ACT60 何もないことが呼ぶ感情とは?
「おはよう、おなつさん」
「ん? ああ、真白さん、おはようございますっ。ご無沙汰しておりますっ」
始業式の朝のHR、十分くらい前と言ったところで。
ひとまず、ここは二手に分かれて、真白は奈津の方に声をかけることにした。もちろん、朱実は桐子の担当であるのだが、それはともかく。
声をかけられた途端、奈津は俯いて上の空状態から一転、取り繕うように笑顔をこちらに向けてきた。
「そこまで久しぶりってわけじゃないんだけどね。元気で過ごしてた?」
「あ、はい。期末も終わり、来月のイベントに向けて原稿との戦いの日々です。拝島先輩と、あと最近新しくアシスタントとして手伝ってくれる子とで、もう、バリバリやってますよっ」
「それにしては、結構、落ち込んでいるように見えるけど」
「う……」
「あと、桐やんも同じ感じなのよね。……桐やんと、何かあったの?」
「――――!」
ビクッと、奈津は華奢な肩を震わせ、こちらに視線を向けてくる。その拍子に、彼女の度の厚い眼鏡がほんの少しズレて……その向こうにある、緑色の瞳が見えた気がした。
何気に初めて見るその瞳を、真白はとても綺麗だと思った。
それはそれとして。
「ええ、いや、まあ、何と言いますか……」
「もしかして、桐やんとケンカしたとか? それならそれで、仲直りのアドバイスとか、あたしのできる限りで協力できるけど」
「ち、違うんですっ。桐やんさんとは、その、仲違いとかそういうのはないんです。あの通り、桐やんさんはとても優しく、豪胆で、誰かのことを悪く思うなんて決してない方ですので」
「……やけに褒めちぎってるわね」
「う……いや~、あははは……」
呆然としてコメントする真白に、奈津、照れ笑いやら苦笑やら、よくわからない複雑な笑みをこぼす。
どうやら、険悪になったとか、そういう類のものではないらしい。
では、一体、何が?
「おなつさん、事情が複雑なら、なおさら教えてほしいわ」
「真白さん?」
「確かに、おなつさんがいやだって言うなら、何も言えなくなっちゃうけど、それでも、落ち込んでるおなつさんのこと、あたしは放っておけない。おなつさんはあたしの大切な友達だから」
「っ! ま、真白さん、あなたにそこまで言わせるのは、朱実さんに悪いです……!」
「朱実? そりゃ、朱実は一番に大切だけど、おなつさんだって大切よ?」
「そういう風に優先付けしてくださると、助かるというか、逆に複雑というか。まったく、その無意識の躊躇なさは相変わらずですね……」
「?」
ぶつぶつとよくわからないことを言う奈津。
自分は、何かおかしいことを言っただろうか?
首を傾げる真白なのだが……ややあって、奈津は一つ大きく息を吐いて、
「わかりました。真白さんに、お話しましょう」
「おなつさん」
どうやら、話してくれるらしい。
真白、少しだけほっとするのだが、その後に、ちょっと気を締めて彼女に向き直る。
眼鏡の奥の緑の瞳は、少し、悲しげにしながら、
「真白さんは、自分が桐やんさんと何かあったかとお訊きされていたのですが、その逆です」
「逆?」
「ええ。――桐やんさんと、この一週間、何もなかったんです」
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
「何もなかったって?」
朝のショートHRが終わって、終業式のために体育館に移動中。
わたしは、一旦中断していた桐やんに話の再開を促した。
おなつさんと、何もないとは、一体?
「んー、ボクはバスケ部、おなつは来月のイベントに同人誌を出すとかで、お互いに結構忙しい身だったんだよなっ」
「うんうん、それで?」
「そんな息を吐く暇もない日々だったためか、どうも……おなつと、連絡を取るタイミングを逃していたというか……」
「うーん?」
何かと言いづらそうな桐やんに、わたしは首を傾げる。
「そりゃ、親しい友達だとしても、会わない日は連絡を取らないなんてことは、珍しくないんじゃない? 実際、わたし達だってそうだったんだし」
「ち、違うんだ、アカっち。これは、何と言えばいいのか、そのう……」
周囲をちらちら見つつ、何かを気にしている桐やん。
珍しい。
あの細かいことを気にしない豪胆女子の代名詞である桐やんが、まごまごしている。しかも、顔を赤くしながらっ!
桐やんなのに……っていったら失礼だけど、桐やんなのに、可愛いっ。なんだか、胸中がほわほわするっ。
「アカっち、今から話すことは、皆には内緒にしててくれよ?」
「う、うん?」
「実は――ボクとおなつ、前から、その、付き合ってるんだ」
『ええっ!?』
わたしが思わず仰天の声を上げるのと、ちょっと前方でおなつさんと話しているシロちゃんが驚く声を上げるのは、ほぼ同時だった。
『――――』
次いで、わずかな間だけ、わたしは、少し距離が空いているシロちゃんと視線をつき合わせる。
どうやらシロちゃんも、同じことをおなつさんから聴いたらしいというのが、瞬時に理解できた。
「アカっち、声が大きいよ……!」
だが、桐やんは、シロちゃんどころではないらしい、慌ててわたしの口を塞ぎにかかる。
わたしと桐やんの身長差は二十五センチ強。抱き抱えられ、桐やんの相変わらずの凄いパワーで締められるのに、わたしは『ぐえっ』と声を上げかけたけど。
――桐やんの身体から、ほのかにいい香りが漂ってきているのに、わたしはふと気づいた。
これは知っている。わたしが、シロちゃんに教えてあげたやつだ。
そういえば、わたしが風邪を引いているときに、桐やんがシロちゃんにおしゃれの手ほどきを受けたと言っていたような……?
「アカっち?」
「ああ、ごめん、ちょっとね」
まあ、その話は後に取っておくとして。
わたしは、やんわりと桐やんの身体から離れて、桐やんにのみ聞き取れる小声で、
「それにしてもびっくりしたよ。桐やんが、おなつさんとだなんて」
「いろいろあったんだ。期末の、ちょっと前に、おなつがボクを好きだって言ってくれて、ボクも……おなつのこと、とっても好きになってたから」
「はあ~、なるほどねー」
「でも……期末が終わってから一週間、何も音沙汰もなかったもんだから、ボク、おなつとどういう風に顔を合わせていいかわからなくて、どうにも不安で……」
「桐やん」
「一回不安って思っちゃうと、どんどん、これからおなつと上手くやれるのかなって、ネガティブなことばかり考えちゃって……」
「…………」
今にも泣き出してしまいそうな桐やんを見て、わたしは、不謹慎ながらも彼女のことを改めて可愛いと思い、そして、その大きな身体がとても儚く見えた。
そっかぁ。
いつも明るい桐やんでも、こんなになっちゃううくらいに……おなつさんのこと、大切に思ってるんだね。
真耶ちゃんの相談に乗ったばかりなのか、なんだか、いっそうに温かな気分になっちゃう。
「――――」
前、シロちゃんの方を見ると、同じタイミングで、シロちゃんもこちらのことを見てきている。
そして、真剣な顔で、こちらに頷いてくる。
うん、そうだね。
きっと、大丈夫。
だからこそ。
「桐やん、あのね」
わたしの、わたし達の、出来ることは――
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