第四十話 ユーリの告白

 その日の夜、食事を終えた私はユーリの部屋に向かった。

 理由は簡単。

 ユーリとしっかり話がしたかったからだ。

 今までは話そうとしてもはぐらかされるだけだった。

 でも今日のユーリは今までとは少し違った。

 私の知っているいつものユーリに見えた。

 今ならちゃんと話せるかもしれない。

 そう思ってユーリの部屋のドアをノックした。


「私だけど、入って良い?」

「空いてるよー」


 ユーリの返事が聞こえたのでそのままドアを開ける。

 しかしそこには先客がいた。

 ウェインくんがユーリと一緒にお茶を飲んでいたのだ。


「レイナ、いきなりどうしたの?」


 ユーリが首をかしげる。


「ちょっとユーリに話したいことがあったんだけど……」


 言いかけて私はウェインくんの方へ視線を向ける。

 出来ればユーリと二人だけで話をしたいのだ。

 ウェインくんには悪いが、一緒にいられると困る。

 察してほしい、という意思を込めて二人を交互に見たけれど、どうやら伝わらなかったようだ。


「じゃあレイナも一緒にお茶飲もうよ」


 とユーリに促されてしまった。

 もしかしたら意図的に二人きりになるのを避けているのだろうか。


「今は今日の剣術の訓練のことを話してたんですよ。レイナさんの話も聞いてみたいです!」


 ウェインくんも無邪気な視線をこちらへ向けてくる。

 ユーリと二人きりにしてほしい、とは言いづらい。

 でも言わなければいけない。

 今しかチャンスはない。

 ここで引いたらきっと取り返しのつかないことになってしまう。

 私はそう感じた。


「あのね、ウェインくん。私、ユーリと二人だけで話がしたいの。だから二人きりにしてくれないかな?」


 私は心を奮い立たせて切り出した。

 ウェインくんが寂しそうな顔をする。


「僕、邪魔ですか?」


 その声音からはかすかに悲しみが読みとれた。

 少し私の心が痛む。


「そんなことないよ! ねぇレイナ、別に三人でも良いでしょう?」


 ユーリが慌ててフォローする。


「ほら、お茶もお菓子も三人ぶんあるからさ」


 そう言って宿の食堂からもらってきたのであろう、お菓子を取り出して見せた。

 けれど私はゆっくり首を横に振る。


「どうしても二人じゃなきゃダメなの。お願いウェインくん、席を外してちょうだい?」


 そしてまっすぐウェイン君を見つめる。

 私の意志は変わらない。

 それを伝えるためだ。

 少し迷っていたウェインくんだったが最終的に、


「わかりました、何か大切な話なんですね。ではおやすみなさい」


 そううなずき、部屋から出ていこうとした。


「待ってよ、ウェインくん! ねぇレイナ、どうしたの? 二人じゃなきゃ話せないことってなんなの?」


 ユーリはどうしても私と二人きりで話したくはないそうだ。

 ウェインくんを引き留めようとしている。

 いつものユーリに戻ったと思っていたけれど、気のせいだったのだろうか。

 ユーリはこんなに空気の読めない子じゃなかったはずなのに……。


「ウェインくん、早く出てって」


 思わず強い口調になってしまった。

 ウェインくんは少しびくりとしたように肩を震わせ、そそくさと部屋から出ていった。

 ユーリが追いかけようとしたが、そうはさせまいとすぐにドアの前に立ちふさがる。

 そしてそのまま鍵を閉めた。

 誰も入ってこられないように、だ。

 これから先は私とユーリ、一対一の話し合いだ。


「レイナなんか変だよ? 怒ってるの?」


 諦めてベッドに座ったユーリが、不思議そうに問いかけてきた。

 けれどそれはこっちの台詞だ。


「おかしいのはユーリの方だよ。ここ最近自分がずっとおかしいの気づいてないの?」


 ユーリが明らかにおかしくなったのは、二度目にウェインくんと二人で出掛けたときからだ。

 その直前のユーリは何やら悩みごとがあるようだった。

 なんだかぼーっとしていることが多かったし、少し元気が無さそうだった。

 それがいきなり底抜けに明るくなったのだ。

 それからというもの、ユーリは

 試験の成績が悪くてもあっけらかんとしていたし、私やアレクシアがどんなにしつこく詰問しても、機嫌を悪くすることがなかった。

 挙げ句の果てに、今回の旅行で危険な麻薬がドラッケンフィールに流通しているかもしれないという話を聞いたときすら、とくに心配する様子を見せなかった。

 いつもにこにこ笑みを浮かべていただけだったのだ。

 まるで自分にとって都合の悪いことを、のように。

 そうだ、私がユーリに対して抱いていた違和感の正体はこれだ。

 去年のユーリは試験の前には毎回そればかり気にしていたし、初めての校外授業の時には魔物に遭遇しないか心配していた。

 ユーリは本来繊細な子なのだ。

 それなのに最近のユーリは自分にとってマイナスになることを一切気にしていないようだ。

 嫌なことがあっても片端から忘れてしまっているように感じる。

 だとしたらきっとユーリがおかしくなった理由は、だ。


「えぇ、私がおかしい? そんなことないよ、私は普通だよ?」


 ユーリは不思議そうに首をかしげている。

 ここまで言ってまだ認めないとは……。

 やっぱりユーリが普通に戻っていたのは少しの間だけで、また最近のおかしなユーリに逆戻りしてしまっているようだ。

 あのときは一体どうして……?

 私はユーリが正気に戻りかけていたときのことを思い出す。

 ユーリがもとに戻ったのはいつからだったろうか?

 剣術の訓練の合間にみんなでお茶を飲んだときのユーリは、確実に普通だったと思う。

 思えばここ最近、ユーリにからかわれることがほとんど、いや全くといって良いほどなかった。

 お茶のときのやり取りは、なんだか懐かしさを感じたくらいだ。

 ではそのときにもとに戻ったのだろうか?

 何がきっかけで?

 ……いや、もっと前に普通に戻っていた気がする。

 それは私がエドウィンさんとの訓練を終え、ユーリと交代するときだ。

 あのときもユーリは去年のことを引き合いに出し、私をからかった。

 そうだ、ユーリはあのとき確かに、

 去年の事件は私たちに深い爪痕を残した。

 もしユーリが辛い記憶を忘れているという私の推測が正しければ、その出来事は真っ先に忘れ去られていてもおかしくないはずだ。

 間違いない、ユーリがもとに戻ったのはあのときだ。

 じゃああのとき何があった?

 その少し前、私はエドウィンさんと剣の訓練をしようとしたがお守りが暴発し、一時中断となった。

 そして私はペンダントを外してユーリに預けた。

 そうだ、お母さんからもらったこのペンダントだ。

 理由はわからないが、これは魔法学校の教師ですら驚くほどの魔導具なのだ。

 私の知らない効果があってもおかしくはない。

 私は服の下からペンダントを取り出す。

 そしてそのままユーリに歩み寄り、ペンダントの魔石をユーリに押し付けた。


「ちょっとレイナ、いきなりどうしたの?」

「いいから大人しくしてて!」


 ユーリが抵抗しようとしたので、私はユーリをベッドに押し倒した。

 そのまま馬乗りになるようにしてユーリを押さえつける。


「重いよ、レイナ降りて!」


 ユーリの抵抗が激しくなってきた。

 このままでは振り落とされてしまいそうだ。

 形振りかまっていられなくなった私は、ユーリに抱きつくようにしてペンダントを押し当てる。


「ねぇ、暑いってば!」


 ベッドの上で二人抱き合うようにしてじたばたしているのだ。

 暑くなるのも当然だ。

 それでも離すわけにはいかない。

 ユーリの体温を直に感じて、だんだんペンダントを握る手が汗ばんでくる。

 しかもユーリが暴れるから、ペンダントを落としてしまいそうだ。


「はぁ、はぁ。もう、いつまでそうしてるの!?」


 ユーリの呼吸が荒くなってきた。

 その度に熱い吐息が私の耳にかかる。

 私自身の体も熱くなってくるのを感じた。

 私はユーリに振り落とされないよう、必死で彼女にしがみついていた。

 ……どれほどの間そうしていただろうか、しばらくしてユーリが大人しくなった。


「ねぇ、もう降りてよ……」


 ユーリの言葉には少し怒気が含まれている気がした。

 ここのところ一切見せなかった負の感情だ。

 それでも私がユーリにしがみつくのをやめずにいると、


「レイナ、いい加減にして。怒るよ」


 ユーリが静かにそう告げた。

 もう大丈夫なのだろうか?

 私は身を起こしてユーリを見下ろした。

 けれど相変わらずユーリの体は私の体の下だ。

 ユーリの顔は不機嫌そうに見える。


「……どいてよ」


 ユーリが表情を変えずにそう呟いた。

 どうやら本気で怒っているようだ。

 私はそこからどいて少し離れたところに座った。

 ユーリが身を起こし、私と向き合う。

 彼女は全身汗ばみ、肩で息をし、頬は赤く上気していた。

 しかもついさっきまでベッドの上でくんずほぐれつしていたものだから、衣服も乱れている。

 かなり艶かしい姿だ。

 かくいう私も同じような状況だろう。

 何も知らない人がこれを目撃したら、なにやら勘違いしそうだ。

 私たちがもう少し大人だったらいろいろ危ない光景になっていたかもしれない。

 いやむしろ、子供だからこそ危ないか……。


「あーあ、全部思い出しちゃった」


 そんなことを考えているとユーリがいきなり口を開いた。


「やっぱりユーリ、アナトリオスで洗脳されてたの?」


 私はそうユーリに問う。

 服用者の記憶を混濁させるというアナトリオスを原料とした麻薬。

 そしてそれがドラッケンフィールにも流通しているかもしれないという情報と、辛い記憶をすぐに忘れてしまっているような様子のユーリ。

 これらのキーワードから導きだした結論だ。

 そしてお母さんからもらったペンダントは、麻薬の効力を消し去る、あるいは弱めるような機能を持っているのかもしれない。

 この出来事で私はそう確信した。

 しかしユーリは首を横に振る。


「それはわかんない。でもね、神殿に行くと辛い記憶が忘れられるの。レイナたちの言う通り、私は休日の度に神殿に行ってたよ」


 ユーリが観念したように吐き出した。

 やっぱりか。

 アナトリオスの流通先は神殿だ。

 そこなら捜査の手も行き届かない。

 しかし神殿がなんのためにそんなことを?

 新たに沸き上がった疑問を心の底に押し込める。

 今大事なのはユーリの方だ。


「何でそんな!? そんなに嫌なことがあるなら相談してくれれば良かったのに。私たちは親友でしょ?」


 それは私の心からの言葉だ。

 そんなに辛いことがあったなら相談して欲しかった。

 ユーリの力になってあげたかった。

 でもユーリはまたしても首を横に振った。

 とても苦々しげな表情だ。


「親友だから、相談できないこともあるんだよ。これからもレイナやアレクシアと親友でいるために……」


 どういうことだ?

 親友だから相談できない。

 これはまだわかる。

 でもこれからも親友でいるために相談できない?

 ユーリは何を忘れたかったんだろう。


「ねぇ、どうしても話してくれないの?」


 私の問いを受けてしばらくは無言だったユーリであるが、やがて意を決したかのように話し出した。


「『ライゼンフォート家のお嬢様』、『魔法学校の天才美少女』……」


 私とアレクシアのことだ。

 でもそれとこれとなんの関係が?

 私の疑問は直後のユーリの言葉で解決することになる。


「そんな特別な二人に囲まれた、『私』は一体何?」


 私は言葉を失った。

 それだけでわかってしまったのだ。

 ユーリが何を忘れたかったのか。

 そしてそれを私たちに相談できなかった理由も。

 そんな私を睨み付けるように一瞥し、ユーリは一気にまくし立てる。


「アレクシアだけならまだ納得できるよ。アレクシアは生い立ちからして特殊だし、そのことですごく苦労もしてる。でもレイナは? 私と同じ、いやもっと田舎の出身なのに、学校に入る前から読み書きが出来たし、魔力もたくさん持ってるし、頭も良いし、機転も利くし、見た目もすごくかわいい。それで今まで何か苦労してきたの? 私と違って何から何まで恵まれてる。羨ましいよ! 私はレイナが羨ましい! 私だってもっと良い成績とりたいし、先生に『期待してる』って褒められたい! 男の人にかわいいって言われたい! 天才だとか美少女だとか、どっちか片方でも良いから言われてみたい! でも誰も私を見てくれない。アレクシアとレイナのことはドラッケンフィールの誰もが知ってるのに、私のことなんて誰も知らない。なんで? なんで親友同士なのにここまで違うの? 私はずっと二人と親友でいたかったよ。でも私がそんな風に考えてたら親友でいられないじゃん! だから忘れたかった。ウェインくんと二人で神殿にいったとき、辛い記憶を忘れられるって言われて思わず飛びついた。そしたら本当に忘れられた。二人と一緒にいても心の底から笑えるようになった。それはいけないことなの? 私はずっと二人に劣等感を抱いたまま、二人の親友でいないといけないの? そんなの私にはできないよ。でもこんなこと、二人には相談なんてできないじゃん。『私は二人に劣等感を抱いています』って、言えば良かったの? それこそもう親友でいられなくなっちゃうじゃん。ねぇ教えてよ、レイナ。私は一体どうすれば良かったの……?」


 ユーリの言葉は、一句一句が私の胸を突き刺した。

 私は何も言い返すことが出来なかった。

 ごめんね、辛かったね、と声をかけるのは簡単だ。

 でもそれでは何も解決にならないことくらいわかる。

 私が同情しても逆効果だ。

 ユーリの気持ちに気づいてあげられなかった。

 それがたまらなく悔しかった。

 私はじっとユーリを見つめる。

 ユーリもこちらを見つめ返す。

 気づけば、泣いていた。

 泣いていたのはユーリではなかった。

 私だ。

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