第八話 わたしの嘘
――ひゅーっ、どんっ、ぱらぱらぱら、と。
すこし遠くの夜空から、空気が弾ける音が聞こえる。
胸にずんと響く重い轟き。思わずそちらへ向いてしまいそうになる、心が強く惹きつけられる破裂音。
わたしはその音を今でもよく覚えている。
人生の最後の瞬間。頭が真っ白になるくらいの衝撃が全身に走ったその直前に、耳の奥を震わせていた音だから。
しかし残念なことに、わたしが覚えているのは音だけなのだ。その夜、その時刻に上がったその花火はとても鮮やかで、見物していた人たちみんなが夢中になるくらい綺麗なものだったらしいのに。わたしはそれを視界の端にも入れられなかった。
あるいは見られなかったからこそ、なのだろうか。音だけが頭の中に残っていて、綺麗だったんだろうなぁという幻想ばかりが膨らんでいく。
馬鹿だなぁ、と思う。
どうせ、ケーイチと一緒に見なければ意味なんてなかったのに。
あの夏の夜。わたしの行動が少しでも違うものであれば。音につられて家を出たりなんかしなければ。その夜は無理だったとしても、次の年の夏、あるいはもっと別の日に一緒に出掛けることができたかもしれない。
けれどそれはもう叶わない。五年前のあの日から、ケーイチは花火を、あるいは花火大会というものをひどく忌避するようになってしまった。家に花火の音が聞こえてくると、すぐにヘッドフォンを付け、カッターで丁寧に鉛筆を削り、ひたすらスケッチに意識を集中する。わたしの死を連想させるからか、彼はそれを存在しないもののように振る舞う。
だから二人で夜空を見上げることはもう二度とないのだろう。
後悔しても仕方がない。過ぎてしまったことはどうしようもない。死んだ人間が生き返らないのと同じように、諦めるしかないことはこの世に数えきれないほどたくさんある。
ああ、だけど。それでも。
今もまだ、その音が記憶の底に鳴り響いていて。
取り返しのつかない最期とともに、わたしの心に強く刻み込まれている。
◇
「――ケーイチ、今頃上手くやってるかなぁ?」
強い日差しに目を細めながら、ぽつりと呟く。
駅の喫茶店でケーイチと別れて数時間。
自分で宣言した通り、わたしは見知らぬ都会の中を一人で漂っていた。
ぶらり幽霊一人旅である。特に目的地があるわけではないので、その辺の人波に身を任せ、流されるように移動していく。興味が惹かれるものやお店があったらその都度足を止め、一通り満足するまで見物する形だ。ウィンドウショッピングになってしまうのはもったいないけれど、可愛い服は見ているだけで楽しいし、お洒落な雑貨屋さんなんていくらでも時間を潰せる。ケーイチが普段行かないだけで、世の中には色んなお店があるんだなぁと感心してしまった。
ふと気が向いて、お寺や神社にも行ってみた。幽霊が見えるお坊さんや神主さんがいるんじゃないか、なんて期待をしたわけではなく、単にお父さんの影響で古風な建築物が好きなだけ。
そもそも霊能力者探しは以前ケーイチが散々頑張った挙句、見つかる気がしないという結論が出ていた。わたしが『もういいよ』って言っても辞めないくらい精力的に探してくれたのに、それでも見つからなかったのだ。だからそのことに関しては今更どうもこうも思わない。
見つかったところで何かが変わるわけでもないしね。
「ふふふん、ふーふふー♪ ふふふふんふーんふー♪」
やたらと露出度の高い、奇抜な衣装の男性が歌っている夏の名曲を口ずさみながら、溢れんばかりの通行人たちと一緒にスクランブル交差点を渡る。みんなわたしのことが見えていないので、当然避けてはくれない。ガンガンぶつかって、わたしがいることにも気づかずにすり抜けていく。
ちょっとびっくりするけれど、これはこれで面白い。定点カメラに映って、ゴールデンタイムの心霊映像番組で紹介されたりしたらさらに面白いのになぁ、と思う。悪趣味だろうか。
交差点を渡り切る。アスファルトに足を付け、生きている人たちと同じように歩道を進む。周りには背の高いビルがたくさんあって、わたしたちが住んでいる町とは景観が大違い。
「この辺りには駅もあるしお店もあるし、何でもかんでもありますねー。家賃とかどのくらいすると思う? ケーイチ」
ふとそんなことを呟き、
「……って、いないんだった。あはは」
と一人で苦笑いしてしまった。長年の癖は抜けないらしい。
ケーイチと五十嵐さんが向かった水族館とは、もう何キロも離れているはずだ。
気づかれないようにこっそりついていって、物陰から二人の様子を見守ろうかとも思ったけれど、結局やめた。きっと大丈夫だろうと信じることにした。
大体五十嵐さんが来た段階で、わたしはいなくなろうと決めていたのだ。
今日のデートが終わるまで、じゃない。
これから先、ずっと。永遠に。
わたしはケーイチの前から姿を消そうと考えている。
◇
そもそもの話。わたしはずっと、ケーイチに大きな嘘をついていた。
わたしが彼から数メートルしか離れられない、という話だ。本当はそんな制限なんてない。離れすぎると胸が苦しくなったり、消えてしまいそうになったりもしない。今こうしているように、その気になれば何キロだって、いくらだって離れられる。
実のところ。わたしは背後霊でも守護霊でもなく、浮遊霊なのだ。
最初から、わたしが幽霊になった時からそうだった。
五年前の夏の夜。道路に飛び出してきた男の子を助けようとして車に撥ねられたわたしは、気がつくとすぐそばのアスファルトの上に立っていた。何メートルか離れたところにはバンパーが大きく凹んだ車(ダンプカーだっけ?)とパトカー、数人の警察官がいて、目の前の車道には一時通行止めを示すカラーコーンと、生々しい血の跡。
もしかしてあの男の子が轢かれてしまったんじゃないかと焦ったけれど、すぐ横の公園で母親や警察官の人と一緒にいる。どうやら無事らしいと安心するも、じゃあこれは誰の血なんだと疑問に思い――数分後、ようやくわたしのものかもしれないと思い至った。なにしろ周りにいる人たち全員に無視され、肩を叩こうとしてもすり抜けた挙句、『中学生の女の子が救急車で運ばれた』と話しているのを聞いたからだ。
わたしは怖くなってその場から逃げ出し、大急ぎで自分の家に帰った。しかしお母さんや弟にいくら話しかけても、やっぱり反応が返ってこない。それどころか病院らしき場所から電話がかかってきて、お母さんは真っ青な顔で家を飛び出していってしまった。
泣きそうになりながら三軒隣のケーイチの家に入り込むも、ケーイチはいない上に彼のお母さんも無反応。
焦燥を越えて呆然の域に突入したわたしは、ふと彼が夏期講習に行っていることを思い出して、とぼとぼと近所の塾へ足を向けた。その夜のお父さんは対局で家にいなかったし、ケーイチだけが頼りだった。
けれど目的の塾に着いた時、今度は別の意味で怖くなった。ケーイチにもわたしの姿が見えず、また無視されたらどうしようという恐怖だ。だから塾の中にまで踏み込めず、外でじっと彼のことを待った。心の中を空っぽにして何も考えないように立っていた。
結論から言って、ケーイチにはわたしのことを認識できた。姿を見ることもできたし、声を聞くこともできた。彼だけが、わたしがここにいることを証明してくれた。
本当に、それがわたしにとってどれだけの救いだったことか。
だからわたしはケーイチに甘えてしまったのだ。
わたしにはケーイチしかいない。彼に見捨てられたり、いないもの扱いされたりしたら、もう何を信じてこの世界にいればいいのか分からなくなってしまう。それが他のどんなことよりも恐ろしくて、わたしはケーイチの背後霊なのだと、彼から離れることが出来ないのだと、そんな嘘をつくことにした。離れられないのであれば、『どこかへ行ってしまえ』と言われることはない。わたしの存在を疎ましく思われても、それでもそばにいられる。身勝手で、みっともなくて、自分のことしか考えていない卑怯な嘘だ。
でも、それも今日で終わりにしようと思う。
ケーイチはわたしに縛られるべきじゃない。
本来、死は不可逆のものだ。どうあがいても死んでしまった人は生き返らない。だからこそ、今を生きている人たちは死別を乗り越えて――あるいは受け入れて前に進む。故人を悼むことはあっても、その死にいつまでも囚われてはいけないと考える。
それが正しい在り方だ。今現在のわたしの家族がそうしているように、悲しいことを心の中に抱えながらも、前を向いて人生を歩むのが正解なのだ。
けれど、今のケーイチにはそれが出来ていない。
わたしが霊としてそばにいるせいで、彼は“水上悠宇香が死んだ”ということに実感を持てていない。過去を乗り越えるどころか、過去に引きずられて――五年前のあの日をずっと身近に感じながら生き続けている。
ケーイチが友達作りに無関心だったり、毎日を流されるように過ごしているのは、多分そのせいだ。『もう死んでしまった悠宇香の目の前で、自分だけ楽しく生きてしまっていいのだろうか』――なんて罪悪感を覚えているのだ。無意識なのかもしれないし、口に出したことはないけれど、見ていれば分かる。
ケーイチの絵に主体性がないと言われるのも似たような理由なのだろう。
おそらく、彼は現実逃避の手段として絵を描いている。集中して手を動かしていると何も考えなくていいから、何となく気持ちが楽だから、そんな後ろ向きなモチベーションで筆を握っている。そりゃ、どれだけ上手くなっても『描きたいものが見えてこない』なんて言われるわけだよね。端から見ていて少し悲しくなる。
だからこそ、やっぱりわたしはいなくならなければならない。
わたしの死をちゃんと受け入れてこそ、ケーイチはこれから先の人生を真っ直ぐ歩いていける。
優しいケーイチのことだから悲しんでしまうとは思うけど、きっと大丈夫。今の彼には親友と呼べる友達や、尊敬できる先輩、自分のことを好いてくれている素敵な異性がそばにいる。
同じ学科の竹内君や、ボードゲーム同好会の黒森会長、そして五十嵐さんのことだ。
竹内君は愉快で明るく、友達想いで、かつ自分の表現したいことのために全力を尽くしている、理想的な友人だ。自分を卑下して腐ってしまっているケーイチを、きっと前から引っ張っていってくれるはず。
黒森会長はいつも誠実で、落ち着いていて、気を抜いて楽しむということの重要性をよく分かっている賢人だ。彼の生き方は、ケーイチにとって良いお手本になるに違いない。
五十嵐さんは女性として、わたしから見てもすごく魅力的な人だ。ケーイチは『悠宇香の将棋の腕が目的なんだよ』といって真に受けないけれど、多分そのことを抜きにしても彼女はケーイチに好意を抱いている。そしてケーイチもまた、五十嵐さんに惹かれているのだと思う。なんだかんだ言いつつも、デート当日に緊張してしまうのがその証拠だ。多分、あの二人はこの先上手くやっていけるだろう。
――うん、やっぱり心配ない。
今彼のそばにいる人たちの顔を思い浮かべて、わたしは再び確信した。
本当はもっとずっと前からいなくなろうと考えていたのに、ケーイチと過ごす時間があんまりにも楽しくて、ついつい五年間も引っ付いていてしまったけれど。
これで本当に、お別れだ。
◇
ぶらり一人旅を終えた後、わたしは日が暮れる前に地元の町まで帰ってきて、ケーイチの家とわたしの家を訪れた。一方的にはなってしまうけれど、最後に一目会っておこうと思ったのだ。
消えるといっても自分の意志で成仏できるわけではないので、ケーイチの前からいなくなるためには、彼の行動範囲から可能な限り離れるしかない。当然、彼の家があるこの地域には二度と来ないことになるだろう。
「お母さーん、悠太ー! 元気でねー!」
ぶんぶんと手を振りながら、水上家のリビングでゆったり過ごしていたお母さんと、弟の悠太に別れを告げる。二人ともテレビに夢中で、こちらにはまるで反応しない。
仏壇前のおりんをチーンと鳴らしてやろうかとも思ったけれど、自分の遺影の前でそんなことをするのはさすがに無作法なのでやめた。
しかし悠太も大きくなったものだ。今年で十四歳の中学二年生なので、わたしの年齢に追いついてしまったことになる。どうやら反抗期もなかったようだし、お母さんと並んでソファーに座っているくらいなら安泰だろう。顔立ちも整っているので将来に期待大。多分この子はモテると思う。身内びいきが過ぎるかな?
「お前は撥ねられるんじゃないぞー! 道に飛び出してくる少年と車には気をつけて!」
我ながら不謹慎な言葉を最後に、玄関を出た。
時刻は既に午後五時半を過ぎているだろうか。七月ももう下旬とはいえ、段々と日が暮れてきた。
蝉が喧しく鳴いていて、その音が無性に夏を感じさせる。
ちなみにお父さんは対局で不在だったけれど、彼の場合テレビに映ることがあるし、遠征で地方に行くこともあるから、とりあえず今日会わなくても構わない。ケーイチの両親は運よく在宅していたので、さっき挨拶しておいた。
というわけでもうこの辺に居座る必要はない。
ケーイチが帰ってくる前に、さっさとこの町から離れるべきだろう。
ただ、あと数時間は猶予があるはずだ。あんな都心まで出掛けていたら、帰ってくるのは必然的に遅くなる。
だからもう少しだけ、わたしが生前死後合わせて十九年を過ごした町を見て回ろう。
古びた卒業アルバムをめくるような気分で、思い出深い場所をあちこち巡り歩く。まあ卒アルなんて小学校の頃のものしか貰っていないのだけれど、そこはそれ。ものの例えというやつです。
近所の小さな空き地、自転車で上るのに苦労した長い坂、まだ現役で営業している駄菓子屋さん。同級生とよく遊んだ青少年の家、幼稚園と小学校と中学校の校舎、それから入場料がやたら安い市営プール。
こうして見ると、たくさんの所に色んな思い出が残っているんだなぁと感心する。ノスタルジーって感情だろうか。
そしてどの思い出にも大体ケーイチが絡んでいるので笑ってしまった。
例えばさっき横切った神社は幼稚園の頃、ケーイチが五円玉をお賽銭箱に全力投球しておばさんに激怒された場所だし、遠くに見える小さな山は、小学三年生の時に二人でカブト虫を獲りに行ったところだ。
本当に、懐かしくて仕方がない。
一時間以上練り歩いて、わたしは大体満足した。
というか完全に日が落ちてしまって散策どころじゃなかった。
それにこれ以上のんびりしていたら、帰ってきたケーイチに見つかってしまう危険性がある。それはまずい。面と向かって別れなんて告げられる気がしない。このままふわりと霞のように消えてしまうのが、一番気楽だ。
だから最後にひとつだけ、心の整理も兼ねてとある場所を訪れることにした。
「……まだ献花なんてされてたんだ」
電信柱の脇にそっと置かれた、慎まやかな花瓶を見て呟く。
そこはわたしが死んだ場所。
小さな交差点の、小さな公園の前。
ケーイチが絶対に訪れようとしないので、わたしも五年間ここには近寄らなかった。今改めて来てみると、ほとんど何も変わっていない。本当に、人一人が死んだとは思えない程普通の交差点だ。当人がそう思うのだから、周りに住んでいる人だってそうだろう。
「ま、別に危ない道じゃないもんねー。再発防止のためにすることなんてないか」
心なし、街灯が増えているくらいかな。
特に興味もないことを考えながら、なんとなく誰もいない公園の中に入ってみる。こうしている間にもどんどん車は通っているので、車道の前にいるのは落ち着かない。
公園も公園で、何の変哲もない地味なところだ。
すべり台があって、ブランコがあって、砂場があって、鉄棒がある。昔はシーソーもあった気がするけれど、それは撤去されたのだろうか。そもそもこっちの公園よりも近所に別の公園があったので、幼いわたしとケーイチはそっちで遊んでいた。ここにあまり思い出はない。
意味もなく、ブランコに腰を下ろす。さすがに私の霊的パワーではブランコなんて動かせないので、本当にただ座るだけだ。ケーイチから離れられないのは嘘だけど、少ししか物に触れないというのは真実である。
そのまま、だらりと俯いた。
霊ゆえに身体が疲れるなんてことはあり得ないけれど、さすがに今日一日長い距離を浮遊してきたから、心の方が休息を求めているのかもしれない。
睡眠とは無縁の身だけれど、視覚を休めたくて目を閉じる。
そしてその時、ちょうど大きな音が聞こえてきた。
――ひゅー、どんっ、ぱらぱらぱら。
馴染み深い、あの音。花火が打ち上げられて弾ける破裂音。
わたしは別に驚かなかった。
そう、今日は例の花火大会が行われる日なのだ。七月二十日の土曜日。五年前より五日も日程が早いけれど、行事の開催日が毎年前後するなんて別に珍しくもない。
わたしはそのことをは少し前から知っていた。近所の電信柱や駅前に花火大会開催のチラシが貼ってあったし、さっきこの辺りを漂っている時も浴衣姿の人たちをたくさん見かけたから。多分、ケーイチは知りもしないだろう。花火を忌避する彼がチラシに意識を向けるはずがない。
わたしは夜空を見上げずに、俯いたままで音に聞き入る。
ひゅー、どんっ、ぱらぱらぱら。
「…………」
この音を聞くと、どうしてもあの夜のことを思い出す。
五年前の夏の夜。わたしは花火大会でケーイチに告白しようと思っていた。
あえなく頓挫してしまったけれど、一世一代の大勝負に打って出るつもりだったのだ。思い返すとちょっとだけ恥ずかしい。
ケーイチのことはずっと前から好きだった。
親しすぎる幼馴染はほぼ兄妹のようなもので、恋愛感情が芽生えにくいと言われているし、実際ケーイチはそうだったのだろうと思うけれど、わたしは違った。小学生の高学年くらいの時にはもう、異性として彼に好意を抱いていたと思う。といってもその頃は告白なんて行為は意識の片隅にもなく、『いつか振り向かせられればいいなぁ』なんて悠長なことを考えていた。もちろん近しい関係性を崩したくないという懸念もあった。
状況が変わったのは中学校に上がってからである。
一足先に制服に袖を通したケーイチは、ひとつ年下で女子のわたしと遊ぶことを段々と拒絶するようになった。年齢を考えれば仕方のないことなのだろう。
ショックを受けつつも、中学生になったわたしはそれを受け入れた――入学して数カ月が過ぎるまでは。
なんと、女子グループの恋愛噂話のひとつとして『林道先輩はけっこう同級生の女の子にモテている』という衝撃の事実が回ってきたのだ。
わたしは冷や水をぶっかけられたように戦々恐々とした。ケーイチに距離を置かれるのはまだしも、彼が誰かに取られるという可能性は微塵も考えていなかったのである。
そしてそれだけは何をおいても避けたい事態だった。
だからわたしは男女間の距離感をかなぐり捨てて、無理矢理にでもケーイチと幼馴染としての間柄を保とうとした。朝は一緒に登校しようとしたし、彼が校内で男友達と話していても平然と話しかけに行った。もちろん恥ずかしかったけれど、それ以上に彼と疎遠になるのだけは嫌だった。
花火大会で告白しようと思ったのもその延長線上だ。
ケーイチが中学校を卒業してしまったら、またわたしとの距離が大きく開く。受験勉強に集中し始めれば、今までのように付きまとうのも迷惑が過ぎるだろう。
たとえ告白が成功しなかったとしても、今のうちにわたしを異性として意識させる必要がある。そう考えての行動だった。
まあ結局花火大会のお誘いは断られてしまったし、後々ケーイチは別にモテていなかったことが発覚したのだけれど。
ケーイチは特に人気があるわけではなかったのだ。女子が友人と繰り広げる『気になっている人とかいる?』という恋愛トークの中で、本命ではなく『とりあえず名前を上げておくのに丁度いい人』というブラフや安全牌のような扱いをされていたらしい。勉強も運動もそれなりに出来て、顔はまあ悪くなく、クラスのイケメンと違って気になっていると発言しても身の程知らずだと思われない。そんな立ち位置。
馬鹿だったなぁ、と思う。
ケーイチがではなく、もちろんわたしがだ。
早まってあんな行動をしなければ良かったと今でも悔やむ。もう、取り返しのつかないことだけど。
「……まぁ、死んだ後にボーナスタイムを貰えただけ、ラッキーだったのかな」
ブランコに腰かけたまま、ぽつりと呟く。
――大丈夫、わたしは大丈夫。
気持ちの整理はついている。自分が死んだことをきっちりと受け止め切っている。
事故の件について、『誰も悪くない』なんて言ったのは全部嘘っぱちだけど。本当は誰も彼も責めたかったし、『何で私だけが』と叫び出したかったけれど。
それでも、わたしは大丈夫。
ケーイチが幸せになってくれさえすれば、もうそれ以外に望むものは何もない。
「――じゃ、そろそろ行きますかね!」
両手でパチンと頬を叩いて、スカートをたなびかせながら立ち上がる。
これから先、どこへ行こう。どうせ遠くへ向かうのであれば、飛行機か船にでも相乗りして、海外まで行ってしまおうか。世界にたった一人きりだとしても、成仏するまでの暇つぶしとして地球は十分過ぎるほどに広い。
脳内世界地図にダーツを投げて、適当に目的地を決定した。
よし、ブラジルに行こう。せっかくだから、うんと離れた国へ向かおう。
詳しくはないけれど、サンバカーニバルとか見てみたい。あとはリオデジャネイロだっけ? でっかいキリスト像があるって聞いたことがある。それも観光しよう。
想像するとちょっとだけ楽しくなってきた。
花火の音に背を向けて、この町から離れるために公園の出入口へと歩き出す。
大丈夫、わたしは大丈夫なんだ。
悲しくなんてない。涙なんて出ない。もう過去を振り返ったりなんてしない。
だから――
「えっ……?」
けれど、わたしの足は公園を出る前に止まった。
あり得ないようなものを見た驚きで、顔と身体が硬直した。
「――や、やっと見つけたぞ……悠宇香……」
息を切らして、汗だくになって。
今にも倒れそうなくらいふらふらのケーイチが、わたしの前に立っていた。
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