第四十六話 国からの感謝状

「あの、ちょっといいかな?」


 ある日一日の授業を終えた私たちが寮の広間でくつろいでいると、突然そんな声がかかった。

 声のした方を振り向くと、そこにいたのは今回の事件で洗脳の被害にあった同級生の一団だった。

 深刻そうな彼らの表情を見て、私は思わず身構えてしまう。

 彼らが去年の誘拐事件のことを忘れようとしてアナトリオスを飲んだことはユーリから聞いていた。

 彼らにとって、あの事件は心的外傷トラウマに他ならなかったのだ。

 そして一度は忘れることができたその記憶だが、事件が明るみに出たことで再び思い出すことになってしまった。

 私の行動によって。

 診療所で浴びた、被害者たちの怒りの視線を思い出す。

 この子達も私を責めるのだろうか。

 私はこの場から立ち去りたくなった。

 そんな私の気持ちをよそに、先頭に立つ男の子、モーリスが口を開く。


「今日はユーリちゃんとレイナちゃんにお礼を言いたくて……」


 思いがけない言葉に私は呆気にとられてしまった。

 私たちにお礼?

 てっきり文句を言われるとばかり思っていたのに……。

 けれどその言葉にひと安心した私は、モーリスに先をうながす。


「今回の事件は、二人が解決に導いてくれたんだろ? 俺たち、今になって神殿で飲んだものがすごく危ないものだったって聞いて怖くなってさ。もしあのままアナトリオスを飲まされ続けてたら、一体どうなってたんだろうって……。でも二人のおかげで助かった。だからそのお礼。二人ともどうもありがとう」


 そう言ってモーリスは私たちに向けて深々と頭を下げた。

 他の子もそれに続く。

 それを聞いた私とユーリは顔を見合わせる。


「うん、どういたしまして……」


 少しこそばゆく感じたが、素直にお礼を受けとることにした。

 その様子を見たモーリスたちは少し頬を緩ませる。

 しかしすぐに真顔に戻り、今度はアレクシアの方に向き直った。

 いきなり視線を向けられ、アレクシアは表情を固くする。

 一体何が起こるのだろう?

 私とユーリも固唾を飲んでその光景を見守った。


「それと後、ライゼンフォートさんに謝らなくちゃ、と思って……」


 その中の一人の女の子、エイリンがそんなことを言い出した。


「私に謝罪? どうしてそんな急に?」


 予想だにしなかったその言葉に、アレクシアは目を丸くしている。

 かくいう私もそうだ。

 これまでずっとアレクシアを避けていた彼らが、彼女と一緒にいる私たちに話しかけてきただけでも驚きなのに、こともあろうにアレクシアに謝罪とは。

 ユーリも隣でびっくり仰天といった表情を浮かべている。


「あのね、私たちは洗脳された後、いろんな人を神殿に連れていったの。だから私たちのせいでアナトリオスを飲むことになった人が大勢いるの。それをすごく申し訳なく思ってて……」


 エイリンの言葉に私は今回の事件の恐ろしさを垣間見た。

 事件の首謀者は洗脳した信者を使ってさらに被害者を増やしていたのだ。

 少しでも事件が明るみに出るのが遅れていたら、瞬く間にアシュテリアはアナトリオス中毒者で溢れていただろう。

 この事件の目的は、六神教の信者を増やすなんて単純なものではないのかもしれない。

 そんな不吉な予感がした。

 けれどエイリンの話とアレクシアへの謝罪は特に結び付きはない。

 一体なんの関係があるのだろうか?


「そんなのあなたたちは悪くないわ。あなたたちは巻き込まれただけの被害者じゃない。別に自分の意思で他人にアナトリオスを広めたわけではないのだし……」


 アレクシアはそんなことは気にせず彼らのフォローに回っている。

 やっぱりアレクシアは優しいな。

 それを聞いたエイリンたちも少しほっとしたような笑顔を見せる。


「うん、みんなそう言ってくれた。私たちは巻き込まれただけだから悪くないって。でもね、それで去年のことを思い出したの。同じように事件の被害者だったライゼンフォートさんに、私たちは酷いことを言っちゃったなって……」


 それを聞いてようやく私は合点がいった。

 言うなれば彼らは、事件に巻き込まれる側から巻き込む側に回ったわけだ。

 自分の意思で他人を巻き込んだわけではないのに、それを責められたら深く傷つくことになるだろう。

 そして去年、彼らはそれをしてしまったのだ。

 アレクシアに対して。

 今はそれを後悔しており、それゆえの謝罪なのだろう。


「それだけじゃなくて、今までずっと遠巻きにしてたことも謝りたいの。本当にごめんなさい」


 そうして彼らは再度、今度はアレクシアに向けて深々と頭を下げる。


「そんな、いいのよ。私のせいであなたたちに辛い思いをさせたのは事実だし、巻き込まれたことで文句を言いたくなるのも当然だわ。謝らなければいけないのは私の方よ……」


 慌てて否定するアレクシアであったが、エイリンがそれを遮る。


「でもライゼンフォートさんだってあの事件の被害者だし、自分の意思で私たちを巻き込んだわけじゃないでしょ?」

「うぅ、それは……」


 さっき自分で言ったことをそのまま返され、アレクシアが言葉につまる。


「わかったわ。でも私は本当に気にしてないから、あなたたちも気にしないでちょうだい」


 最終的に少し恥ずかしそうな顔で彼らにそう告げていた。


「うん、ありがとう。じゃあこれからはよろしくね!」

「えぇ、じゃあまた明日!」


 彼らと別れの挨拶をするアレクシアは、とても満足そうな笑みを浮かべていた。

 こうして今回の事件を通して、また少し友達の輪が広がったのであった。




 後期の授業は何事もなかったかのように進んだ。

 去年の誘拐事件の後とは大違いだ。

 誰も死者がいないからだろうか?

 その代わりに生徒が一人、行方不明になっているのだけれど……。

 一年も終わりに近づき、私は十一歳になった。

 もうすぐ去年の事件から一年が経つ。

 今年もヴィルヘルム先生は数人の六年生を連れ、魔導大会へと向かった。

 当然ハインスもベルーナも同行しなかった。

 エドウィンさんやウォルターさんも魔導大会に参加してるのかな?

 そんなことを気にしているうちに、ヴィルヘルム先生たちは学校へと帰ってきた。

 そしてそれとほとんど同時に、私とユーリは校長室に呼び出された。


 校長室に入ると、ヴィルヘルム先生がにこやかな表情で私たちを待ち構えていた。

 いつもの厳つい雰囲気は微塵も感じられない。

 今年に入ってずっと見せていた疲れた顔も今はすっかり隠れていた。

 魔導大会の間に何か良いことでもあったのだろうか?


「よく来たな二人とも。まぁ、かけたまえ」


 ヴィルヘルム先生が笑顔のまま私たちに座るように促す。

 私たちは言われるがまま、ヴィルヘルム先生と向き合うようにして座った。

 ここに来るのは私は去年に続いて二度目だけれど、やっぱり少し落ち着かない。

 初めて校長室に入ったユーリは尚更だろう。

 緊張でがちがちになっていた。

 そんな私たちを見てヴィルヘルム先生が苦笑する。


「そんなに緊張せずともよい。今日二人を呼び出したのは、国から感謝状を受け取ってきたからだ。君たち二人を名指ししてのものだぞ。特にユーリへの、な」


 ヴィルヘルム先生の口から出た言葉は、私が想像だにしていないものだった。

 ユーリも隣で目を白黒させていた。

 私たちに国からの感謝状?

 一体なんの?

 いや、よく考えればこのタイミングで感謝されることなど一つしかない。

 六神教による洗脳事件を明るみに出したことだ。

 でも私たちが関係しているのはドラッケンフィールとウォーレンハイトで起きた事件だけだ。

 しかもその真相は未だ謎に包まれた部分が多い。

 事件が解決したとは言えないのだ。

 とても国から名指しで感謝されるようなことだとは思えない。

 そんな私たちの戸惑いを察したのか、ヴィルヘルム先生が感謝状が送られることになった経緯を教えてくれた。

 それを要約するとこうだ。


 まずウォーレンハイトでは動き出しが早かったことでこの事件の関係者は全て確保に成功しており、事件の全貌はほぼ明らかになっていた。

 やはり例の、魔術師として登録されていないが魔術を使えるものたちがアナトリオスを調合し、神殿関係者に飲ませた。

 そして手先となった彼らを使って神殿に足を運ぶ人々を芋づる式に洗脳していった。

 被害者はかなり多かったそうだが、中央の大賢者さんがここでも大活躍を見せたらしい。

 広範囲かつ効力の高い治療魔術により、あっという間に被害者の記憶を回復させたそうだ。

 見た目は普通だったのに、やっぱり大賢者の名前は伊達じゃない。

 そしてその後の調査によりアナトリオスの流入ルートも明らかとなっていた。

 アナトリオスはアシュテリアの南東部から隣国のミスリームにかけて生息している植物だ。

 流入ルートもやはり、ミスリームに近いキルシアスからアシュテリアの南部を右回りに回るようにして広まってきていたとのことだった。

 神殿でアナトリオスが発見されてすぐに、ラディアーレ家のテオドールさんは各大都市に向けて事件の内容を通達した。

 それを受けてアシュテリア全土の神殿に調査の手が入ることになり、次々と神殿からアナトリオスが押収されていったのだ。

 流入ルート的にアシュテリアの北の方の都市まではアナトリオスは出回っていなかったが、中央の神殿でも発見されたという。

 やはりアナトリオスはアシュテリア全土に拡大している途中であったのだ。

 被害はかなり序盤で食い止められたと言える。

 しかしキルシアスではかなり大変だったようだ。

 最初にアナトリオスが出回り始めたキルシアスでは特に被害者が多く、既にかなり長期に渡って服用を続けていた者もおり、中には再起不能なほどに記憶を失い、廃人となってしまった人もいるという。

 こうなるとどんなに強力な治療魔術でも治せないらしい。

 これこそがアナトリオスが危険とされる所以なのだ。

 そしてキルシアスは先の大戦で最も甚大な被害を受けた都市であるというのも関係していた。

 アナトリオスにすがるのは何か忘れたい過去を持つ人だ。

 大戦によって消えない傷を負った人の数が、ウォーレンハイトやドラッケンフィールの非ではないのだろう。

 今回の事件はそんな人の弱味につけこむ、恐ろしく残酷な出来事だ。


 こうして一応は落ち着きを見せた今回の事件であるが、事件の犯人やその目的については未だにわかっていない。

 というのも、この事件の重要参考人として確保できたのはウォーレンハイトの神殿にいた数人のみなのだが、なんと彼らは投獄中に自ら命を絶ってしまった。

 そして他の都市ではドラッケンフィールと同様に、数人の神殿関係者が忽然と姿を消すという事態が起きた。

 つまり新たな手がかりは一切得られていないのだ。

 アシュテリア全土の神殿に潜り込み、これだけ大規模な事件を起こすことのできる組織力。

 一体首謀者は何者なのだろうか?


「まだ事件は解決したとは言い難いが、被害の拡大を食い止めるのに多大な貢献をした二人に、共和国代表が直々に感謝状を用意したのだ」


 そう言ってヴィルヘルム先生は私たちに分厚い紙を一枚ずつ手渡した。

 その紙には綺麗な装飾が施され、中央には私たちの働きに対する労いと感謝の言葉が書き連ねられている。

『ヘイグ村のレイナ』という名前もきっちり記されていた。

 共和国代表のライオネルさんの署名もある。

 ユーリのものも同様だ。


「今回の君たちの活躍は、この学校をあずかる者として誇りに思う。よくやってくれた」


 ヴィルヘルム先生はそう私たちを労う。

 どうやら本当に私たちはアシュテリアの危機を救った人物になってしまっているようだ。

 知らない間に事態が大きくなりすぎていて、理解が追いつかない。


「去年の件で当校の冷遇はしばらく続くかと思っていたが、こんなにも早く名誉挽回できるとは。……くふふ」


 笑いを噛み殺そうとしているヴィルヘルム先生だが、その努力も空しく笑い声が漏れ聞こえてきた。

 どうやらご機嫌なのはそれが理由らしい。


「あの、ウェインくんのことなんですが……」


 しかし私が気になったことを尋ねた途端、ヴィルヘルム先生が真顔に戻った。

 うっかり楽しい気分に水を差してしまったらしい。

 ユーリにも、「空気読んで!」とばかりに睨まれた。


「その事なんだがな、彼が行方不明になってすぐにアイルバーグ村を調査させたのだ。その結果彼の両親も姿を消していたことがわかったよ」


 ヴィルヘルム先生が重々しく口を開く。


「去年も悲惨な事件があったばかりだからなるべく生徒の間には広めたくはなかったのだが、君たちは知っておかなければならないだろうな……」


 そう前置きしてヴィルヘルム先生がウェインくんについて話し出す。


「彼の両親はやはりアイルバーグの村出身ではないそうだが、どこの出身かは村の誰も知らなかった。先の大戦が終結して少したった頃、ふらりと村に現れたらしい。そしてアイルバーグ村でウェインを生み、特に変わったところはなく暮らしていたそうだが……」


 そこで一旦ヴィルヘルム先生は言葉を切った。

 どうやらここからが本題のようだ。


「彼らが村を去る姿を誰も目にしていないようだ。そして彼らの家に残されたものからは、その素性に繋がるようなものは何も発見できなかった。と言うよりむしろ、残っていたものが極端に少なかったのだ。ベッドなどの大型家具以外はほとんど何も残っていなかったらしい」


 私の言いたいことがわかるか? とヴィルヘルム先生が私たちに問いかけてきた。

 それを受けて私たちはしばし考える。


「どうやって家からたくさんのものを持ち出しつつ、村人に見られずに姿をくらましたのか、ってことですか?」


 ユーリが先にそう答えた。


「目の付け所は合っている。しかしそれではまだ足りないな」


 その答えを聞いたヴィルヘルム先生は首を横に振る。

 そして私の方へと視線を移した。


「レイナ、君はどうだ?」

「うーん……」


 私は必死で知恵を絞り……、思い至った。


「そうだ、隠蔽魔術! 隠蔽魔術で姿や荷物を隠して移動したんじゃないですか?」


 私の答えを聞いたヴィルヘルム先生が満足げな笑みを浮かべる。


「正解だ。運ぶものによってはさらに収納魔術も使われていたかもしれん。だとすれば彼らはウォーレンハイトで捕らえられた者たちのように、未登録の魔術師である可能性が高いと見ている。これについては断定はできんがな。しかしそうなるとやはりウェインは、この事件の首謀者にかなり近い存在だということになる」


 ヴィルヘルム先生の言葉を聞いているうちに、ユーリの表情がだんだん暗くなってきた。

 やっぱり彼女はウェインくんのことを信じたかったのだろう。

 けれど流石にここまで来ては覆しようがない。

 ユーリもそれを受け止めているようだ。


「すまないな、最後に暗い話をしてしまって。私の要件は以上だ。今日はもう帰りたまえ。それにもうすぐ期末試験だ。これに受かれて成績を落とすことがないように」


 最後にそう言い含められてしまった。

 それを聞いてユーリがびくっと身を震わせる。

 そしてそのまますがるような視線を私の方へ向けてきた。

 そういえばユーリの前期の成績は悲惨なものであった。

 校長先生に直接成績を落とすなと言われ、気が気ではないだろう。

 しっかり勉強を教えてあげよう。

 そんなことを考えながら私たちは自分達の部屋へと戻った。

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