第十話 授業初日

 今日からとうとう魔法学校の授業が始まる。

 私とユーリはいつものように広間でアレクシアと合流し、三人で朝食をすませた。

 今日のアレクシアは朝から上機嫌だったけれど、目元がまだ少し赤かった。

 昨日はいっぱい泣いてたもんね。

 けれど私もユーリもあえてそれを指摘するようなことはしない。

 あの話はもう終わったことなのだから、今さら話すことなどないのだ。


「行ってらっしゃい、授業頑張るんだよ」


 寮を出るときに一年生寮の副監のレイサムさんに声をかけられた。

 レイサムさんは六十歳間近の男性で、去年までは魔法学校の教師を勤めていたらしい。

 体力的にきつくなってきたので最後の仕事に、と今年から寮の副監を勤めることになったそうだ。

 魔法学校の教師の引退後の仕事としては、あまり多い選択肢ではないらしいが、稀にそういう選択をする者もいるようだ。

 大抵は魔法研究所にサポート役として赴任するのだけれど、「私は昔から子供と触れ合うのが好きなのだ」とレイサムさんは語っていた。


「はい、行ってきます!」


 私たちはそれに笑顔で応え、フランセスさんに教えてもらった教室へと向かった。


 教室の前までたどり着くと、中からは話し声が聞こえてきた。

 すでに到着している生徒がいるのだろう。

 私は少し緊張しながらドアを開けて中にはいる。

 何人かの生徒がこちらに気づいて目を向け……慌てて目をそらした。

 後ろでアレクシアが不機嫌そうに、「ふん」と小さく鼻を鳴らし、そっぽを向いたのがわかった。


「おはよう!」

「お、おはよう……ございます」


 私たちは何人かの見知った生徒に挨拶をしたけれど、みんなアレクシアの方をうかがいながらおずおずとたどたどしい挨拶を返すだけだ。

 これでは会話もろくにできない。

 ある程度覚悟はできていたつもりだったけれど、なかなか心に堪える状況だった。

 でもきっとこれはアレクシアにとっての日常なのだろう。

 さっきまで上機嫌だった表情には少し不機嫌さが混じってきていたけれど、あまり気にしていないようだった。


 教室の座席に指定はなかったので、私たちは他の生徒からなるべく離れた左端の最前列に席を見つけ、そこに座ることにした。

 教室には三人掛けの長机が横に三列縦に七列並んでいるので、ひとつの長机を私たち三人で占領して使うのだ。

 アレクシアを中心にして私が右、ユーリが左だ。

 しばらくそのまま待っていると続々と残りの生徒が集まってきた。

 しかし、私たちの近くの机にはいっこうに生徒が座る気配がない。

 やっぱり避けられているなぁ。

 そんなことを考えていると生徒の入室が止まった。

 もう全員揃ったのだろうか。

 私たちの机の周りには見事に誰一人座っていない。

 私は教室にいる生徒の数を数えることにした。

 フランセスさんから今年の一年生の人数が五十四人だと聞いていた。

 男子二十五人女子二十九人だ。

 教室を見回すとすでに三人座っていっぱいになった長机が一、二、三、、、十七ある。

 つまりこれで五十一人。

 これに私たち三人を加えて……なんてことだ、教室にはもうすでに全員揃っている。

 そして私たちの周囲三つの机がきれいに空っぽなのだ。

 私は頭を抱えた。

 そこまで私たちに近づくのが嫌か。

 欲を言えば私はユーリとアレクシア以外にも友達がほしいし、できることならアレクシアにも私たち以外の友達をつくって欲しいと思っている。

 しかしこの様子ではそれは到底不可能なことのように思えた。

 私は近くの机――と言ってもそこそこ距離があるのだが――に座る女の子に微笑みかけてみた。

 顔見知り程度にはなった、茶髪を三つ編みにしていて少しそばかすのある女の子だ。

 しかし、私と目があったその子は一瞬ビクッと身を震わせた後、すぐに目をそらしてしまった。

 ……これはもうダメかもしれない。

 私は机に突っ伏した。


 私が授業初日にして大きな挫折を味わいうちひしがれていると、教室のドアが開いて一人の女性が入ってきた。

 入学式で私たちの魔力測定を担当したジェイン先生だ。

 ジェイン先生はまだ三十を少し過ぎたところか、という比較的若い先生で、飴色の髪を後で束ねている。

 ジェイン先生は私たちが揃っているのを確認してにっこり微笑むと、


「みなさんおはようございます。入学式でも一度会ったけれど、改めて自己紹介しますね。この魔法学校で教師を勤めるジェインです。よろしくお願いしますね」


 と挨拶した。

 それに対して生徒たちも、


「「よろしくお願いします」」


 と口を揃えて挨拶を返す。

 その様子にジェイン先生は満足そうにうなずき、何やら薄い冊子を取り出し配り始めた。


「みなさんにはまず文字の読み書きから覚えてもらいます。この冊子にはこの大陸で使われている三十二の文字の一覧が載っています。今日はこれを使って教えていきますね」


 そう言って冊子を配るジェイン先生だったが、私たちの前で歩みが止まった。

 明らかに周囲から避けられている私たちに気づいたようだ。

 ジェイン先生は私たちの真ん中に座るアレクシアを見て何かを悟ったように困ったような表情を浮かべたけれど、冊子を配り終えるとそのまま立ち去ってしまった。

 この反応からして、アレクシアは教師の間でも腫れ物扱いされているのかもしれない。

 いや、むしろ事情に詳しい教師陣の方がアレクシアを避けている気さえする。

 想像していたよりもアレクシアを巡る問題は根深そうだ。


 冊子が全員に行き渡り、ジェイン先生の授業が始まった。

 この大陸で使われる文字は共通しており、六つの母音と二十六の子音の合わせて三十二文字ある。

 これらの文字も魔力と同様に太古の神々から授かったものであり、国ごとの違いはないらしい。

 同じ文字を使うため、当然言語も同様だ。


「ドラッケンフィール出身の子達にとっては今さらかもしれませんが……」


 と前置きしてジェイン先生は各文字の読み方と書き方を説明していった。

 これら三十二の文字を組み合わせて単語ができ、さらにその単語を組み合わせて文章を作っていく。

 まずは読みを完璧にすることと、自分の名前を書けるようにすることが当面の目標らしい。

 当然そんな段階はとうにクリアしている私やアレクシアはあまり授業に集中する気にはなれなかったが、まだ読みが多少できるレベル、というユーリは真剣にジェイン先生の話に聞き入っていた。

 一通り説明が終わったところで、さらにインクとペンが配られた。

 これからの授業でも必要になるので大切に使うように、と言い含められた。

 そして最初に配られた冊子にある文字の練習用のページを使い、そこに実際に自分達で書く練習をすることになった。

 私は今さらそんな練習をしても仕方がないので、どうしたらアレクシアと周囲の距離を縮められるかどうかをずっと考えていた。

 当のアレクシアはまだまだ書きがぎこちないユーリに、丁寧に書き順や文字の止めはねなど細かい部分を教えていた。

 アレクシアはお嬢様育ちとは思えないほど面倒見がよく優しいのだ。

 みんながちゃんとアレクシアの人となりを知れば絶対仲良くなれるのに、みんなはアレクシアを遠巻きにして知ろうともしない。

 私はその事に無性に腹が立った。

 そんな思いが顔に出ていたのだろうか、アレクシアに、


「ちょっと、怖い顔してるけどどうしたのよ?」


 と聞かれた。

 私は、


「別に……」


 と返すと自分の冊子を開き、文字の練習をするふりをした。

 少し長めにとられた文字の練習時間を終え、最後にジェイン先生が次の授業の説明をして魔法学校最初の授業が終わった。

 その間私はほとんどずっと考え事にふけっていたのだが。

 とにかく最初の授業は私にとってあまり気分の良いものではなかった。


 学校が始まってからしばらくは、その調子で文字の読み書きの授業が続いた。

 先生は時々入れ替わったが、やはり私やアレクシアを含む他のドラッケンフィール出身の生徒にとっては退屈なものだった。

 しかし、文字の読み書きができなければその後の授業に進みようがないので仕方ないことなのだろう。

 最初から少し知識のあったユーリは、ユーリ自身の真面目さと私やアレクシアのサポートもあってあっという間に読みをマスターした。

 書く方もすでに名前は完璧でどんどん新しい単語を覚えていっているし、心配無さそうだ。

 辺境の村出身の生徒にはまだまだ苦労している子も多いようだけれど、もともと読み書きができた生徒や早く覚えた生徒に手伝ってもらって徐々に覚えていっている。

 この前の授業の時にジェイン先生が、「そろそろ次の段階に進めそうね」と言っていた。

 しかし、私たち三人を取り巻く状況は一切変化がなかった。

 教室に行くと「お前たちはそこに座れよ」と言わんばかりに初日に私たちが座った位置の机が空いているし、そんな状況を見ても先生たちはなにも言わない。

 私は日に日に不機嫌になっていった。

 アレクシアは「そんなの放っておけばいいのよ」なんて言って気にしていないようだが、私はやっぱりみんなの態度が気にくわない。

 そんな私の様子を見てユーリはおろおろしている。

 何か気分転換が必要だ、と私は思った。

 このままでは悪循環に陥ってしまいそうだった。

 そしてふと思い出す。

 今日で六日目の授業だ。

 つまり、明日は学校がおやすみだ。

 ベルーナとの、一緒にドラッケンフィールの街を見て回る約束を実行するときが来たかもしれない。

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