閑話 コンラート村のユーリ ―中編―

 ニコラウスさんは笑みを浮かべたまま、私のもとへ歩み寄ってきた。


「いえ、何でもないんです。ちょっと考え事をしていただけで……」


 私は首を振って否定した。

 ニコラウスさんの言う通り、確かに私は悩んでいる。

 けれどこれは誰にも言いたくはない悩みだ。

 しかしニコラウスさんはそんな私の思考を見透かしたように話しかけてくる。


「迷える人々の悩みを聞くと言うのも神殿の司祭の仕事なのです。誰にも相談できないと思っていても、ただ話すだけで楽になることもあります。そして我々は、お聞きした悩みを口外することは決してございません。私で良ければ何かお力になれることはありませんか?」


 その言葉を聞いて私は少し考えてしまった。

 私の悩みは魔法学校では決して口にすることはできないことだ。

 魔法学校はかなり閉鎖的な空間だと言える。

 どう間違ってレイナやアレクシア本人に伝わるかわからないのだ。

 人伝で二人に私の気持ちが伝わるのだけは避けたい。

 そんなことになったらもう、二人と友達でいられなくなってしまうかもしれない。

 けれど、誰かに悩みを聞いてほしい。

 苦しい胸中を全て吐き出してしまいたい。

 少なからずそう思っている自分がいるのだ。

 ニコラウスさんは聞いた悩みは口外することはないと言っているし、レイナやアレクシアが神殿に来る可能性は限りなく低い。

 私がニコラウスさんに悩みを打ち明けたところで、まかり間違っても本人たちに伝わることはないだろう。

 ニコラウスさんの言う通り、話せば楽になるだろうか?

 でも……、


「すみません、やっぱり言えません」


 私はなんとか言葉をしぼりだした。

 ここで話してしまったらもう後戻りできなくなってしまう。

 一度口に出してしまえば、今はまだもやもやしている私の感情が、はっきりとした形をとってしまう。

 そんな気がした。


「そうですか。しかし一人で溜め込むのは良いことではありませんよ。どうしても辛くなったらまたおいでください。神殿はいつでも迷える人々の味方ですから」


 私の返答を聞いてにこやかだった表情を少しだけ寂しそうに歪めたニコラウスさんは、私に背を向け図書館から退出しようとした。


「あ、あの。待ってください!」


 そんなニコラウスさんを私は思わず呼び止めてしまった。

 自分でも理由はわからない。

 けれど今話さなければならない。

 ふとそう思ったのだ。

 ニコラウスさんが足を止め、こちらを振り向く。


「なんでしょうか?」


 その表情は再びにこやかなものに戻っていた。

 まるで私がニコラウスさんを呼び止めることをわかっていたかのようだ。

 この人には隠し事はできない。

 なんだかそんな風に感じた。


「その、やっぱり聞いてほしいんです。私の悩みを……」

「そうですか。では、お聞きしましょう」


 私の言葉を受けてニコラウスさんがそううなずき、私の隣の席に座る。

 それを待って、私はぽつりぽつりと吐露していった。

 レイナとアレクシアという二人の親友のこと。

 二人は私とはあまりにも違う、特別な存在であること。

 そんな二人と一緒にいる私は、何も取り柄がないこと。

 どうしても自分と二人を比較してしまうこと。

 そして二人、特にレイナに対し、拭いきれない劣等感を抱いていること。

 話しているうちに涙が溢れだしてきた。

 ずっと溜め込んでいたこの気持ちを、実際に口に出すのは初めてだった。

 お父さんやお母さんにも言ったことはなかった。

 全てを聞き終えたニコラウスさんは私が泣き止むのを待って、相変わらずのにこやかな表情でうなずいた。


「なるほど。そのような悩みをお持ちだったのですね」

「はい。二人とも私の大切な親友なんです。でも私は二人に嫉妬してる。こんな気持ちじゃこのまま二人と仲良くできそうにありません。私はどうしたら良いですか?」


 私は助けを求めてニコラウスさんに問いかける。

 そもそもニコラウスさんの方から私の悩みについて聞いてきたのだから、何か解決策を提示してくれると思ったのだ。

 けれどニコラウスさんはゆっくり首を横に振った。


「どうしたらいいか、と聞かれましても、私はその答えを持ちません」

「え?」


 私は思わず呆然としてしまった。

 まさか私の悩みを聞いて、はいそうですか、で終わりだとは思っていなかったのだ。

 戸惑う私に、ニコラウスさんが微笑みかける。


「最初に申し上げました通り、神殿の司祭の仕事は、『迷える人々の悩みを聞く』ということのみです。下手に相談に乗って無責任な助言をするわけにはいきませんからね。それに部外者である私の助言が、あなたの助けになるとは到底思えません。私は神様ではありませんからね」


 確かにニコラウスさんの言うことはわかる。

 今日出会ったばかりの赤の他人のアドバイスで、私の悩みを解決できるとは思えない。

 でもあまりにも拍子抜けだ。

 一体私はなんのために悩みを話したのだろう?

 私の困惑が伝わったのだろうか。

 ニコラウスさんが苦笑ぎみに微笑む。


「しかし普段誰にも話せないことを話すができるというのは、貴重な機会ではありませんか?」


 そう言われて私ははっとした。

 確かにこれまで悩みを溜め込んでいた時に比べて、少しだけ心が軽くなった気がした。

 事態が解決したわけではないが、ちょっとだけ気分が楽になった。


「ありがとうございました。少し楽になりました」


 私はニコラウスさんにお礼を言う。


「お力になれて何よりです。けれどもし我慢できなくなったら、いや我慢できなくなる前にまたいらしてください。その時は一緒に神々にお祈りを捧げましょう。神々ならばきっとあなたの悩みを聞き届け、解決策を授けてくださるでしょう」


 私のお礼を受け、ニコラウスさんが一層笑みを深めた。

 なんだかうまく話をまとめられてしまった気がする。

 けれど不思議と悪い気はしなかった。

 こうして六神教の信者が増えていくのだろうか。


「わかりました。考えておきます」


 私は曖昧にうなずいておいた。




「ユーリさん、お待たせしました」


 ニコラウスさんとの話を終えてすぐに、ウェインくんが図書館にやって来た。

 なんだか晴々とした表情だ。


「ウェインくん、お祈り終わったの?」


 私はウェインくんにそう尋ねる。


「はい! やっぱり大都市の神殿はすごいですね! 家では小さな祭壇に家族三人で祈ったことしかなかったので、大勢で捧げるお祈りは緊張しました。神殿の中もあちこち見て回っていたせいで遅くなってしまいました」


 ウェインくんは興奮気味だ。

 よっぽど満足したのだろう。

 しかしウェインくんはふいに私の目元辺りで視線を止め、怪訝そうな顔をする。


「ユーリさんもしかして泣いてたんですか? 何かあったんですか?」


 そして私とニコラウスさんを交互に見比べる。

 どうやら泣いていたことがばれてしまったようだ。

 かなり大泣きしてしまったのだから、それも当然か。


「ちょっと悲しいことを思い出しちゃってね。でももう平気!」


 少し恥ずかしくなった私は慌てて首を振る。

 そんな私たちを見てニコラウスさんは相変わらず微笑んでいた。

 この人は本当に表情が変わらない。

 ここまで来るとちょっと不気味だ。

 しかしウェインくんは特に気にならないようで、笑顔でニコラウスさんと挨拶を交わしていた。


 その後私たちは神殿を後にし、適当な店で昼食をとり、買い物をして帰った。


「あの、僕次の休日も神殿に行きたいんですけど、また一緒に来てくれますか?」


 帰る途中でウェインくんが不安そうに問いかけてきた。

 その問いを受けて私はまた少し悩む。

 今日一度足を運んだことで神殿へ行くことの抵抗はかなり薄れたものの、依然として場違いな空気を感じてしまうのだ。

 しかし、


「僕、ユーリさんしか頼れる人がいないんです……」


 ウェインくんのその言葉が決定打となった。


「いいよ、一緒に行ってあげる!」


 私の返事にウェインくんが顔をほころばせる。


「本当ですか!? ありがとうございます!」


 私は誰かに必要とされている。

 それが心の支えになっていた。




 寮に戻ると、広間でアレクシアたちに出会った。

 どうやらちょうど勉強会を終えたところだったようだ。


「あらユーリ、けっこう遅かったのね。お出掛けは楽しかった?」


 笑顔のアレクシアにそう話しかけられた。

 私は返事の代わりに曖昧に微笑んだ。

 正直なところ、今日のお出掛けは楽しかったとは言えない。

 あまりいい気分ではなかった。


「ねぇ、夕食食べに行きましょうよ。あ、それとも先にレイナの様子を見に行く?」


 アレクシアにそう問われたが、私は夕食を食べに行くことを選んだ。

 少しでもレイナの顔を見るのを先伸ばしにしたかったからだ。

 嫌な気持ちが私の中に渦巻いている今の状態で、レイナに会いたくはなかった。

 けれど当然、その時はすぐにやって来た。


 アレクシアと一緒に自分の部屋に戻ると、レイナがベッドに腰かけていた。

 顔色はずいぶん良くなっていた。

 私が部屋に入るのを笑顔で迎えてくれる。

 その笑顔を見て、私の心がずきりと痛んだ。

 私にはレイナの笑顔を受け止める資格はない。

 だって私はレイナに対してどす黒い、嫌な感情を抱いているのだ。

 なのにそんな笑顔で見つめられると、どうしたらいいかわからなくなってしまうではないか……。

 そんな気持ちに蓋をして、私は二人に今日の出来事を半分以上隠して話した。

 もちろん神殿にいったことは全て黙っていた。


「二人でどこに行ってたの?」


 途中レイナにそう尋ねられたが、


「ウェインくんが行きたいって言ってたところに行っただけだよ」


 と言ってごまかした。

 レイナはまだ聞きたそうにしていたので、慌ててアレクシアに勉強会の話を振って話題を変えた。

 しかし自分で話を振ったくせに、アレクシアの話はほとんど頭に入ってこなかった。

 この時の私は激しい罪悪感にさいなまれていた。

 ニコラウスさんに悩みを打ち明けたことで少し軽くなっていた気持ちがまた落ち込んでしまった。

 私が今日したことは、レイナとアレクシアのいないところで二人の陰口を言ったようなものだ。

 やっぱり話さなければ良かった。

 私はそう後悔した。

 でももう遅い。

 一度口に出してしまったことで、私のなかで何かが鎌首をもたげてしまったようだった。

 この気持ちはもう、ごまかすことができなかった。


「ユーリ?」


 レイナの呼び掛けを受けて、私ははっと我に返る。

 どうやら私に何か話しかけていたようだ。


「あぁ、ごめん。そうだよね! うん」


 私は慌てて適当に返事をしたが、二人は首をかしげて見つめてくる。


「大丈夫、ユーリ? もしかしてレイナの風邪が移ったのかしら」


 アレクシアにそんなことまで言われてしまった。


「ううん、体調が悪い訳じゃないの。ちょっと眠くてぼーっとしちゃって。ほら、今日は街の見物して疲れたから」


 でっち上げではあるが一応それなりに尤もらしい言い訳をひねり出したので、二人は少し訝しがりながらも納得してくれた。

 その日はそれで解散となった。


 その夜私は眠れなかった。

「眠い」と言い訳した手前さっさと寝なければ、と思うものの、どうしても余計なことを考えてしまうのだ。

 レイナがそんな私に気づき、ベッドから身を起こしてこちらを見ているのがわかった。

 私を心配してくれているのだろう。

 やっぱりレイナはすごく優しい子だ。

 私が彼女に劣等感を抱いていると知っても、レイナならそんな私を受け入れてくれるかもしれない。

 レイナとはちゃんと話さないといけない。

 そう感じたけれど、自分から話すだけの勇気はなかった。

 やっぱり私はレイナと違い臆病者なのだ。


 もしこのときレイナと話していたら。

 自分の気持ちを打ち明けることができていたら。

 今となっては後悔してもしきれない。

 思えば私は、話すきっかけを欲していたのかもしれない。

 けれどレイナは私に声をかけることなく布団に潜り込んでしまった。

 私はそれが少し寂しかった。

 どうしたの? と声をかけてほしかった。

 自分に勇気がないだけなのを、人のせいにしてしまった。

 そんな些細なことで、人はすれ違うのだ。

 そして翌日の授業で、私はレイナとの違いをまざまざと見せつけられることとなる。




「やっぱり君はなんというか少し、いやかなり抜きん出たものがあるな。今年も期待しているよ。優秀な生徒が出ればこの学校の待遇も良くなるからね」


 私のすぐ隣で、レイナがコックス先生にべた褒めされていた。


「薄々感じてはいたけれど、あなたってすごいのね。驚いたわ」


 アレクシアも感心している。

 レイナも笑顔で二人に応えていた。

 一方の私は魔力操作が全然うまくできなかった。

 やっぱりレイナは私とは格が違う、天才なのだと思い知らされた。

 私はもう我慢できなかった。

 私は私、レイナはレイナだと頭では考えようとしていても、心が無意識に比較してしまう。

 どうしてこんなにも違うのだ。

 私にレイナやアレクシアと親友でいられる資格はあるのか。

 そんな気持ちが私の心を支配していった。

 そのせいで何をするにも手がつかなくなった。

 レイナやアレクシアに心配されているのはわかったけれど、それすら鬱陶しく感じるようになった。

 私は二人に心配される価値もない。

 今の私は、二人の大切な親友に対してどす黒い感情を抱く、醜く歪んだ怪物だ。

 全て忘れることができれば良いのに。

 私はそう願うようになっていた。

 出会ったばかりの頃みたいに二人と心から笑い合いたい。

 私の中に渦巻く負の感情をきれいさっぱり洗い流してしまいたい。

 でもそんなこと、できるわけはないと

 そんな私の心を支えていたのはウェインくんの存在だった。

 ウェインくんに会うのが唯一の楽しみだった。

 そしてその次の休日、ウェインくんが私を迎えに来た。

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