ACT35 いつか、あの人のようになれるかな?


「じゃあ、あたしはこれから朱実のところに行ってくるわ」


 遂に、待ちに待った放課後である。

 真白は、桐子と奈津にそれだけを言い残して、さっさと教室を出た。

 朱実が学校に居ない今日は、短いようで、非常に長い一日だったように思う。

 他の友達と交流する日もそれはそれで悪くないが、やはり、真白としてはもう限界だった。

 一刻も早く、前へ、前へ……!

 そんな、逸る気持ちで廊下を走らず、しかし早歩きで進み、下駄箱で靴を履き替え、昇降口を出たところで――


「? 朱実?」


 真白は見た。

 校庭、通用門へと続く道、身長百五十センチにも満たない背丈かつ華奢な体格で、セミロングの髪の女生徒の後ろ姿――


「朱実っ!」


 欠席のはずなのにどうして、などと考える暇もなく、居ても立っても居られず、真白はその後ろ姿に声をかけたのだが。


「え? 真白ちゃん? どうしたの?」


 はたして、振り向いた彼女の顔は朱実ではなく、真白にとっては、朱実とはまた違う意味で顔なじみの少女だった。

 青色の星の付いたヘアピンがトレードマークで、どこか柔らかな雰囲気。きっちりと着こなす夏制服の胸の校章は、二年生の色。


「あ……あっちゃん先輩」


 真白の中学からの先輩、戌井藍沙だ。

 体格が朱実と酷似しているとは言え、髪型は結構異なるのに、大きく間違えてしまった。

 真白、赤面ものである。


「なんだか、慌ててたようだけど……今日は、朱実ちゃん居ないの?」

「あ、は、はい。朱実、今日は熱があるらしくて」

「それで、私を朱実ちゃんと間違えちゃったと?」

「う……ご、ごめんなさい」

「別に責めていないわ。それくらい、真白ちゃんにとっては大切なんでしょ?」

「……はい」


 優しく笑う藍沙に、真白は殊勝にならざるを得ない。

 出会ったときから、彼女はいつもそうだ。こちらの少々のミスも笑って流してくれるくらいに、優しくて大きい人。

 ……ただ。


「あっちゃん先輩」

「ん、なに?」

「ちょっと、元気ないですか?」

「――――」


 普段に比べて、少しだけ、彼女の雰囲気に儚さを感じた。

 本当に、なんとなく。

 それを問われて、藍沙、わずかに固まったものの、一つ呼吸して柔らかく微笑んで、


「そんなことないわよ」


 そういう藍沙は、感じた儚さも何もなく、いつも通りの彼女だった。

 真白の気のせいだった、ということか。


「じゃあ真白ちゃん、今日は私と一緒に帰りましょっか。私、今日は部活休みだし、バイトも五時からで余裕あるから」

「え……ええと、あたし、これから朱実に今日の授業のプリントを届けないといけないので、途中まででいいですか?」

「もちろん」


 というわけで、藍沙と帰りを共にすることになった。中学生時代以来だから、実に二年ぶりである。

 なんだか、懐かしくて、それでいてとても嬉しい。


「こうやって肩を並べると改めて思うけど。真白ちゃん、すごく背が伸びたわね」

「そうですか?」

「うん。真白ちゃんが中一の頃は、私とあまり変わらなかったんだけど、なんだかすごい差を付けられた感じ。私に分けてもらいたいくらいよ」


 確かに、出会った当時の背丈でいえば、真白の方が五センチほど高い程度だったが。

 今や、真白は身長百六十四センチで、藍沙よりも十五センチ以上の差を付けていた。

 自分としてはそこまで大きくなるつもりはなかったのだが、これも、自分同じく女性としては長身である母の遺伝だろうか。


「それに胸も……ううむ、この先トモさんや桜花とタメを張りそうね。ここまで差が付くものなの……」

「? どうしたんです、あっちゃん先輩?」

「……なんでもないわ。ちょっと、真白ちゃんの成長に感慨深くなっただけ」

「そうなんですか?」

「うん。それに、学校で遠くから見かける度に、真白ちゃんはとても楽しそうだったから。朱実ちゃんを初めとして、本当に、いい友達が出来たんだなって。それはとっても嬉しいことなんだけど、ちょっぴり、私としては寂しくもあるのよね。わかってはいるんだけど」

「…………」


 藍沙の言うとおりだ。

 たくさんとは言えないけど、真白は今、いい友達に囲まれて幸せである。

 小・中学時代の真白は、人付き合いが得意な方ではなく、一人で居ることの方が多かった。藍沙との出会いも、親と親の繋がりがなければ成し得なかった奇跡みたいなものだ。

 そんな藍沙と、彼女の弟の浩くんを中心に、様々な人との繋がりを得ていったからこそ、真白はどうにか中学時代を乗り切ることが出来たといってもいい。

 そして。

 高校に入って初日、衝動的に朱実に声をかけられたのは――


「あっちゃん先輩のおかげですよ」


 気付けば、自然と、真白はそれを口に出していた。

 藍沙、これには少し驚いたようだ。


「私?」

「あっちゃん先輩や浩くんがキッカケをくれなかったら、あたし、朱実に声をかけられなかったかもしれない。桐やんやおなつさんとだって、親しくできてなかったかもしれない。あっちゃん先輩が居たからこそ、今のあたしが居るんですっ」

「……真白ちゃん」

「だから、今はちょっと会えない日が続くけど、それでも、あっちゃん先輩はあたしの憧れで、頼りになるお姉ちゃんですっ。今までも、これからも」

「――――」


 その言葉を受けて、藍沙は目を丸くして。

 直後、ほんの少し泣きそうな顔をしながらも、優しく笑って、


「え? あっちゃん、先輩?」


 こちらに腕を伸ばして、ぎゅっと抱き締めてきた。

 久々の、彼女の抱擁。当時、落ち込んだときによくしてもらって、そのたびに感じた彼女の温もり。

 懐かしくもあり、今は少し、ドキッとするような感覚が、真白の中で広がっていく。


「ありがと、真白ちゃん」

「……先輩」

「実はね。浩が、来年、本格的に東京で活動することになって、家を離れることになったの」

「浩くんが?」

「以前から覚悟してはいたことだけど。それでも、ちょっと、ね」

「…………」


 藍沙の弟、戌井いぬいこうくん。

 去年の七月に大手の芸能事務所にスカウトされて、キッズアイドルとして、現在は地方を中心に活躍しているのは知っていたが。

 来年から、彼は本格的なステージに移るようだ。

 と、いうことは、必然的に、藍沙とは遠く離れた生活になる。

 ――気のせいではなかったのだ。先ほど、藍沙の雰囲気に、ほんの少しの儚さを感じ取れたのは。


「あの子とは、離れていてもずっと一緒。そういうことに、ほんの少し確信が持ててなかったけど、今はもう大丈夫。真白ちゃんのおかげよ」

「あっちゃん先輩」

「真白ちゃんは私を、憧れの先輩で、頼りになるお姉ちゃんって言ってくれたけど、私からも言わせて頂戴。私にとっても、真白ちゃんは私の自慢の後輩で、いつまでも大切で可愛い妹だよ」

「……っ!」


 そう、真正面から彼女に言われて。

 本格的に、真白の胸が高鳴った。

 憧れだった戌井藍沙にそう言われることがとても嬉しくて、気分がとてもふわふわとする。

 だから、そんな高揚感のまま、自然と真白は彼女を抱き返そうと――


「っとと、いつのまにか、もうこんな時間ね。急がないと遅刻しちゃうわ」

「…………え」


 したところで、藍沙はこちらの身体を離した。


「じゃ、真白ちゃん、私もうすぐバイトの時間で急ぐから。また今度、一緒に帰ろうねっ」

「あ……は、はい」

「それじゃっ」


 手を振って、焦らず騒がず、早歩きで行ってしまう藍沙。

 ……何だろう、この肩透かし感。

 彼女の後ろ姿を見送りつつ呆然と立ち尽くしながら、真白は、行き場のない気持ちを弄んで、心がもにょもにょとなりかけたのだが、


「真白ちゃんっ」


 途中、藍沙はこちらを振り向いて、



「これからも、お友達を、大切にしてねっ」



「――――」


 笑顔でそう言い残して、今度こそ去っていく藍沙。

 先ほどのような儚さはなく、背丈は小さくとも、どこまでも大きな存在感にあふれている。


 ああ、すごい人だなぁ。


 真白、一つ大きく息を吐く。

 優しくて、頼りになって、お姉ちゃんみたいな存在。

 そして、いつまでも、憧れであり続ける人。

 何度も思ったけど、彼女と知り合えて、本当によかったと思う。


「朱実のところに、行かなくっちゃ」


 だからこそ、彼女の言うとおり、大切な人への気持ちを貫き通したら。

 少しは、その憧れに近づけるかもしれない。

 その希望を胸に抱く真白の足取りは、自分でも驚くほど力強かった。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 はぅっ!?

 こ、今度は、わたしの立場が危うくなるような、そんなプレッシャーが……!?

 んー……熱は、もう下がったんだけど。

 なんだかいろいろ感じ取った影響か、どうにも眠くなってきて……。

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