第12話「炎神と地神」
「これが、大地の神器?」
ジュリーは改めてチュウカナベを持ち直した。
だが、どこから見てもただのナベだ。
両端に把手がついていて、絶妙な丸みのナベ───ただ変わったところといえば、他の鉄製のナベに比べて異常ともいえるこの軽さだろう。
「町の雑貨屋で手に入れたんだぞ。スープも作ったし、炒め物や揚げ物、魚だって調理した……」
ジュリーは放心したように呟く。
「まさか、本当にこれが……?」
いまだに信じられないといったふうにナベとフレイアとを交互に見つめる。
「ジュリー……」
リリンはチュウカナベを持つ彼の手にそっと手を重ねた。
「ああ、信じられない!」
フレイアが天をふり仰いだ。
「神の持ち物でスープなど煮るとは!」
世も末だといわんばかりに彼女は叫んだ。
「だが!」
しかし、一転して口調が変わる。
「これですべてがそろった!」
フレイアは自分の手に握られた炎の神器を天にかざした。
ぎらりと太陽に映える刀刃。
「炎と大地が合わさるとき
力がすべてを支配するだろう
いにしえの昔から
決められた一対
今ここに回帰する
燃えよ炎よ
震えよ大地よ
そして奇跡を示すのだ」
力強く呪文を唱えるフレイア。
「ああっ!」
とたんにジュリーの手からナベが離れた。
それはまるで自分の意思で浮かんでいるように、ふわりふわりとフレイアに近づいていく。
「なんという……」
そう言ったきり、ジュリーは呆然として見つめるだけだ。
「あ、あああ……」
「なんていうこと……」
クリフとリリスもそう言っただけで動こうとしなかった。
というよりも動けなかったのだ。
ただ、ゆっくりと移動するナベを見つめているだけだ。
──ポォォォ─────
すると、ナベが白っぽい緑色に輝きはじめた。
赤く輝く大剣まで、もうあとわずかというところまできている。
──カァァァ─────
炎の神器もナベの光に呼応して、眩しいくらいに光り輝いた。
「もうすぐ、もうすぐだわ」
フレイアは待ちきれないのか、ジリジリと歩を進めた。
少しでも大地の神器に近づこうとしているのだろう。
──ヒュゥゥゥゥ────
──ザワザワザワ……
にわかに風が吹き出した。
同時に森の木々がざわめきだした。
これから起ころうとしている何かに反応でもしているのだろうか。
心なしか日もかげったような感じだ。
だが、太陽をかくす雲はまったく見られない。
そして、フレイアの握る炎の神器に、漂ってきた大地の神器が重なった───
──カッ!
「うわっ!」
まるで落雷したかのような痺れを、そこに居合わせた人間たちは感じた。
あたりは光に満ち、何もかもが眩しく、目を開けていられない。
ビリビリと空気が震えているのがわかる。
「く……」
だが、クリフはしっかりと見つめていた。
彼の目には、光の中心で立ちつくしている炎の魔族フレイアが神々しく映っていた。
「あ……」
その彼の目が何かをとらえた。
それはフレイアの前方すぐのところに出現した黒い染みのようなものだった。
それが、みるみるうちに広がっていく。
「同じ……」
クリフの脳裏にあの夢が浮かんだ。
ナァイブティーアスの光を塗り込めていったあの黒い闇───まるであのときの染みのようだと彼は思った。
見ているまに染みは直径一メートルくらいの穴となり、ぽっかりと空間に浮かぶ。
吸い込まれそうなほどに真っ暗な穴。
いったいどこに通じているのか、計り知れないほどの暗さである。
「あれは……」
クリフは息をのんだ。
その穴から何かがはい出ようとしている。
まず手が、そして頭がひとつ───いや違う二つだ。
見たところ人間の恰好をした者がふたり、穴から出てこようとしていた。
眩しい光のため、それが誰なのかはわからない。
クリフは目が痛くなるほど凝視した。
「あっ…」
突然───光が途絶えた。
──カラン……
同時にナベが地面に転がった。
──ドサッ、ドサッ!
「!」
クリフは驚いて振り返った。
「うううう……」
「いたたた……」
ジュリーたちが呻きながら倒れている。
「みんな……」
とりあえず大丈夫らしいことを見て取ったクリフは、ホッと胸をなで下ろした。
「ディーズさまぁぁぁ────!」
唐突にフレイアの歓喜の声が上がった。
一斉にクリフたちが目を向ける。
「フレイアか!」
若々しい男の声だった。
炎の魔族であるフレイアが、たくましい体つきの一見ごく普通の青年としか見えない人物に抱きついた。
現れた青年は彼女のように真っ赤な髪をたてがみのように逆立て、意思の強そうな燃えるように赤い瞳を持つ精悍で整った顔だちの人だった。
「あの人は……」
それよりもクリフは、もう一人の人物に心奪われた。
ふたりの男女が抱き合うのを見つめるその人───限りなく穏やかな表情を浮かべて静かに微笑んでいる。
萌葱色の瞳、新緑色の髪をていねいになでつけ、ひいでた額に一筋の髪がはらりと落ちている。
気の強そうな赤い髪の人とはまったく正反対の感じだ。
思慮深く落ちついた雰囲気を漂わせ、はかない感じはするものの、どこか人を安心させる何かを持っている。
「…………」
その緑の髪の人がクリフの視線に気がついた。
その目は驚いたように一瞬見開かれ、すぐさま優しい笑顔になった。
「あ……」
クリフは思わず声をもらした。
なぜなら、その緑の髪の人が近づいてきたからだ。
「こんにちは」
「…………」
クリフはにっこり微笑むその人に何も返事ができず、じっと見つめた。
「わたくしはラスカルと言います。闇神さまにお仕えしていた地神であります」
まるで世間話でもするように地神ラスカルは挨拶した。
「ぼくはクリフといいます」
今度はクリフも答えた。
まったくこの人物に敵意を感じなかったからだ。
「クリフさんですか。よいお名前ですね。どなたがおつけになったのですか」
「ぼくの父です……もっとも本当の父ではありませんが」
「そうですか……どうやらあなたには、オムニポウテンスさまの血が流れているようですね」
「え…?」
「オムニポウテンスだと!」
すると、フレイアと抱き合い、再会を喜び合っていた赤い髪の男が怒鳴った。
「どいつだ。オムニポウテンスの野郎の仲間というのはっ!」
「クリフ!」
リリスの叫び声が上がった。
赤い髪の男がクリフを見つけ、近づいていったからだ。
「俺は炎神ディーズ。おまえか、オムニポウテンスの血族とは」
クリフの前に仁王立ちして、ディーズは自分の腰ほどしかない背丈の彼を見下ろした。
クリフはディーズを見上げた。
少し動揺してはいたが、毅然とした態度で立ち、多少青ざめた顔を向けて今や鬼神のような形相をした相手に言い切る。
「わかりません」
「なに?」
たちまちディーズの眉間にしわがよる。
「本当にわからないのです。むしろぼくのほうが教えていただきたいくらいなんです。何か知っておられるなら、教えてください。ぼくの両親はいったい誰なんですか」
「…………」
ディーズはうさんくさいものでも見るようにクリフをすがめて見た。
すると、ディーズに代わって緑の髪のラスカルが答えた。
「まちがいありません。あなたは神の子ですよ、クリフさん。ただ、わたくしたちにも断定ができません。どのお方があなたのご両親なのか。ひとつ言えるとしたら、光神さま御本人の血筋ではないかということだけです」
「光神……オムニポウテンス……」
彼の言葉に考え込むクリフ。
本人とはどういうことだろう。オムニポウテンス自身が父なのか───彼の心は千々に乱れた。
「だが、そんなことはどうでもいい!」
たまりかねた様子のディーズが叫ぶ。
「俺の敬愛するイーヴルさまの敵は排除するのみ!」
彼は目にもとまらぬ速さで、後ろへ飛びすさった。
手をクリフへとかざしている。
「あぶない、クリフ!」
ドランの悲痛な叫びが聞こえた。
「待ってろ!」
ジュリーが叫びながら走った。
彼はチュウカナベでクリフを守ろうと思ったのだ。
「間に合ってくれ」
だが、とても間に合いそうになかった。
すでにディーズの手のひらからは、炎がほとばしっていたからだ。
「キャアアアア────!」
リリスが悲鳴を上げた。
「イヤァ────クリフゥゥゥ────!!」
いやな記憶と重なったのだろう。
彼女は頭をかかえ、悲鳴を上げつづける。
「リリス!」
それを支えるリリン。
彼女もまた炎から目をそらした──が、しかし──
「なにっ?」
目をむいて驚くディーズの声。
「ラスカルさま!」
そして、フレイアの叫ぶ声が上がった。
「ああっ?」
一斉に見つめるクリフの仲間たち。
炎神の強力な炎にまかれたのはクリフではなかった。
そう、地神ラスカルがクリフの身体を突き飛ばし、炎をその身にかぶったのである。
すでにディーズの手から繰り出される炎は途絶えていた。
だが、ラスカルの身体を焼き尽くそうとしている炎は、消えるどころかますます燃え盛っている。
「ああ……」
その足もとで茫然と見つめるクリフ。
「ラスカル!」
ディーズは、自分の炎をどうすることもできないまま叫んだ。
「結界を張ってるのだろうなっ!」
ラスカルはゆっくりと首を振った。
「なぜだ! 死ぬつもりかっ!」
「ディーズ……」
ラスカルの声はくぐもっていた。
彼の苦悶の表情は、炎がどんなに熱く、そして彼がどんなに苦しんでいるかをまざまざと見せつけている。
「こんな、こんなことって……オレの炎でおまえが死んでしまうなんて……なぜだ、なぜこんなことを……」
ディーズの声は悲痛だった。
「わたくしの大切な友……ディーズ……どうか…どう…か…嘆かないで……」
苦しげに顔を歪めてラスカルは言った。
「わたくしたちの時代は……もう……終わったのです……わたくしは一足さきに旅立ちます……ね……」
炎の中、ラスカルは目を閉じた。
「ラスカル!」
ディーズが叫んだとたん、ラスカルの身体が崩れた。
灰のように、砂のように、サラサラと崩れゆく。
(常磐の彼方であなたのことを……)
ラスカルの声だった。
その場に居合わせたすべての者の頭に直接響く。
(待ってます………)
「ラ、ス、カ、ルゥゥゥゥゥ─────!」
──ヒュゥゥゥゥ─────
おりしも風が吹き、ラスカルの身体であった灰が飛ばされていく。
「…………」
クリフは地面に座り込んだまま、飛ばされていく灰を見守った。
渦を巻き、青く輝く空へ昇っていくのを────
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