第二十八話 眠れない二人

「ゴホッゴホッ、助けて、ユーリ~。ゴホッゴホッ」

「うわぁ、ひどい咳。レイナ、おじさんみたい」

「そんなこと言ったって~」


 朝起きた私は、ひどい咳と頭痛に見舞われた。

 少しだけど熱もあるみたいだ。

 別に寒いところに長時間いたわけでもないしお腹を出して寝たわけでもない。

 なのになぜ風邪なんて引いてしまったのだろうか。


「とりあえず私、フランセスさん呼んでくるね」

「うぅ、ありがとう」


 フランセスさんは寮監として生徒の体調管理も担ってくれている。

 少しでもこの症状を緩和することができれば良いのだけれど……。


 しばらく待つとフランセスさんが部屋へとやって来た。

 ベッドに寝込んで咳をする私の様子を見てフランセスさんは顔をしかめる。


「レイナ、どうしたの? ずいぶん酷そうだけど……」

「うぅ、わかりません……、ゴホッゴホッ」


 ずっと咳をしていたせいで喉もガラガラだ。

 唾を飲み込むだけでも痛みが走る。


「とりあえず薬を持ってきたから飲んでちょうだいね」


 そう言ってフランセスさんは薬とコップに入った水を差し出す。

 私はベッドから身を起こし、それを受け取り薬を飲んだ。


「少しでも気分がよくなるように、回復魔術をかけるわ。一度横になって」


 フランセスさんも歴とした魔法学校の卒業生だ。

 魔術を使えない人には魔法学校の寮監は勤まらないのだ。

 フランセスさんは寝ている私に近づき、額に手をかざす。


治癒ヒール!」


 フランセスさんが呪文を唱えた。

 そのとたん頭痛がやわらぎ、喉の痛みもずいぶんましになった。


「ありがとうございます。だいぶ楽になりました」


 私はそうお礼を述べたが、フランセスさんは渋い顔のまま首を横に振った。


「今のは痛みを緩和しただけで風邪自体を治したわけではないのよ。少なくとも今日中は安静にしていること。明日の授業に出席するかどうかは明日決めましょう」


 どうやら私の症状はかなり酷いようだ。

 私はおとなしくベッドに潜り込んだ。


「食事は専用のものを用意してここに運ぶし、定期的に様子を見に来ますね」


 そう言い残すとフランセスさんは部屋を出ていった。

 するとフランセスさんと入れ替わりになるように、アレクシアがやって来た。


「なかなか二人が広間に顔を出さないから来てみれば、レイナ風邪ひいたのね。大丈夫?」


 アレクシアが心配そうな表情を見せる。


「ちょっと大丈夫じゃないかも……。今日は一日安静にしてろって」

「そう、残念ね。みんなレイナに勉強を教えてもらうのを待ってたのに」


 みんなには申し訳ないことをしてしまったと思う。

 でも私自身苦しいのだ。


「ごめんね。また今度ちゃんと教えるからってみんなに伝えておいて……、ゴホッゴホッ」


 まだまだ咳は収まる気配がないし、フランセスさんの魔術で少しましになったとはいえ、喋るだけで喉が痛むのだ。

 こんな状態では人に勉強を教えるなんてできそうにもない。

 アレクシアにも私の辛さが伝わったのか、私をいたわるような顔をしていた。


「まぁ、でもアレクシアだって成績良いし教え方も丁寧だし、みんなのためになるとは思うよ」


 ユーリの言葉にアレクシアもうなずく。


「そうね、そうしましょうか。じゃあレイナ、また後でお見舞いに来るわ」


 そう言って二人は部屋を出ようとする。

 私は力なく手を振り、二人を見送る。

 しかし二人がドアを開ける前に、誰かがドアをノックした。

 ユーリがドアを開けるとそこにいたのは、またしてもフランセスさんであった。


「フランセスさん、どうしたんですか?」


 ユーリの問いに少し困った様子でフランセスさんが答える。


「レイナとユーリにお客さんが来たのよ。前にも来ていた一年生の男の子よ。この様子だと帰ってもらった方がいいかしら……」


 となるとウェインくんだろうか。

 私たちに他に一年生の知り合いはいない。


「その子、一人で来たんですか?」


 ユーリの再度の問いにフランセスさんはうなずいた。

 それを聞いたユーリが難しい顔をする。

 ウェインくんとは校舎で何度かすれ違ったが、あまり他の一年生と仲良くしているようには見えなかった。

 いつも廊下を一人で歩いていたのだ。

 相変わらず他に友達が作れていないのかもしれない。

 去年のアレクシアのように。

 いや、去年のアレクシアですら私やユーリが一緒だった。

 ウェインくんは私の見る限り完全な一人ぼっちだ。

 アレクシアよりも孤独といえる。

 今日もせっかくの休日だというのに遊ぶ相手がおらず、仕方なく私たちを誘いに来たのかもしれない。

 ここで帰してしまったらウェインくんは、一人ぼっちの休日を過ごすことになるかもしれない。

 いくらなんでもそれは酷なことだろう。

 かといって私は風邪で外に出られないし、アレクシアやユーリにも一応先約がある。

 一体どうしたものか……。


「私、ウェインくんと遊んでこようかな……」


 ユーリが少し躊躇いがちに言った。

 アレクシアもうなずく。


「確かにそれが良さそうね。一人で帰すのもかわいそうだわ。みんなの勉強は私一人で見るから、ユーリは行ってらっしゃいな」

「ごめんねみんな、私戦力になれなくて……、ゴホッゴホッ」


 私は二人に謝罪しようとしたが、自分の咳で遮られてしまう。


「いいからレイナは寝ててよ。じゃあ私ウェインくんのとこに行ってくるね!」


 そういうとユーリは笑顔で部屋を出ていった。

 ユーリのやつ、実は勉強したくなかったんじゃないかな?


「じゃあ私も行くから、お大事にね」

「レイナは朝食まだでしょう? 軽めのものを運んできますね」


 アレクシアとフランセスさんもそう言い残し、去っていった。

 一人残された私はベッドに横になり考え事をする。

 ウェインくんはどうして友達を作れていないのだろうか。

 アイルバーグ村から一緒の馬車に乗ってきたけれど、ウェインくんは素直ないい子だった。

 みんなに嫌われるタイプには思えない。

 もしかしたらアレクシアのように、みんなに遠巻きにされる理由があるのだろうか?

 しかしアイルバーグ村生まれのウェインくんに、そのような特殊な事情があるとは考えにくい。

 だとするとウェインくん自らが友達を作らないようにしている?

 一体なんのために?

 そんなことを考えているとだんだんまぶたが重くなってきた。

 フランセスさんが朝食を運んでくるのを待たず、私は眠りに落ちた。


 結局その日は寝て起きて、フランセスさんの運んできてくれた食事をとって、時々フランセスさんに回復魔術をかけてもらってまた寝る、といった一日を過ごした。

 おかげで夕食の時間になる頃には少し体調も回復していた。

 咳の頻度が減ってきたのだ。

 フランセスさんに運んでもらった夕食を食べ終えてしばらく経った頃、ユーリとアレクシアが部屋にやって来た。


「あら、ずいぶん顔色が良くなったじゃない」


 私の顔を見たアレクシアが笑顔でそう言う。

 確かに自分でも自覚があるほど調子がよくなっているのだ。

 私はアレクシアに微笑み返した。

 そしてやっぱりユーリは、ウェインくんと二人でドラッケンフィールの街の見物に行ったようだった。

 今回は商業区までは行かず、居住区内で行動したらしい。


「二人でどこに行ってたの?」


 興味があったので聞いてみたが、


「ウェインくんが行きたいって言ってたところに行っただけだよ」


 という答えが返ってきた。

 それでは具体的にどこに行ったのかわからない。

 ウェインくんの趣味を知るためにも聞いておきたかったのだけれど、追求しようとしたらユーリが話題を変えてしまったので聞くことができなかった。

 ウェインくんが一人ぼっちでいる理由を知る手がかりになるかと思ったのだけど……。


「ねぇアレクシア、みんなの勉強はどうだった?」


 ユーリがアレクシアにそう問う。


「みんな頑張っていたわ。とくにリックとシンディね。二人とも物覚えはいいし、すぐにいい成績をとれるようになると思うわよ。けれどカイルだけは壊滅的だったわ……」


 カイルのことに触れるとき、アレクシアは心底うんざりといった表情だった。

 そんなにカイルの勉強は酷かったのだろうか。


「カイルったら、未だに簡単な単語の綴りの間違いが多くて……。歴史の勉強をする以前の問題だったわ」


 うわぁ、それは酷い。

 私たちが読み書きを習ってから一年近く経つのに、まだそんなところでつまずいているとは……。

 私は呆気にとられた。


「だからレイナ、次からはカイルの勉強はレイナが見てあげてね」

「えぇっ!?」


 アレクシアにとんでもない無茶ぶりをされた。


「そんな、私だって自分の勉強したいよ!」


 しかしそんな私の抗議をアレクシアは一笑に付した。


「レイナ前に言ってたわよね? 『勉強で困ったら私を頼ってもいいよ!』って」

「ぐぅ……」


 私は言葉につまる。

 確かに言った。

 確かに言ったけどさぁ……。

 いくらなんでもそれとこれとは別問題じゃないかなぁ?

 あんな約束するんじゃなかった……。

 途方にくれる私をアレクシアはにんまりとした表情で見つめるだけだった。


「ねぇユーリ、助けてよぅ……」


 私はユーリに助けを求めた。

 しかし声をかけてからしまった、と思う。

 こんなときユーリに助けを求めたら、アレクシアと一緒になって私をからかうに決まっている。

 おそるおそるユーリの様子をうかがうが、ユーリの反応は私の予想とは違った。

 というより、とくに反応を見せなかったのだ。


「ユーリ?」


 私の呼びかけに、ようやくユーリはハッと我に返ったように反応した。


「あぁ、ごめん。そうだよね! うん」


 でもその返事すらも要領を得ていない。

 なんだろう、話を聞いてなかったのかな?


「大丈夫、ユーリ? もしかしてレイナの風邪が移ったのかしら」


 アレクシアもユーリの反応の鈍さに疑問を持ったようだ。

 私の風邪が移ったとしたら大変だ。

 あれはとても辛い。

 経験者が言うのだから間違いない。

 けれどユーリはあわてたように首を横に振る。


「ううん、体調が悪い訳じゃないの。ちょっと眠くてぼーっとしちゃって。ほら、今日は街の見物して疲れたから」


 その言い訳はもっともらしく聞こえるが、ユーリの態度は少し変だ。

 まるで私たちに何かを隠しているかのようにすら見える。

 アレクシアもそれを感じ取ったようだったが、あえて踏み込むのはやめたようだ。

 私もその方がいいと思う。

 本人が言いたくないことであれば、無理に聞き出すことはない。


「そう、じゃあ私は部屋に戻るわね。レイナも早めに寝た方が良いだろうし。おやすみなさい、二人とも」


 そう言うとアレクシアはドアへと向かった。


「うん、おやすみ。また明日ね」


 ユーリがアレクシアに手を振る。


「また明日……、明日は私授業に出られるかな?」


 アレクシアに別れを告げようとした私は少し心配になった。

 今日一日でだいぶ風邪の症状は治まったが、明日の朝はどうなっているかわからない。

 またぶり返すかも知れないのだ。


「授業を休むことにならないように早く寝なさい」


 最後にそう言い残し、アレクシアは部屋を出ていった。


「じゃあもう寝よっか」


 私はユーリに声をかける。

 いつもならまだ寝るにはかなり早い時間だが、ユーリが疲れていて早く寝たいというならそうしようと思ったからだ。


「うん、そうだね」


 そう言ってユーリは寝間着に着替え始めた。

 けれど私はその姿にも違和感を覚えた。


「ねぇユーリ、ボタンかけ違えてるよ?」

「あ、本当だ」


 私の指摘を受けたユーリがボタンをかけ直す。

 そのときにすら、ユーリはどこか上の空に見えた。

 一体ユーリはどうしたんだろう?

 今日ウェインくんと出掛けたときに何かあったのだろうか。


「じゃあ明かり消すね」


 着替えを終えたユーリが部屋の明かりを消して自分のベッドに潜り込む。

 その姿を見届けた私は目を閉じる。

 しかし今日の私は一日中寝ていたようなものだ。

 寝ようと思ってもなかなか寝付けない。

 しばらくベッドの上でごろごろ寝返りを打っていたが、どうしても寝られず一度身を起こした。

 そして隣で寝ているはずのユーリを見遣る。

 ところがユーリは起きていた。

 私と同じようにベッドから身を起こし、窓の外を見つめていたのだ。

 一体いつからそうしていたのだろう?

 さっきは疲れていて眠いと言っていたはずなのに。

 ユーリ、眠れないの?

 そう声をかけようとしたが憚られた。

 やっぱりユーリには何か考え事があるのだ。

 そしてそれは私やアレクシアには言えないことだ。

 今は一人にしてあげた方が良いのかもしれない。

 私はユーリに背を向けるようにしてベッドに横になった。




 しかしこの選択を、後々私は後悔することになる。

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