術後3日目 温かい味噌汁

 眠れない。痛みなのか、痰鼻水鼻血なのか、全く寝付けない。

 横にフラットになると苦しいから、ギャッジアップは座位と仰向けの中間くらいで目を閉じている。


「グレイヴ隊長!」

「なんだレクサス」

「隊長はなんでいつでもどこでも寝れるんすか?」

「訓練したからだよ」


「どういう訓練すか?」

「そうだな…感覚を一つずつ切り離して行って、自分の体が宙に浮いたような感じになると眠れるかな」

「全然分かんねーっす!」


 37度台の熱があってだるい。乾燥で口の中がカピカピになって咳が出ると苦しい。夜中も咳込んでは定期的に飲水。


 ドリンク食はストローでもなんとか飲めるようになった。まだ顎を自由に動かせないんだけど、唇を閉じるよう手でアシストするんだって。スープもスプーンで飲むことができた。あー、温かい味噌汁最高。具は無いけど。


「やっぱさ、味を楽しむって人生に絶対必要なことだよなー」

 間違いないねレクサス君。彼は新人軍人で、よく食べよく笑いよく泣く少年ジャンプ系な人ね。


 でもあたしミックスフルーツ味が苦手で…。高カロリー栄養剤が1日1食この味なのよ。どうしても克服できなかった。

 しかも何となーく、血の味がする。


「歯磨きはどーした?」

 どうやっていいのか。痛みはあるし、腫れて形が変わってしまったけど、鏡を見ながら、おっかなびっくり、少しずつ自分でいじってみる。


 すると、そうかこれはあたしの口なんだとやっと頭が認識してくれて。それからは、割れた唇の痛みをこらえながらめくって、少しずつ磨けるようになった。

 あたしだけじゃない、ここの入院患者全員にとって、洗面所は常に戦場よ。


 そして、シャワーを浴びることができた。

「そんなに顔腫れてんのに、ジャージャー浴びていいんだ?」

 あたしもそう思った。外側の傷じゃないから全然平気。ほんとは昨日から浴びてよかったんだけどね。ちゃんと洗顔して、髪も整えて人間に戻ったよ。


 3食の経口摂取にヘトヘトになる。うまくもない食べたくもないドリンク。カロリーと栄養摂取のためだけの嚥下行為だ。

 つらくて、携帯で子供の写真を眺める。


 あんなに小さいのにあたしの為に頑張っている。それを思うだけで涙が出る。こんな存在って他にあるだろうか。ああっ、でも泣くとまた鼻水がっ…!(吸引)

 でもこの頃には吸引頻度はずいぶん減って、1日に両手で数えられるくらいに。


 夜、執刀医の診察。順調だってさ。半年から一年後におとがい形成の手術を考えた方がいいと言われるが、とてもじゃないけどこの苦しみをもう一度なんて考えられません!と即答。まあ、様子見ましょうって苦笑いされた。


 下顎後退を防ぐため、歯列矯正のワイヤーにつけられたフックに、直径1㎝くらいの強力な輪ゴムをかけて、前目を維持している。そのお陰で、口が閉じられるようになったためヨダレに悩まされず。口の渇きも少しは抑えられるようになった。


「掃除のおばちゃんが親切に声かけてくれてさ、嬉しかったよな」

 うん。あたしも困っている人には自分から声をかけると誓うよ。なんかね、大げさだけど違う自分になったような気がするんだ。


「自分が弱ってはじめて人の優しさに気付いたって?」

 そうなんだよね。家族にも感謝しなきゃ。


 母として、社会人として、上司として、弱いオバサンなんて迷惑なだけだと思ってたけど、たまには弱くなるのもいいもんだ。

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