ACT60.5 考えないことが大事なんですかね?
「……はぁ~」
終業式、および一学期最後のHRが終わった、放課後、午前十一時前。
女子バスケ部の全体練習は午後一時からなので、昼食までの空いた時間に、黄崎桐子は軽く自主練を行おうと思い、部室でTシャツとハーフパンツに着替えてから、体育館に向かっていたのだが。
足取りは非常に重く、今先ほどのように、ため息などが出てきてしまう。
この道のり、いつもなら大好きなバスケが出来ると、ウキウキしているというのに、この体たらく。
それもこれも。
「いつものように、何も考えずに、ぶつかればいいって言われてもなぁ……」
終業式前に、友達の仁科朱実からいただいたアドバイス。
話すタイミングも、話す内容も思いつかないとなれば、なるほど、それも正しいかも知れない。
だが、そんな無神経なことをして、果たして――桐子にとって、大切人を傷つけてしまわないか、という懸念が勝ってしまう。
彼女は自分と違って健気で、繊細で、大事に扱わないといけない子だから。
そんなにも大切だからこそ、慎重に、慎重に……と考えているうちに、今に至ってしまった。
気がつけば、彼女の姿は教室になく、またもタイミングを逸してしまった。同じクラスだというのに。
「……ホント、ボクってバカだよなぁ」
一学期の期末テストの結果および成績通知表で、共に学年総合トップを取ったとしても、この感想しか浮かんでこない。
そんな自虐心を抱えたまま、重い足取りで、桐子は体育館に入ったところ、
「お待ちしておりましたよ、桐やんさんっ……!」
そこには、制服姿の、眼鏡をかけた小柄な少女が待ちかまえていたのに、桐子は一瞬、我が眼を疑った。
「お、おなつ?」
「はいっ!」
緑谷奈津。
桐子の友達で、恋人。
先述の通り、誰よりも大切な、女の子。
そんな彼女が、バスケットボールを両手に鼻息荒くしつつ、桐子の前に立っていた。
「な、なにやってんの、おなつ?」
「いえ、その、朝に真白さんから、桐やんさんと話すにはどうすればいいかと相談したところ、何も考えずにぶつかれとのことでしたのでっ」
「あ、シロっちも、アカっちと同じアドバイスなんだね……」
「それで、何も考えないと言うのはどういうことなのだろうと考えたのですが、これでは堂々巡りでしたのでっ。ここは一つ、桐やんさんの得意なバスケでぶつかってみようと思い立ちましてっ!」
「お、おぅ?」
「と、いうわけで、自分なりに準備運動もばっちりなので、桐やんさん、一つ、お手合わせ願えませんかねっ!?」
「…………」
そういう時間があれば、普通に話せばいいんじゃないだろうか?
お手合わせと言っても、桐子と奈津では、運動神経もバスケの経験値も技術量も圧倒的に離れすぎていて、手合わせ以前になるのでは?
よしんば、手合わせをするとして……もし、ぶつかって奈津を怪我させてしまっては……!
などと、桐子はぐるぐる考えてしまうのだが、
「――細かいことを考えるなんて、桐やんさんらしくないですよ」
「!」
苦笑ながら奈津にそう言われ、桐子は胸を貫かれる心地になった。
らしくない。
確かに、そうだった。
大好きな奈津と、大好きなバスケが出来るって、とても夢のような状況ではないか!
でも――と、迷う気持ちはある。
それでも。
奈津は、その『でも』は無しだと言っている。
ならば。
「わかった、おなつ」
「桐やんさん」
「――本気で、行っちゃうぞっ」
「桐やんさんっ!?」
朱実にも、そしておそらく奈津が真白にも言われたとおり、何も考えずにぶつかろう。バスケで。
そう思うことで、先ほどまで重かった桐子の胸中は、驚くほどに軽くなっていた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
真白さんに言われたとおり、何も考えずにぶつかるならば、これが一番だと自分は思ったのですが。
ええ、とても認識が甘かったようです。
「ふぃー……ふぃー……ふぃー……」
「どうしたどうした、おなつっ! まだ始まって五分だぞっ!」
結果は、完膚無きまでのコテンパンでした。
そういえば桐やんさん、幼稚園児相手にも手を抜かないと以前言っていた気がするのですが、こと自分に関しても、まったく手加減なしでしたよ。
本気の桐やんさん、凄まじすぎです。
自分のオフェンス時はすぐに、いつのまにか、ふわっとボール取られちゃいますし。
自分のディフェンス時は、圧倒的なプレッシャーで足が動きませんでしたし、動いたとしてもボールに指一本触れられなかったですしで。
……二人掛かりとは言え、そんな桐やんさんから一本を取った真白さんと朱実さんの凄さを、改めて思い知らされます(ACT12参照)
「ふぅ……ふぅ……ふぅ~~~~~」
元より、運動神経も体力も絶望的な自分でして、桐やんさんの言うとおり、始まって五分で膝に手をやって息切れする体たらくです。それに比べて、桐やんさんは息を切らすどころか、汗一つ掻いてません。流石です。
そんな、圧倒的な状況なのですが。
――不思議と、いやな感じになりませんでした。
何故か?
「桐やん、さん」
「お、なんだ、おなつ?」
「――楽しい、ですね」
「え……」
そう。
こんなにも、息も絶え絶えなのに。
こんなにも、手足がガクガクきてるのに。
「曲がりなりにも、こうやって大好きなあなたと向き合って、同じ時間を共有することが出来て、自分、今とっても楽しいんです……!」
「おなつ……」
「この一週間、あなたと会えなくて、会話できなくて、ずっとモヤモヤしてきましたけど。今、この瞬間のためにあったんだと思います!」
「あ……うん、うん……!」
「桐やんさん、もう一本行きます! 全力で止めにきてくださいっ!」
「わ、わかった! おなつが言うなら、今まで通り、全力で!」
ああ。
桐やんさんも、とても楽しそう。
よかった。本当に。
自分のオフェンスの番。
ひょい、と桐やんさんに、ボールを投げ入れ。
桐やんさんが、軽くボールを返してくる、1ON1の最初の手順。
この瞬間すら、愛おしい。
「桐やんさん」
「ん? なんだ、おなつ?」
「これって、自分達にとって初デートってことになるんですかね?」
「え……!」
ふと、思ったことが、そのまま言葉に出ちゃいました。
流石に、自分でも赤面ものなのですが……桐やんさんには結構効いたらしく、顔を赤くして、目を見開いて、動きが固まっていまして。
言ってしまえば――今日、初めて彼女が見せた隙というやつでした。
「――――」
それを認識するのと、自分の神経が研ぎ澄まされるのは、ほぼ同時。
漫画の原稿を書くときに発揮される集中力が、ここぞとばかりに出てきた瞬間、ゴールをとても近くに感じて。
あと、やたら美少年キャラの多い、超人気バスケ漫画の眼鏡キャラのシュートフォームと――今までずっと見てきた、桐やんさんのシュートフォームを、自分の中で想起出来て。
――これは、いけるのでは?
そう、思った瞬間。
視界の中で、緑色の閃光が弾けたような気がして、
「シッ」
気づけば、ディフェンスで腰を落としている桐やんさんの、上を通すかのように、シュートを放っていました。
「な……っ!?」
スリーポイントラインの、外。
その距離から素人の放つシュートなど、ボールがリングにすら当たらない、と言うのが定説なのですが。
不思議と、扉を開いた感覚を得た自分には、見えておりました。
――自分が投げたボールが、綺麗な放物線を描いて、リングの中央を通過していくのを。
そして。
スパッと。
三秒後には、自分の見えたとおりのことが起こっていました。
「……………………」
この結果には、目の前で、桐やんさんが驚愕の表情です。
気持ちは分かります。正直、自分も同じ心境です。
……こんなにも、上手くいくもんなんですかね?
「す、すげえええええええええええっ!?」
桐やんさん、大興奮。
「あんな綺麗なループ、男子の公式戦でもそうそう見られないぞっ! おなつ、今の、どうやったんだっ!?」
「いえ、あの……」
対する、自分は。
クリアだった視界に、急に灰色の煙がかかり始めてきていまして。
しかも、元より息が上がっていたのと、手足がガクガクだったのに、さらに重みが増してきまして。
これは、そう……原稿の徹夜明け、入稿が済んだ後に訪れる、緊張の糸が……切れた時の、慣れ親しんだ、感覚が……。
「桐やん、さん」
「お、どうした、おなつっ。ボク、まだおなつに訊きたいことがっ」
「……すみません。ガス欠、です」
「え……ああっ、おなつ、おなつ――っ!?」
落ちていく瞬間、大きな何かに包み込まれるような、心地いい感覚。
そして。
最近、身近に感じている、いい匂い。
桐やんさんの、匂い。
その、何もかもが。
――好き、なんですよね……。
それを強く、再認識出来たのを、満足しながら。
自分の意識、これにて限界です。
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