてて、とっても素敵なのですから、桐やんさんは熱中してていいんですよっ。会えなかったからって、自分がモヤモヤするのが行けなかったんですっ」

「そ、それを言うなら、漫画の原稿を頑張ってるおなつだって、好きなことに一生懸命ですごいじゃないかっ。この前読ませてもらったやつも、超面白かったしっ。ボクはそんなおなつの邪魔をしたくないのに、ボクが勝手にっ」

「いや、自分がっ」

「いや、ボクがっ」


 とまあ、押し問答すること数十秒。

 む~~~~、と出る言葉がなくなったタイミングで、


「……ふ、ははは」

「いやー……その、ふふ」


 二人して、照れ笑い。

 結局のところ。

 この一週間会えなくても、連絡も何もなくても、お互いは、お互いのことをきちんと想っていて。

 ただ、それを話し合える気持ちと、そのきっかけがなかっただけで。


「空回りしてたんだな、ボク達……」

「はい。なまじ、意識しすぎた分、なおさらですね……」


 苦笑する。

 ただ、これから先、二人で歩いていく過程で必要なことだったのかも知れない。お互い、熱中する趣味があるもの同士、こういうすれ違いは何度だって起こるだろうし、何よりこれから夏休みだ。

 会えない日だって、この一週間以上に長くなることだって、きっとある。

 だから。


「おなつ」

「……はい」

「昨日までのように会えない日でも、ボクはどんな形でも、メールでもメッセージでも、空いた時間に連絡するよっ。返事が無くたって構わない。ボクは、ボクのその日あった出来事や、おなつに思ったことを、ちゃんと伝えるからっ」

「あ……じ、自分だって、ちゃんとスマホで桐やんさんにお伝えしますよっ。その日あった出来事とか、原稿の進捗とかっ」

「それで、空きそうな日があるなら、それも全部教えるっ。おなつに会えるチャンスがあるなら、なんだってするっ! ボクは、おなつのこと、大好きだからっ」

「うぇ……っ!?」


 自分の出来ることを、そして自分の気持ちを、桐子が余すことなく伝えると、それを受けた奈津は顔を真っ赤にして仰け反りそうになるも。

 そこは、グッと堪えて、一つ深呼吸。


「自分も……その日があるなら、ちゃんと、お教えしますよ」


 たどたどしく答えながら。

 奈津は、眼鏡を外して、綺麗な緑色の瞳でこちらを見てきて、


「そうですね。空いた日が重なるなら、その日に必ず会いましょう」

「うんっ」

「そして、会える日が来たら、その時は――」

「え……おなつ…………っ!?」


 ベッドの傍らにいる桐子の肩をぐいっと、引き寄せて。

 その、緑色の瞳を閉じて。



 ――唇を、重ねてきた。



「!!!!!」


 あまりにも急だったのに、桐子は驚きに目を見開くが。

 あまりにも柔らかい感触だったのに、ほどなくして、桐子も眼を閉じて、そのまま力がへなへなと抜けてしまった。


「ん……」


 繋がっていたのは、五秒くらいか、それとも永遠か。

 体感時間が短いのか長いのか、よくわからない。

 それでも、その時、その瞬間は――桐子にとって、とても幸せな時間だったように思える。

 そして。


「お、おなつ……?」


 こちらを見据える緑の瞳は、どこまでも綺麗だったのに。


「会えた日は、こうやってキスをしましょう」

「――――」

「あなたが自分を大好きだと言ってくれるように、自分も、あなたのことが好きですのでっ。愛して、いますのでっ!」

「……っ!」


 その上、思い切って、そこまで言われるのに。

 桐子の中の鼓動の加速が、遅れてやってくるのを感じた。


 健気で、繊細で、大切にしたい、守ってあげたいと想っていた、大好きな女の子は。

 案外、というのもなんだけど。


 ――思っているよりも、ずっと、とっても、強い子だった。



  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★



 桐やんさんから、という気配がこれからも無さそうだったので。

 ついつい、勢いのままに、自分から行ってしまいましたが


 やばいです。


 あまりにも柔らかかったので、その、恥ずかしくて、爆発しそうです。

 念のために、眼鏡を外していたから、まだわずかにマシなのですが。

 眼鏡をかけてたら、もちろん、桐やんさんのお顔を見られなかったことでしょう……!


「……………………」

「……………………」


 どうしましょう。

 次の言葉が見つかりません。

 お互い、顔を見られません。

 いやまあ、自分はド近眼なので元より見えないのですが、桐やんさんが今どんな感じなのかを、確認できません。


 ですが。


『…………ふ』


 幸せそうな一息が、お互い、同時に漏れたのが分かったとき。


 とても。

 とっても。

 緩やかな空気が流れたような、気がしました。

 今は。

 お互いが傍にいるだけで心地良い、この空気を楽しむのも、いいのかも知れません。

 桐やんさんも、きっとそう思っていることでしょう。

 

 だから。

 しばらく、このままで。

 そして、出来る限り長く――このままで。



 自分の、切なる願いです。

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