第4話「クリフの決心」

 その日、クリフは島の浜辺から海を眺めていた。

 夕べもまたあの夢を見てしまい、なかなか寝つけなかった彼は、少しぼんやりとして水平線を見つめた。

 ダカル島は常夏だ。

 朝にもかかわらず、太陽がジリジリと照りつけている。

「あれ?」

 彼の目に何かが映った。

 それほど沖合ではない。

 木片が漂っているようだった。

 しかも人らしき姿も見える。

──ザバァァァァ──

 考えるまもなく、クリフは水に入っていった。

──バシャッ、バシャッ………

 泳ぎながらも、視線は見失うまいと一点に向けられる。

──キラッ……

「?」

 クリフの目に自然とは言いがたい輝きが捉えられた。

 何だろうと思いながら、なおも近づいていくクリフ。

 そして、ほどなく目標にたどり着いた。

「これは……」

 彼の見たものは確かに木片だった。

 そのうえ、それには自分と同じくらいの少年がもたれかかっていた。

 小麦色に焼けた顔、長いまつげ、こましゃくれた感じのくちびる、さらさらとした茶色い髪の毛───そして少年の額には、なめらかな曲線を描いて銀色に輝く輪がカッチリとはまっていた。

「生きてるのかな?」

 クリフはおそるおそる手を伸ばした。

「ん……」

 少年のまぶたがピクピクと動いた。

 クリフはビクッとし、そしてホッとする。

 生きている。

 すると、少年がぱちりと目を開けた。

「………」

 黙ったままクリフを見つめる少年の瞳は大きかった。

 大地の温かさが伝わってきそうな深い茶色──見ていると土の香りがしてきそうだ。

「おまえ……」

 少年の茶色い目がクリフの髪を見てさらに大きく開かれた。

「おまえ、だれ?」

 おそるおそる問いかける彼の声には、相手を訝る感じがあらわれていた。だが、いったい何を──?

「ぼくはクリフ。きみは?」

「お…おいらは……」

 明らかに落胆の色を見せる少年。

 しかし、すぐにニカッと屈託のない笑顔を見せた。

「おいらはドラン」

 しっかりとした声で答える。

 そんな彼にクリフは思わずつられて笑った。

「何してんの?」

「え……?」

 ドランの問いに、いっときポカンとするクリフ。

 それはこちらが聞きたいことだと心で思う。

「朝の水泳か?」

 さらにニカッと笑って聞いてくるドラン。

「そのつもりだったけど……きみがおぼれてるのかと思って助けにきたんだ」

 クリフは少々戸惑った感じでそう答えた。

「おぼれて……? おいらが……?」

 さもびっくり、といったふうに目を丸くしてドランは言った。

「なにいってんだよ」

 そして急に笑いだす。

 あっけにとられるクリフ。

「変なこというやつだなあ」

 ドランはまだおかしそうに笑っている。

「変なことって……」

 クリフは何となく腹が立ってきた。

「おいらはね、クリフ」

 ドランは真面目な顔で言った。

「疲れたからちょっと休んでただけなんだ」



 その夜、クリフとドランは同じベッドに横たわっていた。

 開け放たれた窓からは驚くほど明るい月の光が差し込んできている。

 今宵は満月のようだ。

 ときおり、さざ波の音が聞こえてくるだけで他には虫の声さえも聞こえてこない。

 まるで、この世にはクリフとドランのふたりしか存在していないかのような静けさだ。

「………」

「………」

 天井に顔を向けて仲良く寝ている彼らは、目を閉じてはいなかった。

 それぞれに何か物思いに沈み込んでいるようだ。

 しかし、そんな沈黙を最初に破ったのはクリフだった。

「どうして……」

 思い詰めた口調だ。

「どうして父さんたちはあんなにびっくりしたんだろう」

「え……びっくりって……?」

「ドランを連れて帰ってきた時にだよ。すごく驚いてたじゃないか」

 そう言うクリフに、ドランは何でもないことのように答える。

「そりゃ、ふつうはびっくりするだろーな。子供だっていったって、得体のしれねーやつにはちがいないもん」

 そして、意地悪く笑った。

「魔族かもしれねーってね」

「茶化すのはやめなよ!」

「…………」

 思いのほか強い口調のクリフだった。

 ドランは目を見張って彼を見つめている。

「う……え…っとぉ……」

 とたんにバツが悪くなり、クリフは顔を赤くした。

 慌てて話題を変える。

「ドランはなんであんなとこでおぼれ…あ、ええっと…休んでたの?」

──バサ……

 すると、ドランはベッドから身体を起こした。

「ドラン?」

 クリフもそれにならう。

 そばの窓からドランは外に目を向けた。

 戸外の風景は何もかも月明かりに照らされて、この世のものとは思えないくらいに神秘的な光景を見せている。

「家族を探してんだ、おいら……」

 ぽつりと呟くドラン。

「家族……?」

 クリフは首をかしげた。

「おいら…父ちゃんも母ちゃんも知らないんだ」

 ドランはクリフを振り返ると続けた。

「おいら、拾われてきたんだよ。だから、家族が生きてんのか死んでんのか、わかんないんだ」

「ドラン……」

 クリフは悲しそうな目でドランの目を見つめた。

「おいら……おいらのこと世話してくれる人も大好きだけど、やっぱり父ちゃんや母ちゃんに逢いたいんだ。それがだめなら、せめておいらの仲間に逢いたい」

「ドラン…」

 悲痛な声に胸を痛めるクリフであった。



 そして、その日の夜おそく。

──スー、スー……

 すっかりドランは深く寝入ってしまったようだった。

 クリフは彼の寝息を聞きながら、じっと天井を見つめている。

──ギ……

 眠れなくて身を起こす。

「はぁ……」

 彼はため息をつくと起き上がり、そっと部屋から忍び出た。

──ギ、ギ、ギギ………

 ビクッとした。

 床の鳴る音が思いのほか大きい。

(あれ?)

 ちょうど両親の部屋の前を通ろうとしたときのことである。

 まるでお約束のように戸が少し開いていて、光が暗い廊下にもれているのを見つけた。

「……いまごろ……」

「考えすぎ………」

 何やら深刻な感じの声だ。

(父さんたち、何を話してるんだろう)

 クリフはそっと近づくと耳をそばだてた。

「だってそうじゃないですか。今日はクリフの誕生日ですよ!」

 突然、クリフの母の声が大きく聞こえた。

「シッ!」

 父の鋭い声に母が息をのむ。

「すみません、あなた。でも誕生日ってことは、クリフが初めてこの家に来た日ともいえるんですよ」

(なんだって?)

 母の言葉に耳を疑うクリフ──初めてこの家に来た──?

「あれから十年経ったんだな……」

 過ぎ去った日々を思いおこすような懐かしい響きで父は言った。

「ちょうど今日のように穏やかな波の日だった。海を漂っていたクリフを見つけたのは」

 そこまで聞いたとたん、クリフは駆けだしていた。

 もうこれ以上なにも聞きたくなかった。

 それからしばらくして───

「はぁ…はぁ……」

 クリフは浜辺で大きく肩を上下させながら海を見つめていた。

 彼には信じられない話だった。

 自分が父と母の子ではない、ドランのように海を漂っているところを父に拾われてきたのだと──が、しかし──

「じゃあ、あの夢はもしかして……」



「夢……?」

 そこまで聞いて、ジュリーは訝しげに眉をひそめた。

「ええ。ものごころついた時からよく見てる夢なんですけど……」

 クリフは話を続ける。

「光につつまれた男の人が出てくるんです。よく顔はわからないんだけど、とてもたくましい身体をした人で、ただ夢に出てくるだけで何も喋らないんです。でも、何だか見つめていると懐かしいというか、親しみが持てるというか……不思議と安心できるんですよ。そんな夢を見てたからかどうかわからないんだけど、ぼく、ちっちゃなころから今の両親は本当の親ではなくて、どこか別のところに本当の父さんや母さんがいるんじゃないかって何となく思ってたんです」

「それは誰でも一度は思うことだぞ。とくに幼い子供のころはな」

 ジュリーはやさしくそう言った。

──ザッ……

 土を踏む音が聞こえた。

 離れた場所にいたドランが二人のそばにやってきたのだ。

「…………」

 彼は黙ったままクリフの横に座り込む。

 それにちらりと視線を向けて、クリフは話を続けた。

「ええ、わかっています。ぼくだって、心のそこから信じてたわけじゃなかった……そんな変な夢を見るのだって、ぼくが人よりも少し想像力がたくましいからだって思ってたから」

 焚き火の炎に照らされてクリフの顔は赤く染まっていた。

 彼だけではない。ほかのふたりもそうだった。

「だけどっ…!」

 急に声のトーンを上げるクリフ。

──ボオゥッ!

 焚き火の炎が一瞬もえさかる。

 にわかに風も吹いて、クリフの玉虫色の髪を揺らした。

「まさか…まさか本当のことだったなんて、悪い夢を見ているようだった……」

 彼の声はだんだんか細くなっていき、今にも消えてしまいそうだ。

「あのやさしい父さんと母さんの子供じゃないなんて……ぼくは……」

 クリフは手で顔をおおってしまった。

「クリフ……」

 ドランがそっとクリフに寄り添い、肩に手をやった。

 それをやさしく見守るジュリー。

「でも……ぼくは……」

 クリフはゆっくり顔から手をはなした。

「それまで心にかかっていたモヤモヤが晴れた気がしたんだ。何となく気になっていたことが解決したんだもの」

 彼は弱々しく笑った。

「だけど今度は別の疑問がわいてきた」

 とたんに表情がくもる。

「それじゃあ、一体ぼくは何者なんだろうって。どうして海を漂っていたんだろう……ぼくは生まれたての赤ん坊だったんだよ。今度はそのことが新しいモヤモヤとしてぼくの心に広がっていったんだ」

──パチパチ……

 しばらく三人は押し黙って焚き火を見つめた。

 あいかわらず彼らを取り巻く森や空気はひっそりと静まり返っている。

「それで?」

「え……?」

 クリフはハッとして顔を上げた。

 束の間、この知り合ったばかりの男を見つめる。

 金色の長い巻き毛、派手な色合いの服装、今は外して近くの木にかけているが、おそろしく鮮やかな赤色のマントを身にまとい、およそ旅をするには目立ちすぎる身なりの男を───ただ、クリフは海の孤島のダカル島から今まで一歩も出たことがなかったので、このジュリーという男が異様な出で立ちであり、まったくもって奇妙な人間であるということに気づいていない。

「それでって……?」

 クリフは問い返した。

 つけまつげでもしているような長いまつげと、流し目の似合いそうな切れ長の目を見つめる。

「島を出てどうするつもりなんだ?」

「どうするつもりって……」

 ジュリーの涼やかなアイスブルーの瞳に射すくめられ、クリフは口ごもる。

 そんな彼に向かって、ジュリーはたたみかけるように言った。

「本当の両親を探し出して、どうしてぼくを捨てたんですか? なぜなんですか? どういうつもりでそんなひどいことをしたんですか? ぼくはこんなに傷ついています。責任を取ってください……なんて言いつのるつもりなのか?」

「そんな……」

 クリフの声が震える。

 彼の顔は焚き火の炎に照らされて赤くなっていたが、ジュリーの非難じみた口調に青ざめた。

「くっ………」

 ドランはクリフのかたわらで、くちびるをかみしめジュリーをにらみつけた。

 その様子は自分の友人をいじめる大人への憎しみに満ちていた。

「そんなににらむな……」

 そんな彼の視線に気づき、ジュリーは苦笑した。

 さっきまで見せていた厳しい目つきがなごんでいる。

「いいさ。きみの好きにすればいい」

 彼はクリフにそう言い切った。

「きみのやり切れない気持ちはわかるつもりだ。俺はいつだって子供の味方さ。確かに彼らにも何かやむを得ない理由があったんだろう。だが、どんな事情があるとしても、子供を捨てる親なんて俺は許せない。彼らはそれ相応の報復を受けるべきだ。俺はそう思っている」

「ジュリーさん……」

 さらにジュリーは続けた。

「及ばずながら俺も手伝わせてくれないか。きみの両親を探し出し、俺もひとこと言ってやりたい。父親には一発なぐってやる」

──シュッ!

 彼は拳を繰り出して空を切った。

「はた迷惑なおせっかい野郎……」

 口をへの字に曲げてドランが呟いた。それでも心なしか口調は穏やかだ。

「何か言ったか、ドランくん?」

「へ?」

 ずずいと顔を近づけてすごんでみせるジュリーに、ドランは強張った笑顔を向けた。

「おいら、なーんもいっとらへんでー」

「いったいぜんたいどこの言葉だ、それは」

 ジュリーは眉間にしわをよせた。

「はははは……」

 ドランは力なく笑う。

 そして、その笑い声は森の暗闇に吸い込まれていった。

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