第3話「鍋を持つ男」

(東へ……)

(?)

(東へ向かうのだ……)

(だれ……?)

 暗闇から声が聞こえる。

(真実を知るだろう……)

(真実……?)

 暗闇にほのかな光がともった。

(おまえの本当の親が誰なのか……)

(!)

 光がどんどん大きくなっていく。

(おまえは真実を知らなければならない)

(あなたは……)

 光の中に人がいる。

 顔はよくわからない。

(あなたは誰ですか?)

 いつもの夢だとクリフは思った。

 ただ、ちがうのは相手が初めて答えてくれたことだ。

(知らなければならない)

 ほんの少し光が弱まり、かなりはっきりと姿が見て取れた。

 クリフは食い入るように見つめる。

 立派な体格は見慣れたものだった。

 たくましい戦士の身体。

 それでも顔だけはあやふやでよくわからず、ただ短く刈り込まれた頭がとても印象的に見えた。

(我が名はナァイブティーアス)

(ナァイブティーアス……?)

 クリフは呟いた。

 どこかで聞いたことのある───そんな気がした。

(大地の神器を手に入れろ)

(大地の神器?)

(忘れるな。東へ向かうのだ)

(ひが…し…?)

 急速に光がしぼんでいく。

(東だ……東へ向かえ……)

 同時に声も消えていこうとしていた。

(あっ…まって!)

 クリフは慌てた。

(教えてください!)

 必死になって叫ぶ。

(大地の神器ってなんですか?)

 それはもう悲鳴に近いほどの問いかけだった。

(ぼくの……ぼくの本当の親って……いったい誰なんですかぁ────!)

 だが、すでに光の男は消え去っており、あとにはただ漆黒の暗闇だけが広がっているだけ───




「まって!」

 クリフは叫んで目覚めた。

「目が覚めたようだね」

「!」

 クリフは驚いて息をのんだ。

 彼のすぐ目の前に顔がある。

「だれっ?」

 思わず身を引くクリフ。そこへドランの声が上がった。

「おっさん、なに驚かしてんだよ!」

「ドラン!」

 クリフは叫んでからホッと胸をなで下ろした。

「おっさんはやめろって言っただろ。俺にはちゃんと立派な名前がついている」

 すると目の前の男が怒鳴った。

 ずいぶん不機嫌そうな声だ。

「…………」

 クリフは黙ったまま、目の前の男をじっと見つめた。

 髪が長い。

 すばらしい輝きの金髪が、ぐりぐりと巻き毛になっている。

 人工的にそんなふうになっているのか見ただけではわからないが、とても見事なものだ。

 そして、その腰までありそうな金髪を彼は紐で束ねていた。

(なんとまあ……)

 クリフは思わず心で呟いた。

 それもそのはず、髪を束ねている紐というのが、まったく紐にしておくには豪華すぎるほど立派な物なのだ。

 様々な宝石の粒を紐状につなげたもので、男はそれを無造作に髪にくくりつけている。

「どうした? 腹でもへったか?」

 目を見張っているクリフに、男は気さくな笑いを見せて言った。

「きみのご友人が、特別スープをつくってくれたぞ。なかなかいい匂いだろ」

「…………」

 そういわれてみれば、さきほどからいい匂いがあたりに漂っているとクリフは思った。

 グググゥ───

 そう思ったとたん、彼のお腹が鳴った。



 スープはとてもおいしかった。

「それでは、あなたがぼくたちを助けてくれたんですか」

「おいらは自力で泳ぎついたぜ」

「………」

 ドランの言葉に少しむっとした表情を浮かべるクリフ。

 だが、ドランは彼のそんな様子にはまったく気がついていない。

「ま、そういうことだ」

 男はクリフににっこりと笑ってみせながらうなずいた。

 ドランの言葉など、まるで耳に入っていないらしい。

「あ、ありがとうございます」

 慌ててクリフは表情を戻し、男に礼を述べた。

「ぼくはクリフといいます。あなたのお名前を聞かせてください」

「…………」

 スープのまだ入っているお碗を手に持ったまま、金髪の男は好奇心まるだしでクリフをわずかの間見つめた。

 だが、何事もなかったように口を開いた。

「俺の名はアンドリュシアンテクニスマレネス・ドードリアスカタヘルナ……訳あって姓は名乗れない」

「すげー変な名前……」

 ドランが小さく呟いた。

「……」

 男はじろりとドランをにらみつけた。

 今度はしっかりと耳に入ったらしい。

 だが、ドランはどこ吹く風を決め込んでいる。

「ずいぶんと長いお名前なんですね」

 すかさずクリフはていねいに答えた。

「うむ……」

 男はクリフへ視線を移すと、心なしか表情をやわらげた。

「親からもらった名だが、俺は大嫌いでね。できたらジュリーって呼んでくれ」

「だったら、さいしょっからそう言えばいいのにさ……かっこつけてんの、こいつ…」

 ズズーッとスープをすすりながら、またもやドランが呟いた。

「おい…おまえ…」

 さすがにたまりかねたのか、アンドリュシアンテクニスマレネス・ドードリアスカタヘルナ───通称ジュリーは、切れ長の目をいっそう細めてドランをにらみつけた。

 普段なら流し目の似合いそうな薄いブルーの瞳が、今はギラギラして凶暴そうな輝きを見せている。

 しかし、ドランは黙ったまま知らんふりを決めこみ、鍋からスープのおかわりをよそっている。

 あたりに気まずい空気が流れた。

「あっ…あのっ!」

 それを払うかのように、クリフが大きな声を上げた。

「この…このお鍋はジュリーさんのものですか?」

 クリフは慌てて鍋を指さした。

「あ…ああ、そう、そうだよ」

 ジュリーは思わぬ問いかけに驚きながらもそう答えた。

 一方ドランも、今まさに鍋へとおたまをつっこみながら、びっくりしたような顔を友人に向けている。

 クリフはそんな友人の視線に赤くなりながら、それでも何気ない様子をよそおった。

「とても大きなお鍋ですね」

 彼はそう言いながら、火にかけられた鍋を改めてしげしげ見つめた。

 直径一メートルほどはあろうか、球体を半分に割って中身をくり抜いたような鉄製の鍋である。両手で持てるように把手がふたつついている。

「珍しい鍋だろ」

 ジュリーは少し自慢そうに言った。

「ある町の雑貨屋で手に入れたんだが、なかなかいい買い物をしたと思っている」

「ただの鍋じゃんか」

 またもやドランのよけいな一言が。

 だが、ジュリーはぎろりとひとにらみしただけで何も言わなかった。

 あくまでクリフに向かって説明を始める。

「これは『チュウカナベ』といって、この地方より遙か東の地方に存在するといわれているチュウカ帝国で、ごく一般に使われている鍋なのだ。なかなかここら辺りでは手に入らない逸品なんだよ」

「東の……?」

 クリフは考え込んだ。

 あの夢の男が言っていた言葉を思い出す。

───東へ……東へ行くのだ───

(あの人はそう言った……)

 クリフは何か言いようのない恐怖がわきあがってくるのを感じた。

(いったい東に何があるというのだろう)

 彼は物思いに沈みながら、スープがグツグツと煮込まれるのを見つめた。「チュウカナベ」と呼ばれる鍋の中のスープを───

「聞かせてもらえないか」

「え?」

 クリフはハッとして顔を上げた。

 そこに優しい表情をしたジュリーの目を見つける。

「ええっと……」

 なぜか顔を赤らめるクリフ。

「な…何をでしょうか……」

「うむ……」

 彼はクリフの顔から視線をはずし、少し離れた場所に座っているドランへ目を向けた。

「さしあたって、なぜ君たちはあんな危険な海にいたのか……かな?」

「危険な海……」

 クリフはぼんやりと呟いた。

──パチパチ……

──グツグツ……

 火のはぜる音と鍋のスープの煮立つ音が、いやに耳につく。

 クリフたちは森のはずれにいた。ふたりが渡ってきた海のすぐ近くである。

 すでに夜はふけ、焚き火はチラチラとあかりを周囲に投げかけていた。

 ときおり、森の奥の方から獣の遠吠えが聞こえてくるばかりで、あたりはずいぶんと静まり返っている。

「…………」

 クリフは無言のまま、ドランへと目を向けた。

 焚き火から少し離れたところに大きな木が立っていて、彼はその下でむっすりとした表情をクリフたちに向けている。

「ジュリーさん……」

 クリフはジュリーを真っ直ぐ見つめた。

 彼の黒い瞳とジュリーの涼やかな青い瞳がかち合った。

「ぼくは本当の両親を探しているのです」

「本当の両親……?」

 クリフはうなずいた。

 さらりと髪が揺れ、金緑とも金紫ともいえる不思議な輝きを見せる。

 ジュリーの目が眩しそうに細くなった。

「ぼくはダカル島からやってきました。ついこの間まで、父さんと母さんの子供だと信じて生きてきたのです。ドランを浜辺で見つけてくるまで……」

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