第6話「大地の御子」

「さあ、とにかく出発しよう」

 しばらく重たい空気が流れていたが、ジュリーは元気づけるようにそう言った。

 彼は中剣を腰に差し、わずかな荷物を入れた袋を肩にかけ、それからチュウカナベを背負った。

「ぷっ…!」

 たまらず、といったふうにドランが吹き出す。

「なんだぁ、坊主」

 耳ざとく聞きつけたジュリーは振り返ってドランをにらみつけた。

「く…くくく…だ、だって……」

 ドランは苦しそうに笑いをこらえたが、これ以上がまんできなかったらしい。腹をかかえて笑いながらジュリーを指さした。

「おっさん、まるで甲羅を背負ったカメみてえだぜぇ」

「カ、カメだとぉ────!」

 ジュリーは憤慨して腕を振り回した。

「ひゃぁ────カメが怒ったぁぁぁ!」

 キャッキャッと叫びながらドランは森へ目がけて走りだす。

「待てぇ─────!」

 それを追いかけるジュリー。

「あっ、待って!」

 慌てて追いかけるクリフ。

 走りながら上空に目を向ける。

 すでに太陽は上空高く昇りきってしまっていた。

 さきほどまであったはずの雲も、今はすっかり晴れて青空と太陽が見えている。

 クリフの心は、今見ている空のように晴々としていた。

(空がきれいだ)

 それに暑い。

 クリフの身体全体から一斉に汗が吹き出す。

 だが、すがすがしい爽快さを感じる。

 それから森へ目を向けた。

 ドランとジュリーの姿はすでになく、あたりには誰もいなかった。

「ああ、なんて足のはやい……ぼくの脚の長さでは追いつけないよ……」

 クリフは自分自身の不甲斐なさを呪いながら走る。

 だが表情は明るい。

「やっとついた」

 ようやく森の一歩手前までやってきた。

 目前にはうっそうと生い茂る森林が広がっている。

──ザワザワザワ……

 そのとき、森の木々が揺れた。

(あ……?)

 クリフは木々を見上げた。

 緑は、まるで燃えさかっている炎のようだ。

(密林……)

 なんとなく不思議な気持ちになり、彼は少しの間じっと動かずに森を見つめる。

 大陸には広大な密林、どこまでも広がる砂の大地、上がどこかもわからない高い山々がある───そう教えられた彼であった。

(父さんは大陸を旅したことがあったのだろうか……)

 島に残してきた父の顔を思い浮かべるクリフ。

 精悍な顔つき、漁師らしい逞しい身体を持つ父は彼の誇りでもあった。

 だが今となっては、父と疑わなかった人はまったく血のつながらない養父だったのだ。

「父さん……」

 クリフの胸はキリキリと痛んだ。

──サワサワ……

 唐突に葉擦れの心地よい音が耳についた。

 クリフは思わず目を閉じ、じっと音に聞き入った。

「ああ……」

 軽い驚きを感じ、目を開けるクリフ。

 さきほどまで感じていた胸の痛みが、いつのまにか消え去っている。

「なんて気持ちいい……」

 クリフは手を広げ、深呼吸をした。

 かすかな興奮を感じながら森の木々を感動の目で見つめる。

「クリフ、なにしてんだよ。はやく来いよ」

 急にドランの声がした。

 いつのまにか引き返してきてクリフに手を振っている。

「うんっ!」

 クリフは勢いよく返事をすると、ダッとばかりに駆け寄り、森に入ろうとした。

──サワサワサワ……

──カサカサカサ……

──ザザザザザザ……

──サラサラサラ……

「?」

 とたんに森がざわめいた。

 木々が一斉に葉擦れの音を出す。

 何かの気配を感じて耳をすませるクリフ。

 その彼の耳にかすかな声が聞こえてきた。

(かえってきた……)

(かえってきた)

(おかえりなさい……)

(おかえりなさい)

──サワサワサワ……

「なに……?」

 誰かのささやく声が聞こえる。

(われらはまっていた……)

(まっていた)

(あらたなるそんざいを……)

(そんざいを)

──ザワザワザワ……

(まっていた……)

(まっていた……)


───大地の御子よ───


「クリフ!」

「えっ?」

 すぐ近くで怒鳴られて、クリフはハッとして顔を上げた。

 いつのまにかじっと立ち止まり、目を閉じていたらしい。

 くっつくくらい近くにドランの顔がある。

「あ…ああ、ドラン……」

 クリフは頭を振った。

「どうしたんだよ。顔が青いぜ」

「う…うん…だ…いじょうぶ……」

 クリフはそう答えたが、いいようのない身体のだるさを感じていた。

「声がね……誰かの声が聞こえたみたいなんだ……」

「声?」

 ドランはあたりをキョロキョロ見回した。

「なーんも聞こえねーぞ」

「う…ん…」

 クリフはそっとあたりをうかがった。

「どうしたんだ?」

 そこへジュリー登場。

 なかなか来ないクリフたちに業を煮やして戻ってきたのだ。

「日が暮れるまでに安全な場所まで行かなくてはならんのだぞ。ぐずぐずしている暇はないのだ」

 そして、ジュリーは厳しい表情を見せた。

「この近辺にも邪神教の神殿があるはずだから、心して進まなくてはならん。とくにクリフ、きみのような子供が一番あぶないんだ。生贄としての素質は十分だからな」

「おいらだって子供だぜ」

 ドランは頬をふくらませて怒った。

 だが、ジュリーはそんな彼を鼻であしらう。

「ああ、おまえのような見栄えのせん子供は天地がひっくり返ったってだいじょーぶ。いらん心配なんぞせんでもいーぞ」

 そう言うと、背中を見せて再び森へと足を踏み入れていった。

「くっそぉ~いつかコロス……」

 ドランはぐぐっと拳を握りしめた。

 クリフはそんな彼をぼんやりと眺めているだけだ。

 そして───

 クリフたちも立ち去り、森の入口には誰もいなくなった。

 ただ風が木々をゆらしているだけ───しかし、その誰もいなくなったはずの場所にささやき声が───

──サワサワサワ……

(かえってきた……)

──カサカサカサ……

(大地の御子が……………)

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