第十一話 ドラッケンフィール見物
その日の放課後、私は一人で五年生寮に向かい寮監さんにベルーナを呼び出してもらった。
「レイナちゃん、授業の調子はどう? って、まだ読み書きを習ってるところだっけ?」
ベルーナの問いに私はうなずく。
「そっかぁ、じゃあまだ困るとこなんて無いよねぇ。それで、今日はどうしたの?」
授業で困って相談とかじゃないもんね……とベルーナは首をかしげる。
「ねぇ、明日って学校お休みだよね? ベルーナは何か予定あるの?」
「そうだねぇー、明日は特になにもないかなぁ。あぁ、もしかしてドラッケンフィールの街に遊びにいきたいの?」
ベルーナは私の用件の見当がついたようだ。
「うん、ちょっと気分転換に行ってみたいなぁって思って。ちょっと相談したいこともあるし……」
「相談? 授業のことじゃなくて?」
「うん……、ちょっとね」
私の相談はずばりアレクシアのことだ。
この学校で相談にのってくれそうな人は今のところベルーナとハインスと、ギリギリダンケルさんくらいしかいない。
最終学年で色々と忙しいダンケルさんに相談するのは気が引けるし、そもそもダンケルさんとは面識がある、という程度でベルーナほど仲良しとは言えない。
そしてハインスはこういうとき絶対に頼りにならないと直感が告げていた。
これまでの経験から培った直感だ。
この直感はとても頼りになる。
ハインスとは大違いだ。
「相談ねぇ……」
ベルーナは私の相談事にもある程度見当がついたのかもしれない。
少しだけ困ったような表情を浮かべた。
もしベルーナもアレクシアを避けるようならどうしよう?
ふと、私は心配になった。
私は小さい頃から一緒に遊んでくれたベルーナのことが好きだ。
そして学校ではずっと私に良くしてくれるアレクシアのことも。
もしベルーナがアレクシアを避けて冷ややかな視線を向けたりしたら、私はどちらにつくことになるだろう?
二人のうちどちらかを選ぶようなことはしたくないし、そんな状況になることだけは避けたい。
「いいよ、一緒に行こう! 明日はレイナちゃん一人?」
「ううん、ユーリと……アレクシアも……」
私は少しだけ躊躇してアレクシアの名前を出す。
もし断られたらどうしよう?
私は祈るようにベルーナを見つめて返事を待つ。
「わかった、三人ね。じゃあ明日は私が迎えに行くから、朝食を終えたら寮で待っていて」
ベルーナは一瞬だけ考えたようだったけれど、アレクシアが同行することを了承してくれた。
私はホッとして笑顔を見せる。
「ありがとう、ベルーナ。二人に伝えておくね! じゃあまた明日!」
「うん、また明日ね」
私は急いで一年生寮に戻り、ユーリとアレクシアに明日の予定について話した。
「本当に? 私も行っていいの?」
アレクシアは少し不安そうに聞き返してきたけれど、その表情は嬉しそうだった。
「やったー! 楽しみだね」
ユーリはもちろん大喜びだ。
授業が始まるまでの間に私たちは魔法学校の周辺を散歩したりはしていたけれど、あまり遠出はしていなかった。
居住区から出たこともないし、当然商業区には足を踏み入れてもいない。
明日は念願の商業区に行ってみたいな。
「フランセスさんに頼んでお小遣いを貰わないとね」
ユーリがそう言った。
実は魔法学校の授業料は完全に無償である。
国がそれだけ魔術師の育成を重要だと考えているためで、魔法学校の運営は全て国のお金で行われているのだ。
そしてそこに通う生徒にはひと月にそれなりの額のお小遣いが支給される。
ドラッケンフィール出身の生徒はともかく地方出身の生徒はほとんどお金を持っていないため、これもまた必要な措置なのである。
まさに至れり尽くせりと言えるだろうけれど、入学式でヴィルヘルム先生が言っていたとおり、優秀な魔術師の発掘はこの国の急務だ。
どれだけお金を投じてでも、砂の中の一粒の砂金をも取り逃したくないのだろう。
そして低学年のうちはお小遣いの管理は生徒個人には任されず、寮監がまとめて行うことになっている。
私とユーリはフランセスさんにあらかじめお小遣いをもらっておくことにした。
私とユーリ、というのもアレクシアはライゼンフォート家からもらっているお金をゼノヴィアさんが管理しているらしかった。
その金額をこっそり教えてもらった私は頭がくらくらした。
おそらくヘイグ村のお金を全部かき集めても及ばないような金額をアレクシアはお小遣いとしてもらっているのだ。
ヘイグ村を貧乏とか言うな!
ヘイグ村では物々交換が主流であまりお金が必要なかっただけだもん!
きっとそうだ……。
まだ計算を教わっていないユーリにはぴんときていないようだったけれど、知らない方が良いかもしれない。
明日一日中そんな大金を持った人物が隣を歩いているなんて、考えただけでもハラハラしてしまう。
そんなことを考えていると日頃の憂鬱を少しは忘れることができた。
やはり何事にも気分転換は必要なのだ。
「おはよう、みんな」
次の日私たちが朝食を終えしばらくすると、ベルーナが迎えにやって来た。
「おはよう、ベルーナ!」
「おはようございます」
わたしとユーリは口々に挨拶する。
アレクシアは少し遠慮がちに、
「おはよう……ございます」
と挨拶し、対するベルーナも遠慮がちに、
「おはよう、ええと……」
と返した。
どうやらまだアレクシアのことをどう呼んだらいいか迷っているようだ。
私はベルーナにこっそり、「アレクシアちゃんって呼んであげて」と耳打ちする。
「今日はよろしくね、アレクシアちゃん!」
意を決したかのようにベルーナがアレクシアに向けて微笑みかけると、
「ええ、こちらこそ!」
とアレクシアが満面の笑みを浮かべた。
その光景に私は安堵する。
この調子で二人の距離が縮まってくれれば良いのだけれど……。
「じゃあまずはどこに行きたいか決めよっか」
出掛ける前にまずは行き先の計画をたてなければならない。
「はい!」
私はズバッと手を挙げた。
「はい、レイナちゃん」
「私は商業区に行きたいです! ベルーナ先生!」
商業区に行くには連絡船に乗る必要があるのだが、それがまた楽しみなのだ。
私の答えにベルーナは微笑みながら、
「商業区と言ってもいろいろなお店があるからねぇ。食事をとるところもたくさんあるし、お菓子屋さんに服屋さん、アクセサリーを売ってるお店もあるんだよ?」
服屋さんは居住区にもあるけれど、商業区の服屋さんはきれいな模様や装飾のついた少し高価な服を扱っているらしい。
「服は居住区で買ってもいいんだけど、せっかくだから少しおしゃれしてみたら?」
と、ベルーナに言われた。
私は自分の服を見遣る。
今私が来ているのはヘイグ村でお母さんに縫ってもらった服だ。
お母さんの愛情のつまった服だけど、魔法学校では少し浮いているのを薄々感じていた。
「うーん、確かに新しい服欲しいかも……」
「じゃあまずは服屋さんね。他には?」
続いてユーリが手を挙げる。
どうやら私の悪ふざけのせいで意見を言う前に手をあげなければならない流れができてしまったようだ。
ごめんね、みんな……。
「はい、ユーリちゃん」
「私はドラッケンフィールのお菓子が食べて見たいです。前に寮のデザートで出たクッキーがすごく美味しかったから」
たしかにあのクッキーは美味しかった。
ドラッケンフィールは大都市だけあって、ヘイグ村ではなかなか手に入らない砂糖がたっぷり使われていて、とても甘くてまた食べたいと思ったものだ。
「お菓子と言えば……、あっ」
途中まで言いかけたアレクシアがハッとしたように手を挙げた。
その様子を見たベルーナが苦笑しながら、
「はい、アレクシアちゃん」
とアレクシアを指名する。
我ながら面倒な流れを作ってしまったものだ。
「お菓子と言えば、最近になって新しい商品が色々と中央で作られているらしいわよ。いくつかはドラッケンフィールでも売られるようになっているのだけれど、私のおすすめはケーキね」
ケーキというお菓子はふわふわの生地にたっぷりのクリームが塗られていて、ものによっては季節の果物が使われていたりする甘くて美味しいお菓子らしい。
その話に私とユーリは目を輝かせた。
「そうだねぇ、私もケーキは大好きだし、二人にも是非食べてほしいな。午後はケーキ屋さんに行こうか」
ベルーナもケーキが好きなようだ。
私も楽しみになってきた。
その調子で私たちは行ってみたいお店を次々にあげていった。
そして全員最後まで私がうっかり作り出してしまった、意見を言う前に手を挙げるというルールを順守していた。
みんな律儀だ。
「すごい! 私たち水の上を進んでるよ!」
私たちは船でミゼリー川を渡っている。
居住区と商業区をつなぐ連絡船は一度に三十人以上も乗れる大きな船で、かなりのスピードを出して進んでいった。
日差しを浴びてキラキラと輝く水面には多くの魚影が浮かび、時々ピチピチ飛び跳ねているものも見えた。
最初船に乗るときは本当にこんな大きな物体が水に浮くのか、私たちが乗ったとたん沈み出すのではないか、と気が気ではなかったけれど、いざ動き出すと大きな船が風を切って進んでいくのは想像以上に心地よく、だんだん意気揚々として来た。
「船ってすごいね! これも魔法で動かしてるんでしょう?」
私は隣に座るアレクシアに尋ねる。
この船は魔力を使って動かす、言わば大きな魔導具のようなものだと聞いていた。
「そうよ。けれど全ての船が魔法で動くわけではなくて、中には人の手で漕ぐものや風を利用して進むものもあるわ」
紅い髪を風になびかせながらアレクシアが答えた。
「へぇー、アレクシアは物知りなんだね」
ユーリが感心したようにうなずくと、
「べ、別にこんなの普通よ。あなたたちが田舎の出だから知らないだけよ」
と顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。
アレクシアは今日も平常運転だ。
私とユーリは顔を見合わせて笑う。
「そろそろ到着いたします。みなさまお忘れものはございませんか?」
そうみんなに確認するのはゼノヴィアさんだ。
普段は気配を消しているゼノヴィアさんだけれど、私たちが今乗っているのは有料の連絡船だ。
さすがに気配を消したまま無賃乗船するわけにはいかないので、今だけ姿を現しているのだ。
船着き場に着いたとたん姿を現したゼノヴィアさんに、ベルーナがびっくり仰天していたのが少し面白かった。
「隠蔽魔術って闇属性の適正がすごく高くないと使えないんだよ。それを移動しながら長時間使うなんて……」
と目を丸くしていた。
どうやらゼノヴィアさんはとてもすごい人らしい。
商業区の船着き場について船をおりると、
「では私はこれにて失礼いたします」
とだけ言い残し、ゼノヴィアさんはいつものようにスーッと消えてしまった。
「うわぁーすごい、本当に見えなくなっちゃった。いや、でもよく見るとうっすら……。もしかしてゼノヴィアさんっていつもこうしてアレクシアちゃんについているの?」
ベルーナの問いにアレクシアがうなずく。
「へぇー、まぁアレクシアちゃんはそういう立場だもんね」
ベルーナは納得したようにうなずくと、
「じゃあ行こっか」
と私たちを促し、歩き出した。
最初に向かったのは服屋さんだ。
ヘイグ村には服屋などなかったのでこれもまた私にとって初めての経験になる。
店にはいると鮮やかな色をした様々な形の服がずらりと並んでいた。
アレクシアや他のドラッケンフィール出身の生徒が着ているような、模様がついた服だ。
高そうだなぁ……。
それを見た私の最初の感想がそれだった。
魔法学校でもらえるお小遣いは決して少なくはないけれど、無駄遣いをしたらすぐになくなってしまう。
そして目の前に並ぶ服は色とりどりの染料で染められ、中には細かい刺繍が施されていたりするものもある。
決して安くは見えなかった。
ユーリも同じことを考えたのか店の入口付近で立ち止まっている。
そんな私たちの不安を知ってか知らずか、アレクシアは子供用の小さめの服を吟味しているし、ベルーナは気に入ったものがあったのか二着の服を手に取り見比べている。
「とりあえず見てみよっか」
「うん」
私とユーリは連れだって店の奥へと進み、アレクシアが見ていた辺りの服を適当に手に取ってみた。
そしてその服につけられている値札を確認する。
「あれ? あんまり高くない」
「本当? 私よく計算がわからなくって……」
まだ計算を教わっていないユーリにはピンとこないようだったが、そこに書いてある値段は思いの外安く、さすがにそうたくさん買うことはできないが、何着か買っても今月もらったお小遣いを使いきることはなさそうだった。
「何か気に入ったものはあった?」
私とユーリが服を選んでいるとベルーナに声をかけられた。
ユーリは自分の髪の色と合わせた群青色のシャツを始め、いくつか気に入った服を選んでいたけれど、私は全然決められずにいた。
服を買う、という経験が初めての私は何を基準に選んだら良いかさっぱりわからないのだ。
私が迷っていることを告げると、
「レイナちゃんの金髪に合わせるならあんまり派手な原色の服じゃなくて、白や黒の地に少し模様の入った服とかがいいんじゃないかな」
とアドバイスをくれた。
例えばこれなんかどう?とベルーナが差し出してきたのは、スカート部分に花の模様がついた白いワンピースだった。
「あ、これ可愛いかも」
「良かった、気に入ってくれて」
とにっこり笑うとベルーナ引き続き私の服選びを手伝ってくれた。
そうするうちにだんだん私は自分の好みや見た目に合わせた服の選び方がわかってきた気がした。
ひとつの店だけでなくいくつかの店を回り、四人がそれぞれ気に入った服を見つける頃にはもう昼時を少し過ぎる頃になっていた。
「お腹すいたね、みんな何食べたい?」
「うーん、珍しいもの!」
「レイナ、それじゃわかんないよ……」
ベルーナの問いに自分の正直な気持ちをのべた私だったが、ユーリには呆れられてしまった。
「最近は中央から次々に新しい食べ物が伝わってくるから、今のドラッケンフィールは私にとっても珍しいものばかりよ」
アレクシアは違う意味で肩をすくめている。
「じゃあ私の最近のお気に入りのお店でいい? 『スパゲッティー』っていう料理のお店で二人はきっとまだ食べたことないと思うよ」
「スパゲッティーは私も好きよ。それも最近になって中央から来た料理だけど、色々な味が楽しめて飽きないものね」
二人のお墨付きをもらったことで私たちはそのスパゲッティーのお店に行くことにした。
「けっこう混んでるねぇー……」
昼時は少し過ぎているというのにそのお店は店の外にまで人が並んでいた。
「スパゲッティーのお店はまだドラッケンフィールにもほんの少ししかないからねぇ。どうする? 他のところにする?」
「うーん、でもスパゲッティー食べてみたかったな」
私たちが悩んでいると店の中から一人の男性が出てきて私たちのところへやって来た。
「これはこれはライゼンフォート家のお嬢様ではありませんか。いつもご贔屓くださってありがとうございます。本日は当店でお食事ですか?」
その男性はアレクシアと知り合いのようだ。
「いえ、そのつもりだったけれど今日は混んでいるようだからまた今度にしようと思っていたの」
と、アレクシアが答えたが、
「そうでございましたか。しかし、そんなことお気になさる必要はございません。すぐに席をご用意いたしましょう。どうぞこちらへ」
とやや強引に店内に案内されてしまった。
並んでいた人たちから「なんだこいつらは」という視線を浴びたが、先程のやり取りを聞いていた人が「ライゼンフォートのお嬢様とその一行だとよ」とささやくとすぐに珍しいものを見るような視線に変わった。
私たちは少し気まずい思いをしながら席についた。
「ごめんなさいね。このお店にはお父様と良く来るのよ。店主とも仲が良くて……」
どうやらさっきの男性がこの店の店主らしい。
しかしこんなに人が並ぶお店に顔パスであっさり入れるとは。
ライゼンフォート家の凄さを垣間見た気がした。
何人もの人を抜かしてしまったのは気が引けたけれど、私たちは気を取り直してメニューを眺める。
メニューの最初のページにはまずスパゲッティーという料理がどういうものなのが書いてあった。
数年前に中央で考案された料理で、小麦粉から作った生地を紐のように細く引き伸ばして茹でた麺というものに、色々なソースで味付けして食べるらしい。
ソースにはたくさんの種類があり、どれも美味しそうで目移りしてしまう。
ユーリはまだメニューを読むのに少し苦労していたが、その表情は興味津々だった。
かなり迷ったけれど私とユーリは最終的に『ナポリタン』というトマトを使ったソースのスパゲッティーを選んだ。
この店で一番人気の味付けらしい。
アレクシアは『カルボナーラ』というクリームみたいなソースのかかったものを、ベルーナは『ペペロンチーノ』というニンニクを使った少し辛い味付けのものを選んでいた。
私は細長い麺を見てどうやって食べたら良いのか悩んだけれど、アレクシアやベルーナは慣れた手つきでフォークを使って器用に麺を巻き取り、パクリと口に運んでいた。
私も二人の真似をしてスパゲッティーを食べる。
「美味しい!」
しょっぱい味付けの中にトマトの甘酸っぱい風味がしっかりあり、他の具材を引き立てている。
そのソースと絡む麺のモチモチとした食感がまた新鮮で私の手は止まらなくなり、あっという間に完食してしまった。
少し物足りなくてアレクシアの食べているカルボナーラを見遣る。
「何よ、そんなに見てもあげないわよ」
アレクシアにじっとりとした目で見られた。
「アレクシアのいじわる……」
「……」
「……」
「仕方ないわね……」
無言の応酬の末アレクシアがおれた。
「本当に!? やっぱりアレクシアは優しいね!」
「全く現金なんだから……」
カルボナーラもとても美味しかった。
もう一口……と思ったけれどその前にアレクシアにとりあげられた。
「そんなに食べたかったらまた来たら良いじゃない。今度はお父様に頼んで予約して来ましょう」
「うん!」
ユーリもスパゲッティーを気に入ったようで、次に来たときに何を食べるか早くも考えていた。
私たちは大満足で店を出た。
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