閑話 コンラート村のユーリ ―前編―

 私の生まれたコンラート村は、なんの変哲もない普通の村だ。

 ずいぶん昔にこの村から中央に勤めることになった魔術師が輩出されたことで一気に発展したが、他にもっと豊かな町や村は多く、別にコンラート村が特別なわけではない。

 私の両親も普通の人だ。

 お父さんは木工工房の職人で、お母さんは針子だ。

 そしてその腕も特別優れているわけではない。

 見た目も普通のおじさんとおばさんだ。

 当然魔術なんて使えない。

 でも二人とも、一人っ子である私のことはとても大切にしてくれた。

 私はそんな普通なお父さんとお母さんに育てられ、普通に生きてきた。

 自分が特別だなんて思ったことはなかった。

 けれど私が九歳になった年の終わりに、初めて普通でない出来事が起きた。

 魔力測定の結果、私に魔法学校に入学できるだけの魔力があることがわかったのだ。

 コンラート村では何十年も魔力のある子供は生まれていなかったから、村中大騒ぎになった。

 もちろん私の両親も喜んでくれた。

 みんなに祝福されて、私も嬉しかった。

 私の前に魔法学校に入学した人物のように、コンラート村のみんなの役に立ちたいと思った。

 だから私は魔法学校に行く日をとても楽しみに待っていた。

 でも心配事もたくさんあった。

 家族や友達と離れて六年も暮らすことになるのだ。

 すごく心細く感じた。

 授業についていけるかどうかも気がかりだった。

 本当に自分がちゃんとした魔術師になれるかどうか、それすら不安に思っていた。

 そしてとうとう魔法学校からの迎えの馬車がやって来た。

 村の人たちに見送られ、私は馬車に乗り込んだ。

 その日私は、初めてレイナに出会った。


 すごくかわいいな。

 それがレイナの第一印象だった。

 彼女は一緒に馬車に乗っていた上級生たちと、楽しそうにおしゃべりしていた。

 私はこの中に混ざることができるだろうか?

 思わずそんな不安を抱いてしまった。

 そして少し、いやかなり緊張しながら自己紹介をした。

 すると、


「私はレイナ。私も今年から魔法学校に入学するの。よろしくね、ユーリ!」


 レイナが弾けるような笑顔で返事をしてくれた。

 それを聞いて私はほっとひと安心した。

 この子も新入生なんだ。

 心細いのはこの子も同じに違いない。

 なのにこんなに楽しそうだ。

 だったらきっと私も平気だろう。


「よろしくね、レイナ。一緒に勉強頑張ろうね!」


 自然と私も笑顔になることができた。

 レイナが積極的に話しかけてくれ、私とハインスさんやベルーナさん、ダンケルさんとの間を取り持ってくれたおかげで、行きの馬車は退屈しなかった。

 その代わり慣れない馬車の旅は、心ではなく体に堪えたのだけれど……。

 レイナはそんな私を気遣ってくれた。

 色々と前向きになれるような話題を私に振ってくれ、雰囲気を明るくしてくれた。

 この子は優しい子だ。

 きっと仲良くなれる。

 私はそう感じた。

 みんなとかなり打ち解けた頃、私たちはドラッケンフィールに到着した。




「私はアレクシア。ドラッケンフィール出身なの。よろしくね」


 魔法学校についてすぐに、私はアレクシアと仲良くなった。

 思えばアレクシアの第一印象はあまり良くなかった。

 アレクシアはどう見ても都会の子で、田舎出身の私たちを下に見ているように感じたからだ。

 でもすぐに、それは私の勘違いであることに気づいた。

 アレクシアはただ単に、私たちを珍しく思っただけだったのだ。

 彼女はとても面倒見がよく、私たちが勝手をわからずにいると毎回助けてくれた。

 けれど私たちがアレクシアに感謝を伝えると、顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。

 その反応が面白くて、私はついついアレクシアをからかってしまった。

 レイナとアレクシア。

 優しい二人に囲まれて私の学校生活は幸先の良いスタートを切った。

 きっとこれからも楽しい学校生活を送ることができる。

 私はそう思っていた。

 しかし物事はそううまくはいかなかった。


 入学式の日、私たちはアレクシアの生い立ちを知ることになった。

 それはとても辛い話だった。

 私はアレクシアに同情した。

 そしてこれから先、ずっとアレクシアの味方でいてあげようと決心した。

 そのときにはもう、アレクシアの魅力がしっかりと伝わっていたからだ。

 何があってもアレクシアを一人にしたりしないと心に誓った。

 しかしそれと同時に、この子は私たちとは違うのだ、と感じた。

 普通に生まれ、普通に育った私とは何もかもが違う、特別な存在なのだ、と。

 この時私は思い違いをしていた。

 特別なのはアレクシアだけではなかったのだ。

 レイナもまた、特別な存在であった。

 彼女はかわいいだけでなく頭も良かった。

 魔法学校に入学する前から読み書きや計算ができたし、物覚えも早かった。

 そして魔力もかなり豊富らしかった。

 最初はそんなレイナのことを、純粋にすごいと思っていた。

 でもそんな考えは少しずつ変化していくことになる。

 きっかけはやはり、旧王国派によるアレクシアの誘拐事件だろうか。


 目の前でフレデリック先生とジェイン先生が死に、私たちはパニックになっていた。

 アレクシア以外は誰かが殺される瞬間を目撃したことなんてないだろうから、当然のことだろう。

 そのアレクシアですら目まぐるしく変わる事態に追い付けず、混乱していたのだ。

 生徒たちは誰も、身動きひとつとれる状況ではなかった。

 ただ一人、レイナを除いては。

 アシュレイさんと襲撃犯が戦っている間に、レイナがこそこそと移動していくのが見えた。

 私は呆然自失でその様子を見つめていた。

 何してるの? と声をかける余裕もなかった。

 まぁ声をかけずに正解ではあったのだが。

 最終的にレイナは落ちていた剣を拾い上げ、襲撃犯に切りかかることで男の隙を作った。

 その隙を利用してアシュレイさんは襲撃犯の一人を倒すことができたのだ。

 しかしそんなレイナの決死の行動も報われず、アシュレイさんは死に、私たちは再び窮地に陥った。

 その時私たちを救ったのが旧王国派の五人であった。

 私は助かったと思った。

 彼らはライゼンフォート家の護衛だと名乗っていたし、私たちも当然それを信じた。

 けれどレイナだけは彼らを警戒していた。

 そして私たちの危機をゼノヴィアさんに伝え、その後正体を現した旧王国派の連中から私たちを救う一助となったのだ。

 確かにレイナの行動は偉業と言えるだろう。

 レイナが居なければアレクシアはさらわれ、私たちは全員殺されていたかもしれないのだ。

 でも私にはひとつだけ腑に落ちないことがあった。

 事件の終結後、レイナは語っていた。

 死んだフレデリック先生を心配するようにすがりついたのも、歩くのが限界だとジェラルドに泣きついたのも、喋っていないと落ち着かないとずっとあれこれ話していたのも、、と。

 それを聞いて私はレイナが少し怖くなった。

 この子も私とは違う、特別な存在なのだと明確に感じたのはこの時であった。

 目の前で人が何人も死んだというのに、そんな状況でもパニックにならず他人を欺くことができる。

 一体レイナは普段から何を考えて生きているのだろう?

 私には不思議でならなかった。


 この時の活躍でレイナは一躍有名人になった。

 そんなレイナは見目麗しく、学年一の成績をとるほど頭も良く、そして身を呈して友人を守るだけの勇気もあった。

 魔法学校の一年が終わり、二年生になってもその評判はうなぎ登りだった。

 本人は気づいていないようだが、髪を伸ばし始めたレイナからは可愛らしさだけでなく美しさも感じられるようになり、学校の男子生徒の視線を一身に集めていた。

 そして相変わらず成績も優秀の一言に尽きる。

 もともとドラッケンフィール一の有名人であったアレクシアと、彼女を身を呈して守った天才美少女レイナ。

 そんな二人に挟まれた私はなんの取り柄もない、ただの一般人だ。

 いや、魔法学校に入学できたのだから一般人と言うのは苦しいが、今の私の周りにいるのはみんな魔術師やその卵だ。

 そんな状況下において私は「普通の人」以外の何者でもない。

 私はレイナが羨ましかった。

 頭脳、美貌、魔力、勇気、機転。

 レイナは私にないものを何もかも持っていた。

 アレクシアもまたそうであった。

 彼女もやはり美しく、裕福で、頭も良くて、名家の出身だから魔術にも秀でているだろう。

 でもアレクシアはその立場のせいでずっと苦しんできた。

 その事は私もよく知っている。

 もしアレクシアになりたいか? と問われたら、私は首を横に振るだろう。

 アレクシアに向けられる周囲の視線。

 あれをこの身で受ける勇気は私にはない。

 そして暗殺や誘拐の危険にも怯えて生きていかなければならない。

 そんな生活には耐えられる気がしなかった。

 だが一方で、レイナになりたいか? と問われたら、これにはうなずいてしまうと思う。

 別に自分の境遇に不満がある訳ではない。

 けれど私からすると、レイナは何一つ苦労せずに全てを手に入れているように思えた。

 唯一私に比べて劣っている部分と言えば、出身地がヘイグ村という辺境の地であることくらいだけど、レイナの実力ならドラッケンフィールや、もしかしたら中央で就職することも夢ではないかもしれない。

 そうなれば出身地なんて関係ない。

 後はレイナにはお父さんがおらずお母さん一人に育てられたそうだけれど、レイナのお母さんは彼女に似て美人で、しかも非常に優れた魔術師であるらしい。

 レイナの持つお守りの効果を見たヴィルヘルム先生がしきりに感心していたから間違いないだろう。

 きっとレイナのお母さんも特別な人間なのだ。

 それならばお父さんがいないのも苦にならないと思える。

 レイナのようになりたい。

 レイナが羨ましい。

 そんな気持ちが私の心を支配していった。

 そう、私はレイナに嫉妬していたのだ。




「ユーリさん、僕神殿にいきたいんですけど良いですか?」


 レイナが風邪を引いて寝込んだ日、私はウェインくんと二人きりで街に出掛けることになった。

 するといきなりウェインくんがそんなことを言い出したのだ。


「神殿に? どうして?」


 思わずそんな言葉が口をついたが、神殿に行きたがる理由なんてひとつしか思い当たらない。


「実は僕、六神教の信者なんですよ。神殿には定期的にお祈りに行きたくて」


 ウェインくんの返答は私の想像通りだった。

 六神教の信者は大陸のどこをとっても一定数いるのだ。

 ウェインくんが信者だとしても不思議ではない。

 けれど私は六神教の信者ではない。

 正直神殿に行くのは躊躇われた。


「でも一人で街に行くのは不安だし、他に誘う人もいなくて……。嫌ですか?」


 迷う私にそう問いかけるウェインくんの表情は悲しげであった。

 なんとなく勘づいてはいたが、ウェインくんは一年生に友達を作れていないらしかった。

 そして私を頼ってくれている。

 その事は嬉しかった。

 こんな私でもウェインくんの役にたてそうだ。

 だから私はうなずいた。


「いいよ。一緒に行こう!」

「ありがとうございます、ユーリさん!」


 私の返事を聞いてウェインくんが顔をほころばせる。

 私たちは道行く人に神殿の場所を聞き、手を繋いで歩き出した。


 神殿に入ると一人の女性に声をかけられた。


「こんにちは。ドラッケンフィールの神殿へようこそ。私はこの神殿の巫女、マリアンヌと言います。ここに来るのは初めてかしら?」


 その女性、マリアンヌさんは理知的な微笑みを浮かべて私たちのもとへやって来た。


「初めまして。アイルバーグ村から来ました、ウェインと言います。今年から魔法学校に通うことになったのでここに来るのは初めてですが、今日はお祈りを捧げに来ました」


 ウェインくんがすらすらと挨拶を述べる。

 それを聞いて私も慌てて自己紹介する。


「私はコンラート村から来たユーリと言います。あの、私は六神教の信者というわけではないんですけど、今日はウェインくんの付き添いで……」


 しどろもどろな私の挨拶を聞いて、マリアンヌさんがにっこりと微笑んだ。


「そうなのですか。神殿は信者ではない方の来訪も歓迎しているんですよ。ここには図書館や庭園もありますし、簡単な食事もとることができます。お連れの方がお祈りを捧げている間、そちらで時間を潰してはいかがかしら?」


 その提案に私はほっとした。

 信者に混ざってお祈りを捧げるのには抵抗がある。

 大人しくその言葉に甘えることにした。


 私はウェインくんと別れ、図書館へと向かった。

 お祈りの時間だからだろうか。

 図書館には他に誰もいなかった。

 神殿の図書館はこじんまりとしていて蔵書は少なかったが、本の種類は幅広く、私でも読めそうな本がいくつかあった。

 いくつか簡単そうな本を借りてきて、机の上に広げて読み始める。

 しかし内容は全然頭に入ってこなかった。

 一人きりになるとどうしても考えてしまうのだ。

 レイナのことを。

 私はレイナへの嫉妬や劣等感を抱いている。

 それでいながらレイナと親友として接している。

 それがとても苦しかった。

 レイナとはこれからも親友でいたい。

 レイナは私にとって、魔法学校で初めてできた友達であり親友だ。

 彼女だって私を親友だと言ってくれた。

 けれど私の抱いている感情は、親友に対して向けるものとして相応しくない。

 私はどうしたら良いんだろう?

 悩んでいると後ろから突然声をかけられた。


「どうかしたのですか? なにか悩みごとでも?」


 驚いて振り返るとそこには一人の男性が立っていた。

 柔和な顔つきをした四十代半ばくらいの人物で、髪は黒かったが一房だけ白髪が混じっていた。


「驚かせてしまってすみませんね。なんだか悲しげな雰囲気に感じたので思わず声をかけてしまいました。私はドラッケンフィールの神殿の司祭、ニコラウスと申します」


 そう言うとその男性、ニコラウスさんはにこやかな笑みを浮かべた。

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