第十九話 終わっていなかった事件


「あ、この辺いっぱい薬草生えてるよ」

「本当だ、たくさん採れそうだね」


 私とユーリは森の少し深めのところまで入っていき、薬草を探して採取していった。

 フレデリック先生の指示によると、採る薬草は若すぎてもダメ、育ちすぎていてもダメとのことだった。

 条件に合う薬草はあまり多くなく、少し森の奥まで入らないと見つからないのだ。

 しかしなかなか森の奥に入ってこれない生徒もいた。

 その代表がアレクシアだ。


「ねぇ、そっち虫いない? そっち行っても大丈夫?」


 さっきの毛虫が相当トラウマになったようだ。

 森の入り口辺りでうろうろするばかりで全然奥まで入ってこない。

 そのせいでアレクシアはほとんど薬草を採れていない。


「もう、虫なんているに決まってるでしょ。森なんだから。諦めてこっちおいでよ」


 ユーリが呆れたように声をかけるけど、アレクシアは頑として近づいてこない。

 私とユーリは顔を見合わせてため息をつく。

 ヘイグ村にいた頃の私の遊び場は近くの森だったし、村の人の手伝いで畑仕事をしたりしていたから、私は虫には慣れっこだ。

 ユーリも私ほどじゃないけど気にならないらしい。

 けれど街からほとんど出ずに生活していたドラッケンフィール出身の生徒はそうではないようだ。

 アレクシア以外にも虫を怖がっている子が多い。

 ほとんどは女子だけど、中には男子もいる。

 なんて情けない。


 ある程度薬草が集まると、教科書に載っている他の薬の材料も探すように指示があった。

 中には木の実のように、手では簡単に採れない材料もある。

 ジルムントさんからもらったナイフの出番だ!

 教科書には材料となる植物が好む環境なども記載されている。

 それを参考にしながらユーリと二人で素材採取に勤しんだ。


「あ、この木の実食べられるんだよ」


 採取中に私が見つけたのは小さな赤い木の実だ。

 私の親指と人差し指で輪っかを作ったくらいの大きさで、私の身長でもギリギリ届くくらいの高さになっている。

 カーラの実といって、この時期になると熟して甘くなるのだ。

 森に遊びに行ったとき、よくおやつ代わりに食べていた。


「本当に? 教科書には載ってないよ?」


 ユーリが教科書を見ながら首をかしげる。

 コンラート村の近くには無いのかな?


「甘くて美味しいんだよ。ヘイグ村ではよく食べてたんだから」


 そう言って私はカーラの実をひとつもぐ。

 カーラの実は柔らかいのでつぶさないように軽く拭き、そのまま口に放り込んだ。

 甘い果汁がじゅわりと口の中に広がる。


「うーん、やっぱり美味しい。ユーリも食べてみなよ」


 私はもうひとつカーラの実に手を伸ばす。

 ユーリにあげるのではなく自分で食べるためだ。

 その様子を見ていたユーリも誘惑に負けたのか、実をひとつもいで口にした。


「本当だ、甘くて美味しい」


 ユーリもカーラの実が気に入ったようだ。

 でしょう? と私は微笑んでさらにいくつか実を食べた。

 ユーリもそこそこの数を食べていた。


「アレクシアたちにも分けてあげよう!」


 そう思いついた私は、採取した素材を入れていたかごにカーラの実もいくつか放り込んだ。


「うーん、先生に怒られたりしないよね?」


 ユーリはそんなことを気にしていたけど、きっと大丈夫だろう。

 そんなわけで私たちの薬草採取は、途中から木の実採取になった。


 私たちはアレクシアにカーラの実をあげるために、少し早めに森を出た。

 結局アレクシアは森の入り口辺りをうろうろするだけだったらしく、かごにはほとんど素材が集まっていなかった。

 そのせいかずいぶん退屈していたようで、私たちの姿を見るなり嬉しそうに駆け寄ってきた。


「どう? 薬草は採れた?」


 アレクシアに聞かれ私たちは自分のかごを見せる。


「ずいぶんいっぱい採ったのね。……あら、この木の実は何?」


 アレクシアはカーラの実に目を止めた。


「これはカーラの実って言って、甘くて美味しいんだよ。アレクシアお腹すいたでしょ?」


 私はアレクシアにカーラの実を差し出す。


「え、森で採った木の実なんて食べて平気なの?」


 アレクシアは少し嫌そうな顔をした。

 なんでみんなカーラの実を食べるのを嫌がるんだろう?

 すごく美味しいのに……。


「お、カーラの実じゃないか。懐かしいな」


 そう声をかけてきたのはフレデリック先生だった。


「私が子供の頃はよく食べていたものだが、最近の子供はめっきり食べなくなったな。……ひとつもらってもいいか?」


 私は先生にカーラの実を分けてあげた。

 どうやら勝手に余計なものを採ってきたことを怒られることはなさそうだ。


「うん、美味いな。よくこの実が食べられることを知っていたな」

「森に遊びに行ったときによく食べていたので……。ヘイグ村の子供はみんな食べますよ」


 私がそう答えると、フレデリック先生は納得したようにうなずいた。


「なるほどな。今でも田舎の子供は食べるというわけか」


 先生の言葉に私はショックを受けた。

 その言い方だとヘイグ村が田舎みたいじゃないか!

 いや、実際田舎なんだけどさ……。

 でもその言い方は酷くない?

 フレデリック先生が美味しそうにカーラの実を食べたからか、アレクシアもようやく実をひとつ手に取り、ためらいがちに口に含んだ。


「あれ? 美味しいじゃない」


 アレクシアの表情が変わった。

 どうやら気に入ったようだ。


「こんなに美味しいのになんでみんな食べられることを教えてくれなかったのかしら?」


 アレクシアはもうひとつカーラの実に手を伸ばす。


「それはだな……」


 フレデリック先生が説明しようとするのと、アレクシアがカーラの実を手にしたのはほぼ同時だった。

 アレクシアの手にした実から、


 "こんにちは"


 とばかりに虫が顔を出していたのだ。

 それもけっこう大きめの。

 アレクシアの動きが一瞬止まった。

 そして、


「きゃあぁぁーーー!!!」


 本日の二度目の悲鳴をあげ、アレクシアはカーラの実を放り投げてしまった。


「……まぁ、そういうことが往々にしてあるから、近頃の子供は食べようとせんのだ」


 フレデリック先生がしみじみ言う。


「ねぇ、もしかして私気づかず食べてたりしない?」


 その様子を見たユーリが心配そうに聞いてきた。


「普通はうっかり食べちゃわないように、虫がいないかよく確認するんだよ」


 私はそうユーリに教えてあげる。

 カーラの実を食べるときの常識だ。


「さっきはそんなこと言ってなかったじゃん! あんまり見ないで食べちゃったよ!」


 ユーリの顔が真っ青だ。


「大丈夫、大丈夫。虫が入ってたら味でわかるから」


 無論私にもそういう経験はある。

 あの気持ち悪さは筆舌に尽くしがたい。

 一度経験してからはカーラの実を食べる前に隅々まで調べるようになった。

 そのことをユーリに話すと、気持ち悪いものを見るように顔をしかめていた。

 何か変なことを言っただろうか?


「とにかく、そういうことは先に説明してよね!」

「ご、ごめんなさい」


 その後、ユーリにものすごい剣幕で怒られた。

 そしてアレクシアは二度とカーラの実に手をつけようとしなかった。


 しばらくして先生たちが授業の終わりを告げ、採取に行っていた生徒を集めた。

 ジェイン先生が全員揃っているかを確認していく。


「ともかく、無事に終わって良かったねー」

「全然無事じゃないわよ! 危うく虫を食べるところだったじゃない!」


 私としては楽しい授業だったけど、アレクシアは深いトラウマを抱えてしまったようだ。


「虫くらい大したことないじゃん。魔物とかが出たわけじゃないんだから」

「魔物なんて滅多に遭遇しないし、いつどこで出るかわからない虫の方がよっぽど怖いわ!」

「そうかなぁ?」


 どうやらお嬢様育ちのアレクシアにとって、魔物より虫の方が恐ろしいらしい。

 私は魔物の方が怖いけどなぁ……。


「全員揃っていますね。では魔法学校に戻りましょう」


 ジェイン先生がそう告げて歩き出した。

 私たちもそれに続く。

 そしてこの直後に私たちは実感することになる。

 この世には虫や魔物なんかよりもはるかに恐ろしいものが存在することを。

 それはある意味虫より身近で、魔物より狂暴であることを。




 ぞくり。

 背筋に悪寒が走った。

 胸のペンダントが熱を持つ。

 この感覚、前の襲撃の時と同じだ。

 何者かが私たちを狙っている。

 前方で人の気配がした。

 全員の目がそちらに向く。

 二人の男が私たちの行く手を塞ぐように立っていた。

 この人達は危険だ。

 私の直感が告げる。

 先生たちも同じように感じたらしい。


「何者だ? 我々に何か用があるのか?」


 フレデリック先生が警戒体勢を取りつつ、その男に問う。

 その瞬間ペンダントがいっそう熱くなった。


「先生、危ない!」

「お下がりください!」


 私が叫ぶのと、どこかで聞いたことのある女性の警告が聞こえるのと、その男が動くのはほぼ同時だった。


「ぐぅっ!?」


 一瞬遅れてフレデリック先生のうめき声が聞こえる。

 その背中から、真っ赤に染まった金属の棒が突き出ているのが見えた。

 剣だ。

 男の片方がフレデリック先生の胸を突き刺したのだ。

 先生はそのまま体を「く」の字に折り曲げるようにして崩れ落ちた。


「キャアアァァーーー!!!」


 誰か生徒の悲鳴が上がった。

 剣をフレデリック先生の体から引き抜いた男は、ゆっくりとこちらに向き直る。

 剣からは真っ赤な血が滴り落ちている。

 その男の前に立ち塞がる人物がいた。

 ゼノヴィアさんだ。

 そしてそのまま有無を言わせず男に対して魔術を繰り出した。

 しかし、男は難なくこれをかわす。

 その動きを予期していたのか、ゼノヴィアさんも剣を取り出し男に斬りかかった。

 男も剣でこれを防ぐ。

 剣と剣がぶつかり合う、澄んだ音が辺りに響き渡った。

 一度間をとったゼノヴィアさんを、今度は男の魔術が襲う。

 相手も魔術師だったのだ。

 ゼノヴィアさんも魔術でこれに応酬する。

 二人の戦いは激しさを増していった。

 待てよ。

 私はふと思う。

 男は二人いたはずだ。

 もう一人はいったいどこに?

 次の瞬間近くで爆発音が響いた。

 慌てて音のする方を見ると、もう一人の男と、見覚えのある青い髪の男性が戦っていた。

 アシュレイさんだ。

 先程の爆発はどちらかの魔術だったようだ。

 そしてそのすぐ近くには……、ジェイン先生が倒れている。

 着ている服がボロボロだ。

 もしかしたら爆発は、ジェイン先生を狙った敵の攻撃だったのかもしれない。

 ジェイン先生は無事なのだろうか?

 無事を確認したいけれど、戦いの最中に飛び出す勇気はない。

 私は二つの戦いを固唾を飲んで見守った。


 先に決着がついたのはゼノヴィアさんの方だった。

 男の魔術がゼノヴィアさんを捉えた、と思った瞬間男の胸から剣が突き出た。

 ゼノヴィアさんの得意な闇属性魔術だろうか。

 男は地面に倒れ伏した。

 ゼノヴィアさんは男には目もくれず、アレクシアのもとに駆け寄る。


「アレクシアお嬢様、ご無事ですか!?」


 アレクシアはもちろん生徒にも一人も怪我人はいない。


「ゼノヴィア、アシュレイを!」

「かしこまりました!」


 アレクシアがそう指示を出すとゼノヴィアさんはアシュレイさんの救援に向かった。

 しかし男は相方が倒されたのに気づいたようで、すぐさま逃亡を始めた。


「ゼノヴィア! 追跡できるか!?」


 アシュレイさんがゼノヴィアさんに指示を飛ばす。


「承知しました!」


 男の逃げるスピードもかなり早かったが、ゼノヴィアさんの駆け出すスピードも凄まじかった。

 あっという間に二人は見えなくなった。


「全員ご無事ですか?」


 アシュレイさんが私たちのもとへやって来る。

 突然の出来事に理解が追い付かず呆然とする者、恐怖のあまり泣き出す者、立ち込める血の匂いに吐き出す者など、生徒はパニック状態になっているけれど、怪我をしている者はいない。


「私たちは平気だけど……、先生は?」


 アレクシアが少し震えた声で問いかける。

 アシュレイさんは二人のもとへ確認に向かい……、残念そうに首を横に振った。


「いやぁああーーー!!!」


 また誰かの悲鳴が聞こえた。

 泣き声も大きくなった気がする。

 当然だ。

 さっきまで一緒にいた先生が、目の前で死んだのだ。

 私も頭からスーッと血の気が引いていくのを感じた。

 アシュレイさんは最後にゼノヴィアさんと戦っていた男の様子も確認し、


「……この男も死んでいます」


 と告げた。


「アシュレイ、この人たちはいったい何だったの? ドラッケンフィールは安全じゃなかったの?」


 アレクシアがアシュレイさんにすがりつく。


「わかりません。しかし、魔法学校の教師が相手にならないほどの魔術師などそうはいません。追跡しているゼノヴィアの報告を待ちましょう。さぁ、ここは危険です。逃げ出した男が戻ってくるかも知れません。早くドラッケンフィールに戻らなければ」


 そう言ってアシュレイさんは私たちを促す。

 ここは危険だ。

 それは間違いない。

 でも私はアシュレイさんとは少し違う理由でそれを感じていた。

 その理由とは、私のペンダントがまだ熱を持っていたことだ。

 まだ近くに悪意を持つ者がいる。


「アシュレイさん!」


 私はアシュレイさんに警告する。


「なんでしょう? 急ぎでなければドラッケンフィールに戻ってからにしたいのですが」

「まだ敵がいます! 気を付けてください!」


 アシュレイさんの表情が険しくなる。


「なんですって!? なぜわかるのです?」

「もう、遅いな」


 突然聞こえた見知らぬ声。

 恐る恐るそちらを見ると、そこにはまた二人の男が立っていた。

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