第十四話 中央の大賢者

「えぇっ!? 二人とも知らなかったの?」


 その日の夕食の時、驚いた表情のアレクシアに聞かれた。

 来月の中間試験のことだ。

 私とユーリはうなずく。

 良く考えればダンケルさんたちがあれだけ成績がどうのこうの言っていたのだから、試験はあって当たり前だ。

 でも、まさかこんな早い段階で試験があるとは思っていなかった。

 魔術を教わるようになってから、実技の試験をするものだと思っていたのだ。


「でもまだ私たち読み書きと計算と、大陸の歴史を少し習っただけだよ?」


 私と同じことを思ったらしいユーリが、首をかしげながら言う。


「最初の試験なんてほとんど読み書きと計算だけよ」


 アレクシアが最初の試験について教えてくれた。


「歴史が試験の範囲になるのは休暇が終わってからね」


 ドラッケンフィールの魔法学校では、土の月の半ばに三十日ほどの休暇が与えられる。

 その間はドラッケンフィールや近くの町出身の生徒は家に帰ることができるけど、辺境の村に戻るにはやや時間が足りない。

 十日もかけて移動して数日家に滞在し、また十日かけて学校に戻ってくるというのはあまりにも厳しすぎる日程になるため、私はヘイグ村には戻らないつもりでいる。

 私の他にもそういった子は多いらしい。


「レイナは心配要らなさそうだけど、ユーリは少し計算を勉強し直した方が良いかもしれないわね。最近は歴史の講義が多くなってるから、そっちの復習はあまりしてないでしょう?」


 アレクシアに図星をつかれたユーリが、ぐっと言葉につまる。


「大丈夫だよ、わからないところがあったら私やアレクシアが教えてあげるから」


 私がそう言ってユーリを慰めると、


「本当に教えてくれる……?」


 と、すがるような目で見つめられた。

 そんなに心配しなくても私たちがユーリを見捨てるわけないではないか……、いや、今こそユーリに、この前私の授業態度が不真面目だと言われた仕返しをするべきだろうか?

 私がそんなことを考えているとアレクシアにじっとりとした視線を向けられた。


「レイナ、何か変なこと考えてるでしょう? あなた分かりやすいのよ」


 なんでわかったんだろう?

 私はそんなに分かりやすいだろうか?

 ユーリも疑わしそうな表情を見せる。


「本当にちゃんと教えてくれるの?」


 念を入れて確認された。

 仕方ない、一度教えると言ったのだから約束は守ろう。

 女に二言はないのだ。


「当たり前でしょ! ちゃんと教えるよ」


 私はユーリにそう約束する。

 ユーリは少しほっとした様子を見せていた。

 でも、いつかはユーリに仕返しをしてやろう。

 ユーリはいつも私やアレクシアをからかって遊んでいるのだから、たまにはやり返すのだ。

 うひひ。

 ユーリへの仕返しについて思いを廻らせていると、


「レイナ、またなにか企んでるでしょう?」


 ユーリにチクリと釘を刺された。

 なぜバレたんだ……。




 試験の日は刻一刻と迫っていた。

 私とアレクシアは全く心配していなかったが、ユーリは少し不安そうにしていた。

 私たちが空き時間に教えた甲斐もあって、読み書きはほぼ完璧にできるようになっていたし、計算もほとんど問題ない。

 それでもやっぱり不安はつきないようで、勉強の手を緩めることはなかった。

 周囲を見てもまだそういった生徒が多いようだった。

 むしろ私やアレクシアのように平気でいる方が珍しいのだ。


「レイナはお母様に感謝しないといけないわね。ドラッケンフィールの子供でも読み書きができない子もいるのに、辺境の村出身のあなたが完璧にできるなんて、お母様の教育の賜物だわ」


 アレクシアが私の方を見ながら言う。

 実際、私もその事は魔法学校に来てからひしひしと感じていた。


「もちろん、いつも感謝してるよ!」


 私は笑顔で返事をする。

 お母さんは本を読むのが好きだったようで、私は小さい頃からお母さんが読書をする姿を頻繁に目にしていた。

 ヘイグ村には他に本など無かったので私はお母さんのやっていることに興味を持ち、その真似をして本をぺらぺらめくったりしていたけれど当然読むことなどできず、お母さんに読み方を教えてくれるように頼んだところ、書き方や計算も含めて丁寧に教えてくれたのだ。

 魔法学校に入学した今ならなんとなくわかるが、あの本には魔術に関することが書いてあった気がする。

 字が読めるようになったばかりの私にとっては内容が難し過ぎて、結局読むことが出来なかったのを思い出した。

 今度村に帰ったらお母さんに借りて読んでみようかな。


「いいなぁ、二人は。勉強しなくても平気で」


 ユーリが勉強を中断して不貞腐れたように言う。


「ずっと勉強ばっかりで疲れちゃった。何か気分転換があれば良いんだけど……」


 うーん、と伸びをしながらユーリが心底疲れたように言った。

 確かにここのところユーリは勉強詰めだ。

 寮にいても勉強以外することもないし、かといって街に出掛けるわけにもいかない。

 そう、アレクシアの外出禁止例は未だに解けていないのだ。

 どうやら犯人の男二人はドラッケンフィールの人間ではなかったようだけど、それ以上のことは全くわかっていないらしい。

 ライゼンフォート家の人々も困惑しているようだ。

 ただの憂さ晴らしならここまで強情に黙秘し続ける必要もないはずだ。

 やはり他に仲間がいて、もっと大きな組織的犯行ではないだろうか? と疑っているのだそうだ。

 一方で爆弾のような魔導具の出処はある程度絞り込めているようだ。

 ドラッケンフィールで作られたものを誰かが横流しした、という可能性はかなり低いらしい。

 最近作られた個数とその所在や用途ははっきり確認されており、これもやはりドラッケンフィールの外から持ち込まれたものだろう、とアレクシアが言っていた。

 もっとも、ドラッケンフィールの誰かが秘密裏に作ったという可能性もわずかながら存在するらしいけれど。


「気分転換ねぇ……、あっ!」


 しばらく考えていたアレクシアが突然何かを閃いたようだ。


「私ったらなんで気づかなかったのかしら。ちょうど良いものがあるのに。後でゼノヴィアに頼んで家に連絡してもらうわ」


 アレクシアが上機嫌な表情を浮かべた。

 私のことを分かりやすいとか言うけど、アレクシアも大概分かりやすいと思うぞ。


「何々? 面白いことあるの?」


 勉強で気が滅入っていたユーリが興味津々で目を輝かせる。


「明日には届くと思うわ。楽しみにしてなさい」


 どうやらアレクシアの言う「それ」は、寮にいても気分転換が出来るようなものらしい。

 私とユーリはあれこれ探ってみたけれど、アレクシアは「明日のお楽しみ」と言うだけで教えてくれなかった。

 それ以降ユーリは「それ」を気にしすぎて勉強が手についていないようだった。

 うーん、逆効果だったんじゃないかなぁ?




 次の日はちょうど授業が休みの日だった。

 朝からライゼンフォート家のお届け物を楽しみに待っていた私たちだったけれど、昼食を食べ終えた頃にフランセスさんがアレクシアを呼びに来た。

 戻ってきたアレクシアは満面の笑みで二つの箱を抱えていた。

 片方は私の手のひらと同じくらいの大きさの、赤と白の格子柄の箱で、もうひとつはそれと比べるとずいぶん大きい、今度は黒と白の格子柄の箱だった。

 この箱がなんの気分転換になるのだろう?

 疑問に思う私たちにアレクシアは説明をはじめる。


「こっちが『トランプ』って言って、カードを使って色々な遊びができるの。こっちは『チェス』って言って、黒と白の駒を交互に動かして先に相手の王様をとった方の勝ちっていう、二人用のゲームよ。どっちも最近中央で流行っている遊びなんですって!」


 小さい赤白の箱がトランプで大きい黒白の箱がチェスと言うらしい。

 しかし、アレクシアはカードだとか駒だとか言っていたけど、どちらもただの箱にしか見えない。

 これでどうやって遊ぶんだろう?


「まずはそうねぇ……、チェスの遊び方から教えましょうか。トランプは遊び方が多すぎるもの」


 そう言ってアレクシアは黒白の箱をパカッと開いた。

 すると中にはアレクシアの言っていた通り、黒と白の駒が詰まっていた。

 一緒に何やら折り畳まれた紙も入っている。

 アレクシアはその紙を広げ、


「ここにチェスのルールと、駒の動かしかたが書いてあるわ。そんなに難しくないからすぐ覚えられるわよ!」


 と言うと、私たちにチェスのルールを教えてくれた。




「うーん、じゃあルークをここに……」

「それだとアレクシアのクイーンにとられちゃうよ?」

「あ、ほんとだ。じゃあナイトをここに……」

「ユーリ、ナイトの動きかたはそうじゃないわよ?」

「あ、そうか。ナイトの動きだけ難しくない?」


 駒の動かしかたをなんとなく覚えた私とユーリは、二人で相談しながらアレクシアに挑んでみた。

 チェスの基本的なルールはシンプルで覚えやすかったけれど、少し特殊なルールもあって時々混乱してしまう。

 特にナイトの動かしかたとポーンに関するルールは難しかった。

 それでも二人で知恵を出し合えばなんとか……、と思ったけれど、前からチェスで遊んでいたアレクシア相手には歯が立たなかった。

 私たちが説明書を読まなくても困らなくなってきた頃に、


「じゃあ今度はトランプね!」


 とアレクシアがもうひとつの箱を取り出した。

 そしてその箱をあけると中からバラバラとたくさんの紙が出てきた。

 それを手にとってアレクシアが説明をはじめる。

 トランプにはスペード、ハート、ダイヤ、クラブという四つのマークあって、それぞれ一から十三までの数字が振り分けられている。

 それに二枚のジョーカーを加えた五十四枚で一組となっているらしい。

 トランプは普通の紙に比べるとずいぶん分厚く頑丈で、触るとつるつるしていた。

 チェスと違って遊び方は一通りではなく、一人で遊ぶこともできれば、十人近くの人数でも遊べる方法があるらしい。


「三人なら……、まずは『ババ抜き』がいいかしら」


 そう言ってアレクシアはトランプからジョーカーを一枚抜いて、残りを混ぜ始めた。

 よく混ざったところでカードを三人に配っていく。


「このゲームではカードのマークは気にしなくていいわ。同じ数字が二枚揃っていたら捨ててちょうだい」


 そう言ってアレクシアは二枚揃った数字を三人の真ん中辺りにぽいぽい捨てていった。


「同じ数字が三枚あったら?」


 私は気になったことを聞く。


「そのときは二枚だけ捨てて一枚は残しておいてちょうだい。でも同じ数字が四枚あったら全部捨てていいわよ」


 なるほど、と思いながら私は自分の手札から二枚揃っている数字を探す。


「じゃあジョーカーは? ジョーカーは一枚しか入ってないから揃えられないよね?」


 ユーリの質問にアレクシアがニヤリとした表情を見せる。


「よく気づいたわね、それがババ抜きの醍醐味なのよ。全員揃っている数字を捨て終わったら、一枚ずつカードを交換していくの。そしてまた数字が揃ったらカードを捨てるのだけど、ジョーカーだけは絶対に揃わない。つまり、最後にジョーカーを持っていた人が負けなのよ!」

「えぇっ!?」


 アレクシアの説明を聞いたユーリが情けない声をあげた。


「……その反応、ユーリがジョーカー持ってるんだね」


 私が声をかけると、


「うーん……」


 とユーリが難しそうな顔で唸った。

 誤魔化そうとしているみたいだけど、さすがに騙されない。


「じゃあもう一度配り直しましょう。その方がいいでしょう?」


 と、アレクシアが助け船を出した。


「そうやって考えてることを相手にバレないようにするのが、このゲームで大切な『駆け引き』なのよ」


 そう言いながらカードを混ぜ直していたアレクシアが私の方を見る。

 さらにはユーリの視線も感じる。


「二人とも、どうしたの?」


 私の問いに対して、


「だったらレイナには負けないかなぁ」

「同感よ。私もレイナには勝てると思うわ」


 と二人揃って失礼なことを言い出す。


「えぇー、酷い! 絶対勝ってやる!」


 私はそう意気込んだ。




 結論から言うと私は全然勝てなかった。

 全く勝てなかった訳ではない。

 一度もジョーカーが回ってこなければ勝てるのだ。

 けれど一度でも回ってきてしまったらもうダメだ。

 私がジョーカーを持っていることはすぐにバレるし、それを次の相手に引かせることが出来ない。


「むむむ」


 今はアレクシアと私の一対一の勝負だ。

 私の手札はあと一枚。

 対するアレクシアは二枚。

 ここでジョーカーじゃない方を引けば私の勝ちだ。

 私はアレクシアの顔をじっと見つめる。

 アレクシアの反応を見てカードを選ぶのだ。

 するとアレクシアは手札を後ろに回してシャッフルし、伏せたまま私の方に突き出してきた。

 これではアレクシア本人にもどっちがジョーカーかわからない。

 私の計画が崩れてしまうではないか。


「なにそれ、アレクシアずるいよ!」


 私はそう憤慨したけれど、


「これも立派な『駆け引き』よ」


 と軽くあしらわれてしまった。

 仕方なく私は意を決してカードを選ぶ。

 私が選ぶのは……右側だ!

 少しドキドキしながらカードをめくる。

 私が引いたのは……ジョーカーだった。

 私はがっくりと机に突っ伏した。

 その次にアレクシアに数字のカードを引かれ、私は負けた。


 結局その日は夕食の時間までたっぷりとチェスやトランプで遊んでいた。

 だいぶ気分転換にはなったと思う。

 ユーリも大満足だったようだ。

 明日からまた勉強頑張るぞ! と意気込んでいた。


「それにしても中央って凄いね。シャンプーや美味しい料理だけじゃなくってこんな遊びも考えられてるなんて」


 私がふと思ったことを口に出すと、アレクシアもうなずく。


「ここ数年の間に次から次へと考案されているらしいわよ。なんでも一人の男性が全部作ったのですって」


 それを聞いたユーリが目を丸くする。


「えぇー、だってシャンプーも料理もトランプも全然違うものだよ? 本当に同じ人が作ったの?」


 私も驚きだ。

 料理を作った人、お菓子を作った人、おもちゃを作った人がそれぞれ別にいるなら納得がいくけれど、それを全部一人で作ったとなると到底信じられない。

 しかし、アレクシアの返答はそのさらに上を行く驚きをもたらした。


「それだけじゃないわ。ドラッケンフィールに伝わっているのはまだほんの一部だもの。中央はここよりもたくさんの新しいもので溢れているはずよ。当然それらもその人が作ったものよ」


「ほぇー」


 私とユーリは顔を見合わせてため息をついた。

 どうやら中央には私たちの理解の及ばない人物がいるらしい。


「十年前の大戦が終わった直後に突然現れ、それ以降共和国政府に協力しているらしいわ。色々謎に包まれた人物でどこの出身かもわからず、最初は言葉も通じなかったのですって。この大陸の人間でそんなことはあり得ないから、神の使いだとか実は魔族が人間に化けているだとか噂されているわ。でも新しいものを次々と作り出してきた実績は確かだから、最近じゃその功績を称えて『大賢者』なんて呼ばれたりもしているみたい」


 アレクシアがその謎の人物、『大賢者』さんについて説明してくれた。

 けれどその説明を聞いた私はさらに謎が深まってしまった。

 聞けば聞くほど実在が怪しくなってくる。

 授業でも教わったように、この世界で使われている言葉はひとつだ。

 言葉が通じないなんて産まれたばかりの赤ちゃんくらいしかあり得ない。

 本当に神の使いなのだろうか?

 それにアレクシアはちらりと『魔族』という言葉を口にしていたけれど、魔族って何だろう?

 魔物とは違うのかな?

 いつか授業で習うのだろうか。

 考えても埒が明かないので、私は『大賢者』さんについて考えるのはやめた。

 そんなことよりも私には考えなければいけないことがある。

 一つ目は「どうやったらアレクシアにチェスで勝てるか」だ。

 結局今日は一回も勝てなかったけれど、いつかは勝てるようになりたい。

 まずはアレクシアの駒の動かしかたをよく研究してみよう。

 アレクシアが何を考えて駒を動かしているかが少しはわかるはずだ。

 そして二つ目が「どうやったら他人に考えていることを悟られないようになれるか」だ。

 これは本当に切実な問題だと思う。

 もうババ抜きで負けたくないのだ。

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