第四十五話 失踪
「やっぱり、ウェインくんが犯人なのかな……」
ユーリが顔を伏せて小声で呟いた。
元々ウェインくんを疑うようなことを言い出したのはユーリだが、どちらかというとウェインくんに対する疑惑を消すための発言だったはずだ。
ずっとウェインくんと仲良くしてきたユーリにとって、この事実は受け入れがたいことだろう。
「でもさ、ウェインくんひとりでこんな大規模な事件を起こせるわけないよ。もしかしたら悪い人たちに脅されて仕方なくやったのかも」
ユーリはウェインくんを庇うかのように意見を述べ始めた。
レイナも何か言ってよ、とすがるような目で私を見つめてくる。
「それにほら、ウェインくんが魔術を使えるとしたら、一体誰に教わったの? 魔法学校でもまだ教えてもらってないようなことを、アイルバーグ村で教えてもらえるはずがないよね?」
確かにユーリの言うことにも一理ある。
今回の事件はドラッケンフィールだけでなく、ウォーレンハイトにまで被害が及んでいるのだ。
いやむしろアナトリオスの輸送経路的に、もっとたくさんの都市でアナトリオスが蔓延している可能性すらある。
下手すると被害は既に、アシュテリア全土に及んでいるかもしれない。
そんな規模の事件をまだ年端も行かない子供一人で引き起こせるわけがない。
もっと多くの人間が関わった、組織的な犯行に違いないのだ。
ウォーレンハイトの神殿にいたという、魔術師として登録されていないのにも拘わらず魔術を使える人々もその一味なのだろう。
ウォーレンハイトでは彼らがアナトリオスの調合をしていたのだ。
しかしドラッケンフィールではそのような人物がいなかったため、たまたまウェインくんに白羽の矢が立ったということも考えられる。
彼もまた、巻き込まれただけの被害者なのかもしれない。
それにそもそもユーリの言う通り、魔法学校に入学する前の子供に魔術を教えるなんて普通ではあり得ない。
というのも九歳になって魔力測定を受けるまで、その子供が魔術を使えるかどうかもわからないからだ。
十大貴族のように魔力を持った子供が生まれるのがほぼ間違いないといった家系なら例外となるのかもしれないが、ウェインくんがそんな家の生まれだとは思えない。
……いや、本当にそうだろうか?
私はウェインくんと初めて会ったときのことを思い出す。
ウェインくんに対して抱いた第一印象といえば、おとなしそうな子だな、というものであった。
初めて両親と離れるとのことで、かなり緊張しているのが伝わってきた。
そしてウェインくんはとても礼儀正しい子供だった。
言葉遣いも丁寧だったし、よく教育が行き届いているな、と上から目線な感想をもってしまったくらいだ。
ウェインくんはそういった意味で少し浮いていた。
アイルバーグ村のような田舎出身とは思えないくらいの育ちの良さを感じたのだ。
もしかしたらウェインくんの両親は元々大都市の出身なのかもしれない。
ユーリがウェインくんは両親と三人家族だと言っていた。
となると、何かがきっかけでウェインくんの両親は大都市を離れてアイルバーグ村に移り住むこととなり、そこでウェインくんが生まれたのかもしれない。
考えられる可能性としては、ウェインくんの両親は爵位を失った元貴族であるとか?
そうなるとウェインくんの育ちの良さや、魔力測定の前に魔力を持っていると判断できたことの説明もつく。
そして以前アレクシアから聞いた、六神教関係者には隠れ旧王国派が多く潜んでいるという情報。
爵位を失った貴族は旧王国派の筆頭であろう。
そんな彼らが協力して今回の事件を引き起こしたのだ。
辻褄は合う気がする。
私はこの推測をオーウェンさんに話した。
「少し話が飛躍し過ぎている気もするが、その可能性も無くはないな。至急ウェインという子を調べさせよう」
オーウェンさんは一度うなずき、カーターさんとケイシーさんに指示を出そうとした。
「待ってください! まだそうと決まったわけじゃ……!」
ユーリが勢いよく立ち上がり、それを遮る。
やはり認めたくないのだろう。
「しかし彼には一度話を聞かなければならない。それはわかるだろう?」
オーウェンさんがユーリを諭すように言う。
ウェインくんがこの事件に関わっていなかったとしても、それを確認するためにもウェインくんについて調べないといけないのだ。
しかし状況的には黒である可能性がかなり高いのだが……。
「そう……、ですよね……」
ユーリは無理矢理自分を納得させるかのようにそううなずき、腰を下ろした。
それを見届けたオーウェンさんは改めて指示を出す。
「カーター、ケイシー、すぐに魔法学校に出向き、ウェインという生徒の身柄を確保するのだ。しかし相手はあくまでも容疑者ではなく重要参考人だ。それは間違えるなよ」
「「かしこまりました!」」
その指示を受け、カーターさんとケイシーさんがすぐさま部屋を退出していった。
呆然とその様子を見送る私たちに、オーウェンさんが声をかける。
「二人の報告があるまでは君たちにはここで待機していてもらいたい。学校に戻してしまっては、万が一ということもあるからね」
もし本当にウェインくんが魔術を使うことができ、この事件に深く関わっているとしたら、二人と戦闘になるかもしれない。
相手は子供一人とはいえ、その素性は謎に包まれている。
何が起きてもおかしくはないのだ。
そんな中に私たちがのうのうと戻るわけにはいかない。
それに今、私はお母さんからもらったお守りを身につけていないのだ。
私たちは口数も少なく二人からの連絡を待った。
しかしそれはすぐにやってきた。
そしてその内容も簡単なものであった。
現在ウェインくんは行方不明である、と。
後期の授業が始まってもウェインくんは寮に戻ってこなかった。
一年生の寮監さんの話によると、私たちがライゼンフォート邸に呼び出されてすぐにウェインくんは外出し、それ以降帰ってくることがなかったそうだ。
この街でウェインくんの行きそうなところといえばまずは六神教の神殿があげられるが、現在神殿は立ち入り禁止となっており、厳重な監視のもとにある。
そんなところに顔を出したら目立つ容姿のウェインくんのことだ。
すぐに目撃情報が集まるだろう。
では既にドラッケンフィールにはいないのだろうか?
その可能性も低いと思われた。
オーウェンさんたちがドラッケンフィールに帰ってきてすぐに、この街を出入りする人々の検問をかなり厳しくしたのだ。
未だにその警戒体制は解かれていない。
ウェインくんがこれを突破できるとは思えない。
だったらウェインくんはどこに行ったのだろう?
そして行方不明になった人物はウェインくんだけではないこともわかった。
マリアンヌを始めとする神殿関係者の中で洗脳を受けていなかった人々も、時を同じくして消息を絶ったのだ。
これに関しては彼らを監視していた警吏の怠慢と言えるかもしれない。
魔力を持たないことが判明し、容疑者から外れた時点で監視を弱めてしまったそうだ。
と言っても完全に放置していたわけではないので、監視の目を掻い潜るだけの能力が彼らにあったということなのだろう。
一体彼らは何者なのだろうか。
ウェインくんとはどのような関係を持つのだろう?
そしてその目的とは?
謎は深まるばかりだった。
事件は解決したとは言えないまま数日が過ぎた。
後期授業が始まって数日後、私はカーターさんと一緒に街の診療所を訪れた。
洗脳を受けた人々の治療のために預けていたペンダントを返してもらうためだ。
幸いドラッケンフィールでは深刻なアナトリオス中毒になった人はいなかったようで、全員が無事治療を終えたそうだ。
「久しぶりだね、レイナちゃん。今回は、というか今回も大活躍だったみたいだね」
そう言って私を出迎えてくれたのはダンケルさんだ。
その表情は少しやつれているように見える。
「お久しぶりです。ダンケルさんこそ大変だったみたいですね」
私の言葉を受けてダンケルさんが苦笑する。
「まぁ、そうだね。就職して一年目でこんな大仕事をすることになるとは思ってなかったよ」
これでやっとゆっくり休めるよ、とダンケルさんはあくびをしながら結んだ。
あまり眠れていなかったのかもしれない。
そしてそのまま私を診療所の奥へと促す。
「私はここで失礼いたします。回復した神殿関係者に用がありますので」
そう断ってカーターさんはどこかへ行ってしまった。
なるほど、カーターさんか一緒だったのはそのためか。
私はカーターさんを見送り、ダンケルさんのあとに続いていった。
「ありがとう、本当に助かったよ。とにかく人手が足りなくて困っていたからね」
診療所の代表者に何度も感謝されながらペンダントを返してもらった。
受け取った手に慣れ親しんだ温もりを感じ、私はほっとひと安心する。
そしてすぐにペンダントをつけようとしたところ、
「あなたがこの事件を解決したの?」
突然声がかかった。
そちらを振り向くと、一人の女性が立っていた。
三十歳くらいの人だろうか。
「そんな、私が解決したわけじゃないんです。私は事件の手がかりをオーウェンさんたちライゼンフォート家の人に伝えただけで……」
これは謙遜などではなく、紛れもない事実だ。
私はなにもしていないし、それにそもそも事件はまだ解決したとは言えない。
しかし私の言葉を聞いた女性は顔色を変えた。
「どうして……」
「え?」
震えながらそう声を絞り出すその女性は、とても喜んでいるようには見えなかった。
私が不思議に思っていると、いきなり女性が声を荒らげた。
「どうして放っておいてくれなかったの!?」
そしてそのまま私に掴みかかってくる。
でもそれは当然私のお守りに阻まれた。
ぎょっとしたように短く叫び声を上げた女性だったが、すぐに恨みのこもった目で私を睨み付けてきた。
その迫力に、私は怯んでしまう。
「せっかく忘れられたのに、あなたのせいで思い出してしまった! 私はあの記憶を忘れられたらそれで良かったのに! その後はどうなっても構わなかったのに! なんでそのままにしておいてくれなかったの!?」
その目からは涙が溢れていた。
「どうしてそこまで……」
思わずそんな言葉が口をついてしまった。
この女性は何を忘れたかったのだろうか。
彼女は私を睨み付けたまま口を開く。
「いいわ、教えてあげる」
女性の口許が恐ろしくつり上がった。
その後私は、聞いてしまったことを後悔することになる。
女性の口から語られる内容は、思わず耳を塞ぎたくなるものだった。
彼女は先の大戦で故郷を失い、逃げる途中で盗賊に襲われた。
アシュテリアの情勢が不安定な中、そんな暴漢にとって若い女性は性欲の捌け口でしかない。
長きにわたって慰みものにされていたそうだ。
そして最終的にはとある貴族に売られた。
そこでも扱いは変わらないどころか、もっと酷いものであったらしい。
彼女は人としての尊厳をなにもかも踏みにじられたのだ。
内乱が終わってその貴族が没落し、解放されるまでずっと。
目の前の女性は生きながらにして地獄を味わったのだ。
アナトリオスにすがったのは、それを忘れたかったからだ。
そして一度は忘れることができたのに、再び思い出すことになってしまった。
私のせいで。
女性の言葉は私の心をえぐった。
「そこまでにしなさい。子供相手に何てことを聞かせるんだ」
一人の男性が泣き崩れる女性の肩を抱くようにして止めた。
助かった。
これ以上彼女の話を聞くのは耐えられなかった。
しかし、
「でもな、お嬢ちゃん」
そう言ってこちらを振り向いた男性の目を見て、私は思わず体を震わせる。
その瞳には明らかな怒りが宿っていたからだ。
「あんたは善意から行動したのかもしれないが、それが必ずしも正しいことだとは限らないんだ。俺だってできれば、思い出したくなかったよ」
気づけば怒りの視線を私に向けているのは一人だけではなかった。
この場にいる何人もの人が、私を責めていた。
彼らもまた、一度は忘れた記憶を不本意に思い出してしまった人々なのだろう。
「……ごめんなさい」
私は言葉を絞り出した。
こんなに大勢の人に責められたのは初めてだった。
どうすれば良いのかわからなかった。
私は泣きたくなるのを必死で堪えていた。
「さぁ、もう君は行きなさい」
診療所の代表者が私を建物の外へと促す。
私はよろよろと歩き出した。
建物を出てすぐのところで、私は壁に寄りかかるようにして座り込んだ。
体に力が入らなかった。
私がみんなを不幸にしてしまったのだろうか。
私は良かれと思って行動したのに、それが何人もの人を傷つけてしまったのだろうか。
ユーリだってそうだ。
彼女も一度忘れた気持ちを思い出したくなかったと言っていた。
思い出した直後の彼女はとても辛そうだった。
そのままにしておくのが、彼女たちの幸せだったのだろうか。
そんなことを考えていると、涙が溢れてきた。
私はそこにうずくまって泣き続けた。
どれほど経ったろうか、ふいに肩を叩かれた。
見上げるとカーターさんが心配そうに私を覗き込んでいた。
「話はうかがいました。あまりご自身を責めないでください」
カーターさんが私を慰めるようにそう言う。
でも……、
「私のしたことは、間違ってたんでしょうか?」
そんな問いが口をついてしまった。
カーターさんは難しい表情で首を横に振る。
「レイナ様のしたことは間違ってなどおりません。確かに辛い記憶を消すためにアナトリオスを飲んだ人々もいますが、そうとは知らずにアナトリオスを飲み、洗脳を受けることになった人も多いのです。レイナ様の行動がそういった人々を救ったのも事実です。むしろレイナ様の行動がなければ、多くの人がアナトリオスによって廃人になっていた可能性もあります。そしてその中に、ユーリ様も含まれていたかもしれないのですよ」
カーターさんの言葉に私ははっとする。
もし私が今回の事件を明らかにしていなければ、ユーリはこれからもアナトリオスの服用を続けていたかもしれない。
あまりに長期間にわたるアナトリオスの服用は深刻な記憶の混濁をもたらし、服用者を廃人にする可能性すらあるという。
もしユーリが廃人になっていたら……。
私は後悔してもしきれないだろう。
それだけは避けることができたのだ。
「何が正しくて何が間違っているかなど、それを見る者によって異なるのです。少なくとも私にとって、レイナ様のしたことは正しい行いです。あなたのおかげで多くの人が救われました。あなたに感謝している人も多いのですよ」
そう言ってカーターさんは微笑んでみせた。
その笑顔見て少しだけ、気持ちが落ち着いてきた。
カーターさんは言葉を続ける。
「もし誰が見ても正しい行いをしたいのであれば、それこそ大陸中の人々を洗脳する必要すらあるでしょう。けれどそんな行動は正しくないでしょう?」
「そう……ですね」
私はなんとかうなずいて立ち上がる。
手足の力が少し戻ってきた。
「では学校に帰りましょう。お嬢様やユーリ様がお待ちでしょうからね」
カーターさんに促され、私は歩き出す。
その足取りはこれまでの人生で一番、重いものだった。
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