ACT40 これを、恋と言っていいの?


「ほんっとーに、ごめんなさいっ!」


 どうにか場が落ち着いて、こちらに深々と頭を下げてくる彼女の名を、斎場さいじょう紫亜しあと言った。

 所属は一年四組で、部活には入っていないらしい。

 真白としては、別にそこまで事情を聞くつもりはなく、間違いだったら間違いだったで、さっさと引き返そうと思ったのだが……紫亜の落ち込みようが激しかったものだから、何となく放っておけず。

 現在、屋上の入り口前の階段で腰を落ち着けて、会話をするに至っている。


「あたしは別にいいのよ。逆に斎場さんの方が心配なんだけど、大丈夫?」

「あ、はい、あのぅ……ようやく落ち着いてきたけど、まだちょっと、恥ずかしい……」

「確かに、下駄箱のクラスを丸ごと間違えたっていうのは、わりと珍しいケースよね」

「うぅ……私、昔から詰めが甘くて。普段はきちんと出来るのに、肝心なときに大きなミスをしちゃうの。その習性が、今朝にも出ちゃうなんて……」

「確かに、あの手紙の文面は、読む人の心をつかむには見事なものだったわね。間違いだったとはいえ、あたしも、この手紙の送り主はどんな人なのかなって気にはなったし」

「え……あ、ありがと……」

「それだけに、そのツメアマで台無しになったのが、実に惜しいわ」

「あぅっ! ちゅ、躊躇なく、掘り返さないで……」


 照れたり落ち込んだりと、表情がころころ変わって面白い。

 そういう詰めの甘さで自信なさげになってはいるものの、そんな仕草から来る控えめな雰囲気が、彼女の可愛さと奥ゆかしさに魅力を加算しているのかも知れない。

 何となく、惹きつけられるし、親しみ深くも感じる。

 そんな思いからだろうか。

 真白、大きく息を吐いて、今日一日のもやもやが晴れていくと共に、


「まあ、逆に間違いでよかったわ。手紙の主が斎場さんみたいな女の子だってわかったとき、あたし一瞬、どう返事すればわからなくなっちゃったし」


 最近よくよく過ぎっていた思考が、口から漏れでていた。


「? 乃木さん?」

「女の子が女の子にっていうのは、おかしいと思ったのよね」

「――――」

「あたしに恋愛はよくわからないけど、やっぱり、女同士ではなく、男女という形が自然に――」



「そんなこと! ないっ!」



 と、真白の言うことを遮るかのように、紫亜がこちらの肩をガッシと掴んできた。

 すごい力だった。しかも、つい今までの控えめな雰囲気など微塵もなく、怒りに燃えた紫の瞳でこちらを見てきたのに、真白、思わず目を見張った。


「さ、斎場さん?」

「確かに男女での恋愛というのは、大昔からの自然の形だよ。だからといって、女の子が女の子に、男の子が男の子に、それがおかしいだなんて、そんなことは全然ないっ!」

「ちょ、ちょっと、斎場さん、落ち着いて……」

「それに、間違えちゃったけど、私が手紙を送ろうとしていた相手だって女の子なんだから!」

「えっ!? そ、それは――」

「例え同性であれ、好きになることも、自分の想いを伝えたくなることも、それはその人のたった一つの大事な気持ちなんだからっ!」

「!!!!!」


 その言葉は、真白の心に深々と突き刺さった。

 そして、思い起こすのは。

 昨日、胸の中を循環し始めた気持ち。出そうと思って、ずっとずっと探し求めていた答え。

 そして、何度も行き着いていた可能性。



 ――乃木真白が仁科朱実に抱いている気持ちが、恋心である、という可能性。



 でも、それはおかしいと思っていた。

 女の子が女の子に、というのは違うと感じていた。



 ――これを、恋とは言えない、と決めつけていた。



 今までの日常で見てきた男女のカップルの仲睦まじさや、見知ってきた漫画や小説、ドラマなどのこともあるけど。

 昔、短い時間ながらも。

 お母さんと、小さな風邪から突然居なくなってしまったあの人は、とってもとっても、お互いを大事にしていたとわかっていたから。

 それが自然な形だと、心から思い込んで、その可能性に行き着く度に振り出しに持っていたけど。

 もし、自然とは異なっていても、普通とは違っていても。



 ――これを、恋と言っていいの? 



 答えが、出掛かったところで、


「その気持ちを否定させるなんて、神様が許しても、私が許さにゃ……ゆりゅ、しゃ……ゆ、ゆ、許さない!」


 未だに怒れる紫亜が、台詞を噛んでいた。

 ……大事なところで詰めを誤るのは、ここでも発揮されていたようで、


「ぷっ……は、ははは」

「にゃ、なにがおかしいのっ」


 真白、思わず笑ってしまった。

 紫亜は、台詞を噛んだ恥ずかしさでカーッと赤くしていたものの、こちらを見る眼力は死んでない。

 それだけ、自分の気持ちを強いということだ。

 だからこそ、


「ごめんなさい、斎場さん」

「え?」

「そうよね。普通とは少し違うけど、おかしいことなんて何もなかったのね」

「の、乃木さん?」

「斎場さん。あたしは、あなたの気持ちを、心から尊敬するわ」

「――――」


 こちらの肩を掴んでいた彼女の手を取って、真白は、その紫の瞳をまっすぐに見て笑いかけると。

 紫亜、ポカンとなりつつも……何かに気づいたかのように、ハッと目を見開いて、


「あ……ご、ごめんなさい。わ、私ったら、ついつい夢中になって……そ、そのぅ」


 台詞を噛んだ恥ずかしさとはまた異なる心持ちで顔を赤くしているらしい、わたわたと手を振りながら、こちらに謝ってきた。

 先ほどのような烈火のような勢いとは一転、すっかり、第一印象の控えめな雰囲気に逆戻りである。

 ……短時間ながら、彼女のことを理解できた気がする。もちろんいい意味で。


「ううん、謝らないで。斎場さんは自分の中の正直な気持ちを言っただけなんだから」

「で……でも、わ、私、乃木さんには乃木さんの考えもあるのに、あんな……」

「ん。その点については、その、ね。あたしもいろいろ迷っていたから」

「え?」


 紫色の瞳を瞬かせる紫亜に対して、真白は、



「あたしにもね、好きな子がいるの。世界で一番って言えるくらいに」



 ああ。

 言葉に出せただけで、こんなにも、心地よくて、切なくて、何よりも、愛おしさが溢れてくる。

 家族とは、また別に。

 乃木真白にとって、それは、初めてともいえるとっても大事な気持ちだった。

 

「……そう、なの?」

「うん。自分のこの気持ちにしっかりと気づけたのは、斎場さんのおかげ」

「わ、私は別に……」

「本当に、ありがとう」

「わ、わ、わ」


 握った手をぶんぶんと縦に振って感謝の意を示す真白に、少々混乱したようだが。

 それでも、その気持ちは伝わったようで、やがて紫亜はコクコクと頷いて、


「う、うん。乃木さんの後押しができたなら、よかった、のかな」

「もちろん。斎場さん、お願いがあるの」

「え、な、なに?」


 少々気後れ気味に言ってくる紫亜に、真白は、一つ大きく呼吸をして、


「友達になりましょう」

「え……わ、私と、乃木さんが?」

「うん。想い人がいる者同士で、お互いに、勇気を出せるように」

「!」


 その言葉を受けて、紫亜は、目を見開いたものの。

 やがて、スッと、控えめも気弱もなく、真っ直ぐな視線をこちらに返してきて。


「……私で、よければ。乃木さんがその勇気を見せてくれるなら、私も、もう一度頑張れると思う」

「うん。斎場さんのその気持ちの強さを見せてくれたから、あたしは、先に進めるわ」


 些細な間違いから始まった、数奇な出会いだけど。

 仲間の、お互いの成功を祈りながら。


「あたしは、今すぐにでもその子に言いにいくけど、斎場さんは?」

「わ、私も。間違っちゃったけど、まだ、間に合うのなら」

「そっか」

「うん」


 二人の少女は、頷き合って、



『――じゃあ、いってくる』



 互いの行き先に分かれた後の足取りは。

 とても、早く、力強い。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 もう、二十分くらい経ったかな。


 シロちゃんはすぐに済ませてくるって言ってたけど、結構、時間がかかってない?

 今、残ってる教室に誰も居なくて、こういう静かな時間がよけいに長く感じるよ……。

 それにしても、この長さ。

 もしかして……い、いやいや、いやいやいやいや、大丈夫。絶対に大丈夫。ネガティブ、ダメ、ゼッタイ……!


「ん……?」


 と、そこで、遠くから大急ぎでやってくるような、足音が響いてきた、と思った矢先。


 ドッパァン! と、教室の扉が開いたと思えば、


「え……シ、シロちゃん?」


 シロちゃんが、ズンズンズンと大股で、わたしの座る席に歩み寄ってきて。

 鬼気迫る表情で、



「朱実、はにゃ! ……話を、聞い、て……」



 ……台詞を噛んだ!?

 それからシロちゃん、顔を赤くしながら『つ、ツメアマが写っちゃったわ……』と、よくわからない呟きと共にガチ凹みして、立ち直るのに五分くらいかかった。

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