第四話 苦手な人

「わー! テルくん? 来てくれたんだー! ありがたいありがたい!」


 ボードゲーム同好会の活動場所――中央棟四階の講義室に足を踏み入れると、よく通る華やかな声に出迎えられた。夏の縁側で聞く風鈴の音のような、とても耳当たりの良い声だ。

 声の主である女性は室内中央の席から立ち上がると、俺の方にずいずいと近づいてきて、避ける間もなく両手を握ってきた。さらにぶんぶんと上下に振られる。


「いやー、今日の参加者、私含めて二人しかいなくってさー、助かったよ~」

「先輩近い、近いっす」


 人懐っこい瞳に見つめられて、思わず目を背ける。ついでに身体も大きくのけ反る。やたらフローラルな香りが漂ってきて、それを意識している自分が少し恥ずかしい。

 やっぱり、この人は苦手だ。

 日本画科三年、五十嵐いがらし美鈴みすず先輩。

 この同好会の一員。

 明るいブラウンに染めた長い髪をポニーテールにまとめた彼女は、涼しげな黒のノースリーブにカーキ色のワイドパンツという、ラフながら垢抜けた恰好に身を包んでいた。美人はシンプルな服装でも似合ってしまうのだからずるいと思う。悠宇香も隣で「やっぱり綺麗だねー五十嵐さん」と眩しいものを見るような目で頷いている。

 死んだときの姿で固定されているからか、悠宇香はセーラー服を脱ぐことも着替えることも出来ない。女子として、お洒落はやっぱり羨ましいのだろう。


「先輩、パーソナルスペース近過ぎますって」

「ごめんごめん、つい。テル君先週は来てくれなかったからさ」


 五十嵐先輩は俺の両手からがばっと手を離すと、手招きしながら室内の中央へ戻っていく。

 そこには講義で使う長机が二つ、長辺を繋げるように並べてあり、窓際の上座にはこの同好会のもう一人のメンバーが座っていた。

 メンバーというか、創設者にしてここの長。


「やぁ林道君。五十嵐君の言う通り、来てくれて助かったよ」


 どことなくトールキンのホビットを思わせる、小柄で細身の男性。個性的な丸眼鏡とパリっとした白ワイシャツの似合う彼は、建築デザイン科四年の黒森さんだ。

 このボードゲーム同好会は、会長こと黒森さんが一学年の時に立ち上げたサークルである。活動日数は週一回。歴史の浅い同好会故に部室はなく、毎回共通棟講義室のひとつを借りて行われる。基本的には会長が持参したボードゲームをみんなでわいわい楽しむだけという、実に緩いサークルだ。

 一年の頃、『家にまっすぐ帰るだけなんて学生生活もったいないよ!』と悠宇香にしつこく迫られた俺は、偶然見つけたこの同好会の雰囲気が気に入って入会を決めた。毎回とは言わずとも、活動日はよく足を運んでいる(今日は完全に忘れていた訳だが)。


「皆、この時期は忙しいらしくてね。人が全然集まらないんだ」

「ま、まあそうでしょうねー……制作とかありますからねー……」


 心底残念だという表情で、会長がぼやく。

 少し前まで帰宅しようとしていた身としては、若干心苦しい。


「もし林道君が来てくれなかったら、五十嵐君と二人で”これ”をやることになっていたところだよ」

「……なるほど、確かにタイマンで”これ”はちょっとアレかもしれません」


 会長の右側、五十嵐先輩の対面の席につきながら、俺は机の上に広げられた代物に言及した。

 ルーレットのついたカラフルな盤面。ちゃちな紙幣に証券に約束手形。数色の種類がある小さな自動車と人のコマ。


「人生ゲームだー。懐かしいね、ケーイチ」


 背後で悠宇香が言った。確かに懐かしい。人生ゲームなんて、それこそうちの一家と悠宇香の一家で小学生の頃に遊んだきりだったか。

 とはいえ、見たところ目の前に置いてある人生ゲームは、盤面も紙幣もコマも、見慣れたものとどこか微妙に異なっている。バージョンが違うという訳ではない。どうやら純正の人生ゲームではなく、それを真似た類似品……いわゆるパチモノのようだ。販売元に訴えられないかのチキンレースをしているんじゃないかと疑うくらい、よく似ている。


「しかし珍しいですね。ベタというか、いつも会長が持ってくるものとは毛色が違うというか」


 普段彼が用意してくるボードゲームはもう少し洒落ているものというか、海外――特にドイツのものが多いのだ。先月はエルグランデという渋めの陣取りゲームをプレイしたし、その前はサフラニートというカーリングのようなゲームだった。


「僕ももう四年だし、たまには初心に帰ろうと思ってね。今回は五十嵐君に持ってきてもらったんだ」

「そうそう。今日は私の家からご用意させて頂きました。いわばホストだね。悪いけど簡単に負けるつもりはないよ、テルくん」

「いや人生ゲームでそんな闘志メラメラ燃やされても困るんですが……」


 五十嵐先輩の強烈な視線に射抜かれて、思わず肩をすくめる。


「勝負にこだわるのは大事だよ。何故なら勝つと楽しいし、負けると悔しいから」

「殊勝な心がけです」


 相変わらず、異常に負けず嫌いな人だ。

 日本画科のマドンナと影で呼ばれている五十嵐先輩を目当てに入ってきた男子会員は、大抵彼女の執拗な勝負熱に気圧されて徐々に同好会から足が遠のき、そのうちいなくなっている。残っているのは根っからのゲーム好きか、俺のように飄々と気軽に楽しんでいるメンバーくらい。

 五十嵐先輩はいなくなる会員を残念がっているけれど、下手に居座って恋愛絡みのサークルクラッシュが起きるよりはマシだろう。そもそも彼女は自分の美人ぶりに無自覚というか、雑というか、とにかく奔放が過ぎる。魔性という言葉がふさわしい。


「まあ、とにかく始めようか。今日はもう林道君以外に来ないと思うからね。いつものように、楽しむことをモットーに」

「勝ちます」

「会長、聞いちゃいませんよこの人」


 悠宇香が俺の背後で「ゲームスタートっ」とやたらテンションが上がった様子で拳を突き上げ、今日の活動が始まった。





 それぞれが車のコマを選び、運転席にプレイヤーを示すピンを刺して、ゲームがスタートする。初期所持金は三万円。パチモノだからか、このあたりの数字からして既に違う。


「あれ、林道君。そのピンでいいのかい?」


 車のコマに迷いなくピンク色のピンを刺した俺を見て、会長が言う。


「ええ。まあネカマプレイみたいなもんです。気にしないでください」


 そう返しながら、俺は他二人に気づかれないくらいの自然さでコマを指差し、背後の悠宇香にジェスチャーを送った。


「え? ケーイチ、わたしがやっていいってこと?」


 小さく頷く。

 間接的にせよ、悠宇香が俺以外の人間と関われる機会はそう多くない。こういう時くらい、プレイヤーになって素直に楽しめばいいと思う。


「……ケーイチの息抜きのために来させたつもりだったんだけどなぁ。まあどうしてもって言うのなら? 仕方がないですね、やりましょう」


 気持ちを汲んでくれたのか、悠宇香はすっと近づいてきて俺の隣にスタンバイした。口角が上がっているのを隠しきれていないので、それなりに嬉しいと見える。

 進行の順番は会長、五十嵐先輩、俺(悠宇香)に決まった。

 それぞれがルーレットを回し、プレイヤーを乗せた自動車がスタート地点から出発していく。

 せっかくなのでルーレットも悠宇香に回させた。俺が回すフリをし、そのタイミングで悠宇香が手を重ねて動かす。やはりこれくらいならどうにか干渉出来るらしい。


「最初はいきなり就職エリアか。就活生としては頭が痛いね」


 会長がコマを進めながら自嘲気に笑う。


「いやいや、何言ってるんですか会長。結構有名な建築事務所からお声が掛かってるって噂ですよ。私聞きましたもん」

「まあ、事実ではあるけどね。僕にも色々あるってこと。五十嵐君こそ、この前の新宿のグループ展、評判良かったらしいじゃないか」

「いやー、それでもやっぱり画家一本ってのは難しいですからね。茨の道に突っ込むことになりそうです。テルくんはどうなの?」

「あー、いや俺は……」


 話を振られて言葉に詰まる。学科外どころか校外にまでその名が轟いている超優等生の二人と比べられても困る。俺は卒業後の進路どころか、現在進行中の制作課題の完成すらおぼつかない有り様なのだ。そもそもちゃんと卒業出来るかどうかも怪しい。


「考え中、ですね……どうなることやら」

「まあまだ二年あるんだから、ゆっくり決めればいいさ……お、とりあえず今の僕は料理人になったみたいだ」


 会長がマスに止まり、料理人と書かれた職業カードを手に取る。そこそこ安定した職のようだ。

 同様に五十嵐先輩は高収入の弁護士、悠宇香は収入の不安定なアイドルになった。フリーターやニートになる可能性もあったので、とりあえず全員幸先の良いスタートと言えるだろう。


「アイドルだってさケーイチ! いや~、女の子なら一度くらいは憧れるよね、アイドル。頑張って武道館目指しますよー」


 悠宇香がエアマイク片手に踊り出す。気合十分のようで微笑ましい。


 その後もゲームは順調に進んだ。

 会長はローリスクローリターンの道を選び、道中で幾つか骨董品を購入して資産を増やしていく。

 五十嵐先輩は悪質な詐欺に引っかかって全財産の半分を失いながらも、弁護士の高収入と宝くじの大当たりで所持金トップ。

 悠宇香は初っ端から出目が悪く低収入が続いたが、猪突猛進で最短ルートを突っ走って最前線に位置。ギリギリのところで大損害のマスを避け、黒字と赤字の境界線を行き来しながら、しぶとい地下アイドルの如き粘り強さを見せている。

 ルーレットも各種証券の扱いも資産の購入可否も、何から何まで悠宇香に任せているわけだが、それでも見ていて面白い。本家の人生ゲームとは異なるせいか、やたら過激なマスがあるのだ。『落とし穴に落ちて振り出しに戻る』だとか『右隣のプレイヤーから現金を強奪』だとか。

 五十嵐先輩に負けず劣らず、悠宇香が相当の勝負好きだということも一因だろう。白熱したゲームは、端から見ている分には疲れないし見応えがある。


「とりあえずチェックポイントへのトップ到達ボーナスは貰えるから、ある程度差は縮められるとして……高額物件だけ借金してでも先に確保しなきゃ。換金用のアイテムカードは数枚あるけど雀の涙だし、ここはリスクをとってでもギャンブルエリアに長居して……」


 悠宇香はもうずっとこの調子だ。父親譲りの勝負師の目を光らせ、盤面と他二人の所持金やアイテムを逐一確認しながら行動計画を練っている。

 没頭しているようで何よりだと思う。

 とはいえ。

 一方で、俺はどうにもゲームに集中出来ていなかった。


「…………」


 じーーーーっ、と。

 さっきから頻繁に、俺の方へ妙に熱い視線が向けられているのだ。

 視線の主は真正面。盤を挟んだ向こう側にいる五十嵐先輩である。

 何事かと目を合わせてみれば、


「……っ!」


 と即座に逸らされる。

 そのくせ数秒後にはまたじっと見つめてくるので、落ち着かないことこの上ない。緊張して冷や汗が吹き出しそうだ。

 やたら前傾姿勢な上、こちらの正面に位置しているものだから、迂闊に目を向けるとノースリーブの緩い襟から豊満な胸元が垣間見えてよろしくない。本当によろしくない。

 これが彼女なりの対男性勝負術だとすれば、俺は完全に術中に嵌っている。悠宇香が代わりにプレイしてくれていなかったら、まともにゲームを進められなかっただろう。

 さっき俺の(悠宇香の)コマが結婚マスに止まった時なんて、


『……テルくんってさ、彼女とかいるの?』


 これである。

 それも真剣なトーンで聞いてくるのだから本当に困る。咄嗟の判断で会長の彼女、イギリス人留学生アメリアさんの話題に移していなければ今頃どうなっていたことか。ありがとうアメリアさん。本当に助かった。

 正直に言うと、ここまで五十嵐先輩が見つめてくる理由は分かっていた。これまでの経験からさすがに察していた。

 どうやら彼女は俺にそれなりの興味を抱いてくれているらしい。好意とは言わずとも、好奇心と呼べるくらいのものは。

 生まれてこの方交際経験のない自分が、うぬぼれで言っているわけではない。そもそも、五十嵐先輩のこの遠回しなんだか直截的なんだかよく分からないアピールを、俺はそこまで快く思っていなかった。

 何せ彼女が俺に興味を持ったきっかけは、俺自身ではなく悠宇香にあるのだ。


 話は一年ほど前まで遡る。

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