第7話「麗しの美女剣士たち」

「リリス……」

 黒髪の女が隣に座るもうひとりの女の名を呼んだ。

 だが返事はない。

「ふぅ──」

 彼女は大きくため息をついた。

 豊満な胸がいっときふくらむ。

 声をかけた女は、漆黒の髪を肩すれすれで真っ直ぐに切りそろえた肉感あふれる女だった。

 横に座るリリスは燃えるように赤い髪がぐりぐりと巻き毛になっていて、黒髪の彼女とは対照的である。

 女というよりは少年のようにスレンダーな身体で、もしかしたら自分の体型に多少なりとも劣等感を持っているかもしれない。

 それほど貧相な胸の持ち主だった。

「大丈夫?」

 黒髪の女は再び声をかける。

「…………」

 だが、赤い髪の女は黙ったままだ。

 ふたりは倒れた大木に腰掛けていた。

 かたわらに、それぞれ立派な大剣を立てかけている。

 どうやら姿に似ず、彼女たちは剣士のようだ。

「リリス」

 黒髪の女が呼んでもあいかわらず何も答えようとはせず、リリスはひざ小僧を抱え込んだ。

 今にも泣きそうな顔である。

 そんな彼女の肩に黒髪の女はそっと手を置いた。

 そして諭すように言う。

「もう忘れなよ」

「忘れろですって、リリン?」

 とたんに叫ぶリリス。

 彼女の声にはあからさまな怒気が含まれていた。

 黒髪のリリンは悲しそうな目をして相棒を見つめる。

「あんたにはわかんないよ!」

 そんな彼女にかまわず、リリスは怒鳴る。

「あたしが…あたしが、どれほどあのお方を愛していたか……」

 しかし、最後の方はすすり泣きに変わっていた。

「リリス……」

 いっそう悲しい色に染まるリリンの目。

 彼女の口はそれ以上開かれることはなかった。

 そのとき!

「急げ!」

 どこからか押し殺したような声が聞こえ、それと同時に草木を押し退けて進む音も聞こえてきた。

──チャリ……

 リリンは剣士らしく、さっと剣を取った。

 じっと聞き耳を立てて、音がどの方向からのものかさぐる。

 リリスものろのろと自分の剣に手をやり立ち上がった。

──ザザザザッ!

 少し離れたところを、何人かの人影が通りすぎるのが見えた。

 全員フードつきのマントを身にまとっており、そのうちの一人は何かを脇にかかえていた。

 子供のようだった。

「ああっ?」

 すると、リリスの叫び声が。

「どうしたの、リリス!」

 ただごとではない様子に、不安を感じたリリンがリリスの顔を見つめた。

「カスタムさまよっ! あれはカスタムさまだわっ!」

 そう叫び、彼女はダッとばかりに駆けだした。

 あっというまの出来事である。

「待って! リリス!」

 慌ててリリンも駆けだす。

 リリスは大剣を楽々と片手で掴みながら、ものすごい勢いでフードの人物たちの後を追っていった。

「カスタムさまぁぁぁぁぁぁ────!」



 それよりしばらく前のこと。

 うっそうと生い茂る森へと足を踏み入れたクリフたちは、ゆっくりあたりを警戒しながら歩いていた。

 まだ日の高い昼だというのに、森は暗かった。

 それでもときおり、木もれ日がさしこんできて、今がまだ夜になったわけではないのだと教えてくれる。

(なんだか落ちつく……)

 クリフは心で呟いた。

 木々の吐き出す、むせるような濃い空気の匂い、耳に心地よい葉擦れ、森によって和らげられた灼熱の太陽、時々どこか遠くから聞こえてくるかすかな獣の遠吠え───そういったものが、これからどんな危険な目に合うかわからない恐怖を消し、クリフの心に穏やかさをもたらしていた。

 そして、思わず呟く。

「ぼく……好きだな……」

「え…なに?」

「森だよ」

 怪訝そうに聞き返してきたドランに、クリフはニコッと笑ってみせた。

「何だかこう木々に囲まれていると安心するんだ。島に残してきた母さんに抱かれているみたいだよ……もっともその母さんは本当の母さんじゃなかったけれど……」

「クリフ……」

 ドランは同情まじりの声で呟き、思わず足をとめる。

──ザワザワザワ!

 そのとき、梢が激しく揺れた。

 まるで彼らに危険を知らせるかのように。

「あっ!」

 鋭くクリフが声を上げた。

「クリフ!」

 ドランは叫んだが、それよりもクリフが何者かに抱え上げられるほうが早かった。

──ドシッ!

「ぐっ!」

 ドランは当て身をくらい、よろりと崩れていった。

 男だった。

 フードを目深にかぶった黒いマントの男で、クリフを取り囲んでいる者たちも同じ服装をしている。

「ジュ……」

 ドランは先を歩いていたはずのジュリーを呼ぼうとした。

 だが声が出ない。

 意識を失わないようにするので精一杯だ。

「行くぞ」

 当て身をくらわせた男が他の者たちにささやいた。

(あ…まて……)

 地面にころがったまま、逃げ去ろうとする男たちに手を伸ばす。

(ク…クリフ……)

 ドランは必死だった。

 必死になって、男たちに抱えられているはずのクリフを探した。

(クリフ!)

 その彼の目にぐったりと目を閉じたクリフの姿が見えた。

 おそらく同じように当て身をくらったのだろう。

 すると、男のひとりがドランに手を伸ばしてきた。

 クリフ同様、彼を連れ去ろうとしているのだ。

「クリフ! ドラン?」

 今まさにドランを抱え上げようとした男の手がとまった。

 ジュリーの声だ。

 こちらに引き返してこようとしている。

「ちっ…」

 男はドランをあきらめ、すでに姿を消してしまった仲間に合流すべく茂みへと飛び込んだ。

(クリフ……)

 ドランは身体を起こそうと必死になった。

「ドラン!」

 そこへジュリーがやって来た。

「どうしたんだっ?」

「お……」

 ドランはやっと唸るように声を上げた。

「おせーぞ、おっさん……」

 弱々しく悪態をつく。

 そんな彼を抱き起こすジュリー。

「クリフはどうした?」

「連れてかれた……」

「なんだって?」

「連れてかれたんだよ、変なマントの男たちにっ!」

 叩きつけるように叫ぶ。

 なんとか大声も出せるようになったらしい。

「はやく、はやく追いかけないと、生贄にされっちまう……」

 よろよろと立ち上がりながらドランは言った。

 そしてジュリーの服をつかんだ。

「おっさん! 追いかけるんだよ。あれは邪神教徒の連中だ!」



(身体がだるい……)

 クリフは暗闇の中、呟いていた。

(ここはどこ……?)

 目を開けようとする。

 だが、まるで何かでくっつけられたようにまぶたが開かない。

(クリフ……)

(!)

 誰かが呼んでいる。

(ナァイブティーアス…さん…?)

 クリフは無意識に呼びかけていた。

 すると、暗闇にポッと光がともった。

 まるで彼の呼びかけに答えるかのように。

 だんだんとそれは広がっていき、仄かなものだったのが柔らかなものに変化し、さらに強くなっていく。

(あ……)

 光の中に見慣れた体つきの人物が見えてきだした。

 その人はゆっくりと振り返り、クリフにささやきかける。

(クリフ……)

(ナァイブティーアスさん……)

 相変わらずどんな顔をしているのかはわからない。

 ただ、限りなく優しい雰囲気が伝わり、クリフはとても穏やかな気持ちになっていくのを心地よく感じていた。が───

(あっ…)

 ナァイブティーアスの立派な体格を取り囲んでいた光に、ポツポツと黒い染みのようなものが見えてきた。

 それは見ているまに次々と数を増していき、まるで身体をむしばむ病魔のように光を食いつくし広がっていく。

(逃げて…!)

 悲鳴を上げるクリフ。

 しかし、それは声にならなかった。

(…………)

 ナァイブティーアスと思われるその人物は怪訝そうに自分のまわりを見渡している。

 と、次の瞬間!

(ああっ!)

 あっというまだった。

 いつも夢に出てくるその人の身体が一瞬のうちに闇に飲み込まれてしまったのだ。

(え?)

 背の高いその人が消えてしまう一瞬、クリフは不可解なものを見た。

(今の…?)

 まぶしいほどの光を放っていたその人に、おおいかぶさるようにダブって見えた透明な人影。

 長くまっすぐな髪がひるがえり、ほんのわずかの間だったが、クリフの方を振り返り笑いかけた。

 そう彼には思えた。

 だが、すぐに我に返るクリフ。

(ナァイブティーアスさんっ!)

 クリフは駆け寄ろうとした。

 だが、走ることはできなかった。

 足が自分の意志で動かないのだ。

(ナァイブティーアスさぁぁぁぁぁぁ────ん!)

 クリフはただ、闇に向かって叫びつづけるしかなかった。

 だが闇は押し寄せてくる。

 彼を飲み込もうとして。

(ああっ!)

 叫ぶ彼に向かい、闇はその不気味な触手をぐんぐん伸ばしてくる───



──ドシュッ!

「うぐっ!」

 イヤな音と、くぐもった声が聞こえた。

 そう思った瞬間、ぐらりと身体がかしいだ。

──ドサッ!

「あっ……」

 クリフは身体に痛みを感じた。

 どこか高いところから突き落とされ、地面に落ちたような痛さだった。

「ううう……」

 痛む身体にうめきながら身動きすると、彼はゆっくり目を開ける。

「!」

 彼は息をのんだ。

 すぐそばに男がひとり、同じように横たわっていた。

 しかも目を異常に見開いたままで。

「え…?」

 明らかに男は絶命している。

 だが、頭の中がもうろうとしているクリフは、すぐに現状を把握することができずにいた。

「どうして……?」

 困惑して呟く。

 ナァイブティーアスは?

 そして、自分を飲み込んだはずの闇は───?

「く……」

 彼は何とか身体を起こした。

 そして、いったい何が起きているのか知ろうとした。

──バシュッ!

「ギィヤァッ!」

──ドシュッ!

「グフッ!」

「死ねぇぇぇ────!」

 そのとき、ひときわ高く罵声がとんだ。

「おんなのひと…?」

 クリフはハッとして声のした方へ首をめぐらせた。

「あ……」

 彼の目にそれは鮮烈に映った。

 赤い髪を振り乱し、銀色に輝く大剣を無造作にふるいながら次々とフードの男たちを切り倒している人物。

 怒りに我を忘れ、むしろ茫然とした表情で剣を繰り出すその姿は、まるで鬼神のようであった。

「あの人は……」

 クリフはその鬼神と化した女性──リリスなのだが──を凝視する。

 その様子は魅せられたとしかいいようのないものだった。

「邪教徒めらがぁぁぁぁぁ─────!!」

 絶叫するリリス。

 まるで女とは思えない。

「あの剣は……?」

 クリフの目が彼女のふるっている大剣にくぎづけになった。

 普通の剣とは明らかに違っている───そういうものに馴染みのない彼でさえもそう思った。

 それは光り輝き、邪悪なものを一切受けつけないような、そんな神々しさを感じさせていた。

「カスタムさまぁ───!」

 リリスがクリフに向かって叫んだ。

「ご無事ですかぁ───!」

──バシュッ!

「ウグッ!」

 最後の男が光り輝く剣のもと、倒された。

「リリスでございます!」

「え……?」

 彼女はダダダッとばかりに駆け寄って、頭を地面にひれ伏した。

「あ…あの……」

 クリフは何が何だかわからないといった顔をした。

「信じておりました。生きていらっしゃったんですね」

 リリスの上気した顔が上がる。

「!」

 クリフと顔が合ったとたん、彼女の表情が固まった。

「リリス!」

 そこへ、やっとのことで追いついてきたリリン。

 ハアハアと息をはずませている。

「ちがう……」

「リリス?」

 リリンは怪訝そうに相棒を呼んだ。

 リリスはゆっくり首を振っている。

 相棒であるリリンの声など耳に入っていないらしい。

「ちがう…カスタムさまじゃない……」

 リリスは顔をおおいかくし、号泣した。

「うわぁぁぁぁぁ─────!」

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