第十八話 街の外へ

 魔導大会に参加する生徒たちが出発する頃、授業に初めての実技が加わった。

 といっても魔術の実技ではない。

 薬の調合だ。

 最初は用意された薬草を使って傷薬を作るところからのスタートだった。

 初めて実技の教室に入った私たちに、担当の先生が薬草やその他調合に必要な素材を配っていく。


「ではこれより傷薬の作成手順を教える。教科書の十ページを開きなさい」


 今日の担当はフレデリックさんという、四十歳くらいの男性教師だ。

 明るい茶髪の先生だけど……、ずいぶんおでこが広い。

 フレデリック先生の毛髪を心配しながら、私は事前に配られていた教科書を開く。

 今日作る傷薬はその名の通り、外傷の治りを早くするための塗り薬である。

 一般人でも作れるし、そういった傷薬なら安価でいくらでも手に入る。

 しかし、魔術を使える者が作るとその効力はがらりと変わってくる。

 傷の治りが劇的に早くなるのだ。

 そして木属性や命の属性の適正が高い者が作る傷薬ともなると、大抵の傷なら瞬時に治し、致命傷ですら治癒できる可能性をも秘めた秘薬となりうる。

 さすがにそんな伝説級の代物を作れる魔術師は、今代にはまず存在しないのだけれど。

 そしてまだ魔術を教わっていない私たちは、傷薬にも魔力を込めることはできない。

 だから今回教わるのは作り方だけだ。


「ではまず配った薬草をナイフで切り刻み、すりつぶしてその汁を瓶に集めなさい」


 フレデリック先生が前で実演する。

 私たちは教科書を見つつ、その手順を真似る。

 ナイフも一応魔法学校で用意されていたけれど、私が使うのはもちろんジルムントさんからもらったナイフだ。

 私はヘイグ村のみんなの懐かしい顔を思い浮かべながらナイフを取り出し、薬草を刻み始めた。

 薬草は思いの外筋張っていて固く、刻むのに苦労している生徒も見られた。

 一方の私は比較的簡単に切り刻むことができた。

 ジルムントさんのナイフは意外と高性能なのかもしれない。


「レイナ何でそんな簡単に切れるの?」


 薬草を刻むのに苦労していた生徒の一人、ユーリに不思議そうな顔で聞かれた。


「このナイフ、魔法学校を卒業した鍛治屋さんが作ってくれたの。ちょっとした魔導具なんだって」


 私が説明するとユーリは自分のナイフの私のナイフを見比べ、


「少し貸してくれない?」


 と頼んできた。

 私はもう自分のぶんの薬草は刻み終えすりつぶす段階に入っていたから、断る理由は無かった。


「このナイフ軽くて使いやすい。それにやっぱり刻むのも簡単になるね」


 私のナイフを実際に使い、ユーリは少し驚いたようだった。

 そうだろう、そうだろう。

 そのナイフはジルムントさんの力作なのだ。

 ふふん。


「ねぇ、私にも貸してもらっていいかしら?」


 アレクシアもナイフが気になったようで、ユーリが薬草を刻み終えるとその次に使っていた。


「なるほど、確かに使いやすいわね。私も誰か魔術を使える鍛治師に頼んで作ってもらおうかしら……」


 アレクシアからはお嬢様発言が飛び出した。

 ライゼンフォート家が頼むような鍛治師が作るナイフは、ジルムントさんのナイフなど優に超えた魔導具に仕上がるだろう。

 少し残念な気もしたが仕方ない。

 その後もフレデリック先生の指示にしたがって、私たちは傷薬の調合を進めていった。

 固くて切りづらい材料は、私のナイフを三人で交互に使いながら切っていった。

 この授業の間、ジルムントさんの作ったナイフは大活躍だった。

 ヘイグ村に帰ったらジルムントさんにお礼を言わなくちゃ。


 すべての材料を処理し終わった後は、小さな鍋でそれらをかき混ぜながら煮詰めていく作業だ。

 この時に魔力を込めることで薬の質を上昇させるらしい。

 かき混ぜていくうちにそれまで汚い色をしていた液体がだんだん澄んだ緑色に変わっていき、それにともない軟膏のような粘りけが出てきた。

 使用した材料自体がわずかながら魔力を持つため、上手く調合できるとそういった変化を起こすそうだ。

 何人かは調合が上手くいかなかったようで、色が相変わらず汚い色のままだったり全然違う色に変わっていたりした。

 アレクシアとユーリは調合を成功させていた。

 失敗した生徒の中にはカイルがいた。

 カイルの鍋の中身は真っ黒でカチカチに固まっていた。

 どうやったらそんなことになるのか、と不思議に思ってカイルを見つめたが、本人もさっぱりわからないようでしきりに首をかしげていた。

 授業の最後にフレデリック先生が調合に成功した生徒の鍋から薬を小瓶に移しとり、生徒の名前を書いたラベルを貼って保管していた。

 品質を確認して次の授業で教えてくれるらしい。

 私はなかなか上手くできたと思っていたので、次の授業が楽しみになった。




「いやぁ、何であんなことになったのか俺にもさっぱりだよ」


 次の日は休日だったのでいつも通り広間でユーリとアレクシアと一緒に遊んでいると、カイルとリックがやって来たので二人も遊びに誘った。

 カイルはその間もずっと昨日の調合の失敗のことを気にしていた。


「隣で見ていた限り別に変なことはしてなかったと思うんだけどな……。ほとんど同じことをしてた俺も成功したし。あ、俺ウノね!」


 リックもカイルの失敗の理由はわからないようだ。


「フレデリック先生は何か言ってなかったの?」


 とユーリが聞くと、


「うーん、何か変なものが混じったかも、とか言ってたなぁ。かといって混じるようなものなんてあるか? ……あ!」


 リックは何かに思い当たったようだ。


「お前一回でかいくしゃみして材料吹き飛ばしただろ。そのときなんか混じったんじゃないのか? 唾とか鼻水とか」


 なんだそれ、汚いなぁ……。


「いやいや、くしゃみくらいでそんなこと……、あるのかなぁ?」


 カイルはまた首を捻る。

 失敗の原因は結局なんだったのかわからずじまいだった。




「むむむ……」


 今アレクシアは私の前で難しい顔をして唸っている。

 そしてその様子を、私以外の三人が固唾を飲んで見守っている。

 残る私は少し余裕の表情だ。


「じゃあ……、ルークをここに」


 そう言いながらアレクシアが苦渋の表情でルークを前に進める。

 その手を見て私は思わずほくそ笑む。

 残念だったねアレクシア、その手は予測済みだよ!

 私はビショップをずいっと敵陣の奥まで動かした。

 アレクシアの表情がさらに険しくなる。

 それからもしばらくアレクシアは必死の抵抗を続けた。

 私はそれを受け流し、さらにアレクシアを追い詰めていく。

 しかし、少しでも私がミスをすれば一気に逆転されてしまうだろう。

 私は慎重に駒を動かした。

 そしてついに……、


「これでチェックメイトだね!」

「……負けたわ、やるじゃない」


 アレクシアが悔しそうに敗北宣言をする。

 それを聞いた私は思わずガッツポーズした。


「やったー、初めてアレクシアに勝ったー!」

「すごい!アレクシアに勝つなんて!」


 ユーリも私を称えてくれる。

 カイルとリックが拍手しているのも見えた。

 今までアレクシアの駒の動かし方をひたすら研究してきた甲斐があった。


「短期間でずいぶん強くなったわね。……悔しいわ」


 アレクシアは口を尖らせながら呟く。

 一年生のうちにアレクシアにチェスで勝つ、という私の目標はこうして成された。

 とても満ち足りた気分だった。

 しかし次の瞬間、


「じゃあ次はトランプしましょう。ババ抜きよ!」


 アレクシアの放った一言に、私の気分はどん底に落ちた。




 フレデリック先生が言っていた通り、次の調合の授業で前回作った傷薬の評価が伝えられた。

 私の傷薬の評価は……、「優良」であった。

 その評価をもらった生徒が何人いたかはわからないけれど、かなり高い評価だということは確かだ。

 アレクシアとユーリの傷薬は「良」という評価だった。

 みんな同じ素材と手順で作っているはずなのに、品質に差が出るのはなぜだろう?

 全く同じものができてもいいはずではないか?

 もちろん、カイルのような例外は別であるけれど。


 その日の授業ではもう一度前回と同じ傷薬を作った。

 前回失敗した生徒がもう一度傷薬の作成に挑戦するためだ。


「前回成功した生徒は一度に作る量を増やしたり、調合時間の短縮の練習をしてみなさい」


 とフレデリック先生に言われた。

 調合時間の短縮と聞いてユーリとアレクシアが私のナイフを羨ましそうに見つめていたけど、今回は貸さなかった。

 これは私のナイフだ。

 私にトランプやチェスで負けるとすぐにババ抜き勝負を仕掛けてくる二人に対する、ささやかな意地悪だった。

 ……決して私の器が小さいなんてことはない。

 器が小さいのは二人の方だ!

 今日も全員の調合が終わった後で、フレデリック先生が薬を回収していった。

 今回は全員が調合に成功したようだ。

 薬が変な色になっている生徒はいなかった。

 私はというと、今回もなかなか上手く調合できたと思う。

 前回より多目に作りつつ、時間も短縮できた。

 問題は品質だけど、前回も優良という評価だったのだ。

 とくに今回ミスをした気はしないし、そこまで悪くなることはないだろう。

 回収しに来たフレデリック先生も満足そうな顔をしていたしね。

 全員の薬を回収し終えたフレデリック先生が私たちを見回して告げた。


「次の講義は街の外に出て薬草の採取を行う、校外授業だ。引率には私の他にもジェイン先生がつくが、我々の指示にしっかり従って行動するように。勝手な行動をして魔物に襲われるなどということの無いように気をつけなさい。本日の講義は以上だ」




「校外授業だって。楽しみだね!」


 その日の講義を終えて寮に戻った私たちは、いつも通り広間でおしゃべりしていた。

 話題はやはり、今度の校外授業についてだ。

 私はドラッケンフィールに着いてから一度も街の外には出ていない。

 久しぶりに外の風景を見るのが楽しみになったのだ。


「でも、もしかしたら魔物が出るかも知れないんでしょ? 大丈夫かな?」


 けれどユーリは少し不安そうにしていた。

 これまで魔物を見たことがないらしい。

 そういう私も討伐されたゴブリンやオークの死体しか見たことはないのだけれど。


「そんなに心配することないわよ。この辺りの魔物なんて大して強くないし、魔法学校の教師が二人もいるんだから」


 アレクシアはユーリの不安を払うように言う。


「それに万が一のことがあってもゼノヴィアがついているもの。ゼノヴィアが魔物なんかに負けるわけないわ!」


 確かにゼノヴィアさんがいれば安心だろう。

 そう自信満々に告げるアレクシアを見てユーリも少しほっとしたようだった。




 そして校外授業の当日、フレデリック先生とジェイン先生に引率された私たちは、徒歩でドラッケンフィールの外へと向かった。

 五十人以上が馬車で移動するのは困難だったからだ。

 ドラッケンフィールはもともと、ミゼリー川という豊かな水源を中心とした肥沃な土地の恩恵を受けて発展してきた、自然豊かな国であった。

 その土地柄はアシュテリアに統合された今でも変わっていない。

 そのため、街から少し離れると今でも広大な自然が広がっている。

 今日は少しだけ森に入り、薬草の採取をおこなうようだ。


「先に昼食をとりましょう。午後から薬草の採取を始めます」


 森についたところでジェイン先生が生徒に声をかける。

 フレデリック先生はポケットから何やら小さな球を取り出し、それに話しかけていた。

 話を終えるとその球から羽が生え、パタパタとドラッケンフィールの方向に飛んでいった。


「先生、今のはなんですか?」


 気になった私がフレデリック先生に尋ねると、


「今のは連絡用の魔導具だ。無事に到着したことを学校に伝えたのだ」


 と教えてくれた。


「便利な連絡手段として重宝する。そのうち授業でも作り方や使い方を習うぞ」


 と言いながらポケットをからもうひとつ同じ魔導具を取り出し、軽く使い方を教えてくれた。

 金色の小さな球にはよく見るとこれまた小さな魔石がついていた。

 この魔石に魔力を流し込むことで魔導具に言葉を吹き込むことができ、魔力を流すのをやめると球から羽が生えて飛んでいくらしい。

 最後に送りたい相手を思い浮かべるのが大切だということだった。

 魔導具って凄いな。


「ありがとうございました」


 そうお礼を言って私はユーリとアレクシアのところに戻った。


 ここまでずっと歩いてきたのでみんなずいぶん疲れていた。

 私はユーリやアレクシアと一緒に手近な木の根もとに腰を下ろし、持ってきたお弁当を取り出した。

 食堂のおば……お姉さんたちが作ってくれたお弁当だ。

 まるでピクニックだな。

 私は鼻歌まじりにお弁当を食べる。


「やっぱり自然の中で食べるお弁当は美味しいねー」


 ユーリもにこにこしながらお弁当に手をつけている。


「私は外で食事をとるなんて初めてだわ。ちょっと落ち着かなくない?」


 アレクシアは少しそわそわしていた。


「えぇー、そんなことないよ。風も気持ちいいし、空気も美味しいし、楽しいよね?」


 私もユーリの意見に賛成だけど、アレクシアはそうではないようだった。


「だって、虫とか出たらどうするのよ? 気持ち悪いじゃない……」


 そう言って辺りをキョロキョロしていたアレクシアの目の前に……。

 ぽとり。

 毛虫が一匹落ちてきた。


「きゃあぁぁーーー!!!」


 アレクシアは大きな悲鳴をあげて、その場から飛び退こうとした。

 すると、


「あっ」


 私とユーリが呆気にとられているうちにアレクシアのお弁当が彼女の手から離れ……、地面に落ちてしまった。

 当然中身は全部地面にぶちまけられた。


「どうした!? 何かあったのか?」


 フレデリック先生が慌ててこちらに駆けつけてきた。

 アレクシアはあたふたしながら、


「先生! け、毛虫が! 空から毛虫が!」


 と、フレデリック先生に泣きついた。

 パニックになってお弁当を落としたことに気づいていない。


「毛虫? 刺されたのか? 中には毒があるやつもいるからな。見せてみなさい」


 フレデリック先生はアレクシアが毛虫に刺されたと勘違いしたようだ。

 アレクシアはふるふると首を横に振る。


「ち、違うんです。毛虫が目の前に落ちてきて、びっくりして、それで……」

「なんだ? 刺されたんじゃないのか?」


 フレデリック先生が困惑した表情を浮かべる。

 話しているうちにアレクシアも落ち着いてきたのだろう。

 周囲の様子に気づいたようだ。

 みんなぽかんとした表情でアレクシアを見つめている。

 フレデリック先生も含めてだ。


「その……、なんでもありません……」


 アレクシアは顔を真っ赤にしてうつむき……、ようやく自分のお弁当の末路に気がついた。


「あっ、私のお弁当……」


 その表情が悲しそうなものになる。

 アレクシアはほとんどお弁当に手をつけていなかった。

 食事抜きで薬草の採取をするのは大変だろう。

 見かねた私は自分のお弁当を分けてあげることにした。


「はい、アレクシア。私のぶん食べてもいいよ」

「あ、私のもあげるよ!」


 ユーリも自分のお弁当を差し出す。


「うぅ、ありがとう二人とも」


 アレクシアが嬉しそうな、悲しそうな、恥ずかしそうな、なんだかよくわからない表情で感謝をのべた。

 でも二人ぶんのお弁当を三人で食べるのは少し物足りないな。

 そんなことを考えていると、


「ライゼンフォートさん、良かったら私たちのお弁当も食べて」


 と声がかかった。

 ふとみると、シンディとマリューが自分のお弁当を持ってこちらにやって来るところだった。


「いろいろおもちゃを貸してくれたから、少しでもそのお礼に……」


 マリューが遠慮がちに言った。


「そんな気にしなくても良いのに……。でもありがとう、嬉しいわ」


 アレクシアは少し照れくさそうに二人のお弁当を分けてもらっていた。

 二人ともなんて健気なんだ!

 それに引き換えカイルとリックは何をしているんだ。

 いつも散々アレクシアの用意したおもちゃで遊んでいるくせに!

 そんなことを思いながら二人を探すと……、二人はすでにお弁当を食べ終えていたようで、申し訳なさそうな表情でこちらを見ていた。

 この食いしん坊め!


 その後はシンディとマリューも一緒になって五人でお弁当を食べることにした。

 アレクシアが嫌がったので、木からは遠く離れた場所に移動することになったけれど。

 この前調合した薬の出来や、最近教わっているアシュテリアの歴史のことなどを話しながらのんびり食べた。

 食事を終えて少し食休みを挟んだあと、


「ではこれより薬草の採取を始めます。持ってきたものは忘れないように片付けておいてください」


 とジェイン先生が告げた。

 いよいよ校外授業の始まりだ。

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