第三十九話 消えた違和感
エドウィンさんとの訓練を終えたとき、私は汗びっしょりになっていた。
そんなに激しい動きをしていたつもりはないのに、思った以上に体力を消耗していたようだ。
「ありがとうございました」
私はエドウィンさんにお礼を言い、ユーリと交代する。
「レイナって意外と体力ないの?」
預けていたペンダントを返してもらったとき、ユーリにそんなことを言われてしまった。
「ユーリもやってみればわかるよ! 結構大変なんだから!」
私はそう憤慨する。
体力がないなんて心外だ!
私はこれでも小さい頃からヘイグ村の近くの森を走り回って育ったのだ。
だから平均よりは体力のある方だと思っている。
そんな私の考えを察したのか、ユーリがいたずらっぽく微笑んだ。
「そんなこと言って、去年の誘拐の時も結構すぐにへばってなかった?」
うぅっ、確かに自分でもあのとき旧王国派のジェラルドに、「もう限界」とか言った記憶はある。
しかしよくもまぁそんなことを覚えているものだ。
「あ、あれは連れてかれた場所までの距離をゼノヴィアさんに伝えるための目安になるかと思って……、本当だよ!」
「本当かなぁ~?」
しかし私の抗議はあっさりとユーリに流されてしまった。
くっそー、ユーリめ……。
「まぁ、私も頑張ってくるね!」
ユーリはそう言い残すとエドウィンさんの方へと小走りで向かっていった。
その姿を見送りながら、私は小声で呟く。
「ふんだ、ユーリがへとへとになってたら大笑いしてやる」
「なんか言ったー?」
……ユーリのやつ地獄耳か。
「何も言ってないよー。頑張ってねー」
私は適当にごまかした。
そして持ってきたタオルで汗を拭きながら、ユーリとエドウィンさんの訓練を見守る。
すると手合わせを終えたらしい、ウェインくんとウォルターさんがやって来た。
ウォルターさんはやはり汗ひとつかいておらず、相変わらずクールな雰囲気をまとっているが、ウェインくんはだいぶ疲れているようだ。
肩で息をしている。
「ふぅ。レイナさん、そっちはどうですか?」
一息ついたウェインくんにそう問われた。
「私たちは素振りを少し教わったあと、相手の攻撃を防御する練習をしてるの」
私の答えを聞いたウォルターさんが、やれやれといった感じで首を振る。
「素振りも教えきっていないうちに防御の練習なんて、順番が滅茶苦茶だ。あいつは人に教えるのには向いてないな」
やっぱりエドウィンさんの教え方は無茶だったらしい。
私もウォルターさんに教えてもらいたかったな。
そうすればお守りの反撃が暴発することもなかっただろうし、みんな幸せだ。
「ウェインくんはどうだった? ウォルターさんと手合わせしてみて」
私はウェインくんにそう問う。
ウェインくんはウォルターさんに一太刀入れることができたのだろうか?
しかしウェインくんは少し伏し目がちになり、残念そうにかぶりを振る。
「全然ダメでした。僕じゃあ相手になりません……」
どうやらハンデありでも敵わなかったらしい。
でも私たちなんて二対一でもエドウィンさんに軽くあしらわれてしまったのだ。
私からするとウェインくんは結構善戦していたように見えたし、誇りに思っても良いと思うよ。
私は思ったままのことを伝え、ウェインくんを励ました。
「あぁ。君はまだまだこれから伸びていくだろうし、今そんなに落ち込むことはないさ。今日だって相手をしていて、ひやっとすることが何度もあったしね。将来的には俺たちよりも強くなる可能性だってあると思うよ」
ウォルターさんもウェインくんを褒めちぎっている。
ウォルターさんにここまでお墨付きをもらうなんて、やっぱりウェインくんはすごい才能の持ち主なんだろう。
私たちの言葉を聞いて、だんだんウェインくんも元気を取り戻してきた。
「ありがとうございます。僕、これからもっと剣を練習しますね!」
「そう、その意気だ。毎日休まず特訓することが大事だからね」
ウェインくんの意思表示を受けてウォルターさんが微笑む。
なんだか師弟のようだ。
良いなぁ、私もウォルターさんに褒められたいなぁ。
でも私の実力ではそれは難しそうだ。
ウェインくんはお父さんに剣術を教わっていたと言っていたけれど、私のお母さんも実は剣術の心得があったりしないだろうか。
私はお母さんの白くて滑らかで、ほっそりとした指を思い出す。
……うーん、残念ながらそれは無さそうだ。
ゼノヴィアさんなら教えてくれるかな?
そんなことを考えていると、練習を終えたユーリとエドウィンさんが引き上げてきた。
「はぁ、はぁ、疲れた~」
汗だくで戻ってきたユーリはそのまま床に腰を下ろす。
私はユーリのタオルを持ってきてあげることにした。
「ほら、結構大変だったでしょう?」
言わんこっちゃない、と少し皮肉な笑みを浮かべてタオルを手渡す。
「あはは、ごめんね。ありがとう」
ユーリが苦笑いしながらタオルを受けとり汗を拭く。
「三人ともお疲れのようだし、一旦休憩にしてお茶でも飲もうか」
へばっている私たちの様子を見てエドウィンさんがそう提案した。
確かにこのまま訓練を続けるのは厳しい気がする。
私たちは素直にうなずき、エドウィンさんについていった。
私たちが案内されたのは六年生寮のロビーだった。
今はウォーレンハイトの魔法学校も休暇中であるため、寮に残っている生徒はほとんどいない。
エドウィンさんとウォルターさんは二人ともウォーレンハイトの出身であるが、道場で剣の訓練をしたいがために寮に残っているそうだ。
寮の造りはドラッケンフィールとほとんど変わりはなかった。
私たちがロビーのソファーに腰かけると、寮監さんがお茶とお菓子を用意してくれた。
「おい、エドウィン。お前教え方がずいぶん滅茶苦茶じゃないか。しっかり基礎から教えないと意味ないだろ?」
お茶を飲みながらウォルターさんがエドウィンさんにそう指摘する。
やっぱりウォルターさんはエドウィンさんの教え方が気にくわないようだ。
エドウィンさんは言葉に詰まっていた。
「いやぁ、お前がウェインくんと手合わせしてるのを見たら、いてもたってもいられなくなって……」
その言い訳を聞いたウォルターさんが肩をすくめて溜息をつく。
「じゃあ練習を再開したら交代だ。あんなんじゃ教わる方がかわいそうだ」
厳しい言葉にエドウィンさんがきまり悪そうに頭をかく。
とはいえ私もまずは基礎から教わりたいので反対したりはしないが。
「でも二人ともすごいですよね。二人の訓練は私じゃ目で追えません」
とりあえず私は二人をよいしょしておくことにした。
それを聞いてエドウィンさんが顔をほころばせる。
この人は結構単純なのかもしれない。
「だろう? 多分魔術で動体視力を底上げできるような人じゃないとついてこれないぜ!」
エドウィンさんが得意気に話す。
道理でいくら頑張っても見えないわけだ。
にしても魔術と剣術が融合すると、あんなにすごい動きが出来るんだな。
以前見たゼノヴィアさんの戦闘よりも速いかもしれない。
二人はまだ学生だというのに。
中央に行くことが内定しているというのもうなずける。
「二人は中央でどんな仕事をするんですか?」
ウェインくんが尋ねる。
するとエドウィンさんとウォルターさんは少し難しそうな表情で顔を見合わせた。
「まだ未発表のことが含まれてるから教えられないんだ。ごめんよ」
ウォルターさんが申し訳なさそうに謝罪する。
一体なんなんだろう?
「まぁ、剣術も魔術も使うってことだけ教えておくよ」
エドウィンさんもぼかした答え方をする。
それはそうだろう。
魔法学校の卒業生であり、剣術の腕も優れている二人がパン屋さんを開いたりするとは思えない。
剣術も魔術もどちらも重要であるからこそ二人に声がかかったのだろうし。
そんなことを考えていると寮の奥へと続く扉が開き、一人の女子生徒が入ってきた。
「あれ? 下級生の子なんて連れ込んで何してんの?」
その生徒がエドウィンさんとウォルターさんに声をかける。
連れ込むなんて人聞きの悪いことを言うなぁ。
「おう、マーガレット。この子達はドラッケンフィールから旅行に来たんだってさ。んで剣術に興味があるって言うから教えてあげてたんだよ。だから別に連れ込んでたわけじゃないさ」
エドウィンさんがその生徒、マーガレットさんに向けて返事をする。
否定するところはきっちり否定してくれていた。
良かった良かった。
「なるほどねー。エドウィンったらとうとうそんな小さな子にまで手を出し始めたのかと思っちゃった」
ぺろりと舌を出してマーガレットさんが笑う。
それを聞いたウォルターさんが小さく吹き出していた。
「なんで俺だけなんだよ! それを言うならウォルターだって同じだろうが!」
エドウィンさんが憤慨するがマーガレットさんは一切意に介していないようだ。
「だってウォルターはそういうタイプじゃないし、エドウィンは今までも……」
「ちょーっと、ストップ、ストーップ!」
何かを言いかけていたマーガレットさんをエドウィンさんが遮る。
「それ以上はやめろ。この子達に聞かせるわけにはいかないだろ?」
その様子はかなり慌てているように見える。
一体エドウィンさんは過去にどんなことをしてきたのだろうか。
私たちに聞かせられないことなんて、とんでもないことな気がする。
ちょっとエドウィンさんを見る目が変わってきた。
「ウォルター、エドウィンがその子達に変なことしないように見張っといてあげてね」
「はいよ、任せとけ」
マーガレットさんの言葉にウォルターさんが片手をあげて応える。
「じゃあね、君たちも気を付けるんだよ。こいつ可愛い子に目がないから」
マーガレットさんはそう言い残して寮の外へと出ていった。
私は呆気にとられてその姿を見送る。
なんだかすごい人だった。
エドウィンさんをぐうの音も出ないほど打ち負かしていた。
何か弱みを握っているのだろうか。
それにしてもエドウィンさんの過去、気になるな……。
するとふと誰かの視線を感じた。
私もそちらに視線を向けると、エドウィンさんと目が合った。
なんだか私をしげしげと見つめているようだ。
少し不安に感じた。
「あの、私の顔に何かついてますか?」
私はそうエドウィンさんに尋ねる。
「いやぁ、確かにレイナちゃんってすごく可愛いなと思ってさ。あと四、五年、いや三年もすればあるいは……」
何を言ってるんだこの人は。
少し背筋がぞくりとした。
「なぁウォルター、やっぱりこの後教えるのは交代しないでおこうぜ。俺レイナちゃんにいろいろ教え……ぐふぅ!?」
何やら良からぬことを言いかけたエドウィンさんの腹にウォルターさんの鉄拳が炸裂した。
「お前何考えてんだ? 殺すぞ」
ウォルターさんの声には、静かではあるが確かな殺気が込められていた。
割とこの人本気かもしれない。
「うぐぅ、そんなこと言って、お前だってレイナちゃんのこと可愛いと思って……ぐはぁ!?」
もう一度ウォルターさんの鉄拳を食らったエドウィンさんは、机に突っ伏して動きを止めた。
エドウィンさん無事かな?
私は少し心配になった。
でもほんの少しだけだ。
「ごめんよレイナちゃん。この馬鹿がおかしなことを言って」
沈黙しているエドウィンさんの代わりにウォルターさんに謝られた。
気にしないでください。
そう言おうとしたけれど、なぜかユーリに先を越されてしまった。
「気にしないでください。レイナはこんな状況慣れてますから」
「えぇ!? ちょっとユーリ、どういうこと!?」
私がこんな状況に慣れてる?
全く意味がわからない。
ウォルターさんも首をかしげている。
一方のユーリは満面の笑顔だ。
楽しくてたまらないといった感じだ。
「あのですね、レイナは実は『ドラッケンフィールの天才美少女』って呼ばれてるんですよ」
ユーリがおかしなことを言い出した。
「ちょっと待って。この間は『魔法学校の天才美少女』だったよね? いつの間にか範囲が広がってない!?」
私は慌てて抗議したが、私の言葉を聞いてユーリがにんまりと笑みを深める。
あ、これは失敗したやつだ。
「あれぇ~? 『天才美少女』のところは否定しないんだ~?」
やっぱりね!
自分でも言った瞬間「しまった!」と思ったよ!
「だからそういうことじゃなくて……、あぁ、もう!」
私はだんだんいたたまれなくなってきた。
どうしてこんなことになったのやら……。
ウェインくんはどうしたらいいかわからない、といったようにおろおろしているし、ウォルターさんはそんな私たちを見て楽しそうに微笑むだけだ。
私は諦めてお菓子を食べることにした。
自分に配られたお菓子ではなくユーリに配られたお菓子を、だ。
「ちょっとレイナ、それ私の」
「ふん!」
ユーリに抗議を受けたけど知らん顔だ。
こんなんじゃ私の怒りは収まらないぞ!
「レイナって結構食いしん坊だよね……。太るよ?」
私はユーリのお茶も奪い取った。
お茶を終えたあとは剣術の訓練の続きをした。
私たちに教えてくれるのはもちろんウォルターさんだ。
エドウィンさんは辛うじて生存は確認されたものの、終始お腹を気にしていた。
「二発目は身体強化をして殴った」
というのはウォルターさんの弁だ。
「やっぱりな! 図星をつかれたから怒ったんだろ!」
エドウィンさんの声が聞こえた瞬間、ウォルターさんの目がすっと細められた。
エドウィンさんって命知らずなんだな。
それともただのお馬鹿さんなのかな?
エドウィンさんの末路に想像がついた私は、予め視線をそらしておいた。
「ぐぼぁ!?」
後ろからそんなくぐもった悲鳴が聞こえた。
かわいそうに。
もちろんかわいそうなのはエドウィンさんではない。
ウェインくんだ。
これじゃあウェインくんは手合わせの相手がいなくなっちゃうな。
ウォルターさんはエドウィンさんとは違い、きっちりと剣術の基礎を教えてくれた。
お陰でその日の訓練が終わる頃には、綺麗な動作で素振りができるようになっていた。
剣を振り上げてもバランスを崩さなくなったし、振り終えたあとの構えもしっかりとれるようになった。
ウォルターさんも満足そうに私たちの上達具合を確認していた。
「二人とも教えたことを吸収するのは早いね。才能が無いなんてことはないと思うよ」
別れ際に笑顔のウォルターさんにそう褒められた。
やっぱりウォルターさんの笑顔は素敵だ。
「ありがとうございました!」
私たちはウォルターさん、と一応エドウィンさんに礼をして帰路につく。
今日は一日剣を振っていたのでへとへとだ。
とくに腕はとても重く感じる。
もしかしたら明日は筋肉痛になるかもしれないな。
でも今日は楽しかった。
私はとても満足していた。
旅行に来て本当に良かったと思える。
そう思った私は、少し今日の出来事を振り返ってみた。
するとなんだか違和感を感じた。
いやむしろ、今まで感じていた違和感が消えた、といった方が正しいかもしれない。
今日のユーリは、普通のユーリであった。
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