第46話「神様在中っ」

 ~~~高城恋たかぎれん~~~




 控室の隅っこに、わたしは座り込んでいた。

 ウインドブレーカーを頭からかぶり、静かに打ちひしがれていた。


 こんなことしてる場合じゃないのはわかってる。

 今すぐステージに走って行かなければならない、それもわかってる。


 でも、体が動かないんだ。

 手足が重くて、心臓が痛くて、息苦しくて。

 涙が止まらないんだ。


 この一年間で、けっこう強くなれた気がしてた。

 いくつものステージに立って、いくつもの成功を納めて。

 ファンもついて、アイドルキャラバンにもきっと勝って、これからの人生は順風満帆。


 それらが全部、薄っぺらな書き割りみたいに思えた。

 しかもそれは、レンさんという支柱を失い、倒れて粉々に割れてしまった。

 もう誰もわたしなんか見てくれない。

 このままじゃ、プロデューサーさんにだってきっと見捨てられちゃう……。


「なあ、恋」


 負の思考の沼にどっぷりと浸かっているわたしの隣に、プロデューサーさんが座った。

 何を告げられるのかが怖くて、わたしは思わずビクリと震えた。


「レンのこと、おまえはどんな風に見えてた?」


「……レンさんのことですか? そりゃあ……ダンスが上手くて、歌も上手くて、笑顔が可愛くて人当たりが良くて気遣いも出来て……あたしにとってはアイドルオブアイドルみたいな人ですけど……」


 どういう意味の質問なのだろうか。

 わたしはウインドブレーカーの隙間からちらりとプロデューサーさんの顔を窺った。


「今はな。だけどあいつ、最初はホントにダメダメな奴だったんだ。ダンスもダメ、歌もダメ。だが、だからこそ努力したんだ」


 優しい声でプロデューサーさんは続ける。


「本当に、人の何倍も努力したんだ。そうして体力をつけて、筋力をつけた。ダンスや歌唱力を身につけた。やがてそれらが自信になって、アイドルとしてのあいつの底力になった」


「……っ」


 寂しげな横顔に、胸が締め付けられる。


「あいつが流した汗と涙と同じだけの量を流すには、2年や3年じゃ足りない。1年前から始めたぐらいのおまえじゃ、足元にも及ばなくて当然だ」


「……やっぱりわたしなんて出て行かないほうがいいってことですよね。ここでこうしているのがお似合いというか……」


 自嘲気味に言うわたしの肩を、プロデューサーさんがそっと叩いた。


「ひとりだったら、な?」


「…………っ?」


 不意をついて放たれたプロデューサーさんの言葉に、わたしは息を呑んだ。


「なあ、おまえは今まで、ひとりでアイドルをしてきたつもりか? ひとりでチームを組み、ひとりで衣装を用意し、ひとりで曲を用意したのか? 違うだろう」


しのぶちゃんと……一恵いちえちゃんと……」


「そうだ、3人でひとつのチームだったはずだ。足りないところを補って、良いところは指摘し合ってきたはずだ」


志保しほちゃんと……黒田くろださんと……」


「そうだ、3人分の衣装を2着ずつで計6着。予選本選含めて計9曲。簡単なことではなかったはずだ」


七海ななみちゃんとお仲間さんと……」


「そうだ。あいつらはプロのそれにすらヒケをとらないような応援を、後押しをしてくれたはずだ」


「プロデューサーさんと……」


「そうだ。そしてレン。あいつはおまえに、何をしてくれた?」


「レンさんは……レンさんはわたしに……」


 胸の内に問いかける。

 答えはすぐに返ってきた。

 怒涛のように奔流のように、それは一瞬で全身を満たした。 


 立ち方を──踊り方を──歌い方を──お客さんやスタッフさんとの接し方を──不安と恐れのごまかし方を──悲しみと喜びの分かち合い方を──


「……アイドルとしてのすべてを、教えてくれました」

 

「そうだ、恋。おまえはさ、チームガンマのライトウイングを務めたアイドルの、一番弟子なんだぞ?」


「わたしが……? で、でももうレンさんはいなくて……だからわたしは……わたしだけじゃ……」

 

 ダメなので──そう言おうとしてやめた。

 唐突に、わたしは気づいた。

 いつの間にか、自分がそれを握りしめていたことに。


 手製の缶バッチ。

 オリキャラの描かれた缶バッチ。 

 そこにはなんて書いてある?


「ああ……そうか」


 体の奥深いところから、ため息が漏れた。

 ぽろりと一筋、目から涙がこぼれた。


「レンさんは、ここにいたんだ」 


 わたしの気づきを察したのだろう。

 プロデューサーさんはゆっくりとうなずいた。


「そうだ。おまえたちは離れ離れになったわけじゃない。おまえの中で血や肉になって、レンは生きてる。それに、ほら──」


 プロデューサーさんは、控室の壁際に設置されているモニタを示してみせた。

 そこにはステージの様子が移し出されているのだが……。


「忍ちゃん……一恵ちゃん……」


 ふたりがわたしの名を呼んでいる。

 手を差し伸べ、こっちへ来いよと誘ってる。


「……っ」


 ドクン。

 心臓が高く鳴った。

 ドクンドクンと連続で脈打った。


「プロデューサーさん……」


 座っていたはずのわたしは、いつの間にか立ち上がっていた。

 かぶっていたはずのウインドブレーカーは、いつの間にか床に落ちていた。


「わたし……」


 握った拳が震えている。

 頬が真っ赤に紅潮している。

 全身が焦げ付きそうなほどに熱い。


 あそこへ立ちたい。 

 ステージの上で、みんなと一緒に輝きたい。

 渇きにも似た衝動が、体の底から湧き上がる。


「わたし、行って来ます。レンさんと一緒に」


 缶バッチを胸に付けると、わたしは自らの頬を張った。


「忍ちゃんと、一恵ちゃんと一緒に。全力でアイドルしてきます」


 短く言い残すと、わたしは控室を飛び出した。

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